一見、美談のように思えるお話から始まりますが、最後のオチまでお読み頂けますでしょうか。
ある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術を発表した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c1/8e1227d3a4cf0d8f1bb9c17a326978f2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/09/9f9835a31b2b64f058f29b0ab7a7bb3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/95/953c629ec64397445eab2bcf3f37fdbc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/b4/bc55b937e0f15dfbc172bf5422260994.jpg)
芸術家って結構、『人間って、なんだろう』『神様って:生き物って:運命って、なんだろう』みたいな事を考えるんですよね。
絵画でも音楽でも、某かの意思を表現するにしても『自然さ』を損なってはならず、そうすると『自然さって、何だ?』というプロセスを経て、様々な人間の行動や人生の意義など、ある意味哲学的な事を考えたりするんですよね。
また、国家の在りようなどに強い不満を持って(明確な持論との齟齬を許容出来なくて)、革命などに何らかの形で関わった芸術家も歴史上に散見されます。当然、軍事政権などから迫害されたりと不遇な目に遭ったりもしました。
これは私の勝手な解釈なのですが、おそらく今回のケースに登場した芸術家は、自分含め、『人間の性悪性』に憤りを感じたり、また、それがどうしようもない『人間の宿命である』とうな垂れた諦観の中に、『醜悪に爛(ただ)れた美』を表現したのではないだろうか、と思うのです。
大きな流れとしてうねる、人間の性悪。
それに抗おうとする小さな性善は、蟷螂の斧なのかもしれない。
その、斧の儚さに、『美』を見出したのかもしれませんね?
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
ある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術を発表した。
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芸術家って結構、『人間って、なんだろう』『神様って:生き物って:運命って、なんだろう』みたいな事を考えるんですよね。
絵画でも音楽でも、某かの意思を表現するにしても『自然さ』を損なってはならず、そうすると『自然さって、何だ?』というプロセスを経て、様々な人間の行動や人生の意義など、ある意味哲学的な事を考えたりするんですよね。
また、国家の在りようなどに強い不満を持って(明確な持論との齟齬を許容出来なくて)、革命などに何らかの形で関わった芸術家も歴史上に散見されます。当然、軍事政権などから迫害されたりと不遇な目に遭ったりもしました。
これは私の勝手な解釈なのですが、おそらく今回のケースに登場した芸術家は、自分含め、『人間の性悪性』に憤りを感じたり、また、それがどうしようもない『人間の宿命である』とうな垂れた諦観の中に、『醜悪に爛(ただ)れた美』を表現したのではないだろうか、と思うのです。
大きな流れとしてうねる、人間の性悪。
それに抗おうとする小さな性善は、蟷螂の斧なのかもしれない。
その、斧の儚さに、『美』を見出したのかもしれませんね?
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