あれから12年の歳月が流れた。
東日本エリアにお住いの方々は、あの震災を忘れることはないだろう。
昨夏、三陸鉄道を訪れたが、小さな漁村にも大きな防波堤ができていた。
2011年を振り返ってみると、どっぷり飛行機撮影三昧だった。
2008年に最後の61運行が終わって、しばらく鉄からは遠ざかっていた。
このブログも開始前だった。
また、この頃にはA380が登場し、成田にもやってくるようになった。
そんな中、JALのB747が完全引退したのもこの年の3月であった。
3/1に。ホノルルからと、那覇からのチャーター機が同時刻に成田に
着いたのを最後に、JALのB747の運行が完全に終わった。
まだ世の中にB747が結構飛んでいた時代で、まあ最後なんで行ってみるか
程度の実感しかなかった。
丁度400番台のスポットに2機が並び搭乗者や職員が記念撮影をしていた。
こんな場所で撮影したのは初めてだったが、網越しに見える機体を
撮影した。見ての通りの人出であった。
そしてこの10日後の、3月11日に、あの災害が起きた。
このあと3/5に成田空港での撮影歴が最後で、その後は3/27日まで撮影歴がない。
11日以降は、日々の生活にも影響がでた。それでも翌週には出勤して
仕事をしているし、今のような在宅という選択肢がまだなかった。
ようやく一段落したのか、続々と世界から物資が成田になやってきて
不謹慎だが、普段お目にかかれない機体もたくさんやってきた。
そんな中で、ようやくカメラをもって臨んだ最初が27日のエルアルカーゴの
B747の記録だった。それ以降当然だが、成田には飛来実績はない。
そしてこの年の11月にE655のお召が中央線で走った。鉄活動はなんと
この日1回だった記録だけあった。
2011/03/01 成田空港
東日本エリアにお住いの方々は、あの震災を忘れることはないだろう。
昨夏、三陸鉄道を訪れたが、小さな漁村にも大きな防波堤ができていた。
2011年を振り返ってみると、どっぷり飛行機撮影三昧だった。
2008年に最後の61運行が終わって、しばらく鉄からは遠ざかっていた。
このブログも開始前だった。
また、この頃にはA380が登場し、成田にもやってくるようになった。
そんな中、JALのB747が完全引退したのもこの年の3月であった。
3/1に。ホノルルからと、那覇からのチャーター機が同時刻に成田に
着いたのを最後に、JALのB747の運行が完全に終わった。
まだ世の中にB747が結構飛んでいた時代で、まあ最後なんで行ってみるか
程度の実感しかなかった。
丁度400番台のスポットに2機が並び搭乗者や職員が記念撮影をしていた。
こんな場所で撮影したのは初めてだったが、網越しに見える機体を
撮影した。見ての通りの人出であった。
そしてこの10日後の、3月11日に、あの災害が起きた。
このあと3/5に成田空港での撮影歴が最後で、その後は3/27日まで撮影歴がない。
11日以降は、日々の生活にも影響がでた。それでも翌週には出勤して
仕事をしているし、今のような在宅という選択肢がまだなかった。
ようやく一段落したのか、続々と世界から物資が成田になやってきて
不謹慎だが、普段お目にかかれない機体もたくさんやってきた。
そんな中で、ようやくカメラをもって臨んだ最初が27日のエルアルカーゴの
B747の記録だった。それ以降当然だが、成田には飛来実績はない。
そしてこの年の11月にE655のお召が中央線で走った。鉄活動はなんと
この日1回だった記録だけあった。
2011/03/01 成田空港
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