定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その20(パナマ運河、電気トラブル、ガッツンドック)

2024年01月21日 | 思い出の旅行

         2023年ピースボート航海記 その5 
     (パナマ運河通行 ジャマイカ・オーチョリオス港着岸)

第31日目 パナマ、バルボア港出港 1日目  9月21日(木)時差10時間
          <パナマ運河通行>1日目 
 6時、「アメリカ橋が見えます。」との船内アナウンスで起こされる。洗顔し近くのデッキへ、遠くにアメリカ橋が、左手奥にはパナマシティの高層ビル群、手前に世界文化遺産のアンティグオ、埠頭からバスで通った橋のような道路が見える。
 車が行き交うアメリカ橋を通過したところで14階へ移動し朝食、パン、スクランブルエッグ、ベーコン、豚肉と野菜の煮物少々、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳、スイカ、オレンジを食べる。9時頃、部屋に戻ると掃除中だったので、前方デッキへ、パシフィック・ワールドは牽引車に引かれドックに入るところ、幅はパナックスギリギリ(船からは確認できない)、水が満たされ船が浮かび(少しずつなので実感がない)、そして牽引車に引かれドックを出る様子が見られた。次は船尾に移動してドックを出るところを見物、まだ遠くに高層ビルが見える。
 帰室して休憩、11時、2番目のドックに入ったとのアナウンスがあった、前方デッキで見学、左右のドックとも船の方向は同じだった。右側のドックにレジャーボートを積載した貨物船が入ってくる、間も無く注水し満杯になって移動を始めた。貨物船の次に観光客を乗せた小さな船、そしてタグボートが通過して行った。
 船内アナウンスで急患が出たのでこのままドックに留まるとのこと。大変だ、無事に帰れることを祈るのみ(自分達でなくて良かった感もある)。11時50分、船は再び動き出しドックを通過。
 13時、昼食、インド式カレー、手羽先、レタス、ニンジン、キャベツ、オリーブの実、オレンジ、スイカ、コーヒー牛乳。カミさんはそばを食べていた。韓国人(夫は日本人)のK、Mさんと出会う。
食事中、電気が消え停電、エアコンが効かないせいか急に暑くなってきた。アナウンスでは修理中とのこと。周囲の人の話では電気、水が使えないのでトイレ、洗面所は使えない、ただしIDカードのバーコードは読めるので部屋に入れるとのこと。
 14時、帰室。話の通り、部屋には入れたが電気、水は使えない。部屋はまだ涼しいのでひとまず安心だがいつまで持つか不安。ガテマラのアンティグアのスケッチに色を付ける。15時30分、まだ復旧せず、部屋が暑くなってきた。16時、復旧したようだ、電気がつき、トイレも使える。18時、運河庁と今後の運航について問い合わせ中とのアナウンス2回あった。19時30分、まだ船は動かない。絵は完成し、写真の整理もできた、カミさんは寝ている、起こして夕食に行かなければ。
 20時、夕食、14階はまだ混んでいる。お粥、野菜と肉の料理少々、パスタ、レタス、ニンジン、キャベツ、玉ねぎ、スイカ、オレンジ、デザートは日本茶でケーキ2種類、ゼリー菓子を半分づつ食べる。食後、屋外ではレゲエのイベント中、私たちは屋外用ベットに横になりイベントを聴いたり空を見たり戦争の話をして過ごす。
 21時、「明日、早朝の出航の許可が出ました、今後の日程は後日連絡します。運河航行中、水の使用制限があるので給湯は10時までとします。」との放送が流れた。帰室して、シャワーを浴び洗濯をする。どんな変更になるのか心配。

 

第32日目 パナマ、バルボア港出港 2日目  9月22日(金)時差10時間
     <パナマ運河通行>2日目  
 6時、起床、外が明るくなってきた。船は動く気配もない。ぼんやり外の風景(陸の近くに停泊)を見ていると流木のようなものが流れて来た。様子がおかしいので良く見ると泳いでいるようだ、慌てて写真を撮ってみる、伸ばしてみるとワニ特有の鱗だ、洗面中のカミさんに伝え、一緒に見ることができた。間も無くワニはゆっくり泳ぎ去って行った。
 7時、朝食、お粥、茹で卵、野菜と肉の煮物、スイカ、オレンジそして食べ損なった昨日のパンにコーヒー牛乳。
 8時、運河庁の指示待ち、水を使わないようにとのアナウンスがあった。10時お茶をしてから5階のショップへ、カミさんは龍角散のど飴を私は「WiFi100分」を購入。
 11時前、運航開始、何はともあれ一安心。11時に「ガッツンドック入りは15時、出は16時50分になる」とのアナウンスがあった。
 12時30分、昼食は5階のレストランへ行く、カミさんが今日のメニューが稲荷寿司であることを見つけたため。お稲荷さん2個、肉そば、いつものサラダ(毎回同じ)、パイナップル、コーヒー。カミさんは一緒になった同年の女性(夫は14階で食事)と話が弾んでいる。13時30分自室に帰る。水が出ないので洗面、トイレは使えない。ウエットティッシュで手を消毒する。
 14時、運河情報のアナウンス「間も無くガッツンドック入ります、26メートルの高さからのカリブ海の景色をお楽しみ下さい、また、アトランティック橋も見えます。」
 15時前、ガッツンドックが近づいたので慌てて船首デッキへ出ると、既に見物人でいっぱい。隙間を探しカミさんと二人で見物、パシフィック・ワールド号の前は巨大な貨物船(車を運んでいるのか)、パナマックスギリギリに進んで行く。1段ずつ下がっていく様子が分かる、パシフィック・ワールド号も牽引車に引かれゆっくり進んで行く。気がついたら2時間ほど見物と写真撮影をしていた、他の皆さんも確保した場所を離れないで頑張って見物やら撮影をしている。左右のドックを使っているので迫力がある。韓国語、中国語が入り乱れ飛んでいる。彼らは感動しているので余計に声が大きい。
 ガッツンドックを出るとアトランティック橋が見えてくる、モダンで巨大な橋梁だ、だた、車が通っているのを確認できなかった。次に船尾に移動して遠ざかるガッツンドックとアトランティック橋を撮影して部屋に戻る。しばらくして「ボブ・マーリーの生きた時代」を聞きに行ったカミさんが帰ってくる。予定が変更になり歌を歌ってきたとのこと。
 17時30分、14階で夕食、水が使えないので紙皿、割り箸、使い捨ての木のスプーン、フォークを使って焼き鳥、揚げ豆腐、煮物、レタス、キャベツ、ニンジン、メロンを食べる。コーヒー、ジュースなし、氷もないので水もぬるい。
 18時30分自室に戻る。カミさんは時間変更になった「ボブ・マーリーの生きた時代」を聞きに行く。
 18時50分、次のアナウンスが入る。 
 ・ジャマイカ滞在は 24日  9:00着岸 〜14:00出港       

    ・マイアミ滞在は 26日  12:00着岸〜27日14:00出港

    ・断水復旧は 19:30〜20:00 

 20時になってトイレは復旧、洗面とシャワーは断水のまま、トイレが使えるのでひとまず安心。電話で確認すると下から順番に復旧させているので10階は22時頃になるとのこと。
 22時、断水状態続く、諦めて就寝。
 24時過ぎ、目が覚めたので試しに洗面所の蛇口を回すと元気なく黒い水が出てきた。その後直ぐに透明になり勢いよくほとばしった。早速、ぬるかったけどシャワーを浴び、洗濯をする。カミさんを起こすとシャワーを浴び洗濯を始めた、そのまま就寝。


第33日目 パナマ、バルボア港出港 3日目  9月23日(土)時差10時間
     <パナマ運河通行>3日目  

 6時30分、ノックの音で目覚める、誰もいなかった。起きて顔を洗い、昨日のトラブル(断水)など記録にまとめる。カミさんが帰ってくる。
 8時30分、14階で朝食、混んでいる、ようやく6人掛けテーブルの端を確保、主食なし、スクランブルエッグ、サンマ、野菜の煮物、レタス、ニンジン、キュウリ、キャベツのサラダ、オレンジ、スイカ、ヨーグルト、コーヒー牛乳。テーブルに戻ると隣に先客(夫は15年生まれ、奥さんは21年生まれ)がいた。食べ終わり、見つけたワニ、カメ、イルカ、トビウオの話をする、相手の方は見れずに残念がっていたがツルを見たとのこと。その後、ハワイでの接待ゴルフ体験(崖越えコース)、バンカラだった高校生時代の話(敝衣破帽、卒業式では先生を担いでプール投げ込む)、大阪の料理(魚は美味い)、大阪弁と訛りの話、品があるご夫婦と久しぶりに会話を楽しめた。
 9時30分、帰室、掃除は終わっていた。歯を磨いて休息。
 11時、海を見ていると2種類の色が見えた、透明感のあるブルーと灰色掛かったブルーが混ざらないで流れてくる。茶色の海藻が帯状になって何本も漂っている。
 13時、昼食、インドカレー、五目寿司、焼いた鶏肉、レタス、ニンジン、キュウリ、キャベツ、メロン。食後のお茶をしている時、ぼんやんりと遠くの海を見ていると少し違った動きを見つけ超望遠で撮ってみた、長い帯状でもボコボコした立体的なもの、何度も写真を見ていたら「マグロの群れ」であることが分かった、そのように見ると映像が明快になってきた。頭も全身も確認できた、10頭近い群れだと推測した。残念なことに、カメラで余計な映像を整理したらマグロの写真も消してしまった。残念!カミさんには見せていたのでよしとしよう。ここはヘミングウェーの「老人と海」の舞台カリブ海だ、マグロが見えてもおかしくはない、確証を持てた気分である。
 14時、帰室、寄港地情報「オーチョリオス(ジャマイカ)」が入っていた。9時着岸、13時帰船リミットとのこと、申し込んでいるツアー「ダンズ・リバーで滝登り」(11時10分集合、14時30分港着)は不可能になった。どうなるかまだ通知はない。明日は自由行動で街中を散策するのが一番良いと思われる。
 部屋でWiFiに繋ぎスマホでLINEを確認、ひ孫の運動会の様子が配信されていた。近況を報告。パソコンに繋ぎ溜まったメールの確認と処理(消去)をする、半分(1000円分)を使った。
 19時30分、14階で夕食、食欲がないので少なめにする、スパゲティ、野菜の煮物、レタス、ニンジン、キュウリ、キャベツ、デザートは何時ものケーキ2種類、とゼリーを半分づつ。
 20時30分、帰室、船内新聞が届いていた。
  我々が申し込んでいた「ダンズリバーで滝登り」とマイミの「エバーグレーズ国立公園訪問」も中止になった。残念!市内を散策することにする。
  24時に1時間進める、時差11時間。

 

 パナマ運河入口の風景、コンテナクレーンや造船所が見える

 

 アメリカ橋 着工1952年、開通1962年、全長1,654m

 

 見物風景、橋は車がひっきりなしに通過していた

 

 

 

 

 

牽引車 船舶はこれで引かれる

 

 運河管理事務所?

  

 ドックに曳航された小さな船を積んだ貨物船、この後、注水され水位を同じにする。

 

 流木だと思ったら「ワニ」だった

 

 ガッツンドックに入った巨大な貨物船、遠方にはアトランティック橋が見える

 

 幅がパナマックスギリギリ

 

 建物、ここから運河を見物できる

 

 建物壁上はスローガン?

 

 閘門、壁の凹みにゲートが収まる、水が漏れ出ない精度が求められる

 

 

 

 さよならガッツンドック


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 115回ピースボート世界一周航... | トップ | 115回ピースボート世界一周航... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出の旅行」カテゴリの最新記事