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▲東エルサレム
アカバから遺跡のペトラまではローカルバスで2時間。400円なり。
ペトラからアンマンまではローカルバスで3時間(400円なり)。宿はエルサレム生まれの70歳のパレスチナ人の家に決定。
アンマンでラマダンは終わり、一応の観光も終え、いよいよエルサレムへ行く。今は異なると思うが、ボクが行った90年代はヨルダンからイスラエルへ行くことは出来なかった。ただ、ヨルダン川西岸WEST BUNKへは行ける。イスラエルから見るとがヨルダン川西岸は自分たちの占領地。ヨルダンから見ればヨルダン川西岸はパレスチナ。だから、ヨルダン川西岸へは行くことができて、そこに行けばイスラエルに入ったことになる。ただ、パレスチナ国家は存在しないので、ヨルダンの出国スタンプもパレスチナへの入国スタンプもパスポートに押されない。だからボクのパスポートは未だに、ヨルダンの入国スタンプはあっても出国スタンプがない。
問題は他にもある。当時、パスポートにイスラエルの入国のスタンプがあると、他のアラブ諸国には入国しづらいことがあり、イスラエル(パレスチナ)からエジプトへバスで行く予定なので、イスラエルの入国スタンプをパスポートに押されるとマズイ。
「小泉さん、ボクは生きたいです」といって、イラクで殺害された香田さんは、パスポートにイスラエルのスタンプがあったようですが、やはりスタンプはないほうがいい。
アンマンからヨルダンバレーの穀倉地帯をローカルバスで走ること約1時間。あっという間にヨルダン川に到着。6~7mの、何処にでもあるような川。何だ、何だ、と思っている内にバスはあっという間に橋を通過。川辺に座って、魚や花でも見ようなんて思っていたボクが間抜けだとは分かっていても、これを見たくて来たのだから、もう少しゆっくり、せめてロバ位のスピードで渡って欲しかったが、逆に早くなったような気さえした。
橋を渡って、イスラエルへの入国審査。入国スタンプはパスポートではなく、別の用紙に押してもらい、それをパスポートに挟む。これだと、出国時も同様にすれば、形式上、ヨルダン入国の後、次に行く、エジプトの入国スタンプと続くはず。イスラエルの文字はない。
ヨルダン川から乗り合いタクシーで約1時間で東エルサレムに到着。約1500円なり。宿は城壁の中にあるパレスチナ人の宿に決定。
エルサレム周辺やユダヤ人の虐殺記念館、ベツレヘム、死海、難民キャンプでの話など、今でも心に溜まる様々なことを見聞きしながらエルサレムを離れる。
バスがガザとエジプトの国境ラファを通過するとシナイ半島の地中海側を走る。広がる大地の所々に、周りとはつり合わない不自然な破壊された戦車など中東戦争の遺物が点在している。ひとつひとつにいろんな事があり、人も亡くなったのだろうと思うが、地表や空の広がりのほうが雄大で、遺物が異物に感じる。
ボクの中にはこの動機不純な旅への経験が重すて深すぎて、時々思い出してはこんな文章を書いたり、パレスチナ料理の会をやろうとおもったりするのです。エルサレムからカイロまでバスで12時間、23ドルなり。(トモ)
アカバから遺跡のペトラまではローカルバスで2時間。400円なり。
ペトラからアンマンまではローカルバスで3時間(400円なり)。宿はエルサレム生まれの70歳のパレスチナ人の家に決定。
アンマンでラマダンは終わり、一応の観光も終え、いよいよエルサレムへ行く。今は異なると思うが、ボクが行った90年代はヨルダンからイスラエルへ行くことは出来なかった。ただ、ヨルダン川西岸WEST BUNKへは行ける。イスラエルから見るとがヨルダン川西岸は自分たちの占領地。ヨルダンから見ればヨルダン川西岸はパレスチナ。だから、ヨルダン川西岸へは行くことができて、そこに行けばイスラエルに入ったことになる。ただ、パレスチナ国家は存在しないので、ヨルダンの出国スタンプもパレスチナへの入国スタンプもパスポートに押されない。だからボクのパスポートは未だに、ヨルダンの入国スタンプはあっても出国スタンプがない。
問題は他にもある。当時、パスポートにイスラエルの入国のスタンプがあると、他のアラブ諸国には入国しづらいことがあり、イスラエル(パレスチナ)からエジプトへバスで行く予定なので、イスラエルの入国スタンプをパスポートに押されるとマズイ。
「小泉さん、ボクは生きたいです」といって、イラクで殺害された香田さんは、パスポートにイスラエルのスタンプがあったようですが、やはりスタンプはないほうがいい。
アンマンからヨルダンバレーの穀倉地帯をローカルバスで走ること約1時間。あっという間にヨルダン川に到着。6~7mの、何処にでもあるような川。何だ、何だ、と思っている内にバスはあっという間に橋を通過。川辺に座って、魚や花でも見ようなんて思っていたボクが間抜けだとは分かっていても、これを見たくて来たのだから、もう少しゆっくり、せめてロバ位のスピードで渡って欲しかったが、逆に早くなったような気さえした。
橋を渡って、イスラエルへの入国審査。入国スタンプはパスポートではなく、別の用紙に押してもらい、それをパスポートに挟む。これだと、出国時も同様にすれば、形式上、ヨルダン入国の後、次に行く、エジプトの入国スタンプと続くはず。イスラエルの文字はない。
ヨルダン川から乗り合いタクシーで約1時間で東エルサレムに到着。約1500円なり。宿は城壁の中にあるパレスチナ人の宿に決定。
エルサレム周辺やユダヤ人の虐殺記念館、ベツレヘム、死海、難民キャンプでの話など、今でも心に溜まる様々なことを見聞きしながらエルサレムを離れる。
バスがガザとエジプトの国境ラファを通過するとシナイ半島の地中海側を走る。広がる大地の所々に、周りとはつり合わない不自然な破壊された戦車など中東戦争の遺物が点在している。ひとつひとつにいろんな事があり、人も亡くなったのだろうと思うが、地表や空の広がりのほうが雄大で、遺物が異物に感じる。
ボクの中にはこの動機不純な旅への経験が重すて深すぎて、時々思い出してはこんな文章を書いたり、パレスチナ料理の会をやろうとおもったりするのです。エルサレムからカイロまでバスで12時間、23ドルなり。(トモ)