定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

みちのく民俗村を見てきました。

2013年04月14日 | 店長日記

奥州市の鋳物屋さんへの出張の帰り、展勝地(北上市)に隣接するみちのく民族村に寄りました。

博物館、資料館、古民家等からなる。ゆっくり見ると2~3時間かかります。

 

左手の白い建物が北上市立博物館、右手の茅葺きの建物は商家、展示物であり入場券売場でありお土産屋さんでもある。なお、入場料金は大人500円。金曜日でしたがご覧の通りお客さんはほとんどいいませんでした。

博物館の入口にあったひらた船の1/6模型、ひらた船は石巻~北上間を航行していた。上流は川底が浅くなるので小さな船に荷物を乗り換えて運んでいた。北上川は伊達藩や南部藩の物資輸送の大動脈として機能した。北上は舟運の拠点として栄えた。

ディオラマ 船は流れに逆らって上流に向かう為には人畜の力が不可欠だった。重労働だったし時間もかかった。

ひらた船で使われた炉

航路図、博物館は舟運の資料が豊富なので関心のある方もお勧めです。

縄文土器コーナーは種類も多く,分類もされて見やすいです。

土器を近くからも見ることができます。じっくり形状や文様を観察しました。

文様の解説は丁寧で親切です。連続、回転が縄文土器の文様の特徴の一つであることが分かります。

鉄鍬

花巻人形

海産物、肥料、食塩、酒を扱っていた岩谷堂(奥州市)の商店のポスター、明治37年の文字が見えます。

大黒様や弁天様がいるので肥料をアピールしているのかも…。

旧菅野家(伊達藩の大肝入)母屋も茅葺きの門もいい。

黒沢尻高等女学校(昭和2年建築)の校舎を移築した民族資料館です。

わら細工の展示コーナー、わら細工の技術が消えてしまったことを思い出させてくれます。

製材の様子を描いた説明図、バックの板は展示されている前挽き鋸で挽いたもの。辛い仕事だったことがしのばれる。板の鋸跡が腕の冴えを刻印しているように思えます。

 

職人の技、前挽き鋸を使ってこれだけの精度をだしていたことに感服。

 

 

長屋門(門と住まいを兼ねている建物)から見た菅原家住宅

旧菅原家の内部、まず思ったことは天井も無い、隙間だらけの建物での生活は寒かっただろうな…と言うことでした。なぜ,日本人は寒さ対策を建物に施さなかったのか不思議です。理由を教えてくれる方はいませんか!

間の沢(伊達藩と南部藩の藩境だった)の水芭蕉

まだ行ったことがない方は展勝地の花見のついでに寄ってみて下さい。

 

 

 

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