下記の記事を婦人公論.jp様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
27年間続いた『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』が来春終了というニュースが流れた上沼恵美子さん。仕事も人生も一段落の時期かと思いきや、長年「ネタ」であった夫との別居、ライフワークとして取り組んできた『快傑えみちゃんねる』の突然の終了と、コロナ下で大きな変化を経験することに。今、その心中に去来する思いとは──(構成=社納葉子 撮影=霜越春樹)
歳をとるのは寂しいことだけど
人生100年と言われる時代になりました。人生が長くなり、ハッピーハッピーと皆さんおっしゃるけど、逆に生きるのがものすごく難しい時代になったと思います。生きるとは修業であり、勉強であり、苦しみであり……。
もちろん楽しみもありますけど、楽しむにも体力や気力が必要なんですよ。年齢とともに、体力も気力もやる気もなくなる。それも当たり前なんです。だから「100歳までいきいきと」なんて無理。どこかで諦める。私、集中力はあまりないんですけど、今、「諦める」集中力が必要やなと思っています。
私も年が明けたら67歳という年齢になり、今までできていたことができなくなってきました。血糖値が高い、血圧も高い。だから甘いものを食べてはいけない。抑え込まれることが多くて、楽しみは減る一方。
でもよく考えたら、ある程度のことは経験してきたわけです。私の場合は旅行好きな夫につきあって、海外は行き倒しました。エッフェル塔は3回も4回も見たんですよ。初めて見たのは19歳の時、海外旅行も初めてでした。「うわあ」と鳥肌立ちましたね。
もうあんな感受性はありません。感受性がなくなると、人生の楽しみの80%がなくなったような気がします。今やエッフェル塔も通天閣も変わりません。クリスマスにウキウキしたり、年末年始が楽しみというのも、子どもの頃や恋人時代の一瞬だけですよね。
「たまに会う」という生活の知恵
私は結婚が22歳と早く、そこから女の人生が始まりました。23歳で母になり、姑や小姑がいて、いろいろあって、仕事をまた始めて、ほかのタレントさんにいびられたこともありました。
荒波だらけの人生を生きてきて、気がついたらこの歳になっていて。「うそ!」と思いますもん。目はかすんでくる。耳はまだ聞こえてるつもりなんですけど、この前、夫に「君の声は大きくなった」と言われました。「テレビの音も大きいね。耳が悪いんじゃないのか。耳鼻科へ行ってこい」と言われたので行きました。異常なし。夫に腹立ちました。
言いたいのは、歳をとるのは寂しいことだけど仕方ないということ。歳をとることを自分なりに集中して分析してみる。「歳をとるのに不公平はないんだ」と受け止めましょう、ということです。
私に対しては相変わらず偉そうな夫ですが、彼も歳をとりました。テレビ局を定年まで勤めましたが、もう少し働くのかと思ったら61歳で辞めてきましたからね。「辞めるかもしれないよ」とは聞かされましたが、「辞めてきた」と言われた時にはびっくりしました。
それでも勤め上げたわけですから家族でお祝いしました。一番高いステーキハウスで上等なワインを抜いて、「お父さん、お疲れさまでした」と。2人の息子は気が利かないので、私が「お父さんに手紙を書きなさいよ」と仕込んでおきました。それを受け取った彼は「後で読む」と言いながら目をウルウルさせて。
で、彼がステーキを食べながら息子たちに「お父さんは70歳でこの世を去る」と言うたんです。「それまでは好きなことをします」と。私は「どこか体の調子が悪いんかな。それにしても9年て、中途半端な」と思いつつ、「彼は70歳で死ぬ」とどこかで信じていました……でも、死ぬもんですか! 来年75歳ですが、ストレスがないからそれはもう健康で。かかりつけのお医者さんで検査をすると、何もかもが正常の数値だそうです。何やかやと飲む薬の量も私の3分の1ですね。
別居は水くさくなりますね
ただ、大きな変化がひとつありました。別居です。実は6年ほど前、離婚しようと思ったんです。子どもたちも、「いいよ」と言ってくれました。2人ともすでに独立して、もう「おっちゃん」の年齢ですからね。
弁護士に相談するくらい本気だったんですけど、いざとなるといろいろ《邪魔くさく》なってしまって。45年近く一緒にいますと、名義変更とか、財産の振り分けが大変なんです。ほとんど私のものですけど(笑)、別れるとなったらちゃんと分けないと。夫が離婚後に野垂れ死にしたとなったら嫌ですから。結局、離婚ではなく、私が持っていたマンションに移ってもらうことにしました。
うちに帰ってくるのは週末です。その日は食事も作ってますよ。この間も久しぶりにてんぷらを揚げました。「美味しい」とも言いませんが、何か嬉しそうに食べてました。
ただ、別居は水くさくなりますね。日頃の様子を全部見ているわけではないので、細かな体調の変化などはわかりません。一方で、40年間言わなかった「ありがとう」を私に言うようになりました。日曜日の朝、ごはんを作ると「ああ、どうもありがとう」「ごちそうさま」と言って出て行きます。今まで言わなかったことを、別居と年月と水くささが言わせるんだなと思います。
今はものすごくいい距離感です。家から車で10分という距離もさることながら、週に1、2度帰ってきて、食事をしてマンションに戻っていく。そのペースが今の私たちにはちょうどいい。相変わらず、掃除ひとつしませんが、汚れたらお掃除の業者に入ってもらえばいい。「たまに会う」というのは生活の知恵ですね。私のストレスはぐんと減りました。
横並びから向かい合って
私はどうやら「夫源病」だったらしいです。ある日、家で安藤優子さんの番組を観てたら、「上沼恵美子さんの症状をみると、確実に夫源病ですね」とお医者さんが言うてはるんですよ。夫と気が合わないというのは常日頃ネタにしてましたから、勝手に診断してくれたんでしょう。
確かにその頃、めまいが出たりして体調はよくなかったんです。思わずテレビに向かって「そうですか」と言いました。体調不良の原因が夫だと医学的に認められたわけですよ。夫は不愉快な顔をしてましたけど。
うちだけじゃないと思うんです。世間にも「夫源病」の妻は多いんじゃないでしょうか。じゃあその病はどこから来るんだろうと考えました。妻であるということは、ごはんを作らなあかんとか、そんなことだけではありません。
子どもを育てたり、近所とトラブルがあったら闘ったりと、夫婦が一体となって闘うものや守るものがあったわけです。その時はお互いに「あんたしかおらへん」「おまえだけやで」と、好き嫌いを超えた使命感で結束している。ところが子どもは大人になります。結婚して、独立していきます。
すると、今まで横に並んでいた人が、自分と向かい合って座ることになる。その時が勝負。ここからが夫源病の始まり。正面から彼を見た時、「誰やねん、この人」と思うんですよ。もちろん知ってますけど、違うんだなあ。出会った頃、若かった頃、子どもたちが小さかった頃の夫とは全然違うんです。
離婚をやめたのは、邪魔くさいのが最大の理由
男の人って、社会的な責任がなくなると目が変わりますね。ま、端正な顔は変わらないんですけど(笑)、目がとろりんとして輝きが衰えてくる。本人には言うてませんけど、あらためて夫と向き合った時、そんなふうに感じました。
それから、よう笑うようになりましたね。若い頃は嫁さんが面白いことを言うてもクスリとも笑わない、ニヒルな人だったんです。「くだらないことを言って」という顔をして、それがまたセクシーだったんですよ。
今はしょうもないことを言うたら、「はっはっはっ」と普通のおっさんみたいに笑うようになりました。それはいいことです。でも嬉しさの後に切なさが来ますね。「ああ、歳とったなあ」と。
別居を公にする気はなかったんですが、週刊誌が取材に来たので自分から月刊誌に手記という形で話しました。「(別居するぐらいなら)なんで離婚しなかったんですか」と言われますけど、先ほど申し上げた通り、邪魔くさいのが最大の理由。それでとりあえず別居したところ、距離感が予想外に心地よくて。
和歌山県の白浜にある別荘に夫婦で行ったり、2人の間を犬がころころ歩いてたりする様子を見ていると、「これが楽かなあ」という気になりました。夫は何も言いませんけど、結婚生活45年、言葉に出さなくともわかるキャリアがあるんです。
夫婦関係を見直す出来事も
夫との別居が公になった後、「上沼さんやからできる」と何人もの方から言われました。それは仕方ないです。そのぶん、私は働いてきました。ご褒美やと思ってます。でも自分のほうが皆さんより偉いなんて思ってません。はっきり言って、タレントなんてそう忙しくないんです。休憩や移動の時間が長くて、収録時間はたかが知れてます。パートで働きながら家事育児をやっている人のほうがずっと偉いですよ。
別居という、形の上での大きな変化がありましたが、それとは別に夫婦関係を見直す出来事もありました。昭和22年生まれの夫は団塊の世代。「妻を褒めたら死ぬ」ぐらいに考えてるふしがあって、これまで一度も褒めたり労われたりしたことはなかったし、私もとっくに諦めてたんです。
ところが、コロナ禍でテレビやラジオの収録現場が一変、お客さんやゲストをスタジオに呼べなくなりました。人とじかに触れ合えない、お客さんの生の反応を感じられない現場は私にとって本当につらいものでした。
ある時、どうしても気持ちが上がらない仕事があって、とうとう夫に「私を励ましてくれませんか」とメールしたんです。詳しいことは書きませんでしたが、それだけで察したんでしょう。
「君の仕事は得ですよ。たくさんのファンが讃えてくれる。視聴率がよければ花が贈られてくる。僕たちサラリーマンは何十年と勤めても褒められることはまずありません。ほかの仕事だって同じ。ぜいたくを言ってはいけないよ」という返信がありました。
寄り添ってくれる時も偉そうですが(笑)、胸に響きましたね。夫は元テレビマンで、鋭い取材もしてきた人なんですが、その名残りを感じることもできました。思い切って頼ってみてよかったと思います。
構成: 社納葉子
撮影: 霜越春樹
出典=『婦人公論』2021年11月24日号
タレント
1955年兵庫県生まれ。72年に姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の千里としてデビュー。77年に結婚後、芸能界を引退して専業主婦に。翌年、「上沼恵美子」として復帰。以来、関西を中心に『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』をはじめ数多くのテレビ・ラジオ番組の司会を務める
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