10月26日(木)
予定 クラクフ観光
ヴァヴェル城
・大聖堂
・旧王宮
シンドラー博物館
カジミエシュ地区
・旧ユダヤ人街
市内のレストランで昼食
旧市街
・聖マリア教会
ホテル泊 ヴェエナ・ハウス・アンデルズ・クラクフ
7時、起床 カミさんの咳で目が覚める、少し心配、起きたら元気そうだったので良かった。
7時30分、朝食、1階のレストランでビュフェ形式、料理が多彩で皆美味しそう。見せ方が上手い。パン、チーズ2種類、ベーコン、ハム、スクランブルエッグ、コーヒー、デザート、オレンジを食べる。
8時30分、部屋に帰る。見学の準備、昨日の記録、ホテル内はWiFiが使えるのでインターネットでメールのチェック、LINEの返事をする。
9時50分、ロビーへ、ほぼ皆さん集まっている。
10時15分、バス到着、乗り込む。カジミエシュ地区へ向かい、旧ユダヤ人街を見学する。
<ガイドの説明>
かって、クラクフに65,000人のユダヤ人が住み、人口の25%を占めていた。現在は避難してきたウクライナ人を含め100万人の人口、その内ユダヤ人は90人とのこと。
ポーランドは1996年以降、民主化へ移行し全く異なる状況、以前は暗かったが今は明るくなった。イタリアレストランはかって1軒、今は10軒に増えた。店舗も西ヨーロッパ並みになっている。人々は暖かく、優しい。
気候は以前は寒かったが温かくなっている。今年は温かい、今は「黄金の秋」紅葉(赤はない、黄色が綺麗)が美しい。
旧ユダヤ人街を見学、公園の周囲にシナゴーグが残っている。ガイドの説明ではユダヤ人に35項目の特権(宗教、市場、裁判、、、など)を与え住まわせたことでユダヤ人が集まって来た。7つのシナゴーグ、祈りの場は90ヶ所あった。今はお土産屋さんやカフェなどが並ぶ静かな広場になっている。
昔、ポーランドが敵国に攻められた時、ユダヤ人部隊を編成し防衛に貢献したことがあった。ユダヤ人はポーランドに貢献していた。(嫌われていなかった。?)ではなぜ、反ユダヤ主義がヨーロッパ中に広まったのか、なぜ、ヒットラーはユダヤ人を絶滅しようとしたのか、自分なりに解明しなければならない。
ゲットー跡地(現在は広場になっている)見学、ゲットーに全てのユダヤ人を住まわせた、ゲットーには病院、学校など全て揃っていた。市民としての権利を全て剥奪されたユダヤ人はゲットーに住むしかなかった。電車にも乗れず、外出は大変だったのでむしろゲットーに住むことを喜んだ。広場にはブロンズの椅子が置かれ、子供の写真が載っていた。ガイドは子供たちが学校で使う椅子をゲットーに運んでいる様子(学校がゲットーに移されたため、椅子を運ぶ子供たちの写真もあった)を表現していると言う。
ドイツ軍の許可(当時流行っていた伝染病予防に役立つと判断したため)を得てゲトーのユダヤ人に薬を販売し続けた当時の薬屋が現在も広場の一角にあった。
クラクフについては全く無知だった。ヨーロッパ(ポーランド)の京都と言われるように古い建築が残っている。それが独自性があって魅力的である。ヴァベル城の大聖堂は教会建築の見本帳のようだ。こんな色々な様式が融合しているこんな教会は見たことがない、内部を見ることができなかったが想像できる。帰国したら調べて見たい。
中庭で待機しているとガイドさんが「まだまだ」と言い、やがて「そろそろ鳴ります!」と言うと高い塔の窓が開き、短いラッパの演奏が始まった。このメロディーは市民誰でも知っているとのこと。
聖マリア教会の外観は2つの塔の形が違う違和感があったが内部空間には驚かされた、金と彩色を使い豪華に飾っている、他の国では見られない様式だ。祭壇にある聖像は朝、シスターが開け、夜、閉められるとのこと。これも例を知らない。ポーランド独自のものなんだろう。
聖マリア教会の前の広場でウクライナ支援募金活動が行われていたが気づかず、同行の女性に教えてもらった。少しでも支援の寄付をすれば良かったと反省している。ウクライナに近いことを実感させてくれた。
ゲトーの近くにあったシンドラー博物館はユダヤ人迫害の歴史を写真、資料、映像などで紹介している。展示物が多いわりに展示スペースが限られているためた通路が狭く、見るのが大変、博物館のガイドの説明を聞き、展示物を見て回るのは結構きつい。80代か、同行の方が倒れ、病院に搬送された。顔色が悪く、食事もあまり食べられない状態だったようだ。後からの情報では病院で様子を見ることになったとのこと。息苦しいほど狭いスペースが引き金を引いた感がある。命に別状がないことを祈るのみである。アシスタントの青年(通訳兼)が付いて病院に運ばれたのを見届けて見学を再開する。
シンドラー博物館は3階建、1階(グランドフロア)はチケット売場、クローク、カフェなどがある。展示は1階(2階)から始まる、1940年から41年のクラクフの写真、ユダヤ人の様子、ドイツとソ連のポーランド侵攻図、軍事力バランスなどが展示されている。2階はゲトーの写真や説明パネル、シンドラーの秘書室、オフィス(天井だけが当時のままとのこと)、 シンドラーは当初、ユダヤ人を使ったり、闇で売ったりして大儲けした人物、どちらかと言うと小狡い金の亡者?それがユダヤ人がアウシュビッツ強制収容所に送られことを知ってから人間が変わった。この変身ぶりついて理由(シンドラーの心に何が起きたのか)は分からないとガイドは言う。最後にシンドラーの大きな写真とユダヤの格言 HE WHO SAVES ONE LIFE SAVES THE WORLD ENTIRE 「一人を守ることは世界を守ること」が展示されていた。
シンドラーは戦後、色々事業を起こしたが全て失敗、晩年は離婚しアルコールに溺れ悲惨だったが最後はユダヤ人に助けられて亡くなったとのこと。シンドラーには経営能力、生活力は無かったように思える、コネを使い、ユダヤ人を使い人件費を抑えることで成功しただけだった。だけどユダヤ人を助ける能力(狡賢さが生きた)に秀でていたのだろう。
ホテル(VIENNA HOUSE)
亡くなったポーランド系ユダヤ人の慰霊碑
ガイドさんの説明を聞く(慰霊碑の小石は「天使への手紙」死者への祈りだそうです。)
メズーザーMezuzah ユダヤ教徒の印跡(申命記の寿節を書いた羊皮紙(筒に入っている)を玄関ドアの横、斜めに打ち付けた)を説明しているガイド
ユダヤ人の住居には必ずあるとのこと(斜めにえぐられた跡があればかってユダヤ人が住んでいたことが分かる)
討論する学者像
アメリカにナチスのユダヤ人迫害を訴えた人物(聞き入れてもらえなかったとのこと)
ガイドの説明を聞く高校生?の団体
ユダヤ人墓地跡(落書きは何て書いてあるのだろうか)
墓地の塀(抽象画のようだ!)
草ぼうぼうの中に守り手がいなくなった墓石が立っていた。
旧ゲトーでガイドさんの説明(地図はゲトーが年々狭くなっていった様子が描かれている)を聞く
旧ゲトー跡にあった彫刻(子供たちが学校で使う椅子をゲットーに運んでいる様子を表している、子供が椅子を運んでい る当時の写真も展示されていた)
ヴァベル城
入口へ向かうツアーの一行
城門
ヴァヴェル大聖堂(歴代ポーランド君主の埋葬地でもある)
色々な様式が一体になっている不思議な建築(ポーランド文化のダイジェスト?東と西の文化の融合?)
王宮内部
聖アンドリュース教会(1079年〜1098年の間に建てられたロマネスク様式の教会、防塞教会の珍しい残った例、教会はかって要塞だった。)
聖ペトロ聖パウロ教会(ガイドブックによると夜8時から一時間ほど演奏会が開かれているようです。)
クラクフの街中、左の露店ではパン屋(Obwarzanek オブヴァジャネック、ベーグルの元祖)を売っていた。
クラクフの中央広場、周囲にはレストランやカフェが中央には露店が並ぶ。
聖マリア教会、なぜか塔の先端の形が異なる。
聖堂内部の美しさに圧倒されました。祭壇中央の聖画は夜になると閉じられ朝に開けられる。
パレスチナ人のデモ、背景は中央広場にある織物会館、午前中はウクライナ人の募金活動がありました。ヒットラー政権下、大変な目に遭ったユダヤ人が今度はパレスチナ人に対してヒットラーと同じようなことをしている、ポーランド人はどんな思いか?
昼食をとったレストランで、デモ隊が見える。
メイン料理、途中で気づいて写真を撮りました。
スープは美味しかったです。
デザート
シンドラー博物館(映画「シンドラーのリスト」でも使われた)写真は助かった人々の写真
奥に工場があった。(ここも映画で出てくる)
館内案内図(3階建、意外と狭い)
博物館のポーランド語ガイド(デカイ)、左の日本人ガイドが日本語に翻訳してくれる。
説明を聞く
パネル
ドイツ軍の侵略状況を説明
当時のプロパガンダ新聞(復刻)
会ったことが無い前線にいるドイツ兵士と結婚するドイツ女性
中央広場、聖マリア教会が見える(ドイツ軍の爆撃から免れた)
ユダヤ人の子供
ポーランドとドイツの軍需バランス
従業員の名前か?
ホテルから見た夕方の景色
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