定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

シルクロードの旅(6)

2008年01月18日 | 思い出の旅行

10月29日(金)
  ウルムチ観光 (紅山公園、新彊ウィグル自治区博物館)
  ウルムチ →専用バス→ トルファン 
  トルファン観光(バザール)

 8時モーニングコール、それでも外はまだ暗い。ウルムチは北京と1時間の時差があるが北京時間に合わせているとのこと。
 8時30分、不気味な骸骨のイラストが描かれているディスコ会場で朝食、連日の中華料理のせいかあっさりしたお粥が美味しかった。


 10時出発、外は小雨が降っている。ウルムチでは雨は貴重、ガイドから日本人が雨を持ってきてくれたと礼を言われる。
 近代的なオフィスやショップが並ぶ繁華街を通り、紅山公園に向かう。人気がない遊園地を抜けると展望台に出る。高層建築物や高速道路が見え、ここは人口200万人の大都会なんだと納得する。頂上の岩山の上に小さな石造の塔が建っているのが見えた。この塔は鎮龍塔と言い、1776年に洪水等の災害を及ぼす悪霊からウルムチを守るために建立されたもので朝日や夕日があたると紅山の名の通り赤く染まるとのことであった。
 頂上付近の柵に鍵が沢山下がっているのを発見、ガイドに聞いたところ、恋人が心変わりしないようにと願をかけたものとのこと、恋心は何処も同じ心情になると言うことであろう。
 街路樹に根元から高さ1メートル位の高さまで石灰の様なものを塗っているのが目についた。虫除けだろうか、ガイドに聞きそこねた。
 次にバスは新彊ウイグル自治区博物館に向かう。大きな新館が建築中で、現在使用している建物は玄関に日除けのある博物館とは思えない小さな建物であった。
 ガイドから「博物館にはトイレがないので別棟のトイレを使うように」と言われツアー一行は言われるままトイレに入った。ここで思いがけず中国式トイレと遭遇することになった。
 小便器は2つの内1つが壊れ、2つの大便器は扉がなく、高さ90センチ位の横の仕切りのみ、当然汲取式で臭いもキツイ。私は誰もいないと思って小田実の「何でも見てやろう」精神で大便器を詳しく観察しようと覗くと、そこに中国人がこちらを向いてしゃがんでいた。目が合ったが何事もなかったように平然としていたが、こちらは大いに慌ててしまった。
 みすぼらしい建物で少しがっかりさせられ、凄まじいトイレのことが頭から離れないまま博物館を見学したが,大変感動させられた。特に桜蘭から発掘されたミイラは素晴らしかった。その内のいくつか紹介したい。撮影禁止のため写真をお見せ出来ないのが残念である。
 推定年齢40歳の女性のミイラは毛皮の服を着て毛皮の靴を履いていた。皮膚や髪は完全に残っており驚くほど保存状態が良い。長い金髪からヨーロッパ系と言われている。当時の中国とヨーロッパの交流がしのばれる。
 生まれて間もない赤ん坊のミイラは丁寧に布に包まれ、帽子を被り何故か両眼には石が置かれていた。ガイドによるとこの世を見ないですむようにとの親の願いが込められているとのこと、この世が素晴らしいからか、醜いからか聞きそこねてしまった。知っている人がいたら教えて下さい。布と帽子の色は鮮やかであった。いつの世も変わらない親の子への思いが伝わってきた。
 夫婦並んだ状態で出土したミイラがあった。夫が早く亡くなり、30年後、妻が亡くなった時に夫の墓を掘り返し並べて葬ったとの説明であった。妻の思い、家族の思いがあってこのような埋葬になったのであろう。夫婦や家族の絆の強さを感じた。
 O脚の将軍のミイラがあった。常に馬に乗ってのでO脚になったのである。一種の職業病であろう。
 中国のミイラはエジプトと異なり内蔵を付けたままミイラ化しているとのこと、それほどこの地域は乾燥しているとのことであろう。ミイラ以外の出土品も当時の生活がしのばれ大変興味深かった。ツアーの宿命、残念ながら全部見きれないで移動の時間となってしまった。トルファンに行かれたら必ずこの博物館を訪れて下さい、お勧めいたします。
 この博物館で今までの好奇心的ミイラ感から異なるミイラ感を得たと思った。大げさに言えば人が生きていることの意味を教えてくれる存在、私はこれらのミイラに親しみさえ感じた。

  ホテルのレストランで昼食、そして昼食後、例によって土産屋へ立ち寄らされる。アンティックのトンボ玉を買う。3個で5000円ちょっと高い。

 バスはいよいよウルムチを離れ150km先のトルファンに向かう。真新しい道路は往復4車線、中央分離帯がやたらと広い。時折旧道が並行して走る。周囲は砂漠、ただ道路だけ一直線に走っている。
 旧道には時折ポツンと崩れかかった日干しレンガのドライブインのような建物が見える。車が停まっていたり、まったく人影が見えない建物もある。新道ができて役割を終えたものかと想像する。
 しばらくすると砂漠の中に数十基の風力発電機が見えてきた。びっくりしたが巨大な風車と砂漠の組合せは違和感がなかった。それどころかモダンアートのような感動があった。
 今にも砂漠に呑み込まれそうにチョロチロ流れる川、その周辺に息も絶え絶えの樹木が
見える。そんなところを男が一人歩いていた、周囲には集落らしいものも見えない、一体何処に行こうとしているのか。
 途中のドライブイン(ちゃんとした建物)で小休止をとって、走ること3時間ようやくトルファンの町に入る。バザールを見たいと言う客の要望で予定外のバザール見物となる。

 

 ガイドからスリ、泥棒に注意するように言われ、ちょっと緊張してバザールに入る。入口でリヤカーのパン屋を発見、ナンのような形、フランスパンのような形のパン2種類だけ、1個1元。妻がフランスパン形を買う。皮は硬いが中は柔らかい、良くかむと味が出てくる。70歳代の奥さんがナン形は満州で食べていたパンと似ていると言って買っていた。
 絨毯、衣類、布、金物、皮バンド、宝石、野菜、果物、干しぶどう、羊肉(ウイグル人はイスラム教徒)、食堂まで一通り揃っていた。店の形態も建物の中にある店舗、露天、リヤカーと様々であった。羊を吊り下げている売る肉屋、瓜を山のように積んでいる瓜屋、その風景はまさにシルクロードのイメージそのものであった。
 妻が買った餃子風肉饅(2個1元)を食べる。羊の頭や内蔵を大鍋で煮ているのを覗くと売っているおじさんが肺の一部を切って食べろと勧める、気持ち悪かったが少しかじってみた、味はないが柔らかくシャキシャキした歯ごたえがあった。ガイドやツアーの一行にも勧めたが結局、誰も食べなかった。

 バザールを楽しんだ後、町の中心から少し離れたホテル緑州賓館(緑州はオアシスの意味)に到着、ホテルのロビーはイスラム様式、部屋もオアシスらしく緑を基調とする色使いのインテリアであった。
 夕食まで時間があったので少し休んで散歩することにした。ホテルの前は日除けのぶどう棚がついた巾の広い歩道が続いていた、この歩道を下校途中の小学生が通る。地図もなく、聞いても通じなかったので大勢の人が歩いて行く方向を目指して歩く。
 やがて賑やかになり、台風で吹き飛ばされたように天井に穴があいている小さなバザールが見えた。のぞいてみると野菜、果物を売っている。バザールの裏に出ると表通りとはまったく異なる風景が出現した。ホコリっぽい未舗装の道路と密集している日干しレンガの民家、裏道を元気な子供達が行き交っていた。
 表通りに戻り更に、進んで行くと町の中心街と思われる大きな公園に出た。周囲に近代的な建物が並ぶ。通りの一角には露天のビリヤード場、体重測定機があった。

 

ファーストフード・ショップがあったので休むことにする。コーヒーを注文するとインスタントコーヒーを大きな紙コップになみなみ入れてくれる。店の中では漢人の子供が数人アイスクリームを食べている。それをガラス越しにウイグル人の子供がうらやましそうに見ていた。
 ホテルのレストランで夕食、シシカバブーが出る。円卓には若い奥さんに頭が上がらない昭和18年生まれの土建屋さん夫婦、19年生まれの建築家夫婦、奥さんは独特の雰囲気を持っている。そして20年生まれの私たち夫婦。そんな6人が何故か東京の杉並の話で盛り上がった。


 気になった人々
  博物館のトイレで目があったおじさん
  推定40歳の桜蘭の女性ミイラ
  眼を塞がれた子供のミイラ
  仲良く一緒に葬られた夫婦のミイラ
  バザールの臓物屋さんのおじさん
  ファーストフード店をのぞくウイグル人の子供


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