幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

水槽を眺めていると、進化論のほころびが見えてくる。

2020-03-06 23:22:42 | 命の不思議

 

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私は記事を書かせていただいておりますが、その中でこだわっているのは、『実体験』です。

できる限り、実体験を中心に、見たことある話、聞いたことのある話でもって、人類の危機と言われるこの末法の世を、きりきり舞いさせたてみたいですね。

ということで今回は、身近な水槽をヒントに、進化論破邪に挑戦です。

私の友人で、観賞魚を飼っている方に教えてもらったんですが、水槽の管理で、最も手を焼くのは、意外や意外、水草の管理だそうです。

水槽の水を浄化する際に、どうしても水が酸素化されてしまうので、水槽の中の二酸化炭素(CO2)が少なくなって、水草が立ち枯れてしまうんですって。

時々CO2スプレーで、補給してあげないといけないそうで、水草を水槽に入れると、かえって世話が増えるらしいのですね。

また、水槽のガラスのコケを食べる小さなナマズみたいな魚もいるし、フンをたべる仲間(エビなど)もいないと、みんな病気になって死んでしまうそうなんです。

いやはや、「環境のバランスを保つのは、ホント、大変なんだな。」と思いました。

やはり水槽というのは、生態系を保たなければ、中にいる生き物は生存できないわけで、言わば小さな地球なわけです。

さて、地球では最初の生命は、酸素を必要としない生き物であったと思われます。
これは今でも存在します。嫌気性菌と言われる類(たぐい)で、身近なものでは、歯周病菌などがこれですね。

そしてその次に、身を守るために、酸素を発生させる植物が現れたとされています。

酸素は毒でもありますから、順番としてはそういうこともあるでしょうね。

なお、酸素の吸いすぎにも注意しましょう。

いや、ホントに・・・。
プロのスポーツ選手の平均寿命は短い傾向にありますが、それは酸素の採りすぎで、ガンになりやすいからとも言われています。

ただ、大切な観点は、「植物だって、無酸素環境では生きていけない生物だ。」ということです。

植物は酸素を光合成で創出しますが、同時に呼吸もしていて、酸素を使って代謝していますから、植物が誕生したときには、既に酸素が地球には存在していないといけません。

そしてここからが大事ですが、植物が単独でこの地球に繁殖した場合を考えた場合、植物のエサであるCO2は枯渇し、植物は絶滅しますよね。

植物をエサにする草食動物が地上に現れただけなら、地上から植物は消え去り、草食動物は絶滅するでしょう。


そう植物と草食動物、そしてそれを食べる肉食動物はセットでそろはないと、この地球という水槽の中では、「あっ!!」という間に生命は、いなくなってしまうのですね。



シミュレーションすると、かなりまとまった数が必要ですね。
生態系の頂点 肉食動物の存続には、相当量の生き物の存在が必要なことがわかっています。

あと、死骸を食べる生き物や、フンを処理する生き物も必要です。
伝染病によって、生命は何度も絶滅しかかっています。

つまり、進化論者が言うような、モタモタした時間はないのですよ。(笑)
一気に役者たちが出揃ってしまわないと、かなりの短時間で、生き物は全滅しますよね。


この『自然における食物連鎖という現実、これこそが、生き物が創られた証拠』になると、私は思います。

進化論は机上の理論です。

進化論を破邪するのは、この水槽理論だと思っています。

本日は、経典『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)より、「生命は永遠」というのは、「一種の詩的表現であるとか、言葉の彩であるとか、そういうレベルの話ではなく、実にリアルな現実を含んだものなんだ。」ということが伺える一節をご紹介します。

            (ばく)

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「まるで魔法のような、時間活用術」幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

熱帯魚グッピー ブルーグラス&レッドグラス繁殖水槽

永遠の生命の世界 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=139

亡くなった人を導くときには、その人があの世を信じている場合がいちばんよいのですが、信じていなくても、それについて知識を持っているだけでもよいのです。

何も知らない場合が、いちばん手ごわく、難しいのです。(中略)

知識がまったくない場合ほど、苦労するものはないのです。

この世で説得しようとして、うまくいかない相手は、あの世へ行っても、まったく同じです。頑固者は頑固者なのです。

こちらが、いくら言っても、彼らは、自分の死んだことが、なかなか分かりません。「あなたは死んでいる」と言っても、分からないのです。

それを分からせるために、「あなたは、最近、ご飯を食べたことがあるか」と訊(き)くと、「そういえば、何年も食べていない」という答えです。

「なぜ、そんなことが分からないのか」と、みなさんは思うでしょう。

ご飯を、一日、食べなければ、苦しくてたまらないはずです。一週間、食べなければ、「死んでしまう」と思うはずです。

ところが、彼らは何年も食べていないのです。彼らも、何年もたったことは感じているのですが、「自分は生きている」と思っているから、それが分からないのです。

「ご飯を食べていないだろう」と言われて初めて、「そういえば、おかしいな」と思うわけです。

このレベルが、けっこう平均レベルに近いのです。彼らと話をすると、これが平均レベルなので、こちらは参ってしまいます。

あるいは、「あなたは、もう幽霊になっているのだ」と言っても、「そんなばかなことがあるか。私は、生きてピンピンしている。あなたと話をしているではないか」と言い張るので、「嘘だと思うなら、自分の胸に手を入れてみなさい」と言って、手を入れさせると、自分の手が胸を通り抜けてしまうので、彼らはびっくりするわけです。

それで、「生きている人間で、手が胸を通る人がいるか」と訊くと、「それは、ありえない話だ」と答えます。

「では、あなたは、なぜ手が胸を通るのか」と訊くと、しばらく考えて、「やはり幽霊になったのかな」と言います。

このレベルです。彼らは、あの世で生活していながら、自分があの世の人間であることが分からないのです。

これが、わりに普通のレベルではないかと思います。
『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)P122~125

大川隆法『習近平の弁明(守護霊霊言)』のススメ


「カエルの子はやっぱりカエル」という話と、『心の探求』

2019-11-07 00:10:53 | 命の不思議
 
 

全国絶賛上映中の映画『世界から希望が消えたなら』のファーストランが、残り2日となりました。

ただ映画の話ばかりだと、「おいおい、ばくちゃん編集長、お前さんの取りえは、何でも記事にできるところとちゃうんかぇ?」というお声がかかりそうなので、本日は、このブログの大きなテーマでもある、進化論撲滅記事に、チャレンジに挑戦いたします。

とは言いつつ、実は、この企画は大量生産ができません!!

私は看護師ですが、生物全般の専門家ではないからです。(爆笑)

あくまで、素人の素人による、素人目線での、進化論撲滅キャンペーンでございます。
 
素人が専門外のことで、脂汗ながしながらやっておりますので、皆様の励ましが必要です!!(笑)
是非、「頑張ってねぇ」とか、「知らんカッタ~」でも結構ですので、コメント下されば・・・と思います(笑)。

え~と、生き物は不思議に満ちているんですが、私にとっての一番の不思議ちゃんは、両生類です。
一般的に生物学的には、虫以外で、最も早く陸上生活を経験した生物と言われています。

最初と言われているのは、イクチオステガって言うんですが、まあオオサンショウウオの、お化けみたいな生き物です。
決してビジュアル的に、優れた生き物ではなくて、可愛くもかっこよくもありません。(爆笑)
 
        原始的両生類 イクチオステガ
両生類の何が不思議かと言いますと、彼らは変態をしますよね。
これが不思議なんです。
 
変態とは、いやらしい方の変態じゃありません。(笑)
そう、オタマジャクシ(幼体)が、カエル(成体)に変わることですね。
 
エビやカニなども、幼体としてプランクトン時代があるようですが、煩わしいので、素人の特権として(笑)、生物界で変体をするのは、昆虫と両生類だけと言わせていただきます。
 
ちなみに、魚類も爬虫類も変態をしません。
しつこいですが、両生類だけが、大型の生物では変態するんです。
 
 
さて両生類は、変体をすることで、彼らは呼吸器官がエラから肺に変わります。
そして、多くの両生類では、幼体と成体とではエサが異なります。  
 
ほとんどは(多分全て)、幼体は草食、成体は肉食です。
呼吸変化と食性変化の二つとも持っているのは、両生類だけです。
 
そう両生類は、成体と幼体では、内臓機能が全く違うんです。

そして、1匹のカエルが一生を終えるためには、彼らが養育時を過ごし、なおかつ、成体となって生き抜いて行く上で、少なくとも2つ以上の、生存に適した環境と、まったく違うエサが必要です。
 
これは生きていく上では、非常に不合理ですよね。
幼体のオタマジャクシは草食なのですから、成体のカエルになっても、草食のままの方が、絶対に合理的です。
 
 
現実に、彼ら両生類は、沼と湿地周囲の、限られた地域にしか生息できません。
 
つまり両生類の出現は、進化ではないと思うのです。

また、呼吸器官が変化するのは、トンボの幼虫などの、ごく一部の虫以外では彼ら、両生類だけです。
進化論者は、エラ呼吸から肺呼吸への道筋を現していると言います。
 
 
であるならば、魚類の中でも、一生の内でエラ呼吸から肺呼吸に、たとえ一時的であっても、変化する仲間がいてもおかしくありません。
これがいれば、何度も言っている、進化論の証拠である、ミッシングリンクとなるんです。
                           
が・・・、
でも、そんな魚はいないんですね。 
 
変体できず、幼体のままのサンショウウオが、ウーパールーパー。 顔の横にあるのがエラ。
 
 
よく、肺魚(ハイギョ)という魚が、そのミッシングリンクとして取りだたされますが、肺魚はあくまで肺魚 なのです!!
つまり、肺魚は、生まれた時から、ちゃんと肺があって、幼魚のときから、立派に肺で呼吸している魚なんですね。
 
「肺魚」の画像検索結果
          肺呼吸をする魚類 肺魚(ハイギョ)
 
また、有名なムツゴロウも、陸で動くし、皮膚呼吸ができますが、ムツゴロウも生まれた時から、もうムツゴロウなんです!!
つまりムツゴロウは、生まれた時から、水陸両用生物なんです。
 
そう、肺魚やムツゴロウは、魚類から両生類への進化の途中形態ではないんです。
 
つまり、肺魚やムツゴロウは、特別な生き物として、最初から創られていると見るべきなんです。
 
 
             水陸両用魚類 ムツゴロウ
 

話は戻って最初の両生類、イクチオステガですが、これは両生類であることがわかっています。
 
ですので、彼らがこの地上に現れた時には、既に、幼体-成体システムは完成されていた と思われます。
そして、生物界唯一の、呼吸変体システムを、当初から備えていた  はずです。
 
これは、進化の過程を示しているのではなく、私には、神様のいたずらにしか思えないのですね。(笑)
皆さん、どう思われますでしょうか?
 
つまり、生物の現実を見る限り、やっぱり全ての生き物は、神様が創ったという創造論の方が、進化論より合理性が高いと思うのです。
 
本日は、経典『新・心の探究』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、進化論の問題点について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。
 
            (ばく)
 
 

 

映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

結果に対しては原因があるということを考えれば、やはり、この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っております。  

この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。

偶然に人間ができるでしょうか。人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。  

人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。四十階建て、五十階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。  

ところが、現在の進化論の主流というのは、偶然の連鎖によって人間ができていると、現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。  

これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはブロックとか、鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上がって、つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上がって、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。  

人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、それが偶然に、そういう材料の寄せ集めでできたものでないことは、明らかであります。それは、目的性を持っているのです。人間の肉体だけを見ても、DNAとかRNAとかいうような、遺伝子の情報システムによって、人間の肉体ができているということが、生物学によって解明されているけれども、これをもってしても説明とはなっていないのです。  

なぜ両親からDNAとかRNAとかいうような遺伝子の情報が伝えられるのか。この情報とは、そもそも何なのか。この分析ができていないのです。偶然にそういう情報が伝わると考えるのは異常であります。  

これは、今の例でいうならば、五十階建ての超高層建築ができたなら、その設計図を窓からひらりと落としたならば、隣にもまた同じようなどルが建ったということと同じようなことになります。

遺伝子情報があるからといって、まったく同じものができるという、その不思議そのものを探究しなければ、意味がないわけです。ビルの設計図を落としたところで、もう一つのビルは建たないのです。

ビルを建てるためには、その設計図を見て、それを造る人がいなければ建たないのです。そういうことだと思います。

『新 心の探求』(大川隆法著 幸福の科学出版)P31~33


感動するこころと、人類共通の心の法則。

2019-10-16 23:15:28 | 命の不思議

Фото обои небо, солнце, пейзаж, цветы, природа, поляна 

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今日は、私が聖地四国正心館で、公案研修を受けてきたときの話です。
その際に、初めて精舎研修をお受けになる方と、一緒に行ったんですね。

その方は、82歳の男性で、ピアノの調律のお仕事を現役でなさっている、Yさんという方です。

この方の幸福の科学への入信のきっかけに、私は大変感動いたしました。 

   聖地四国正心館礼拝堂 徳島県鳴門市

Yさんは、常々、「人間はなぜ感動するんだろう。」ということを、お若い頃から考えていらっしゃったそうです。

そして20年ほど前に、ピカソ霊示集をお読みになり、この経典から溢れるバイブレーションに、心が共鳴したことを、はっきりと自覚なさったそうなんです。

「感動とは、自らの心が持つバイブレーションと、受けるバイブレーションが共鳴し、増幅されることで起こっているんだ。」

と、私はYさんから教わりました。

そしてYさん曰く、

「人は神の子だから、本来の神、親なる神のバイブレーションに、心が共鳴するようにできているんだ。」

「これが、感動なんだ。」

とも、教えてくださいました。

Yさんの人生を賭けた、貴重な学びを賜り、私は感動いたしました。 

大川隆法幸福の科学グループ総裁

そして、私はあることに気付きました。

それは、もし人間が、進化論者の言うが如き、勝手に出来上がったものだとすれば、「人が感動するということを、説明できない」ということです。

脳科学者は言うでしょう。
「感動している時に、人の脳のこの部分が活性化し、ドーパミンが出ることによって感動するのだ。」と。

ああ、そうでしょうとも。(笑)
CTとか、そういう計測機械を使えば、血流とかがわかりますし、脳波形でも、そういう活性化の有無はわかるでしょう。

それは身体的には、そういう現象が起こっているでしょう。

しかしこれは、そういう問題ではないんですね。 

そうなんです、意味の問題なんですね。

「なぜ人は、感動するのか?」という問いは、即ち、「なぜ、感動する必要があるのか?」という問いかけなんです。 

実は、この問いかけには、生物学者も、脳科学者も、誰も答えることができないのです。 

きれいな夏の画像1


全ての生物が、アメーバーから生まれ、生き残るためだけが目的であるならば、なぜ人は、「感動する」という心の作用を得るに至ったのでしょうか?

なぜ感動できる生物である人間が、万物の霊長として、生物界に君臨できるまでになったのでしょうか?

この説明が、生物学としてできるかです。

それは、むしろ、生き残るためであったなら、感動しない方が生き易いはずだからです。
大自然の掟は弱肉強食、つまり、生き残ることとは、とても無慈悲なものだからです。

しかし、『美』というものは、人は教わらずとも知っているように思います。
『理想』というものも、人は教わらずとも理解できるように思います。

美しさとか、理想というものを、人が本質的に知っていることは、これは進化論的生物観では、説明できないのです。

脳科学者はそれでも、「脳のこの部分が活性化され云々。」と答えるでしょうが。(笑)
それは彼らが、問題の本質を理解できない脳構造であるからだと、私には思えますね。(爆笑)

人はなぜ感動するのか。

これは、人間が「ダーウィンが言うが如き、勝手に出来上がった存在ではない」という明らかな証拠であり、神の子人間の、本質を突いた問いかけではないかと、私は考えています。 

 「感動」の画像検索結果

人間は、神様が創ったものです。

なぜならば、感動するこころがあるからです。

これが、真理です。

Yさんの御精進に、心より感動いたしました。
同行させていただき、本当に喜びでいっぱいです。

神様のお計らいに、心より感謝いたします。

本日は、経典『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)より、世界人類に共通する『心の法則』の実在についての、大川隆法幸福の科学グループ総裁説法をご紹介いたします。

           (ばく)

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私たちの”生命”の秘密 天使のモーニングコール 1406回 (2018.9.8,9)  

映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

信仰のすすめ https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=136

人間には、創られたものとしての痕跡があります。
赤ちゃんは、生まれてきたら、すぐに酸素呼吸ができます。口も日も鼻も耳も付いています。人間の肉体の姿そのものを見ると、あまりにも見事に、この地上で生活ができるように創られています。これは、ある意味で信じ難いことです。

また、幸福の科学の教えを学んでいる人は、「魂」という問題に遭遇します。魂の問題について深く研究すれば研究するほど、「魂とは、ほんとうに値打ちのあるものである」ということが分かります。そして、「この値打ちの奥にあるものは何か」ということに思いを巡らすと、「やはり、人間は創られたものなのではないか」という推定が働くことでしょう。

人は、それぞれ、思うことや考えることは違います。しかし、たとえば、心を揺さぶる言葉に接したときには、誰もが同じように感動します。「先祖を辿(たど)っていっても、親戚でも何でもない」という関係は幾らでもあるはずですが、それでも、同じように心を揺さぶられます。日本人に限らず、外国の人であっても、きちんと翻訳された真理の言葉に触れると、魂を揺さぶられます。その部分において、人はみな同じです。

これは、なぜでしょうか。実は、まったく別々の個性として生きてきた人たちであっても、そのなかに、お互いに分かりうる部分があるのです。人間がお互いに分かりうるのは、相手と同じものが自分のなかにもあるからです。自分のなかにないものは分かりません。自分の感覚や思いのなかに、相手と同じものがあるから分かるのです。

それぞれ、いろいろな環境に生まれた人、自分が会ったこともない人、地球の反対側に住んでいる人、アフリカの人、インドの人、このように多種多様な人がいますが、すべての人の心に共通して流れるもの、すべての人の心を貫いているものがあるわけです。

地上では、それぞれの両親から別々に生まれた人間であっても、突き詰めていけば、心の部分、魂の部分で、すべての人がつながっています。地上には六十億以上の人々がいますが、みな、つながっている部分があります。行動様式や話している言語、髪の色や肌の色は違っても、心の奥において、その価値観において、道徳律において、真理において、確かに共通している部分があるのです。

「その元が何かあるに違いない。その元にあるものは何だろうか」と手繰っていくと、その元なるものが、「根本仏」「根本神」などといわれる存在です。「魂は根本仏(根本神)によって創られている」という推定が働くのです。
『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)P133~136

 

あなたは死んだらどうなるか? https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2079 

 

あなたの知らない地獄の話。 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2065     

 

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最強ダーウィンスナイパー(笑)ゆかいな「カモノハシ」の物語(再掲)

2019-09-25 23:54:35 | 命の不思議

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このブログは、幸福の科学の地方布教ブログですけれども、時折、進化論に対して、アンチキャンペーンをやっております。 私は看護師ですので、生物学のほうは、一応素人ですけど、力の続く限り、見解の尽きるまで、頑張ってみようと思います。

カテゴリー「命の不思議」でお伝えしたいのは、「生命は創られたものだ。」ということです。

宇宙も生命も、偶然などで出来上がっているわけではなく、おおいなる意思によって創られた、意味ある存在だということをお伝えしたいのです。

さて本日は、対進化論最大の『刺客』を紹介します。

刺客と言っても、とってもプリティーな生き物です。

その名は、『カモノハシ』です。 

このカモノハシ、何から何まで変わった生き物として有名です。

ほ乳類なのに、卵を産みます。(笑)

卵を産むのに、卵から生まれた赤ちゃんをお乳で育てます。(爆笑) 

 カモノハシの卵

カモノハシの授乳の様子
このカモノハシ、その名の通り、カモのようなクチバシがあるのに、な~んと肉食なんですね。 あのクチバシの形は、水面に浮かんだエサを食べやすいようにできているはずなのに・・・です。 

ちなみに、カモノハシの排泄機能は、鳥のようにオシッコとウ●チが、一緒の穴から出ます。

哺乳類では、カモノハシが唯一の単孔排泄です。
そしてミミズ、カニ、小魚、まぁ、自分より小さな生き物は何でも食べちゃう、見かけによらぬ悪食です。(笑)
また、オスの後ろ足には鍵爪があって、何に使うかわかりませんが、そこから毒まで出ます。 


オーストラリアの淡水に住み、カモノハシ科カモノハシ属カモノハシという、他の生き物とは、全く繋がりを持たない、唯一の孤立種です。
哺乳類なのに卵生で、哺乳類なのにカモのようなクチバシを持ち、カモのようなクチバシなのに肉食で、水鳥のようなミズカキを持つ。

そして、天敵のいないオーストラリア住んでいるのに、毒まで持っている。
はたまた訳のわからぬ、可愛いヒットマンです。(笑) 

進化論者は、このカモノハシの存在を、どう説明付けるのでしょうか? カモノハシに対する進化論的な見解、私は聞いた事ないですねぇ。 

多分、説明できないですねぇ。(笑)

 

 

さて、実はと言うと、カモノハシが発見されたのは、ダーウィンが、「種の起源」を出版する直前なんですね。

ダーウィンさんは、カモノハシの存在を、知らなかったんでしょうか?

だったら、真理を追究するのに必要な、科学的な根拠が片手落ちであります。

それとも、知っていて見解を出さなかったのでしょうか?

それでしたら、ダーウィンさんの、真理を追究する者としての資質を私は疑います。
真理とは、誰から見ても、どこから見ても、いつ何時見ても正しいことです。
カモノハシを進化論で説明できない限り、この仮説は真理ではありません!!

このカモノハシ君。

きっと、進化論などという邪説がはびこることを予見した神様が、急ごしらえで創造したに違いない!!と私は考えています。(笑)

だってあまりにも、「そこら辺にある材料で、作りましたぁ!!」的な、匂いを感じる生き物なんですもの。(爆笑) 

それでは本日は、経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、宇宙と生命の創造に関する一節をお届けいたします。

      (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

ゆかいなカモノハシ オーストラリア シドニー水族館

 

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153

私は、第1章において、宇宙の創造と地球霊団の成立の歴史を語ってきました。その成立過程からもわかるように、いわゆる天地の創造とは、高次元のものが、下次元のものをつくってゆくという歴史だったのです。

つまり、超高次元の根本仏の意志により、各次元に、つぎつぎと高級大霊がつくられる。そして、恒星意識、惑星意識が誕生したあと、大宇宙大霊の内部にひとつの異変が起こり、それが、三次元宇宙のもととなる。

そこから、やがて三次元空間に星ができ、星団ができ、それぞれの星、あるいは、各太陽系において、九次元以下の人格霊の生活空間ができてきた。そういうことなのです。

わが太陽系においても、地球を中心とする霊系団は、まず、九次元宇宙界層ができました。

そのあと、八次元如来界(金剛界)ができ、七次元菩薩界(聖天上界)、六次元光明界、五次元善人界、四次元幽界(精霊界および、地獄界)が完成したのです。

各次元に対応するこの次元構造は、もちろん、ほかの宇宙空間にもあります。しかし、九次元世界は、各星団の霊界とつながっているけれども、八次元世界以下は、それぞれの星に固有の霊界として発達していることが特徴です。

こうしてみると、通常、ひとことで、魂と呼んでいる各人の生命体は、はるか高次元の根本仏が、下位レベルで発現したものであることが明瞭となります。

つまり、根本仏とは、あなたがた以外の別のところにある他者ではなく、あなたがたを存在せしめているところのひとつの高次の意識体なのです。

ですから、あなたがた自身も、仏の意識体の一部であり、仏の自己表現のあらわれの一部だということができます。

つまり、根本仏は、自己表現の一端として、大宇宙をつくり、大宇宙のなかに住む生命体をつくり出したのです。

それは、根本仏の意識の反映です。

ですから、根本仏が大宇宙の存続を望まなくなれば、この無限にも思える三次元宇宙空間は、ある日、忽然とその姿を消してしまいます。

ましてや、あなたがた人間の生命体も、仏が自己表現の意志を放棄すれば、たちまちにして、あとかたもなく姿を消してしまう、はかない存在なのです。

しかし、このはかない存在でもあるあなたがた個人の生命体も、仏の意識体の一部であるという意味においては、非常に高度な存在だといえます。

ですから、あなたがたは、自分自身が仏の一部であり、仏の自己表現の一端をになっていることに、誇りと自信をもつべきなのです。

これこそが、魂の真実です。

 『太陽の法』(幸福の科学出版)P70~72

世界で注目のハッピーサイエンス ブルガリア国営放送での紹介1/2

 


セミの鳴き声と夏の終わりのハーモニー。

2019-08-20 00:10:01 | 命の不思議

クマゼミ3

クマゼミの羽化

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ここ数日、少しだけ、暑さが和らいだような気がします。

高知でも、あれほど「シュワシュワ」と騒がしく鳴いていたクマゼミの声が聞かれなくなって、「ジージー」と金属系の鳴き声のアブラゼミや、ツクツクボウシの鳴き声が聞かれるようになっています。

セミって、とても不思議というか、気温によって、なくセミが決まっているようなのです。

最高気温が30℃を軽く超えるような、梅雨明け直後から8月上旬の夏の盛りはクマゼミの独擅場で、ほかのセミは鳴きません。

どうやら猛暑では、ほかのセミでは暑すぎる気候らしいのです。

ですので、朝からクマゼミが鳴きだすような日は、最高気温35℃以上の猛暑日を覚悟しなければなりません。

そんな猛暑大将なクマゼミですが、昨年の夏のような、37℃を超えるような酷暑だと、さすがのクマゼミも暑すぎて鳴けないらしくて、昨年は「セミも鳴かない暑い夏」だったのですね。

そして今後、アブラゼミが主流になってくると、最高気温が30℃前後の暑い夏で、ツクツクボウシだと、もう少し涼しくなって、夏の終わりが見えてきます。

そして「カナカナ」と美しく鳴くヒグラシが鳴きだすと、もうすぐ秋ということになるわけですね。

そのように、少し涼し気に鳴く、ツクツクボウシやヒグラシの鳴き声を聞くと、何かもの寂しいと思うと同時に、「何かをせねば!」と思ってしまうのは、まだ私の心の中に、子供のころの「やり残した夏休みの宿題の記憶」が、生々しくも鮮明に残っているからでしょうか?(爆笑)

「夏休み 虫取り」の画像検索結果

さて、そのようにセミは、種類によって、繁殖のための行動に、気温と言う厳しい制限があって、しかもセミの成虫は、わずか2週間足らずの寿命です。

彼らにとっては、ほぼすべての条件とも言える「活動できる気温」が、自分が生きている数日間に、どれだけあるかを考えれば、結構過酷な確率というか、理不尽な思いをするセミ君も多いのではないかと思ったりします。

となると案外、「子孫を残せるセミ」というのは、ものすごく低い確率の、ある意味で「選ばれたセミ」なのではないでしょうか?

さあ、セミと言えば、5年とか7年、種類によってはそれ以上の長期間、真っ暗い土の中で暮らす幼虫の期間があって、わずか数週間に、長い幼少年期の修行の全てを賭けているわけですよね。

そういう、セミの理不尽な運命を考えれば、「もう、ウルサイにゃぁ。」とか、「聞くだけで暑くなるぜョ。」と思いがちなセミの鳴き声ですが、セミですら自らの運命を受け入れ、懸命に生きて、数億年に渡り、脈々と命を繋いできたのですから、私も「唯一、創造神の心を理解できる可能性を持つ」と言われる、万物の霊長のはず人間ならば、セミに負けるわけにはいかない、と思えて来ます。 

「昆虫の変体」の画像検索結果

さて、昆虫の主流は「変態」をします。

変態と言っても、気色の悪い「ヘンタイ」ではなくて(笑)、幼虫~さなぎ~成虫と、体の形が変わることです。

なぜ変態するのかは、おそらく生物界では謎だろうと思うのですね。

いつぞやの講演会の質疑応答で、大川隆法幸福の科学グループ総裁がこのことに触れたことがあって、「昆虫の変態は、人間に転生輪廻を教えるため」らしい。

「この世で肉の身体でうごめくことを教えているのが、普通は醜い幼虫で、肉体的な死が、身動き取れないさなぎの状態、そして羽化し、美しく大きく羽を広げて、自由に空を飛び回るのが、本来の姿である霊界での魂としての人間」ということ。

「千年は一日の如し」と言われる神の視点から見れば、たかが数十年の寿命の人間など、私たちがセミを見るが如く、儚くもまた、愛おしく思っていらっしゃるでしょうね。

こういうことを言うと、神様を信じない、科学万能の現代文明を誇る方から見れば、「おいおい。」な内容かも知れませんが、偶然を信じない信仰心のある方には、「すべては神仏の慈悲」と思えるから不思議です。

「宇宙」の画像検索結果

 

さて、神様を信じる方は、「宇宙も生命も、神が創った。」ということを信じていますが、「偶然」は信じられません。

一方、神様を信じない方というのは、「偶然」を信じている方と言えます。

しかし、「宇宙も、生命も、偶然出来上がって、脈々と歴史を繋いでいる」という証拠が、さあ一体、どこにあるというのでしょうか?

ということで本日は、経典『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、人生と信仰についての一節をご紹介いたします。

          (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

「美し国の旅人」~恍多-Koutaが英霊に歌う

 永遠の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=155

人間は人生観や人生の目的を常に考える存在ではありますが、それは一大問題であるため、「大宇宙のなかにおいて、自分はどのような存在なのか」ということを明確につかむまでは、人生観や人生の目的を確立しえないのです。  

もし、唯物論者の言うがごとく、母親のお腹のなかに生命がいきなり発生して、六十年、七十年を生き、やがて火葬場で焼かれると、人生がそれで終わりになってしまうのならば、それなりの考えを持って生きていかねばならないでしょう。  

ところが、宗教家たちが言うように、「あの世、実在界という世界があり、魂はあの世からこの世に生まれ変わってきて、何十年かの人生を生きる。そして、この地上を卒業したあとも、実在界において、さらなる魂の向上を目指している」というのが真実ならば、とるべき考え方は違ってきます。  

人生を学校教育にたとえた場合、いくつかの見方があると思いますが、唯物論の考え方は、「小学校の六年生がすめば義務教育は終わった」というような考え方でしょう。それは、人生を小学校のなかに閉じ込めているのです。  

しかし、「霊界という世界があり、人間は永遠の生命を持って転生輪廻している」という考え方は、「小学校を出ても、中学校があり、高校があり、大学があり、大学院があり、そして社会に出てからもさまざまな学びがある」というように、連綿と続く学習の場として人生を考えることになります。  

こうした二つの定点から人生を見た場合、どちらが人間の進化や向上に役立つかといえば、結論は明らかでしょう。永遠の進化を目指すという観点に立ったときに、人間ははるかに向上していくということです。  

人生は一回かぎりであり、人間は、わずかな期間だけしか生きていない、線香花火のような存在だとするならば、人生には重大な意義も目的も見いだせないのではないでしょうか。  

その短い期間を線香花火のように燃え尽きるために、人間はさまざまな快楽に耽り、物質欲におぼれ、放恣な生活をしてしまうのではないでしょうか。また、誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか。  

わずか数十年の人生であるならば、「自分が楽しまなければ損だ」という考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。  

しかし、永遠の人生であれば、「人のために奉仕したことが、やがては必ず自分自身の魂の糧となって戻ってくる」と考えられるのではないでしょうか。

『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P16~19

セミの声色々

  

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2018-09-20 23:45:57 | 命の不思議

「祈り」の画像検索結果

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古い話ですけが、2003年2月18日10時頃(現地時間)、大韓民国大邱(テグ)市で、地下鉄列車への放火事件が発生しました。

大邱広域市地下鉄公社1号線の、中央路駅構内地下3階のホームに到着した、第1079列車(第18編成)の車内で、自殺願望の男が、飲料用ペットボトルの中からガソリンを振り撒いて放火し火災となり、死者192名、重軽傷者148名を出した大事件です。

その事件では、車内にいた乗客が偶然撮影した写真が、当時のテレビ番組でも話題になりました。

車内に煙が充満しているにもかかわらず、何事もないが如く、平然と乗客たちが座っていたからです。

とても不思議な映像です。
 

事故当時の、実際の地下鉄車内画像 http://www.bo-sai.co.jp/bias.htm 

普通に考えれば、閉じ込められた車内に、煙が充満し始めたら、パニックになると思われるのですが、この時に映った映像では、誰もそうしようとはせず、まるで、敢えて平静であろうと勤めているが如き姿ですので、私はとても違和感を覚えました。

後の検証番組で、この事件のことを取り上げているのを私は見ました。

それは、ある大学のテスト中を撮影した、いわゆるドッキリ番組ですが、4人の学生の内、3人はテスト中に撮影用の煙が教室内に入ってくるのを知っていて、その中に一人だけ、そのことを知らない学生がいるんですね。

テスト中に教室に煙が入って来て、何も知らない学生だけは、オロオロし始めるんですが、他の学生が、ただ黙々と問題を解いている姿を見て、何と、テストを受けることに、再び集中し始めるんです。

私は、ビックリしました。

そしてその撮影後、何も知らなかった学生に、「なぜテストを受け続けたのか?」を確認したところ、「他の学生たちが、黙々とテストを続けていたので、大丈夫だと思った。」という答えが返ってきました。

その番組では、ほかにも10組ほど、同じ検証をしたのですが、結果はほぼ同じでした。

「おい、家事だ!みんな逃げろ!」と言ったのが一人だけいました。しかし、言うには言ったのですが、他の学生が全く反応しなかったので、やっぱりテストを続けてしまいました。

こういうパターンは、日常的に私達ちも、よく経験するのではないでしょうか?

東日本大震災の時の、大津波の時にも、津波警報が出た後も、避難しなかった人がいらっしゃったようです。

また学校などで、火災報知器のベルが鳴っても、「また誰かがイタズラしたな。」とか言って、何事もないように振舞ったりしたことがあると思います。
 
また以前に、北朝鮮が日本周辺にミサイルを発射しましたけど、これなども、「今までもそういうことはあったし、さすがに本土に落としたりすることはないだろう。」と、無意識にでも思っていないでしょうか?
 




これらの事実から、防災時における人間の危険回避行動を云々ということが、この記事のテーマではありません。

私がこの記事で提示するテーマとは、これらから推測する一つの仮説です。

それは、「人間にはどうやら、”安心感を得たい”という本能があるようだ。」 ということです。

この人間が持つ「安心したいという本能」のことを、「正常性デバイス」というそうです。 

要するに、生きていく間に、危険はたくさんありますので、それをすべて認識していたら、心身が疲労してしまって、身が持たないので、「ストレスを緩和させる機能が、人間にはある」ということらしいです。

もしこの仮説が本当であるならば、生物の中で、人間だけが、唯一持っている本能だと思われます。

通常の生物では、「危険回避本能」しかありません。 

そう、危機が来れば、逃げるか、身を隠すか、戦って危機を打ち砕くか、この3つの中でのみ、判断の選択肢や思考を持たないのが、通常の生物なのですね。

家庭で飼われているペットですら、この危機回避本能を持っています。
危機を察知して、ジタバタしない生き物など、人間以外には存在しないのですね。

なぜなら、野生の環境では、危険回避行動を素早く取らない限り、待っているのは、「死」あるのみであるからです。

しかし人間だけは、「今までは大丈夫だったから、今回も大丈夫だ。」とか、「みんな、平気な顔をしているし、多分大丈夫だろう。」という思考を、持ってしまうことがあるのです。

たとえば、「日本の治水技術は全国一であるから、この程度の大雨は大丈夫だ。」とか、「ダムの放水サイレンが鳴ったけど、今まで川の水が堤防を越えたことはないから、きっと大丈夫だ。」など、そういう事例は、日常生活の中で事欠かないはずです。

そして時々裏切られて、痛い目に逢ってしまうんですね。

なぜなのでしょうか?
実は、今の私には、よく分からないのです。(苦笑)

恐らく、人間が持つ信仰の本能に付随するものであろうと思われますが、はっきりとしたことは、今の私にはわかりません。

ただ、はっきり断言できることがあります。

それは、人間だけが唯一、危険回避思考以外の思考パターンを持つこと自体が、人間が他の生物から、単純に進化しただけの存在ではないということの、動かしがたい証拠であるということです。 


故に、進化論者が言う、アメーバーなどの単純な生物から、全ての生物は生まれ、進化した結果、人間が生まれたという説は、間違いであると私は断言したいと思います。

でなければ、生物の中で唯一人間だけが持つ本能の意味が、説明できないからです。

人間は「安心したい」という本能があります。

この本能に付け込み、恐怖で人身を支配したり、コントロールしようとする輩は後を絶ちません。

めったやたらと「地獄に行くぞ!」とか言って、人を脅す邪教の存在ですね。

全く許しがたい暴挙です。
これは、人類に対する罪だと私は思います。



また、「人間の弱さがあるが故に、宗教が生まれた」とする、無宗教勢力も現実に存在するでしょう。

しかし、その両者とも正論とは言えません。
全く、トンチンカンな見解であると、私は思います。

この、人間の安心したいと思う本能の存在こそ、「人間が他の生物とは、明らかに違う、特別に創られた存在である。」という見解こそ、正論の中の正論だと私は思うのです。 

そしてそれは、人類最高の幸福と呼ばれる、「悟り」につながっていると私は思うのですね。 

そう、仏教で言うところの、涅槃(ねはん)や解脱(げだつ)の境地を求める心と、それはつながっていると私は考えるのです。 

 

そしてそれは、とりもなおさず、「人間は信仰の本能を持つ」とも、言い換えることができると思っています。 

人間だけが持つ、安心したいという本能=正常性デバイスは、信仰の本能と、か・・・な・・・り・・・、密接な関わりがあると思うのです。

少なくとも、進化論では、この正常性デバイスの存在を、説明できないのは確かです。

ということで本日は、経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)より、この世とあの世、そして天国地獄の観点から見た、「神の子人間としての心のあり方」について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。

神さま仏さまがいらっしゃらないという証拠も、死後、あの世がないという証拠もありません。

また人間が、何の脈絡もなく、ただ偶然に出現したという証拠もないのです。

神も仏もないという無神論も、死んだら何もなくなるという唯物論も、ダーウィンらが唱えた進化論も、ただ、そう「信じられている」というだけの存在なのです。

          (ばく)

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 生命はめぐる~この世とあの世の秘密~ 天使のモーニングコール 1295回(2016年7月23日)

映画『宇宙の法ー黎明編ー』 予告編

 

 

奇跡の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=146

人生には不遇のときもあれば好調のときもあります。しかし、いったいどちらがほんとうの姿であるかということを、心に深く思ってみる必要があるのです。
地上に生きているすべての人間は、霊天上界からこの世に生まれ変わってきた存在です。

この世に生まれてくる前に、人間は天上界において、霊界の太陽である霊太陽の光を受け、調和とエネルギーに満ちた世界のなかで生活していたのです。人間は一人残らず、そうした天上界からこの世に生まれ変わってきているのです。

この世を去った世界のなかには、地獄界という暗黒の世界もありますが、この世界は実体化した世界とは言えません。そして、地獄界からは、地上に生まれ変わることはできません。
地獄界は、光を拒絶した人たちが巣くっている場所です。暗い世界を好む人たちが、そこに生息しているのです。それは、どんなに強い太陽の光線が当たろうとも、洞窟のなか、洞穴のなかには光が射さないことに似ています。

彼らは、なぜ、そうした暗い世界に生息しているのでしょうか。それは、根本において考え方に誤りがあるからです。その誤りとはいったい何でしょうか。それは、「みずからもまた光の子である」ということを忘れ去った人生を生きたことです。

地上での数十年のあいだ、みずからが光の子であるということ、仏の子であり神の子であるという真実を忘れて生きたために、あの世に還ってから、天上界の光がまぶしくて、自分の住む場所を見つけることができずにいるのです。

そのため、彼らは光をさえぎる「物質の砦」を欲します。あの世においては、悪想念の雲をつくって仏神の光をさえぎり、暗闇のなかで生活しています。そしてまた、この世に生きている人たちの心の闇のなかに巣くって、この世へ還ってこようとしています。

これが真実の世界認識です。
そうであるならば、私が語ろうとしている成功がいったい何であるかが、あなたがたにも分かるはずです。それは、この世的なる成功理論や、この世的なる栄達の理論ではありません。

人間が光の子としての本来の使命に目覚め、見事に今世の試練に打ち勝ち、光の仲間たちから「よくぞ使命を果たした」と言われるような生き方をすることです。そうした生き方が求められているのです。
『奇跡の法』(幸福の科学出版)P227~229

あなたは死んだらどうなるか? https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2079 

あなたの知らない地獄の話。 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2065     

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A wakening of the Earth - 地球の目覚め -


緑の革命と、進化論のほころびと『太陽の法』

2018-07-23 00:49:37 | 命の不思議

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「緑の革命」という演題ですけど、決して私は、環境左翼ではありません。(笑)

このブログの代表管理人は、様々な分野に口をはさみますけれども(笑)、「身近な題材で、進化論を破邪してみよう」ということもやっていて、カテゴリー「命の不思議」を中心に、記事をまとめています。

で、実は私、植物に疎いんですけど、まずは植物の葉緑素の話から。

植物の葉緑素って、皆さん、凄いと思いませんか?

なんせ、空気中の二酸化炭素と水と光で、自分で栄養素を作り出してしまうんですから。
人類は、いまだこの未知の物質を、作り出すことに成功しておりません。

『クロロフィル』という名前でも呼ばれ、科学結合式もわかってはいるのですが、私が知る限り、人間は葉緑素を作れないし、それによって酸素とデンプンも作り出すことはできません。 

『葉緑素入りのガム』などが商品化されていますが、ガムに光を当てたからといっても、ガムから酸素が出る訳ではありません。(笑)

 

もしも人間の力で、葉緑素のような仕組みを作ることできていたなら、CO2や食料問題は、とっくの昔に解決済みのはずですよね。

ねぇ、そうでしょう? 

もしも人間が、葉緑素をつくることができていたらですよ、人間が食べ物や貧しさが原因で、争う必要などないわけですよ。

しかし現実には、世界中で戦争が絶えません。

古今東西、人間は争ってばかりですけど、これなんざぁ、人間の無力さの象徴なんですね。

その光合成のメカニズムを、色々調べて見たんですが、やっぱり良くわかりません。(爆笑)

ムツカシイです。

お手上げです。

でもそこで気づきました。

『これだけ葉緑素についての、一般的な説明が難しいということは、実は、その道の科学者もよく理解できていないんじゃないか?』 と。

そう思ったら、色々見えて来たんですね。



この謎の、そして脅威のテクノロジーが、この地上には、ごくごく当たり前のように存在しています。
そして、この脅威の物質は、『地球の生命の歴史の、極々初期』に生まれています。 

人類は、その脅威の物質をいまだ作り出せていないのですから、人間は、もっともっと、謙虚にならないといけないと思うのですね。
そして科学者は、植物を創造した創造主への、敗北宣言をしないといけないはずなんです。

ひいきめに見ても、進化論的植物学者の方々こそ、神を称えなければならない人たちのはずですよ。
「植物が偶然できたと言い続けるなら、せめて葉緑素を、自らの手で作り出してから言いなさい!!」と言いたいです。

それに、本当にわかっていたなら、わかりやすく説明できるはずです。
そう、私のブログ記事のように・・・(えへん) (^^) 

さらに植物が進化論的に、どういう位置づけになっているかが問題です。
地球に生命が誕生した際には、その当初においては、『酸素を必要としない生物だけであった』とされております。

これは嫌気性菌と言い、現在でも身近に存在します。
そして、身を守る防御のために、『毒でもある酸素を発生させる生物』として誕生したのが、植物であると言われています。

確かに酸素は、毒という一面があります。
酸素消費量の多い、スポーツ選手は活性酸素の発生量も多く、ガンの発生率も高くなり、平均寿命が短いというデータもあります。

また、ジョギングは、身体の老化を早めるとも言われています。
大量の酸素を必要とする生活は、身体を錆びさせる生活でもあるからです。
 
酸素消費が多くなると、それに付随して、活性酸素も多くなるからです。
『活性酸素』というのは、わかりやすく言うと、過酸化水素水(オキシドール)です。
酸素系漂白剤に使われる化学物質ですね。
 
つまり、活性酸素というのは、超わかりやすく言えば、漂白剤のようなものです。
酸素消費量が多くなると、どうしても体の内部に、漂白剤をいっぱい抱えてしまうのです。
ちなみに、ジョギングを世界中に推奨した方は、ジョギング中に、心不全で亡くなりましたのでご注意を。 
 
酸素系漂白剤や、オキシドールの除菌効果を見る限り、酸素の毒性で持って身を守る。
一見すると、筋が通っているかのように思います。
しかし、これには条件があります。

そうです。『光合成が使える、日中にしか有効でない』 ということです。
夜間は、酸素は作れませんので、入れ食い状態となります。(笑)
恐らくは、「酸素による、自己防御説」は、活性酸素の研究が進んだ近年、「これは使える!!」とひらめいた、とある生物学者の思いつきではないでしょうか?(笑)
 
いずれにしましても、「仮説」の域を脱していないです。 

また、どうも科学者、研究者という方は視野が狭いので、見る範囲を拡げると、矛盾だらけになることがよくありますので、十分気をつけなければなりません。
一例をあげますと、

植物も、呼吸しているということです。
つまり、植物も生きていくために、酸素を必要とする生物なんですね。


では、古代の地球に登場直後の植物たちは、必要な酸素をどうやって取込んだのでしょうか?
それとも、植物が始まりの時は、酸素を必要としない生物だったのでしょうか?

こうなってくると、なんだか訳がわからなくなって来ますね。(笑)

そして、筋道だった結論は、いつもただ一つになってしまいます。

太古の地球という、生命の水槽に、その主役となるべき役者たちは、一気に揃ったんです。
それ以外、整合性のある説明ができません。

そして、酸素や二酸化炭素など、生命が生きていく上で必要とされるものは、あらかじめ用意されていないと、つじつまが合わないんですね。
 
要するに、生き物や生き物が生きているこの世界は、神様が創ったんですよ。

さあ、皆さんどう思いますか?

片や万能を自称する、無神・唯物・進化論者の意見と、ド素人一般ピープルの、一人の信仰者の意見。

一体、どちらが整合性があるのでしょうかね? (笑)
 
本日は、幸福の科学の基幹経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。
生命が創られたころよりこれまで、生命の歴史を見続けてきた存在の視点がそこにあります。
 
            (ばく)
 
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人生は、心を豊かにする旅路 天使のモーニングコール1398回 (2018.7.14,15)

【特報】映画『宇宙の法ー黎明編ー』

 

この世のものは、すべて時々刻々に変化をしており、まったく同じ状態であることは不可能だということです。たとえば、私たちの肉体細胞をとってみても、昨日の自分と、今日の自分とを比較するならば、まったく同じ状態ではないのです。

しかし、日々変化する肉体細胞によって構成されているわけですが、その人の姓名で称されている実体があるのです。その肉体細胞を統一している実在があるということです。

すなわち、時間の流れのなかで流転する存在の背後には、永遠に変化しないなにかがあるのです。人間にして然り、動物にして然り、植物にして然りです。

たとえば、植物を一本の花たらしめているものは、まったく偶然に集合した植物細胞ではありません。もし偶然に集積した植物細胞が、今日という日の一本の花を形づくっているならば、日々流転し、変転するという法則のもとでは、その花は、やがて花以外のなにか別のものにかわってゆくのがほんとうです。

しかし、やはり花は、花にしかすぎません。昨日も花、今日も花、明日も花。花としてのあり方が変化するだけで、花が花以外のもの、たとえば、動物とか、人間とかにはなりえないのです。

また、菊の花が途中でチューリップになることもなければ、チューリップが突然コスモスになることもありません。チューリップは、あくまでチューリップの花としてその一生をおえていくのです。

そこには、変化のなかにあって変化しないなにか、流転のなかにあって流転しないなにかがあるのです。そして、このなにかこそが、あるときは実在といわれ、あるときは理念といわれ、また、あるときはイデアといわれるものなのです。

「色即是空  空即是色」という、仏教の有名な言葉があります。この言葉も、私が述べてきた、変化の背景にある不変なるものの実在、普遍的なる存在が投映されて、流転するこの世的存在となっていることを道破した真理の言葉なのです。

私たち人間は、時々刻々に変化する、たよりない肉体細胞の集合体をもって「人間」と称しているのではありません。人間の本質は、時間の流れのなかで変転してゆくはかない存在ではなくて、永遠に不変の実在なのです。この不変の実在こそ、生命であり、魂であり、霊であります。

 私は、「霊」という言葉でもって、摩訶不思議な特異現象をさしているのではありません。それは、人間の本質であり、不変の実在であり、生命のイデアなのです。

肉体人間を支配している個性ある知性。肉体人間を存在せしめている個性ある意識体。これらが、人間の本質なのですから、霊という言葉に対して、世人がいかなる印象を、もとうがもつまいが、真実はひとつなのです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)25~28
 


『見える』という不思議な奇跡のお話。

2018-05-08 00:11:27 | 命の不思議

大川隆法幸福の科学グループ総裁

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私の職業は看護師(男性)ですけど、日常的に「人間の身体とは、また生き物とは、本当に不思議なものだなぁ~。」と、日々、感心いたしております。

人生にとっては、極々当たり前のことでも、突き詰めていけば、とても不思議な神秘を感じるものがたくさんあります。

その一つが、「見える」という現象だと思います。

私たちは生きている間、現象界(この世)において、様々な映像を見ているのですが、それらは実は、物質が反射した”光”にしか過ぎません。

その光を、眼の網膜(もうまく)というところで受け取り、それを電気信号に変換して、視神経細胞に送り、その、視神経から贈られてきた電気信号を今度は脳で解析し、一瞬のうちに映像として認識するに到ります。

光の全てを、私たちの眼は、受け入れているはずなのですけど、私たちが解析できるのは、可視光線という一定の波長の光のみです。

これら『見える』という働きは、デジタルカメラとほとんど同じメカニズムでして、それらが何の工夫もなく生まれ、古来より継続しているのが我々生物です。



科学的には「光とは、波長である」また「光とは波である」ということもできます。
同様に、「音とは波長である」そして「音とは波である」とも言えます。

私たちは、飛び交っている波長を、あるものは映像化し、またあるものは、音声として認識することが当たり前のようにできます。

しかしこれは、とても不思議なことだとは思いませんか?

なぜ、そんなことが必要なのでしょうか?
要らないと言えば、要らないんですよ。
そのような生物は、地上には無限に存在します。

見えたり、聞こえたり、感じたりすること。

これらの感覚は、生物では、とても当たり前のことですけど、なぜ生き物は、光を映像として認識できるのか、また、する必要があるのか、これが私には、不思議で不思議で仕方がないのです。



科学的な整合性を持つためには、誰が見ても一定の結果が、いつでも表すことができることが重要だと言われています。

しかし、たとえば5cmという長さは、物差しの目盛りがあれば、それは5cmだとわかりますが、が見ている5cmの長さと、あなた様が見ている5cmの目盛りの長さは、映像としては違うはずなのですね。

人によって、5cmの長さは、絶対に絶対に違うはずなのです。
目盛りで合わせているので、便宜上同じことにしていますが、決して同じでないはずなのです。

生き物の視覚システムを知ってしまうと、そういう結論になるんです。
なぜなら、眼の大きさも透明度も、そして眼のゆがみも、同じ人は一人もいません。

そして、映像を電気信号化する機能(神経系)、またそれを解析し、情報処理する機能(脳)も、人によって精度や処理の早さは、当然違っていないといけないからです。

そして、自分と全く同じ映像を見ている人は、世界中に、誰一人として存在しないのですね。
同じものを見ていても、感じている映像は全く違います。 

要するに私とあなたは、また、あなたとあなたのお友達は、同じものを見ても、同じ映像を認識はしていなのです。

これが現実なのです。

先ほどの、5センチのたとえ以外に、見る角度も違います。見ている高さも全員違います。
全く同じ映像は、たとえ縦・横・高さの基準から成る3次元(この世)であっても、絶対にあり得ない存在なのです。

『同じもの』は存在しても、皆が同じものと認識しているわけではないということですね。

「基準となるものは、便宜上存在させているだけで、本当に基準足りえるかは、???である。」と言ってよろしいかと思っています。
 


さあ、科学的な人生の根拠とは、果たして一体なんなのでしょうかね?

あんまり科学万能に心酔すると、実はとんでもなくお馬鹿な人生を、歩んでしまうことになるのやも知れませんね。(笑)
 
まぁ、科学万能社会と言われますが、あんまり科学万能主義で生きていると、本当に大切なものは、かえって見えなくなる気がしてなりません。
 
本日は経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、魂の進化とそれを見守る仏の心について書かれた、宗教の根幹、人生の目的と使命そのものを綴った一部をご紹介いたします。
 
真摯に宗教的真理に触れると、ちまたの無神論的科学思考は、とても薄っぺらい考えと人生観に思えて、私は仕方がないのです。
 
        (ばく)
 
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幸せへの道【CM動画】

 

【MV】千眼美子(清水富美加)「眠れぬ夜を超えて」(Short ver.)  

  https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153

なぜ魂の進化があるのかですが、これはやはり、ものごとの根本にさかのぼって考えていく必要があります。

つまり、なぜ進化を要するのかを考える前に、なぜ仏は、さまざまの段階の魂をつくったのか。ここが、大切です。

もし、高度に進化するということだけが目的であるならば、仏自らは、最高度に進化しているわけですから、あえて低次元の魂をつくって、その進化を目的とすることは不必要でもあり、理論的にも必ずしも筋が通っているとはいえません。

仏が、さまざまの段階の意識・魂をつくって、その進化をめざしているのは、進化それ自体ではなく、進化にともなう副次的なものをよしとされたからです。

たとえば、親が親として完成したものであるならば、なぜ親は、子供をつくって育てる必要があるのでしょうか。

それは、子供を完成した親にしたてあげることが目的ではなくて、子供をつくり育てることのなかによろこびをともなうからです。

それによって、家庭が楽しくなる。そこに幸福がひろがるからです。

仏がさまざまのレベルの意識・魂をつくられて、それぞれの進化、発展を願っておられるのは、その進化してゆくということ自体によろこびをともなうからなのです。

つまり、大宇宙の創造、そして、各生命体の創造は、進化ということをめざすことによって、仏のよろこびの表現となり、幸福の源となっているのです。

これが、大宇宙の進化の法則の根本の理由です。

自らが創造した意識・魂が、どんどん進化、発展、向上して、自分をめざして成長してくるのを、仏は、かぎりなくやさしい愛情の眼でもって、見まもっておられるのです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P96~98
 

障害があっても魂は健全 「心に寄り添う。」特別映像


化石が伝える、人と恐竜が同じ時代を生きていた痕跡!Σ(・□・;)

2018-04-27 01:40:53 | 命の不思議
 
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今回は化石の話でも。
ホントこのブログ、幸福の科学の布教ブログなのに、心の話題が少ないですねぇ。(爆笑)
 
すみません。
何年経っても、私、悟っていなくって。(さらに爆笑)

さて、化石ってどんな風にできるかご存知ですか?

実は化石って、めったやたらと、できるものではないんですね。
なぜなら、生き物の死体のほとんどは、他の生物に食べられたり、風化してしまうので、化石になる前に、消えてなくなるのが一般的なんです。

化石ができるためには、生き物の死体が、死後直後!に、地中奥深くに、長時間閉じ込められる必要があるんです。

そして長い年月圧迫されて石化し、なおかつ、発見されるくらいの浅い地表に出てきた物が化石なんですね。
つまり、大洪水や大規模な津波や、火砕流や土石流や地割れなど、アッという間に土中に閉じ込められるような大きな事態が起こらないと、化石にはなれません。
 


そして地表に完全に出てしまったら、これまた風化されますので、ビミョ~な位置で、ビミョ~な時期に世間に出てきてくれないと、また消えてなくなっちゃうんですねぇ。

ですから、水中生物の化石の数は、結構豊富で、アンモナイトや三葉虫などの化石は、そう珍しいものではありません。
なぜなら、河口や川に近い海辺、そして津波が発生するような海域ですと、大雨や地震のたびに土石流状態になりますから。
 
 
ただ、こういう化石のメカニズムですので、陸上生物は、たとえそれがなんであれ、超レアな一品でございます。

ですから、陸上生物ですと、化石になること自体が奇跡みたいな確率ですし、かつて生きていた生物の化石がもしあったとしても、その大部分は風化されていて、もう存在しないものなんです。

かつて驚愕の化石が、アメリカテキサス州のバラクシー川で発見されました。
それはなんとなんと、恐竜の足跡のすぐそばに、人間の足跡が重なって付いている化石です。
 
同一地層に見つかった恐竜と人間の足跡         
 
発見した古生物学者は、思考停止しました。(笑)
そしてその化石は、オーパーツと呼ばれるようになりました。

オーパーツとは、『場違いな工芸品』という意味で、要は、あり得ないから研究の対象に非ず、というきわモノ扱いになっているもの達です。

これが事実だったら・・・凄いことですよね。
よく考えてみてください。
化石は”石”ですので、石の上を歩いても、泥土の上を歩いた時のように、足跡が刻まれることはありません。
 
つまり、『重なった足跡化石』というのは、即ち、『同時代にできたもの』ということです。
 
 
そう、「湿地帯を歩く恐竜の、そのすぐ後を人間が歩き、その後たまたま、土石流か何かで足跡が地中深く埋まって、化石化したもの・・・。」という理由意外に説明できないのです。

 

人間が恐竜と共に暮らしていた記録などは、たとえば、カンボジアアンコールワット寺院遺跡にある、ステゴザウルスとしか見えない壁装飾などが有名で、恐竜が知られたのは近代に入ってからですが、12世紀に建立された寺院に、まるで見て来たかのように、くっきりと刻まれています。

また1945年メキシコ北部グアナフアト州のアカンバロ村で土偶を発見された土偶の中には、ティラノサウルスやプレシオサウルス、ステゴサウルスなどの白亜紀末期に絶滅したと考えられている、恐竜の姿に酷似したものが含まれていて、1968年に年代測定を行わった結果最も古いサンプルで、紀元前4530年のものという結果が。

これも、恐竜を知るはずのない人たちは、どうやって恐竜で創作できるのでしょうか?

繰り返します。

既に、化石化した物の上を歩いても、化石は石ですから足跡は付かないので、『恐竜の足跡のそばに、人間の足跡の化石』は、これは『恐竜と人間が、同時代に生きていた証となるもの。」という、まぎれもない事実を現わしているのです。

化石は創作できないからです。

これらが現存します。
化石という歴史の太鼓判に、億年単位で、古い人類の存在はちゃんと刻印されているので、それを直視する限り、「生物の真の歴史は、事実と、正統と言われている学問との遊離は、そうとう激しい。」と言わざるを得ないと思います。

            (ばく)

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【MV】千眼美子(清水富美加)「眠れぬ夜を超えて」(Short ver.)

Jurassic Park (6/10) Movie CLIP - They're Flocking This Way! (1993) HD

雲仙普賢岳火砕流の発生状況(平成3年)

 

 


赤の革命と青銅の扉

2018-04-13 00:35:35 | 命の不思議

 

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少し物騒な演題を付けました。

びっくりなさった方、申し訳けありません。
 
決して、共産革命の話ではありません。(笑)
今回は、血液の話です。

実は演題 『緑の革命』と銘打って葉緑素を、『赤の革命』というネーミングで血液を、記事にエントリーしようとヒラメキました。

これまでに記事で取り上げてきた、 命そのもの、細胞の発電システムに加え、植物の葉緑素動物の血液は、私は 神の4大発明 と、是非お呼びさせて頂きたいと思っています。 

実は『緑の革命』を、先にエントリーしたかったんですが、頓挫しました。(笑)
私が植物に詳しくないので、よくわからないのです。(爆笑)

いつかきっと書きますので、お待ちくださいませ。
っていうか、教えてくださいませ。(爆笑)
 


さて、血液ですが、血液の色は赤いですよね。
これは有名な、ヘモグロビンの色素の色です。

これが赤血球の中に、多く含まれており、血液は赤く見えます。
酸素を多く含むと、鮮やかな赤色となり、血中の酸素濃度が低くなると、黒ずんだ色となります。

その働きは、肺の中で酸素と強制的に結びつき、体中をめぐって細胞に酸素を与え、二酸化炭素を回収します。
 
このヘモグロビンが、超~スグレものです。
主成分は鉄です。

この鉄が酸素と結合する(酸化)機能だけでなく、酸素を手放す(還元)機能も持っています。

つまり、鉄なのに
酸化と還元、両方の機能を持ち合せてることが凄いのです
 


通常ですと、鉄は錆びたら錆びっぱなしです。 
 
酸化は錆びることですが、自らを錆びさせ、なおかつ細胞を錆びさせる機能を持つことは、これは並大抵のテクノロジーではありません。
 
通常の鉄でも、錆びた鉄は、他の鉄を錆びさせることはできます。
いわゆる、もらい錆びです。
でもそれは、長時間かけて行なわれます。
 
しかし生命体の赤血球は、この酸化と還元を、肺や細胞の中で、一瞬で行なっているのです。
ものすごいテクノロジーです。

ヘモグロビンは鉄ですけど、実は酸素より二酸化炭素と結びつきやすい という、実に変テコリンな性質を持つが故に、できる業なのですね。
 
 
まぁ、それがゆえに、一酸化炭素中毒は、とても危険なのですが。
なかなか一酸化炭素を、ヘモグロビンが手放してくれないという、やっかいな現象が起きてしまうのですが。
 
さて、ヘモグロビンに話を戻しますが、こんな鉄、皆さん見たことありますぅ?
生物の体の中以外で、こんなシロモノ、どこにも見当りませんよ。
 
それが、私たちの身体の中を、常に駆け巡っているのです。
この瞬間瞬間も。
でなければ、私たちは生きていくことができないのです。
 
 まさに、レアメタルです。超超~貴重金属が、血液でありヘモグロビンなんです。
これが奇跡でも何でもない、普通に存在しているんですよー。
 
 
そう、私たちの身の回りには、奇跡のような実例が、ごくごく普通に存在しているのです。
っていうかぁ、神の創造という、奇跡空間の中で、私たちは生きているし、その奇跡空間でしか、生命は生きていけないのです。
 
だから言われるのです。
 
「生きているのではない。生かされているのだ。」と。

何度も同じ結論ですみません。
しかし、他に言葉がありません。
 
生命は、創られた存在です。

もしこれが偶然に、勝手にできたとおっしゃるなら、その奇跡の事実と、この奇跡に導いた、大いなるご存在に、心から感謝するべきだと思います。
 
それこそが、『神』なのです。
 
私はそう思います
 
本日は、経典『繁栄の法』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、「人間は神の子仏の子である」と述べられた一節をご紹介いたします。
 
         (ばく)

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青銅の扉【CM動画】

 

【MV】千眼美子(清水富美加)「眠れぬ夜を超えて」(Short ver.)

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=148

世の人びとのなかには、信仰を否定し、「人間は物にすぎない。人間は物質のかたまりなのだ」と唯物論的に考える人もいますが、そういう人たちは、いったい何を理想として生きているのでしょうか。

「物としての自分」とは、おもちゃのように、「壊れたらおしまい」という感覚のものでしょう。

これは、人間がやがてロボットに取ってかわられるような人生観です。

将来、非常に精巧で優秀なロボットができたならば、ロボットを神として信仰し、人間はその奴隷になってしまうかもしれません。

人間の本質的な価値が分からなければ、そうしたこともありうるでしょう。

信仰は非常に大事です。人間が幸福に暮らし、成長していくうえで、ぜひとも必要なものです。

そして、それは人間に生まれつき備わっている本能でもあるのです。

各人の肉体には魂が宿っていますが、魂のなかには、この世に生まれてくる前の記憶がかすかながらも残っていて、人間はときどきそれを思い出します。

そのため、異なる地域や国に生きているにもかかわらず、すべての人が、ある程度、善悪に関する共通の基準を持っています。

生物として見れば、遺伝子的にはつながりのない人びとが世界各国にたくさんいますが、どの国の人であっても、善悪、美醜、愛と憎しみの違いが分かります。

このように、「遺伝子的にはつながっていないのに、多くの人が共通の価値観を持っている」という事実は、とりもなおさず、「人間は仏の子、神の子である」ということを意味しているのです。
『繁栄の法』(幸福の科学出版)P137~138

  

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