定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その7(ピースボートの歴史、ノーベル平和賞)

2023年12月26日 | 思い出の旅行

第7日目 8月30日(水)(1)日付変更線通過 *明日も30日となるとのこと?
 8時起床、洗面をして14階で朝食、窓際の4人掛けテーブルを確保、お粥、サラダ、茹で卵、スクランブルエッグ、焼き魚、ベーコン、りんご、グレープフルーツ、スイカ、メロン
波穏やか、雲少なくカモメ飛ぶ(陸が近い?)部屋に戻り歯ブラシとトイレを済ます。
 10時「私の愛するハワイ〜フラを育んだ自然と文化」を聞くつもりで7階「ビスタラウンジ」へ行ったつもりが「プリンセスシアター」だった。「夢とロマンの世界遺産〜ハワイの世界遺産」をそのまま聞くことにする。初めの30分はクルーの避難訓練のため待機、ハワイの地理、歴史から始まり名所を1時間ほどかけて紹介してくれた。
・ダイヤモンドヘッド *休火山
・ファーマーズマーケット *お土産
・ワイキキビーチ *3キロメートル、サンセットがお勧め
・パールハーバー *戦争記念館
・ワイアナの滝
・パナウマ湾 *かって火口だった
・イオラニ宮殿
・ビショップ博物館
・アラモアナセンター
・モアナルアガーデン
・タンタラスの丘

 スッタフの避難訓練で終わりが30分遅れたのでカミさんと待ち合わせを諦め自室に戻る、1時間後、カミさんが戻って来た。「ロビーのソファで待っていた」とのこと。
 昼食は14階でお粥、焼き魚、厚切りのハム、ちくわの天ぷら、野菜サラダ、グレープフルーツそして抹茶ゼリーのデザートとコーヒーをいただく。シアターの放映中の「寅さん」を覗いたが満員、諦めて自室で休息、気がついたら寝ていた。
 5時起きて、5階の食堂に向かう。メニューは同じ、サラダ、スープ(ニンジン)、メイン(ビーフシチュー)、デザート(ナタデココ)、コーヒー。同席した方が2人、一人はスマホとワープロをいじっていて話をしない。もう一人の方は徳島から来られた同じ年(20年生まれ)、2回目(1回目は10年前)の参加とのこと、気難しそうだったが話しかけたら気さくな方だった。翻訳ソフトを持っているけどハワイ観光はどうするか迷っている様子。
 夕食後、ジャグジーとプールがある船尾に向かう、ジャグジーに入っている人も見えた。気持ち良さそう。大きなデッキチェアがあったので寝転んで航跡と雄大な夕焼け風景を楽しむ。「最高の贅沢」とカミさん。深い赤から赤黒く変化する夕焼けが美しい、星も見える。
 8時、自室に戻り歯ブラシをする、記録を書いて風呂に入る予定。明日も30日(今日は30日1、明日は30日2として区別するとのこと)貴重な体験?1日(30日2)はどうなるの(日本時間は?)か分からない。


8日目 8月30日(2) *2回目の30日 スパームーン
 8時14階で朝食、お粥、卵、焼魚、サラダ、ヨーグルト、スイカ。騒がしい、中国人?韓国人?日本人? 食後、部屋に戻り歯磨きとトイレ(硬、軟の2回出る)カミさんは映画「ファーザー」主演アンソニー・ホプキンスを見に行く。私は自室で海と空と雲のスケッチ、カミさん11時に帰ってくる。日本語表示が無かったので帰ってきたとのこと。
 12時、昼食、5階で和食(五目寿司、天麩羅うどん、サラダ、梨、コーヒー)、ラガーマン(元三菱重工)と一緒になった、年代別にパンツの色は決まっているとのこと(90代はゴールド)、ルール、ラクビー誕生のキッカケなど話題になる。 
 13時、自室で休む、14時、8階で「気象」の話を聞く、食事で一緒になった方が企画、大勢の方が参加、天気図を使って解説するのは日本だけとのこと、天気図に使われるマーク、雲の種類など30分程解説。
 売店でIDカード入れを買う。観光地では貴重品入れに使えそう。
    ホルダー   150円 ×2=300円
    ストラップ  420円 ×2=840円
       計         1,140円
5〜6階の中央ホールを使ってピースボートの写真パネル、吉永小百合のメッセージ、ノーベル平和賞メダル(レプリカ)等展示されていた。3時30分自室に帰る、カミさんは昼寝。
 16時15分、ビスタラウンジで「ピースボート40周年記念企画 トークショー ピースボート40年の歩み」に参加。1982年、国が中国侵略から進出へ変更したことをキッカケに早稲田大学の学生が集まり結成。最初は国内、アジア周遊を行い現地のカウンターパートナーと支援活動を開始。自転車、車椅子、楽器、サッカーボール、大きなものでは救急車も持って行った。KOREAリレークルーズでは韓国と北朝鮮訪問も実現させた。東日本大震災では石巻に拠点を置き数万人のボランティアを送り出した。「脱原発世界会議」を横浜で開催6,000人が参加した。「平和憲法9条世界会議」、ウクライナ支援、カンボジアの地雷被害救済支援を行なってきた。コロナでは船が出せず、存亡の危機にあったが皆さんの支援で乗り越えられた。クラウドファンデイングで3500万円集めることができた。*運行中止になってもリピーターが返還を求めなかったことも幸いしたようだ

 終了後、5階のレストランへ卵料理の前菜、ほうれん草のスープ、ハンバーグ、抹茶ケーキ、コーヒーを食べる。同席は3人(男2名、女性1名)リピーターと初めての夫婦(夫は建築士)だった。リピーターの方は当然にピースボートや海外に詳しい。建築士の方は現役、奥さんに言われて乗ったとのこと。

第9日目 8月31日(木)
 6時起床し、洗顔して「ヨガ」Mクラスへ、会場は12階のジム、サウナなどがある一角。初めての体験、ほとんど、中年以上の女性、男は自分を入れても3人。インストラクターに習い一生懸命真似をするが体が硬く思うように動かない。周囲の女性(経験者か?)は良く動いている。それでも見よう見まねで何とかやり遂げた。腰も伸びるかも、ちょっと期待する。要所要所で水を飲むように教わる。(我々は忘れた。)
 終了後、14階の「ホライゾンコート」で朝食、いつもの内容。食後、帰室しトイレ、と歯磨きを済ませ、「わくわく寄港地〜ホノルル」を聞くために7階プリンスシアターへ、すでに沢山の人が集まっている。
 <注意事項> 100ドル以上の罰金
 ・信号が点滅したら横断禁止
 ・横断歩道がない道路での横断禁止
 ・歩きスマホ、デジカメなど禁止
4人に一人が日本人観光客、物価はニューヨークに次いで高いとのこと。
 <名所>
 ・ワイキキビーチ
 ・カラカウア アベニュー 名店街
 ・カメハメハ大王像 実はレプリカ
 ・カメアコ
 ・モアナルマ・ガーデン
 ・ワイレケアウトレット
 ・パールハーバー
 ・ダイヤモンドヘッド
 ・ノース。ショア
 ・カイルアタウン
 終了後、眠かったので1時間ほど一人休む。カミさんは14階でお茶。

 昼食も14階で取る、メニューはほぼ同じ。帰り、ピースボートセンターでハワイの山火事支援寄付10ドルをする。また、フタッフに
 ・パールハーバーまで歩いてどの位か聞いたが分からないとのこと。
 ・ピースボートから送られてきた翻訳ソフトの使い方を聞く(新聞に掲載されているマークJの黒丸が翻訳ソフトが使える時とのことであった)
 部屋で休息後、5時過ぎ5階「マーキスダイニング」で夕食、ギリシャチーズ入りサラダ、オニオンスープ、グラタン、抹茶ケーキ、コーヒー。同室の北海道と千葉県柏市から来た二人連れ(知り合いではない)と一緒になる。後期高齢者と言っていたが老けてはいない、若く見える。私たちの年齢を知って若いとビックリしていた。カミさんは夫婦の在り方を分かち合った、少し驚いていた様子。ハワイの情報を知りたかったが初めてとのことだった。パールハーバーまでタクシーもバスも使えなければ歩きで行くことにした。多分1時間程度か、、。
 部屋に帰り、一休み、お腹が一杯で動けない。カミさんは風呂に入る。

アクシデント
 ハワイ火事見舞いの支援をするため米ドルを出そうとしたがセイフティーボックスが開かない、カミさんが5階のレセプションへ行って申し出すると直ぐスタッフが来て対応してくれた。


第10日目 9月1日  
 カミさんは6時30分のラジオ体操へ、私は8時起床、洗面をして14階で朝食、同じメニュー、おかずを減らす。帰室しトイレと歯ブラシを済まし「先住民が銃を置く日〜ミ民族解放と平和」に出席のため7階ビスタラウンジへ、会場はまだ「えいちゃんの洋風盆踊り」の最中、高齢の女性が楽しそうに踊っていた。
 9時45分、講座開始。
<紛争解決のための8つの要素>
・紛争の原因の話し合い 
 原因を理解するために文脈を知ることが重要、ウクライナ戦争やアフリカの紛争のように原因
 が異なる。
・経済的再構築 分析→改善→対応
・物理的構築 人々の力が必要
・政治的構築 被害者が立ち直れるような対応が必要
・国家機関の構築 インフラ、関係が必要
・移行期の正義と司法へのアクセス
・治安部門の改革
・元戦闘員の統合
<1994年に学んだこと>
 メキシコにおける平和構築
 アメリカ、カナダ、メキシコによる経済同盟
  国民の同意を求めなかった、多くの人々が取り残されていると感じた。先住民も同様だっ
  た。先住民が立ち上がった。

 レジリエンス(回復する力)
  レギル クスルジャル *マヤの言葉、心と体の健康の意味
  ラ マードレ ティエラ *母なる大地 自然を破壊しない意味。原住民は木を切る時、住
  宅に使うの切ることを許して欲しいと願う。
  *皆で決断(踊り、話し合う)する、老人から若者まで力を合わせる大事さを知っている。

 サバティスタの抵抗
  基本理念による反抗、心は強かったが力は弱かった。
 マスク(顔全体覆う)
  なぜ、マスクをするか、マスクをしないと無視されるがしているとあなたは誰ですかと
  問われる。
 仲介者
  先住民に親しまれている司教が政府とサバティスタの仲介者となった。
  先住民は戦争志向の政府はあてにならない。 
  ドンサミュエル ルイス ガルシアとそのチーム
  平和は一人で考えることではない皆の力で平和の構築を行なってきた。
 
<結論>
「平和構築はいつでも可能、一般の人々も関与できる、一人ひとり平和の為にできることがある。そのことが平和実現に必要」

12時過ぎ、14階でお粥の昼食、カミさんはお粥が気に入っている様子。
自室で休んで13時過ぎに7階ビスタラウンジへパスポートを受け取りに行く、階毎(我々は10階)に時間調整し、更に会場で1、2、3のグループに分け受け取る、待たずに受け取れた。
自室に戻り昼寝する。船内放送で気がつけば3時30分になっていた。

 


 エレベータで熱を出した人がいるのでマスクをした方が良いと忠告された。

日付変更線の表示

 

12階のデッキチェア *外気温が快適な時は意外と少ない。

 

ノーベル平和賞

 

ノーベル平和賞メダル(レプリカ)

ピースボート共同代表であり核兵器廃絶国際キャンペーン国際運営委員(ICAN 2017年ノーベル平和賞受賞)の川崎哲氏

と吉永小百合の対談風景。

 川崎氏は2006年に我々が乗船した時はPBコーディネータとして活動していました。

リビアのカダフィ大佐の自宅(アメリカ軍に爆撃を受ける)や外交官養成所などの訪問ツアー(もしかしたらカダフィ大佐に会えるかもしれない)では通訳として同行してくれました。私のブログを参照して下さい。

吉永小百合のメッセージ
 
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 115回ピースボート世界一周航... | トップ | 115回ピースボート世界一周航... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出の旅行」カテゴリの最新記事