スバル360 1958~1970年(2サイクル2気筒360㏄ 空冷エンジン リアエンジン・後輪駆動)
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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。
さて、時折お届けさせていただいている企画「自動車から見える日本と世界」ですが、宗教布教ブログでありながら、本当にしぶとくアクセス数をいただいていて、自動車大好き人間である代表管理人は、本当に感謝しております。
さて管理人多忙のため、タイムリーにご報告ができなかったのですが、今年7月、富士スピードウェイ(静岡県小山町)で開かれた24時間耐久レースに、トヨタ自動車が開発中の水素エンジン車が初めて出場して完走を果たしました。
完走したのはレース仕様に改造した「カローラスポーツ」で、車内に水素タンク4本を積み、24時間で358周(1634キロ)を走ったとのことです。
ブログ記事でのご報告は遅れましたが、時節はちょうど、イギリスでCOP26という脱炭素に向けての国際会議が開かれている最中ですので、タイムリー記事になったかも知れません。
ところで、レースには主に2種類ありまして、特定の距離を速くクリアする時間を競う「スプリントレース」と、特定の時間の中で、どれだけ走行距離を稼げるかを競う「耐久レース」に分かれ、今回トヨタ自動車が挑戦したのは耐久レースの方です。
実はフォーミュラーEなど、スプリントレースにおいては、モーター駆動による電動レースカーは、もうすでに存在します。
しかし、電動自動車が走行距離の長い耐久レースに出場することは、現代の技術を持ってしても不可能と思われます。
なぜならば、充電にはそれ相応の「時間」がどうしても必要だからです。
ホンダe 2020年~(電気自動車 前輪駆動)
ガソリンであろうと水素燃料であろうと、燃料の注入であれば、プロのレースチームならば、ものの数秒あれば完了しますが、急速充電であっても数十分はかかってしまいます。
また電気自動車を、フルパワーで長時間走らせようとすれば、高額なリチウムバッテリーをたくさん搭載しなければならず、その巨大なバッテリーは、おいそれとは交換はできません。
ですから、まさしく「タイズ・イズ・マネー」なレースでは、レース前にレースを走りきる分の電気をフル充電できるスプリントレースならいざ知らず、耐久レースは不可能なのですね。
そういう意味において、トヨタの豊田章男社長がレース後に「未来のカーボンニュートラル(温室効果ガス排出量の実質ゼロ)社会に向け、選択肢を広げるための第一歩を示すことができた」と語ったように、「未来の自動車産業は、電動化しか選択肢がない」と思われていたこの業界に、別の選択肢を与えたという点では、この試みは大変有意義であったと思われます。
もちろん排気ガス中に、二酸化炭素も、他の有毒ガスも一切出さない水素エンジン車ですが、24時間耐久レースを完走できたからといって、すぐさま商品として実用化できるほど、技術、そして工業商品の世界は甘くはありません。
水素エンジンにも、商品として大成できない、大きな欠点があるからです。

24時間耐久レースを完走したトヨタの水素エンジン車(23日、静岡県小山町で)
水素エンジンの欠点としては、「パワーがない」「燃費が悪い」「燃料代(水素の代金)が高い」「燃料スペースが結構必要」というものだと思われます。
パワーがなく燃費が悪いのは、水素そのものが、分子構造が小さいので、水素自体の爆発力が小さいからです。
当然、熱効率が悪いので、大量の水素をエンジン内にぶち込んで、無理矢理パワーを絞り出すしかありません。
燃料代も、水素を製造するために、電気コストがかかる点が大きいです。
また水素は分子が小さいので、燃料タンクの気密性を高めないと漏れてしまいますし、大量に消費するので、どうしても燃料タンクのスペースが多く必要です。
今回24時間耐久レースを完走したカローラのエンジンや駆動系は、カローラより小型のヤリスのモノと同じだそうですが、ヤリスではこの燃料タンクを積むスペースがなく、サイズ的に余裕のあるカローラで、今回の耐久レースを戦うことになったとのことです。
このように、現時点においては、水素エンジン車の商品価値はあまりなく、電気自動車やガソリン車、ハイブリッド車に対して商品として太刀打ちできる位置にはありません。
しかし、電気自動車は構造がおもちゃのラジコンカーと同様に単純で、バッテリーとモーターがあれば走るのですが、高速で長距離を走るためには、どうしても高性能なバッテリーを大量に搭載する必要があり、とても高額になります。
構造が複雑なはずのハイブリッド車は、エンジンで発電しながら走行できるので、電気自動車ほどバッテリーを搭載する必要はなく、単純な構造なはずの純電気自動車の方が、かえって高額なのですね。
しかし「人生は万事、塞翁が馬」という言葉があるように、どうしようもない短所は、ときに、それ自体が大いなる長所となる場合があります。
この長所とは、「水素エンジンは、とても安くつくることが可能ではないか?」というものです。
トヨタミライ(黄色の物体が水素燃料タンク)
水素エンジンの最大の短所は、パワーがないことですが、これは裏を返せば、「エンジンに耐久性を持たせる必要がない」ということです。
件のカローラも、現在市販されているヤリス用のガソリンエンジンに、そのまま水素燃料を注入して走行しています。
ガソリンエンジンは、それなりに爆発力がありますから、それ相応の耐久性が必要です。
しかし、一回の爆発力が小さい水素燃料ならば、もっと、チープなエンジンで十分なはずです。
ガソリンエンジンという、耐久性のあるエンジンだからこそ、弱い爆発力ではパワーを発揮できないわけで、もっと軽くヤワな構造であれば、もっと推進力を抽出できるはずなのです。
また水素エンジンは、排気ガスは「水」だけですから、排気ガスの浄化の必要性は全くありません。
これも、「安く作る」ということに直結します。
つまり、エンジンの耐久性を低くでき、排気ガス浄化を無視できるのであれば、その分、水素エンジンは「そうとう安く作ることができる」ということです。
スズキフロンテクーペ 1971~1976年(2サイクル3気筒360㏄ 水冷エンジン リアエンジン・後輪駆動)
たとえば、燃料に分子構造の大きい軽油を使うディーゼルエンジンは、高い圧縮比とも相まって、かなり頑丈に作らなければなりませんし、高圧縮のため、どうしても窒素酸化物を初めとする排気ガス対策に、多大なコストがかかってしまいます。
実は、ディーゼルエンジン搭載車は、普通のガソリンエンジンより100万円ほど、車体価格が上がってしまうのは、この耐久性への対応と、緻密な燃料噴射装置や脱窒素システムなどの排ガス対策のコストなのですね。
ですから、高熱効率で燃費性能に優れるディーゼルエンジン車とて、ガソリン車と車両価格で100万円も差がついてしまえば、宅配業者さん並みの走行距離がない限り、燃料代で元を取るのは不可能ですが、ディーゼルエンジンほどではないにしても、ガソリンエンジンとて、耐久性と排気ガス対応へのコストは年々増加しています。
結局のところ、ヨーロッパから起こったカーボンニュートラルの政治運動は、世界を驚かせたフォルクスワーゲン社の排気ガス不正問題が示すように、ヨーロッパの工業社会が、年々厳しくなる排気ガス対策をしつつ、同時に、十分な性能の動力機関を製造することができなくなったことに端を発しているわけです。
また、水素エンジンが全く排気ガス対策の必要がないとするならば、大きな技術的転換が可能です。
それは、「排気ガス対策のために消えていった、優れた技術が復活する可能性がある」ということです。
一つは「空冷技術」です。
空冷エンジンとは、その名の通り、空気で冷却する仕組みです。構造がシンプルで、ラジエターという冷却水を冷やす仕組みや、エンジン内部に冷却水を循環させる、複雑な構造も必要ありません。
現代において空冷エンジンが消えたのは、排気ガス対策のため、厳密な温度管理が不可欠だったからです。
水冷より空冷の方が圧倒的に部品が少ないので、これも「安く作る」という目的に優位に働きます。
もう一つは「2ストロークエンジン」です。
ラジコンカーや草刈り機などを除き、今市販されている自動車やバイクなどのエンジンは、すべて水冷4ストロークエンジンです。
4ストロークエンジンは、エンジンの回転を、「吸気」「圧縮」「膨張(爆発)」「排気」の4つのサイクルで、エンジンシリンダー内での爆発は、エンジン2回に1回起こります。
一方、2ストロークエンジンは、吸気と圧縮が同時で、爆発と排気が同時で、爆発は一回転に一回、つまり4ストロークエンジンの2倍、シリンダー内で爆発が起こっていて、性能面では2ストロークエンジンは有利です。
4ストロークエンジンの大きな特徴は、厳密な燃焼がやりやすいことです。1970年代から問題となった排気ガス対策以降、構造が簡単で安く、1回転1爆発で実用パワーが出しやすい2ストロークエンジンですが、燃料の燃焼において、緻密な制御ができずに燃え残りが起きてしまうことで廃れました。
しかし、燃え残りがあろうと、水しか排気しない2ストロークエンジンならば、緻密な燃焼などは、そもそも不必要なわけです。
ただ、エンジン部品の潤滑のため、燃料に潤滑オイルを混ぜる必要のある2ストロークエンジンですが、潤滑系と吸気系のシステムを分離できれば、コンパクトでパワフルな2ストロークエンジンが復活できます。
空冷エンジンも2ストロークエンジンも騒音が問題となりますが、爆発力の弱い水素燃料ならば、おそらく騒音規制も楽々クリアできると思われます。
そして最後に、キャブレター(気化器)です。
マツダR360クーペ 1960~1969年 (空冷360㏄ V型2気筒 OHV4ストロークエンジン リアエンジン・後輪駆動)
キャブレターも、機械式なのでアバウトな燃料供給しかきないため、排気ガス対策が厳しくなって、緻密な燃料供給ができる燃料噴射装置に切り替わりました。
燃料噴射装置も、大量生産効果によって製造コストはずいぶん安くはなりましたが、いかんせん、年々厳しくなる排気ガス規制のため、かなり高度なテクノロジーとなっており、ガソリン用とて、価格は上昇する一方です。
キャブレターは、元来安い部品なので、排気ガス対策が不必要な水素エンジンならば、市場に復活できる代物です。
キャブレターと燃料噴射装置(インジェクション)
排気ガス規制によって絶滅したローテクな空冷・2ストローク・キャブレターですが、それらの相乗効果で、ガソリンエンジン車より100万円ほど安く販売できれば、長距離走行をしないドライバーなら、高い燃料代もペイできる試算になって、商品価値が出てくるのではないかと思われます。
そして、そもそも爆発力の小さな水素燃料ならば、冷却そのものが楽なはずなので、エンジンの搭載位置を選びません。
ほとんどの自動車のエンジンが、車体前方にあるのは、空間利用の他に、「前にある方が、走行風がエンジンに当たるので冷却が楽」というものがあります。
エンジンが十分に冷却できれば、それだけでも安全なことですが、性能の向上に対しても、十分な安全マージンが確保できるわけで、寸法をコンパクトにできる水素エンジン車ならば、エンジンを車体のどこにおいても、例えば、リアシートの下などに潜ませることも容易となるはずです。
現代も、ポルシェ911やスーパーカーなどで用いらてれるRR(リアエンジン後輪駆動)やMR(ミッドシップ後輪駆動)などは、走行風がエンジンに当たらず、エンジンの冷却に難儀しますし、パワーの強いエンジンならば、搭載に必要なスペースも広大になり、実用性は低くなります。
ですが水素エンジンならば、これらスポーツ走行に適し、前が低くて、おしゃれでかっこいい車体デザイン開発にも優位に働くわけです。
ということで、一見技術の鬼トヨタの意地とも思える、水素エンジンでの耐久レース出場でしたが、案外ヒョウタンからコマで、新たな製品とニーズと市場を切り開くのかも知れませんね。
さて、この企画、いつもここからが布教なんですが(笑)、本日は記事の流れから見て『復活の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。
それでは、またのお越しを。
(ばく)
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「日本の経営・復活の日」幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋
復活の法 / 幸福の科学出版公式サイト (irhpress.co.jp)
この世で肉体に宿っているあいだは、肉体の調子が悪くなったり老いたりすると、使命の邪魔をしようとする者から、いろいろと攻撃を受ける場合があります。しかし、池の水は上が澄んでいて下が濁っているように、あの世に還ったならば、下の濁った世界に住んでいる者と、上のほうに住んでいる者とが、一緒になることは決してありません。
この世においてのみ、玉石混交で、いろいろなものが入り乱れているのです。この世は、ある意味で地獄界に非常に近いため、この世に生きているかぎりは地獄界の影響を受けるのです。そのことを知らなければいけません。
生きているあいだには、艱難辛苦が訪れることもあるでしょう。
たとえば、真理伝道の仕事を邪魔するために、この世的に、経済的な危機が来たり、夫婦の危機、親子の危機が来たりすることがあるでしょう。あるいは、会社などのさまざまな職場において、不利な扱いをされたり、人から罵倒されたり、ばかにされたり、迫害を受けたりすることがあるでしょう。
その結果、心に苦しみをつくり、一時期、悪霊や悪魔に攻撃され、不遇な晩年を過ごして死ぬことがあるかもしれません。
しかし、悟りさえ、しっかり持っていれば、たとえ、どのような結末になっても、あの世に行ったときには、還るべき所にきちんと還り、その後は完全に元通りの仕事に復帰できるのです。これは間違いなく保証できることです。
むしろ、光の天使やその予備軍であるからこそ、魔が競い立ち、いろいろな妨害をしてくるのです。
普通の人であれば悪魔や悪霊もちょっかいを出さないような、ほんの些細な心の間違い、心得違いであっても、光の天使の場合には、それを悪魔や悪霊が攻撃してくることがあります。普通の人であれば攻撃するに足りないような、ほんとうに小さな隙を狙い、そこをこじあけて入ってきては、動揺させたり迷わせたりするのです。
ただ、そういうことが起きれば起きるほど、「いま、自分の不退転の心境が試されているのだ。信仰心を失わないかどうかが試されているのだ」と思って、こつこつと、たゆまぬ努力をしていただきたいと思います。
この世的に結果主義者になったならば、それを乗りきることはできないでしょう。「いつ燃え尽きてもよいので、やれるだけの仕事をやりつづける」という気持ちが大事です。
この世的な結果だけで、すべてを判断してはいけません。実在界の視点で考えることです。尊い仕事をした者は、確実に、公正に判断をされるのです。
この世において完全や完璧を望む必要はありません。自分の使命を、できるところまでやり尽くすことです。
自分として、できるところまでやったならば、その結果について、この世的な評価、家族や周りの人からの評価などを、あまり深く考える必要はありません。分かる人には分かっています。実在界の目は絶対に曇ることはなく、きちんと見ているのです。
「多くの人々に真理の灯を伝える」という努力をしてください。
『復活の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P320~323
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