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お礼を言わない坊主の話。

2012-01-02 21:39:22 | 思考の散歩
 これは実在の方のお話だったはずです。
 御存知の方もみえますかね?


 むかーしむかし、ある所にお寺がありまして、そこの住職は『お礼を言わない』ことで知られていました。


 物をもらってもお礼を言わない。

 何かお世話になってもお礼を言わない。


 次第に町人や檀家の方々は、住職の事を『感謝の気持ちも表さない人』と、悪く言う様になりました。


 確かその住職はお坊さんの中でも高位の方だったと記憶していますが、実は感謝していなかったわけではないのです。

 曰く、

「言葉と言う物は、口から出してしまった瞬間に気持ちが離れてしまう。
 お礼を言ったからもう義理は果たした。お礼を口に出しておいたからもう関係ない。
 本当の感謝と言う物は、そうやって区切りを付ける物ではないのです。

 或いは、実は感謝していなくても『お礼の言葉』を口に出す事で『自分は良い事をした』『自分は良い人』と
 自他共に認めよう、認められようと言うのは感謝のあるべき姿ではありません」


 私の記憶が正確かは自信がありませんが、確かこのような趣旨でした。

 まぁ、実際は確かに『言葉に出してお礼を述べる事』は大事な事でもあり、それが人間関係を円滑にする物だと思います。
 しかし逆に見れば「お礼を言う時、本当に気持ちが込められていますか?」と言う提起を、その住職がされている様にも思えるのです。




 新しい年が明けました。

 あちらこちらで
「あけましておめでとうございます」
「本年もよろしくお願い致します」

 口に出す言葉だったり、書面の挨拶文としてお知り合い、御親族、取引先、御友人に発信されていると思います。



 「おめでとう」「よろしく」を言ったから義理を果たし終わったのでしょうか?

 言葉を贈る事が目的化してはいないでしょうか?



 
 習慣に釣られて言葉を出す時、気持ちが込められているかを振り返ってみると、ハッとする事もあるのではないでしょうか?^^






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