定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

2006年ピースボート世界一周の旅44/アカプルコ(メキシコ)1

2008年07月22日 | 思い出の旅行
 6月20日 メキシコ アカプルコ (その1)
 
 アカフトラ港から1日半の航海でアカプルコ港、サンデェゴ要塞の目の前の桟橋に着岸する。アカプルコは周囲を小高い丘と島で囲まれた風光明媚なところ、なぜか熱海に似ていると思った。右手の新市街の丘には別荘が並び,左手の旧市街には小さな住宅が密集し,海岸線には高層のリゾートホテルが林立している。

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   アカプルコ港着岸風景


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    銃と持つ港の警備員


 8時30分に下船してターミナルにいたハイヤーと交渉し街中を見物しながら新市街の丘の頂上にある教会を回って支倉常長記念像前で降ろしてもらうことにする。ハイヤーはトヨタのラウンドクルーザー、まず漁師が獲って来た魚を売る屋台見物からスタート、次にヤシの葉で葺いた日除けや売店が南国らしさを醸し出しているビーチを眺める、アカプルコの観光写真そのままの光景だった。車はビーチを過ぎ丘を登る、今度は中腹にある展望台からビーチと街並を眺める。更に坂を登っていくと教会がある頂上に到着。納骨堂があるモダンな教会は金持ちの夫人が建てたとのこと。庶民である運転手は金持ち専用のこの教会が気に入らない様子。金持ち専用の教会からの眺めは抜群、アカプルコ湾の全景が見渡せる。金持ちの死者はここからの眺めを死んでからも楽しんでいるのであろうか。

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 アカプルコ湾の魚屋/獲りたての魚を売る漁師


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      ハイヤー


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     ビーチで


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   アカプルコ湾を望む


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  更に高い所からの見晴らし


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   リッチマン用教会

 ハイヤーを停めた所に日本語で宮崎某名の表札が掛かる別荘を発見。この周囲は運転手いわく「リッチマン」の別荘が集まっているとのこと。見晴らしの良いプール付の邸宅でメキシコ人が数人、庭の手入れをしていた。
 同じ道を下り、支倉常長記念碑前でハイヤーを降りる。運転手はこの像を「ハポン」と言っていた。記念碑はメインストリートの中央分離帯にあって、右手に書状を持ち襟を着けた武士の姿で北西の方向に向かって立っていた。
 支倉常長は仙台藩主伊達政宗からスペインとの通商交渉とローマ法王に宣教師派遣を依頼する命を受け、1613年10月28日月浦から出帆、翌年1月25日にここアカプルコに着いている。約3ヶ月かかっているから我々の世界一周の航海と同じ位の日数を要していることになる。ここで終わりではなく,更にメキシコを経由してスペインに渡り、国王フェリペ3世に謁見し親書を献上したが目的であった通商交渉と司祭派遣は失敗した。次いでローマに入り教皇パウロ5世に謁見したが目的を達成できないまま1618年4月2日アカプルコを出帆し、仙台には1620年に到着した。しかし、仙台藩ではキリシタン禁制令が敷かれており、不遇の内に亡くなる。
 大航海時代の1521年にメキシコはコルテスによって征服されスペインの植民地として略奪が開始される。スペインとポルトガルが中心であった植民地争奪は、16世紀末からイギリス、オランダ、フランスが加わり激化、制海権を失ったスペイン、ポルトガルが脱落していった時代であった。日本は鎖国を選び、独自の江戸文化が開花した。400年経って、海洋民族の血がよみがえり、お金と時間を手に入れた庶民の平和な大航海時代に入った。



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    支倉常長像


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