自然食品店・オーガニック珈琲店「ろばや」のブログ

小金井にある自然食品店『ろばや』のブログです(※2014年2月閉店しました。珈琲、紅茶、一部の雑貨等は国分寺店にて継続)

国会

2015年07月19日 09時57分01秒 | 【コラム】 ロバの深呼吸
・国会前に行きました。暑い日でしたが、風が走るように体をすり抜けてゆくところもあり、場所によってこんなに違うのかと思いました。集団から離れ、「9条壊すな」のポスターをもって、国会正面につながる道路の中央分離帯の先端に立ってみました。遮るものが何もないため、風の強さを感じ、そんな場合ではないのですが、スガスガしさを感じました。前は皇居、後ろは国会というロケーションで、田舎では法案に反対でも、こんな場所に来られない人は沢山いるだろうな、と田舎出身のボクは思いました。

集まりに参加するたびに、お金と時間がメッチャかかり、場合によっては宿泊も覚悟しなければなりません。九州に住んでいたころ、そうして何度も上京したことを思い出します。もっとも苦心したのはお金でした。趣旨を言って周囲に寄付をお願いするのですが、もっとも頼りになったのは大学の、特に文系の先生方でした。教養部や教育学部の先生にはお世話になりました。またかという顔を隠し、にこやかさを失わないのは、教員だったからでしょうか。今や、中央線と丸の内線にのれば数百円であっという間です。国会前に行かなくていい時代になってほしいものですね。



・20代前半の頃、バスでイランのテヘランに向かっていました。日本人と言うだけで、バスの最前席を与えられ、確かに景色はいいのですが、イランの大平原の夜は霧に覆われ、一寸先は闇の中、事故だけはご勘弁をの気持ちでした。ホメイニが帰国して間のないころだったせいか治安は悪く、何度か検問をされました。バスのガソリン口を開け、細棒で中をつつくのをみて、そこまでやる!っと関心しました。ボクはと言えば荷物検査はもちろん、両手をバスにつけ、ポケット、ボディを丁寧に身体検査をされました。背後には銃を持った蝋人形のような人物が立ち、ボクは蛇の前のカエル状態でした。しかしです、状況にもかかわらず、どこか怖さはありませんでした。それは、ボクが日本人で、トルコをはじめこの辺りは、日本人にやさしいことを分かったからです。パキスタンからイランの国境も、日本人は国境でVISAをとれるというまれな国だったのです。たぶん中東を旅したことのある方なら、ヒロシマ・ナガサキや米国と戦ったこと、経済成長の話はよく聞かされたと思います。アフガン、イラクと米軍と共に動けば動くほど、米国化がすすみ、日本という国のブランド、平和遺産は、消滅してきました。


・もう16年前になりますが、ラオスを旅したことがあります。その頃、ビックアップトラックで移動していると、地雷などの探知機をもった人たちに出くわします。ラオスではその頃毎年、不発弾による死傷者は200人以上いて(多くは山岳部の少数民族)、その不発弾処理がずっと続いていたのです。国連が事務所をビエンチャンやルワンパパーンなどの町でなくウドンサイという村にあるのも不発弾が少ないからとのこと。おびただしい数の爆弾を落としたのは、米国で、国連では投下の30%が不発弾だったとか。日本の沖縄基地が大きな役割を果たしました。軍事面で米国化しようとしている日本ですが、軍事と言うのは人の生死に直接かかわることですし、取り返しがつきません。その後にも影響します。ラオスでは日本は直接爆撃をしていないことが救いです。米国人はラオスも謙虚に旅しないといけませんね。(トモ)

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