幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

「ぐっすり寝たら、ダイエットにもなる」という話と『永遠の法』

2018-03-31 00:13:56 | 健康・美容

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最近、このブログ、睡眠についての記事のアクセスが多いんです。

多くの方からコメントやメッセージをいただき、お困りの方が、本当に多いということを実感しております。

春は「春眠暁を覚えず」と言いますけれども、「春」というのは、ポカポカしていて睡眠に適しているとも言えますが、春の特徴として、気温差が大きいというのがございますので、その気温差への対応で、身体の方は、相当疲れているのかも知れません。

さて以前の記事で、人間の理想的睡眠時間は「7時間」と、以前の記事で述べましたけれども、となると、一日24時間のうち、約3割は寝ているわけです。

となると、寝ることをやめるわけにはいかない人間様にとっては、人生の3割は寝ているわけですね。

睡眠の質を良くすることは、すなわち良質な人生の、大きなポイントかも知れません。

いやきっと、そうでありましょう。

別に私は、寝具の販売をしているわけではありませんし、業者の方から広告費が出ているわけではありませんが。(笑)

ある意味で、人生の3割寝ているならば、睡眠を制するものは、人生を制することとなるでしょうね。

老荘思想も、少し勉強しようかな。(笑)

さて、これまで書いた睡眠に関する記事は、不眠症、特に冬場に多い「手足の冷え」に着目し、「いかに入眠を早くするか。」がテーマであったと思います。

今回は、「寝ても寝ても、体が疲れている。」という状態。

俗称、「寝疲れ」に着目してみたいと思います。



寝疲れには、主に2種類あります。

ひとつは、睡眠時の無呼吸状態で、もうひとつは、加齢に伴うものです。

私も以前に、この”寝疲れ” だったことがあります。

「ああ、最近疲れが抜けないなぁ。」「トホホ。俺も、歳とったかなぁ。」と思っていたら、寝疲れだったのです。

それに気づいたのは、つい最近でありました。

一緒の部屋で寝ている長男が、高校に入学して、夜間勉強していることが多くなって、父親である私よりも、遅く寝るようになったことで発覚したんです。

「お父さん、イビキがうるさくて、眠れない!」と、長男からご忠告を受けたのですね。(笑)

それまで私は、イビキがうるさいと、他の方から指摘されたことはありませんでした。

ですので、「えっ、俺が?」と、とても意外な感じでした。

しかし、「あっ、ひょっとして、最近寝ても寝ても、ちっとも疲れが取れないのは、これが原因か?」と思って対策をしたら、寝疲れが改善したのですね。

睡眠時無呼吸症候群という病気がありまして、寝ている間に呼吸をしていなくて、酸素が足りなくてだるかったり、頭がボーっとしてしまって、仕事や日常生活に差し支えることがあります。

運転中に、突然寝てしまって、重大事故につながることもありますね。

あれは肥満や、扁桃腺が大きいことや、軟口蓋(のどチンコ)が大きいなどが原因のことが多いのです。

舌が落ち込んで、気道をふさいだり、肥満で気道が細くなって、息ができない状態になるのですね。

私は、幸い肥満体系ではありませんし、扁桃腺も幼少期のときに摘出しています。

おそらく、30代のころ、かなり体重が増えて、10kgほど落としたのですが、それで上気道周辺組織がたるんだのと、加齢に伴い、やはり上気道組織が緩んできたのだと思います。

ではその、睡眠時の無呼吸症状を、改善するにはどうするか。

簡単です。

上を向いて、寝なければよいのです。



上を向いて熟睡しますと、上気道の筋肉が緩んで、舌がのどに落ち込むのですね。

これを医学用語で、舌根沈下と言います。

これを起こさないようにするには、横を向いて寝るか、下向きに、うつぶせで寝るかすれば、是紺沈下は防げて、睡眠時の無呼吸症状はなくなります。

一緒に寝ている方のいびきがうるさい場合、体を横に向ければ、いびきは消えます。

顔を横に向けるだけでも、一時的には消えます。

ただ、まだ首のすわっていない赤ちゃんや、寝たきりの方などは、うつぶせにはなさらないでくださいね。

窒息の危険がありますので。

いくら寝ても、体がだるい方、一度お試しになってください。

それでもダメなら、耳鼻咽喉科で診察をお勧めします。

さてもう一つ、睡眠に関連した話題が。

それは、「良く寝ている人ほど痩せている」という話です。

これは人間の脳の機能が関係するのですが、脳というのは、栄養はブドウ糖しか消費できません。

ですので、起きている間、頭脳をフル回転させていると、ブドウ糖を大量消費することになります。

しかし寝ている間は、それほどブドウ糖が必要ではありませんので、身体は、「糖代謝中心」から「脂肪代謝中心」に代謝システムが切り替わるのですね。

ですから、良く寝ている人ほど、身体の脂肪が少なくなってくるのです。

睡眠時無呼吸症候群の方には肥満気味の方が多いのですが、太っているから睡眠時無呼吸症候群ではなくて、睡眠時無呼吸症候群だから太ってしまうという、驚きの因果関係があるのです。

ですので、睡眠時無呼吸症候群の治療や対策をして、よく寝られるようになると、たいていの方は痩せます。

本日は、幸福の科学の経典『永遠の法』(幸福の科学出版)より、身体的ハンディや得意不得意から、「人生の目的と使命」を紐解くヒントを導き出すという教えの一部をご紹介します。

          (ばく)

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音楽と癒しで不眠症を解消したいあなたへ

 

映画「さらば青春、されど青春。」メイキング映像

 

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=155&utm_source=IRHweb&utm_medium=POPLINK

みずからに足りないものばかりを嘆かずに、みずからに与えられているものの素晴らしさを発見し、それを武器として立ち上がっていくべきです。

目は見えなくても、口が達者な人がいる。足が不自由でも、手が充分に動く人がいる。頭がよくなくても、健康な人がいる。体が不健康でも、頭がしっかりしている人がいる。

人とくらべて、自分の足りないところばかりを嘆いたり恨んだりする前に、自分に与えられているものは何かを考えて、その長所を徹底的に伸ばしていくべきではないでしょうか。

そのなかに、みなさんの人生の問題集に与えられた一つのヒントがあるのです。

一人ひとりの人生というものは、なぞであり問題集であるのですが、この問題集には必ずヒントがあります。

自分自身を第三者の目で眺めたとき、他の人より優っているところがあるはずです。あるいは逆に、他の人より極端に劣っている面もあるはずです。

このように、性格や才能、肉体的な問題を他の人とくらべて、異常に突出したり、あるいは異常に窪んだりしている部分があれば、それが取りも直さず、その人の人生の問題集を解くためのヒントになっているのです。

そして、そうした課題がなぜ与えられているのかに対して、積極的に答えていこうとすることが大切です。

そこには、今回の人生修行の目的の一つが明確に現われているからです。

身体的ハンディ、精神的ハンディ、能力的ハンディなど、いろいろなものがあるでしょうが、そこに、その人の今世の人生における目的と使命が明らかにされているのです。

こうしたことを自覚したときが、すなわち、「導きのとき」なのです。

自分の運命を自覚し、それと勇ましく闘っていこうと思い立ったとき、勇気と力が湧いてきます。

そのときには、あの世にいる高級諸霊が、あるいは本人の守護霊や指導霊が、大いなる力を投げかけてくれるのです。

したがって、まず、みずからの問題集に潜んでいるヒントを見抜くことです。

そのヒントによって問題を解こうとしたとき、必ずや大いなる高級霊たちの力を得ることができるはずです。
『永遠の法』(幸福の科学出版)P107~109
 

障害があっても魂は健全 「心に寄り添う。」特別映像  


最悪の宗教は『無神論』です。

2018-03-30 00:31:38 | ばくちゃんの独り言

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北朝鮮の最高指導者金正恩委員長が、中華人民共和国を電撃的に訪問し、習近平国家主席と会談したというニュースが全世界を駆け巡りました。

これまで、金正恩氏は最高指導者就任の後、外国は訪問したことはなかったと思うので、国家指導者として初めての外交を展開したわけですね。

正恩氏の父故金正日氏は、大の飛行機嫌いでありまして、列車で何日もかけて中国やロシアなどに度々訪問していましたので、正恩氏がこれまで外遊しなかったのは、「できなかったのでは?」と、私は個人的には思っています。

つまり、父正日氏は外遊できる国家状況であったが、正恩氏は「外遊して国を開けると、権力基盤が危うかったのでは?」と思うのです。

でなければ、就任して6年あまり、一度も国家最高指導者としての政治活動をしないというは、危険すぎることだからです。

もしその説が正しいのであるならば、今回の電撃訪中は、「金正恩氏にとって、危険を抱えてでもやらねばならなかったこと」ということが言えますね。

この記事を書いている最中に、Libertyweb記事を見つけましたので、リンクを張り付けておきます。

https://the-liberty.com/article.php?item_id=14294

さて、北朝鮮と中華人民共和国の共通点と言えば、「共産主義国である」ということです。

共産主義と言えば、経済思想であると同時に、「無神論」という宗教思想でもあります。

図らずも今回、世界を代表する無神論指導者が、超久しぶりに会談したことになります。

ただ今回のことは対岸の火事とはいかなくて、思想面において、信教の自由社会であるはずの日本も、思想的に優位なのは「無神論」ですし、本質的な面においての、そして、現代日本の底辺に流れる、基本思想としての無神論。
これは後代、そう、自分の子供の世代には、絶対に残すことの出来ない、日本の歴史の恥部であると、私は考えているのです。

ですから私は、この日本人の心の癌細胞である無神論を駆逐するまで、徹底的に戦います。

大川隆法幸福の科学グループ総裁の教えならば、科学が進んだ社会に生まれ育った現代人や未来の方々であっても、ごく自然に神や死後の世界を信じられると思っております。

 
 
さて無神論とは、日本の多くの方が思い描いているであろう、「神を信じることができない。」という、信教の自由の範疇に収まるものではなく、神を信じる人たちを、迫害し粛清する思想だからです。
それは歴史を見ても、今現実に、北朝鮮や中国で起きていることでも実証済みです。

さて、最近気付いたことなのですけど、「無神論者というのは、偶然という神を信奉する方々なのではないか?」と思えるようになりました。
反対に、我々信仰者というのは、「偶然という神を、信じられない人々」なのではないでしょうか?

様々な社会の歴史を見たり、文化文明論や政治思想を知れば知るほど、その根底にはやはり宗教があります。

これは歴史の現実ですので、たとえ無神論者の方と言えども、この世の現実そのものは、受け入れてもらう以外にはありません。

これらは、「神の理想、願いをこの地上に実現させる」という理念の下、発信され発展してきたものなのです。

であるならば、彼ら無神論者が信奉する、「偶然という名の神の願いを、地上に表した場合に、結果は一体どうなったのか?」を、検証しなければなりません。

無神論者が宗教を非難する場合に、良く使うものにものに戦争があります。
確かに戦争というの多くは、宗教が原因になって起こるものです。

歴史上の戦争は、ほぼ全てが宗教によってもたらされたと言って良いと思います。
これは現代でも、欧米社会とイスラム社会が、現に対立していますね。

では、その戦争で命を落とした人間の数は一体どれくらいなのでしょうか?

現存する人類史から推測するに、およそ800万人と言われます。
めい一杯集めて、「1000万人行くか行かないか?」という人数です。

  
https://www.irhpress.co.jp/

では、公に無神論を標榜する、共産主義国家において、国家に粛清された人の数は、一体どれほどなのでしょうか?

少なく見積もって、1億人です。

ソ連という短い歴史の国だけで、少なくとも3000万人。
カンボジアのポルポト政権下で、これも少なく見積もって200万人。

また中国では、毎年一体どれくらいの人たちが、政治犯として処刑されているか分かりません。

恐らく中華人民共和国という、たった70年余りの短い歴史の国家の中でさえ、1億人以上の人々が、命を奪われているはずです。

共産主義国家において、公表されている数字は、正しいとは限りません。
政府の都合の悪い人は皆、闇から闇に処刑さていると見て良いです。

北朝鮮の人口が、ほぼ同じ面積を持つ韓国の、約半分しかいないのはなぜでしょうか?
想像すると、それはそれは恐ろしいことですね。

無神論=偶然という神を信奉するということは、それは、戦争をするより恐ろしいことなのです。

つまり、無神論というのは、人類史最悪の宗教(邪教)なのです。

なぜなら、人から良心の呵責(かしゃく)を奪うからです。

人間を、目的のためなら手段を選ばぬ存在に貶めるからです。

つまり、たとえ戦争状態であっても、神を信じるもの同士であれば、必ずどこかで、行動のブレーキのかかるものです。
それが「良心」であり、神の子の本質の部分です。

しかし、無神論の名の下での粛清であれば、その、良心の呵責というブレーキの機能は、全く期待できないのですね。

なぜなら、良心の呵責を感じて、粛清を怯む人は、今度は国家(無神論政府)の、処罰の対象となるからです。

人類史の汚点、最大最悪の宗教=無神論。
これを駆逐し撲滅するために、科学的思考を理解し、開けた文明論を持ち、未来への指針ふんだんの幸福の科学は、もっともっと大きな影響力を持つべきだと思うのです。
 
本日は、経典『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)より、「人間神の子宣言」とも言える至高の説法の一部をご紹介いたします。
 
              (ばく)
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「悟りの極致とは何か」抜粋 大川隆法総裁1989年第9回講演会

 

あなた方は知らなくてはならない。
あなた方一人ひとりの心のなかに潜むところの、その偉大な力に。

生まれ落ちてから数十年間、
自分自身が、心のなかにつくってきたところの汚れ、曇りによって、
どれほど自分の尊さというものを忘れ去っているか、わかるだろうか。

もっと偉大な魂であるということに、なぜ目覚めないのだろうか。

惜しいではないか。

それだけのものが、今、与えられているというのに、
自分自身がそれだけの光を有しているというのに、
この光を解き放つことができないままに、
数十年の人生を終えてしまうということは、
どう考えても考えても、残念なことだと思えないだろうか。

一人ひとりの心の奥には、
輝けるダイヤモンドがあるというのに、
何ゆえに、そのダイヤモンドをガラス細工だと思うのか。

私が、あなた方一人ひとりが神仏の子であると言うのに、
あなた方一人ひとりが、ダイヤモンドであると言うのに、
なぜ、それをあざ笑う。

なぜ、それをばかばかしいと思う。
なぜ、それをつまらない話だと思うのか。

あなた方自身が真実価値ある存在であり、
価値ある存在が価値ある存在として己れを輝かせるのに、
なぜためらう。

なぜひるむ。
なぜ、それを恥ずかしいことだと思うのか。

私は、あなた方に言う。

人間として生きてゆくための第一歩は、
己れの存在がいったい何者であるかに気づくところにある。

何者であるかに気づくことなくして、今世を終えたとするならば、
あなた方は虚しく生きたということになる。

両手にいっぱい持っていた金銀財宝を、
ドブのなかに捨ててしまったことになる。

そんなばかなことを、なぜしようとするのか。
『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)P24~27


体の中の砂漠と、『愛の原点』

2018-03-28 23:11:53 | 命の不思議

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看護師でもある私が、常々思っていることがあります。
それは、身体は、あまりにも、良く出来すぎているということです。

ですので、生き物が勝手に誕生し、勝手に進化しているとは、とても思えないのです。

生き物は素晴らしい芸術家が、何かを表現したくて、「愛しさ」を秘めて創造したとしか見えないのです。

その「生命を創造した偉大なる芸術家こそ神である」と私は信じて疑わないのです。

さて、生き物には、食べ物を消化・吸収する器官に、小腸がありますが、本日はその話です。 

 
 

最終的な消化吸収器官で、栄養のほぼ全てを、ここで吸収しています。

意外なのですが、実は小腸の中には、ほとんど細菌はいないんですね。
大腸の中にはウジャウジャいるのですが(笑)、もっと栄養豊富なはずの小腸では、ガクッとその数を減らします。

広大な砂漠の中に、時折り生き物がいる。
小腸をイメージするならば、まぁ、そんな感じだと思います。
 
そう、意外ですけれども、演題の「体の中の砂漠」というのは、小腸のことなのです。
 
     ナミブ砂漠のアイドル ミズカキヤモリ

それはなぜかと申しますと、小腸の消化吸収のメカニズムが、深く関係しています。
実は、小腸の中では、「栄養を摂取するギリギリまで、消化しない仕組みがある」のですね。

腸のヒダの奥の奥にある小腸細胞に、触れるか触れないかというギリギリのポイントで、腸液を「ピュッ!!」と出して、粒の大きな栄養素を分解し、「サッ!!」と一気に吸収しているのです。

もう秒殺です。
 
下の画像が小腸のヒダの拡大図ですけれども、このヒダに栄養が触れる瞬間に、酵素を含んだ腸液を出し、一瞬で吸収していて、目にも止まらぬ速さ、神業です。

酵素で大きな糖分などを、一瞬でブドウ糖に変えて、一瞬で摂取しているところが「小腸」なのです。

 

それでなにが起こるかというと、「腸内細菌たちが、食べ物を食べることができない」のですね。

身体の小さな腸内細菌にとっては、消化酵素入りの腸液に触れる前の食べ物は、栄養の粒が大きすぎて食べられないのです。
 
たとえば、一口サイズのお肉なら一口で食べれますが、牛一頭丸のみはできないように、腸内細菌も、摂取できる大きさというものがあるわけです。
 
食べ物をじっくり食べていることができず、ただ「食べ物が小腸細胞に吸収されていく姿を、指をくわえて見ていることしかできない。」という訳です。
我々はそういう小腸の機能でないならば、食べた食べ物がすべて腸内細菌に食べられてしまって、飢え死にしてしまうのですね。
 
こんな超際どい作業を、小腸の細胞はしているために、ものすごく負担が大きいのでしょうね。
小腸細胞の平均寿命は、な・・・なんと、約1週間だと言われています。

ですから、小腸から発生するガンというのは、ほとんどありません。
ガンというのは、何年越しもの、慢性疾患でして、小腸の細胞はガンになる前に、寿命を終えているからです。
 

そして身体も、その小腸の栄養吸収システムを維持するために、膨大な予算を計上していて、基礎代謝の約半分は、この消化吸収と、小腸細胞の入れ替えに費やされています。

そうでもしないと、小腸内で栄養を腸内細菌に食べつくされて、母体の方が栄養失調になるからです。

生物の体って、本当に良くできている、否、「良く出来過ぎている」ということの実例です。

こんなこと、偶然にはできやしませんよ。
絶対に。
 
しかも、この奇跡のような構造が、「当たり前である」ということです。
「当たり前である」から、あんまりありがたくないかも知れませんけれども、この「当たり前」という前提が崩れたら、「誰も生きてはいけない」という厳粛な事実だけは享受していただかなければなりません。
 
生き物は、神様がお創りになったんです。
そうに違いありません。 
私はそう思います。
 
進化論信奉者の方、どうか反論してみてくださいませ。
 
本日は、経典『愛の原点』(幸福の科学出版)より、「当たり前のできごとや環境って、ありがたいことなんだなぁ。」と思えた部分の抜粋をお届けいたします。
 
           (ばく)

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「取り越し苦労をやめよう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

映画「さらば青春、されど青春。」メイキング映像

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=145

人間の血や肉となる、こうした食物の事実そのものに着目してみたいと思います。

なぜりんごはおいしいのですか。なぜトマトはおいしいのですか。なぜキャベツはおいしいのでしょうか。

なぜ魚の身がおいしいのでしょうか。なぜ牛や豚が食用に通しているのでしょうか。

エネルギーを得るということだけが目的であるならば、彼らはおいしいということを前提としていなくてもよいはずです。活動のエネルギーになるというだけであるならば、そうしたことは、なくともよいはずです。

しかし、人間の食用に供される彼らは、おいしさというものをまとって現れてくるのです。ここにもまた、一つの愛があると私は思うのです。

もし、感謝なき人間に食べられることを、トマトが嫌だと思うならば、彼らは食用に適さないような味を伴って出てくることも可能なはずです。

もし、牛や豚が、人間の食用に供されることを永遠に拒否しつづけるとするならば、彼らの肉そのものが人間の舌に合わないようなものになることは可能なはずです。しかし、事実はそうなっていないのです。

彼らも、生命を断たれるときには、それなりの悲しみはあるでしょう。

しかしながら、彼らは、人間の食用に供されるという、その運命を抱きしめつつ生きているということ、そして、そのなかには、単に運命を抱きしめつつ生きているだけではなく、みずからの身を喜んで差し出しているものもあるということ、こうした事実にみなさんは気がつかなければならないのです。

やはり、愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いなのです。

植物や動物にも、そうした思いはあるのです。彼らもまた愛のエネルギーなのです。

このようなことを考えたときに、みなさんは、みずからのあり方というものを反省せざるをえないはずです。振り返らざるをえないはずです。

人間を取り巻く万象万物は、人間を生かし、はぐくむために、常にその場を提供し、常にその生命を提供し、常にそのエネルギーを提供しているのです。
『愛の原点』(幸福の科学出版)P50~53

 

映画「心に寄り添う。」

 


文在寅VS金正恩守護霊霊言読みました。

2018-03-27 00:59:42 | 教典紹介

https://the-liberty.com/article.php?item_id=13048

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幸福の科学出版より緊急発刊された『文在寅VS金正恩守護霊霊言(南北対話の本心を読む)』を読みました。

それは平昌オリンピック以降、急速に雪解けを演出し始めた南北朝鮮の首脳会談が、この4月に行われることを受けて、3月8日に幸福の科学大川隆法総裁によって行われた両首脳のそれぞれの守護霊霊言を書籍かしたものです。

「日本国民は、なんと神の愛されているのだろうか」私は思いました。

これだけの警告が、読もうと思えば誰でも読める環境に、現代の日本はあるわけですが、これだけの謀略は、通常は静かに行われ、いつのまにか国が包囲されているものです。

要するに、南北両首脳は、お互いを利用しようとしているわけだけれど、最終的には「反日で統一」を目論んでいるということです。

もしそれが成るならば、人口7000万人、核兵器を要し、数百万の軍隊を持つ国家が、狭い海を隔てて存在することになります。

政治は、森友学園が国有地を安く手に入れたことがどうのとか、それに首相夫人が関与したとか、そういうレベルで、国会でしかできない国防の問題を議論する時間をなくして良いのでしょうか?

マスコミは、そういう下世話な問題で、国会でしか議論できない国防を議論する時間が、大幅に奪われている現状を、なぜ批判しないのか?

https://the-liberty.com/article.php?item_id=5897

今が平和ならそれで良いのでしょうか?

大川隆法幸福の科学グループ総裁曰く、「正義のために平和があるのではない。未来の平和のために、正義は必要なのです。」と。

事実、日本の歴史を紐解くならば、戦前日本の孤立化は、日本が外交の優等生と言われ、平和と民主主義を謳歌していた大正デモクラシーの時代に始まっていて、それに多くの日本人は気付かず、ABCD包囲網(アメリカ・イギリス・中華民国・オランダ=連合国)をみすみす築かれてから、全世界を相手に戦ったことを忘れてはなりません。

当時の日本の政治は、政党政治真っ盛りですが、国内問題、そして政争に明け暮れていました。

そしてあの戦いが始まってしまったのです。

歴史から教訓を得るのが賢者なら、今、偽りの平和に明け暮れるのは、近い将来の苦難を意味すると私は断言します。

日本は、先の大戦の負い目から、正しい判断ができないでいると思うのです。

ただ、国を守ることすら悪ならば、全世界の国々は悪なる国ばかりになります。

国を守るのは簡単です。相手より強ければ良いからです。

非武装平和論は幻想であって、相手より強い武装をして後、交渉をするべきです。

もしも警察官が、武装した銀行強盗に、丸腰で投降を呼びかけるのが正しいのなら、街は殉職者で埋め尽くされるでしょう。

銀行強盗より圧倒的な武装をした上で、銀行強盗に投降を呼びかけるべきです。

そもそも、戦前日本は侵略国家だったのでしょうか?

だとすれば、なぜ日本は、自分たちより弱い国と戦った歴史がないのでしょうか?

侵略とは、国家による略奪です。

略奪は、必ず、自分たちょり弱い相手に行われ、相手が強ければ弱い所を攻め、それもないときは、相手を弱らせてからするものです。

また日本は、戦った相手国が、戦後に親日化する歴史を持ちます。

今の同盟国アメリカですし、台湾の正式国名は中華民国であり、両方とも戦争当事国です。ロシアが親日国であるのは有名ですし、満州国は清国最後の皇帝が初代皇帝です。また日英同盟を成した薩長政府とイギリスはたそれそれが戦った歴史を持ちます。

通常、戦った相手は、顔を見るのも嫌になります。

戦った相手国が親日化するのは、たった一つの理由しか考えられません。

それは、「日本は敵国からも尊敬される戦い方をしていた」ということ以外考えられないのです。

本日は最新刊『文在寅VS金正恩守護霊霊言(南北対話の本心を読む)』(幸福の科学出版)より、まえがきとあとがきをご紹介いたします。

          (ばく)

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大川隆法総裁 大講演会2016「時代を変える奇跡の力」抜粋版(マリンメッセ福岡)

ドラマ 永遠の0 主題歌 MISIA 桜ひとひら

まえがき

余計な解説は書くまい。ただ本文をご一読願いたい。

日本のマスコミや政治家が幻想をいだかないことを切に願っている。

真理はいつも単純なところにある。

国民が真に国を愛さなければ、その国は亡びる、ということだ。

今、世界を、善意だけが支配していると観じるのは、かなり空しいことだ。

あとがき

ニュースによれば、四月末までには南北朝鮮会談が行われるという。安倍首相は四月に訪米し、五月を目処に、トランプ大統領は金正恩氏との直接会談を受け入れるという。

このシナリオをどう読むか。日本の左翼系マスコミや野党は、”平和へのシグナル”とみて、森友問題などで攻勢を強め、安倍タカ派路線を引きずりおろそうとしている。

韓国の文大統領は、おそらく今年の『ノーベル平和賞』でも目指していることだろう。

トランプ大統領も自画自賛中である。

本書が唯一の「未来資料」である。

日本がやるべきこと、アメリカがやるべきことを読み解いて頂きたい。

二〇一八年 三月一三日 幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法


トヨタのセルシオ(レクサスLS)による感動の創造。

2018-03-24 23:50:32 | 自動車から見える日本と世界

トヨタセルシオ(海外名レクサスLS)初代 1989年発売開始

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このブログ、幸福の科学高知の在家信者による宗教布教ブログですけれども、編集長の自動車好きが高じて、時折自動車ネタをやります。

もちろん、自動車メーカーからは、1円の広告費もいただいてはおりません!(爆笑)

しかし「自動車から見た日本と世界」からは、やはり「日本って、やっぱりスゴイ!」というエッセンスが山盛りで、それがどこかのお隣の国のように、単なるコピー製品などではなく、極めてオリジナリティーに富んだ作品が山盛りなのが素敵なところです。

日本人は身内に厳しいところがあって、なかなかそういうところを評価しないのだけれど、やはりこと技術においては「感動」するものがたくさんあると思います。

何事も感動なくしては、多くの人の心を動かすことはないです。

私とて、1円ももらわずに「書く」という時間=人生の一部を使っているのですから、「時間を使う価値あり」「言わせていただく価値あり」と「思わせる何か」 がなければそうはならないのです。

これは、宗教における在家信者の伝道活動、布教活動も同じことで、それはやはり、教団や関係各所からは1円のギャラも発生しない(爆笑)からです。

私たち在家信者は、1円ももらわず、むしろお布施をして教団を支えつつ、人生の時間を投資しているわけで、そこには何か「真実を伝えねばならない」という必要性と、それを私たちに「使命感」とするだけの「感動の創造」があるからなのです。 

さて、今日のお題はトヨタセルシオ(初代)、海外名はレクサスLSで、発表は1989年です。

奇しくも、以前ご紹介したマツダ(ユーノス)ロードスター(NA)や、日産のスカイラインGTR(R32)も1989年生まれで、セルシオを加えて「花の89年トリオ」と呼ばれていて、1989年(平成元年)は、全世界に影響を与えた名車の当たり年なんですね。

セルシオの何がすごかったって、「何もかも」がすごかった。(爆笑)

セルシオは全長5m級の大型車で、私は小型車が大好きなので、このブログで取り扱うのは初めての大型高級車です。

私が小型車が好きなのは、やはり感動するから。

小型車では性能を出すのも利益を出すのも大変なので、自動車メーカーや部品メーカーの血のにじむような努力がなければ、小型車中心の日本の自動車メーカーの繁栄はないのですね。

私は大型高級車を見ても、「それだったら、高性能でも当たり前かな?」と思ってしまうところがあって、大型車はあまり心にビンビン来ないのだけれど、トヨタセルシオ(特に初代)は別格で、これはホントにスゴイので書かざるを得ないのです。

せセルシオ登場以降、ドイツのメルセデス・ベンツやBMW,イギリスのジャガー、アメリカのGMなど、誰でも知っている世界の大御所、高級ブランド自動車メーカーがセルシオを買い求め、ばらして研究していたのは有名な話なんですね。

それは、「セルシオ・ショック」と呼んで差しつかえない衝撃でした。

イギリスでは王室御用達の超老舗ロールス・ロイスは自社経営をやめてBMW傘下に入りましたけど、案外、セルシオショックの影響かも知れません。

セルシオ以前の世界の高級ブランドメーカーたちは、ある意味で日本車を見下していたところがあったと思うのですね。

「日本は、2000㏄クラスの小型車つくりはうまいが、高級車は苦手だ。」と。

それは歴史的背景があるはずで、ヨーロッパで生まれた自動車文化は、そもそも、「金持ちの道楽」から生まれたもので、レースやラリーなどのモータースポーツも、金持ちしかできなかった分野で、要するにヨーロッパでは、金持ちは高級車を乗り回す歴史的、文化的な背景があるわけです。

一方、日本人も車好きですけれども、日本ですと、高級車を乗り回すようなお金持ちは、運転手を雇って後部座席に座って移動することがイメージとしてはあったのですね。

今はだいぶ事情が違ってきましたけれども、セルシオ以前ですと、クラウンとかその上のセンチュリーとか、日本的高級車だと、それほど性能を追求しないものが主流でした。

クラウンもセンチュリーも輸出しておりませんでしたので、海外の方は、「日本には高級車は作れない」と思っていたはずなんですね。

 

しかし当時、1980年代後半には、トヨタを始めとする日本メーカーは、もう事実上世界一の性能を持っていました。

なぜかと言うと、各メーカーの地道な技術向上と創意工夫によって、世界で初めて、排気ガス規制と燃費問題を克服していて、それで浮いた開発エネルギーを、性能やクオリティー向上に向けることができたからです。

そして満を持して登場したのがトヨタセルシオです。

排気量4000㏄のV型8気筒エンジンを搭載し、全ての領域で、「それまでの高級車が、前世代の遺物になった」、「セルシオが、今売られている世界の高級車を、クラッシックカーにしてしまった。」と言わしめるだけの内容を持っていました。

特に凄かったのは、静けさと振動のなさと動力性能です。

「感動」というものは、「予想外の何か」「予想以上の何か」がないと発生しません。

この「静けさと振動のなさと動力性能」の実現のために、トヨタが行ったことというのが、これまた「嘘やろ!」って言ってしまうレベルのものすごさで、いつもは「販売のトヨタ」と言われているのに、トヨタ2000GTや初代プリウス開発秘話などで、時折トヨタが見せる「嘘やろ!」な一面は、まさに「技術の鬼」で、セルシオの時も「技術の鬼トヨタ」でした。

 

というところで、文字数制限が。(爆笑)

この「技術の鬼トヨタ」の成した技は、noblesse oblige(高貴なる義務)そのものだったと思うし、企業として、かなりリスキーな判断と決断だったと思うのですが、その話題はまた次の機会に。

セルシオは名車中の名車ですきに、一話完結は難しいですし、布教もありますので。

「動画や経典紹介がなければ、もっと書けるのでは?」とお思いかも知れませんが、「自動車関連話を、いかに布教につなげるか」に、このブログサイトの付加価値とオリジナリティーがあるわけで(笑)、そこにいたる創意工夫こそが、このブログの「感動の創造」の秘密なのでございます。(爆笑)

では本日は、3月25日の御法話ご紹介と、経典『成功の法』より「ザリガニ型人生を生きてはいけない」という一節のご紹介です。

         (ばく)

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幸福の科学グループ創始者兼総裁大川隆法先生
「人はなぜ幽霊になるのか」

【開示日】
≪本編[61分]≫
3月25日(日)
【開催場所】
幸福の科学 全国支部、精舎
☆-☆-☆-☆-☆
◇あなたは大丈夫?こんなにもある幽霊になる条件!

・春のお彼岸の最中である3月21日、主より幽霊に関する御法話を賜りました。

・ホラー映画やドラマではわからない霊的世界の真相が明かされた本御法話は、信者はもちろん、ホラー映画やドラマが好きな方、霊的な世界に興味のある方、百歳まで生きる会層、学生・青年層などにお勧めです。

【Point】
◆幽霊にもタイプがある?生霊も幽霊?

◆ペットとのかかわり方や、ペットの供養はどう考えるべきか?

◆身の周りでこんなことが起きたら、それは幽霊の仕業?!

◆幽霊にならないために必要なこととは何か?

◆吉永小百合や石田ゆり子が、いつまでも美しいワケは?

◆本当に強い人とはどんな人?その特徴とは?

◆人生の真の勝者になるためには?

☆-☆-☆-☆-☆

【拝聴者の声】

・伝道のきっかけとしての話題作りの切り口にもなるお話だと思いました。(40代女性)

・気をつけないと自分が幽霊になる可能性があるのだと思いました。(50代男性)

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「不況を乗り越える智恵」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

セルシオ初代登場!! ベンツやBMWより良い? 黒澤元治がチェック【Best MOTORing】1989

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二度、三度と失敗を繰り返した人のなかには、もはや勇気が枯渇して出てこないように思っている人もいるでしょう。何度も挫折経験を繰り返した人は、逃げることのみを考えます。

尻のほうから逃げていくこと、後ろに向かって逃げていくことだけを考えるのです。これを、私は「ザリガニ型人生」と呼んでみたいと思います。

田んぼのなかや小川のなかに、ザリガニという、エビに似た生き物がいます。

彼らは後ろに逃げることしかできません。人が来たり、水のなかで魚が跳ねたり、あるいは、石ころを投げ込まれたりすると、その昔に反応して、すぐ、二十センチか三十センチ、後ろにサーッと下がります。

したがって、ザリガニを捕まえることは、そう難しいことではありません。

彼らの十センチか二十センチ後ろに、そっと網を入れておいて、目の前に石ころを一つポトンと落とせばよいのです。そうすると、ザリガニは、みすみす網のなかに入って一巻の終わりとなります。(中略)

「敵は前にばかりいる」と思って、いつも後ろに逃げる傾向のある人は、後ろに網が仕掛けられている場合には、もはや逃れようがないのです。

「目の前に起きることが、自分を害することばかりである」と考えるのは早計です。

そうではなくて、勇気を持って前に進むときに、そこに道が開けることもあるのです。

自分を守ることのみを考え、後ろに下がることばかりを考えていては、真に自分を救うことにはならないのです。勇気ある行動をとることが大切です。

いま、自分自身を振り返ってみて、失敗癖のある人、挫折癖のある人は、よくよく考えていただきたいのです。

おそらく、そういう人は、なかなか決断が下せない、優柔不断の性格なのではないでしょうか。自分自身の意思決定ができないのではないでしょうか。

意思決定ができない上に、おそらく行動に出るのが遅いのでしょう。

「できれば、危険を避けたい。不幸な経験を避けたい。傷つきたくない。人との接触を避けたい」という気持ちが強いのでしょう。

それに輪をかけて、今度は、後ろに逃れることを考えはじめるのでしょう。まるで、ザリガニが水のなかを後ろに向かって逃げ去るように、後ろに向かって進んでいこうとするのでしょう。

このような人は、「勇気を持って前に出ていく」という気持ちを持たねばなりません。(中略)

そのときに、おそらく、ほんとうの意味での失敗というものはないでしょう。

決断、そして実行が大事です。
『成功の法』(幸福の科学出版)P74~78

 

映画「さらば青春、されど青春。」予告編

 


大悟の祭りと『大悟の法』

2018-03-24 01:03:43 | ご法話情報 如是我聞レポート

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3月23日は、通年なら春分の日なのでしょうが、春分の日は、昼と夜の時間が同じ日ですので、今年は3月21日が春分の日でしたね。

3月23日と言えば、幸福の科学的に言えば、「大悟祭」。

大川隆法幸福の科学グループ総裁が、天上界からの啓示を受けたのが、30数年前の3月23日なんですね。

東京大学卒業の春、当時の住み家で、「イイシラセ」という自動書記を受けたのだとか。

霊示を送ってきたのは、日蓮聖人の六大弟子日興(にっこう)上人らしい。

このことは、経典『太陽の法』や『幸福の原理』、そして『若き日のエルカンターレ』に詳しい。

『若き日のエルカンターレ』は、幸福の科学発足から確か3年ほど経過したころに書かれた、大川隆法幸福の科学グループ総裁の自叙伝。

「まだ30歳ほどで自叙伝とは?」と言われるかも知れないが、若き大川隆法総裁の自叙伝は、まっこと真面目な青年であり、閉じ私も若かったが、若い人なりの苦しみをきちんと書いていて、若いのに、世界への責任を自覚したものでないと描けない傑作でした。

もう30年近く前、25歳当時の私は、新進気鋭の宗教家大川隆法の法に惚れまくっていましたが、結局、『平凡からの出発』という作品で、人間としての大川隆法総裁を、「深く信頼できたのだ」と思うんですね。

なぜそういう風に「信頼できた」と想えたのか、今になって振り返ってみるならば、大川隆法総裁が宗教家になる前の、自身のことを語っていた『平凡からの出発』で、語られている人物像が「凄すぎなかったから」だと思うんです。

東大法学部出身で、『太陽の法』などで、あれだけスゴイ教えを説く人が、これほど「凄くない」と言ったら誤解を招くかも知れませんが、御自身を普通の人物として、天才ではなく努力家として語っていらっしゃることに、「スゴイ!」と思ったし、当時の私自身の自分の傲慢さを恥じました。

5月に全国上映される映画『さらば青春、されど青春。」の原作は、『若き日のエルカンターレ』とのことだから、そこらへんの経緯や教えなどは、何らかの形で表現されているでしょうね。

 

大悟の日を記念してか、御法話が開催されるという情報が入りました。

「人はなぜ幽霊になるのか」という、知りたいような知ってしまうのが怖いような演題ですが(笑)、いや、ぜひ知っておくべきことです。

知らずに、幽霊になってしまったら、エライことです。

なになに?「吉永小百合や石田ゆり子が、いつまでも美しいワケは?」

それは知りたい。(爆笑)

ということで本日は、3月25日(日)に開催される御法話情報と、経典『大悟の法』の抜粋をお届けいたします。

             (ばく)

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幸福の科学グループ創始者兼総裁大川隆法先生
「人はなぜ幽霊になるのか」

【開示日】
≪本編[61分]≫
3月25日(日)
【開催場所】
幸福の科学 全国支部、精舎
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◇あなたは大丈夫?こんなにもある幽霊になる条件!

・春のお彼岸の最中である3月21日、主より幽霊に関する御法話を賜りました。

・ホラー映画やドラマではわからない霊的世界の真相が明かされた本御法話は、信者はもちろん、ホラー映画やドラマが好きな方、霊的な世界に興味のある方、百歳まで生きる会層、学生・青年層などにお勧めです。

【Point】
◆幽霊にもタイプがある?生霊も幽霊?

◆ペットとのかかわり方や、ペットの供養はどう考えるべきか?

◆身の周りでこんなことが起きたら、それは幽霊の仕業?!

◆幽霊にならないために必要なこととは何か?

◆吉永小百合や石田ゆり子が、いつまでも美しいワケは?

◆本当に強い人とはどんな人?その特徴とは?

◆人生の真の勝者になるためには?

☆-☆-☆-☆-☆

【拝聴者の声】

・伝道のきっかけとしての話題作りの切り口にもなるお話だと思いました。(40代女性)

・気をつけないと自分が幽霊になる可能性があるのだと思いました。(50代男性)

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人は死んだらどうなるの?~スピリチュアル・ツアー☆霊界編~ 天使のモーニングコール1328回 (2017.03.11,12)

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=142

自分を許せないために、十年も二十年も苦しんでいる人はたくさんいます。

「人間関係で失敗した」「会社で失敗した」「事業で失敗した」「異性関係で失敗した」など、過去の失敗の経験はいろいろあるでしょう。

大勢の人が、さまざまな苦しみのなかで生きているわけであり、この世には、人間の数だけの苦しみと失敗、挫折があるのです。

残念ながら、全員が成功することはできません。ある人にとっての成功は、ほかの人にとっての失敗であることも多いからです。

そのときに、いつまでも苦しみつづけるのは愚かだと思います。

反省すべきことは反省し、今後はしないようにすることです。詫びるべきことは詫び、認めるべき間違いは認めることです。

しかし、一定の期間を超えて長く苦しみつづけることは、愚の骨頂であると思わなければいけません。

法律の世界では、民法でも刑法でも、時効という制度があります。

その理由のなかには、「年数がたつと、債権・債務関係がよく分からなくなる」「証拠がよく分からなくなる」というような技術的なこともありますが、もう一つには、民事であろうと刑事であろうと、「人の記憶が薄れていく」「怒りが薄れていく」ということもあるのです。(中略)

法律にも、そういうものがあるならば、人間の心、自分自身の心においても、一定の時効があってよいと思います。

「この間題については、自分は充分に苦しんだ。もう三年もたったのだから、自分を許そう」というように思うことです。
『大悟の法』(幸福の科学出版)P115~118

 

「さらば青春、されど青春。」予告編

 


それでもなお、寝られない方へ。幸福の科学の不眠症最強ウェポン『反省の原理』

2018-03-23 00:14:12 | 健康・美容

 

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今の私は、とても・・・眠いです。(笑)

決して寝不足ではありません。

昨日の仕事はお休みでしたので、睡眠時間はたっぷりいただきました。

多分、この記事を書こうとしているからだと思います。(爆笑)

さて、幸福の科学に、不眠症に対する最終兵器があるのか?

あるんです。(笑)

それも飛び切り、絶対に寝てしまう、スーパーウェポンが。(爆笑)

それは、幸福の科学発足の年に行われた講演会、「反省の原理」のご法話音声です。

(1987年当時の、幸福の科学講演会の様子。)


いつかのセミナーで、大川隆法幸福の科学総裁は、「反省の原理は、不眠症によく効きます。」とおっしゃっていました。

なぜかと言うと、「反省の原理」ご講演の際に、会場に悪霊がたくさんいたので、悪霊を吹き飛ばしながら講演していたからだそうです。



悪霊が憑いていると、不眠になりやすいのですね。

悪霊というのは、心の波長同通の法則、つまり、似た者同士が集まる法則の下、一緒にいるわけであって、特別なものではありません。

ただ悪霊や憑依霊が憑いていますと、心は落ちつかないし、なんだか冷たくなって、手足が冷えます。

たとえば、冬のおうちで、暖房をつけて過ごしていたときに、寒い外から、家族が帰ってきて家に入ってくると、外から入ってきた人は、冷たくなっているので、そばに近づくと寒いのを感じますよね。

あれに近い感じなんです。



地獄って、基本的に寒いところです。

もしあなたが、死後に「寒いな。」と思ったら、それは地獄です。(^^;

悪霊とか憑依霊は、地獄にいるので、冷たい体をしているんですね。

だから、悪霊や憑依霊が憑くと、冷たく感じますし、実際に冷たいのです。

夏の風物詩である怪談話は、この作用を狙ったものかも知れませんね。



ですから、悪霊や表意霊がいると気温が下がるし、手足も冷たくなるので、不眠症になりやすいのです。

人間は放熱して、体温を下げないと、寝られない生き物だからです。

また、天国霊たちは、神仏の愛を実感していますので、とてもリラックスしていますが、地獄霊や憑依霊はこの逆です。

ですから彼らがいると、寝られないのですね。

しかし法話説法、「反省の原理」は、悪霊を吹き飛ばす、念を含んだ説法なんです。

彼らにとっては、とても嫌な説法です。

で、問題はそこからです。

とり憑いている悪霊憑依霊からすれば、せっかくの宿を追い出されることになりますね。

反省の原理を聞かれると、反省が始まっちゃうからです。

反省すると、悪霊や憑依霊は離れます。

なぜかと言うと、反省ができないのが、悪霊であり、憑依霊だからです。(笑)

「波長同通の法則」という、大宇宙の根源の大法則により、宿主に反省されると、憑いていられなくなるのですね。

で、こういった場合、悪霊や憑依霊たちは、どういう行動に出るか。

宿主に、「反省の原理」を、聞かさないように努力し始めるわけです。

見ざる聞かざる状態にしようとするわけですね。

すると、霊的にアイマスク(見ざる)をさせ、霊的にイアホン(聞かざる)させるのに、最も効果的な方法は何か?

そうです。

宿主を強引に、寝させてしまうことです。(爆笑)

元来私は、寝入りの早いタイプの人間ですが、大川隆法総裁のお言葉を受け、「それじゃぁ一丁、夜に反省の原理を聞いて見よう。」と思い、無謀にもチャレンジしたことがあります。

ご法話テープがなかったので、ビデオ映像でしたが。

しかし・・・・、あははははは、秒殺でした。(爆笑)

くやしいので、何度も何度も試して見ました。(笑)

毎晩布団に入り、テレビが切れるようにタイマーをセットして、「さあ見るぞ。」と意気込んで・・・、でも、法話紹介映像が写り、大川隆法総裁が演台に立って、・・・・・ ・・・・zzzzzzzz (爆笑)

あるときには、「反省の原理」という、映像テロップを見ただけで、zzzzzzzz  (さらに爆笑)

私は諦めました。

夜中に、「反省の原理」を見ることを。(大爆笑)


おそるべし、大川隆法総裁。

このときほど、実感したことはありません。(激爆笑)

大川隆法総裁曰く。(太文字が大川総裁のお言葉。如是我聞)

反省の原理は、不眠症に最適です。心が穏やかなら、光が入りますので、寝られます。

悪霊が憑いていたら、悪霊が聞かすまいとして頑張るので(笑)、やっぱり寝られます。睡眠が十分に取れたら、悪霊を吹き飛ばすこともできます。

「反省の原理」は、書籍化されています。

 経典、『ユートピアの原理』(幸福の科学出版)の第3章にあります。

私はこの講演を、まず最初に文字にて内容を知りました。(爆笑)


「反省の原理」のCDは、まだ最寄の支部にあると思います。

また、DVDもあるはずですので、不眠症にお悩みの方は、ぜひチャレンジしてくださいませ。

また、「私は反省の原理を、夜中に聞いたり見たりできた。」という武勇伝を、お持ちの方がいらっしゃいましたなら、ぜひコメントをくださいませ。(爆笑)

本日は経典『ユートピアの原理』(幸福の科学出版)より、神による創造に関する部分の抜粋をお届けいたします。

              (ばく)

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「反省の原理」抜粋 大川隆法総裁1988年第4回講演会

ARI PRODUCTION PR動画

 

 

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神の発明のなかのいちばん大事なものは何かと言うと、念いによってものを創り、世界を創るという、こうした発明なのです。これが最初のいちばん素晴らしい発明です。

念いということによってものができる。たとえば人霊ができる、地球ができる、星ができる、川ができる、海ができる。あるいは霊界のいろいろな建物ができる、そのなかの景色ができる。これらはすべて念いで創られたものです。念いによっていろいろなものを創ることができるというのが、最初の発明なのです。

この宇宙の叡智は、まず最初の発明として、念いによって世界を創り、物事を創るということを可能たらしめたのです。これが最初の意思です。

第二の意思は何かと申しますと、念いによって創った物事を、時間という流れのなかに入れたのです。それが存在です。存在が発展していくためには、時間という発明がどうしても必要であったのです。この時間というものも一つの発明なのです。(中略)

時間というのは存在が運動していくための形式です。これが時間なのです。存在の運動形式を時間というのです。(中略)

その次に、いったい何を考えられたかと言うと、これの方向性を考えたのです。(中略)

幸福あるいは発展という概念の創造なのです。

この発展と幸福というのは、うらおもてになっているわけです。あるいは発展、繁栄と言ってもいいでしょう。

幸福、発展、繁栄というのはひじょうに近い概念でありますが、この運動形式を与えられた存在に、次は幸福という目的のための発展という方向性を与えられたのです。これが三番目の発明なのです。

実はこの三つの発明によって、この大宇宙は成り立っているのです。

そして、この三つの発明の流れの中に、みなさんの生命もあり、人生もあるのです。
『ユートピアの原理』(幸福の科学出版)(96~102ページ)

 

「さらば青春、されど青春。」予告編


ゾウガメと松潤と『愛、無限』

2018-03-21 22:26:08 | 命の不思議

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私の好きなテレビ番組に、TBSで土曜日、夜9時から放映中の『世界不思議発見』という番組があります。

しかし私には、恥ずかしながら、家庭内チャンネル権がありませんので(笑)、「世界ふしぎ発見』が見られるかどうかは裏番組次第です。(大爆笑)

最近では裏番組で、『嵐にしやがれ』(日本テレビ)をやり初めまして、我が家の女性陣は松潤こと松本潤さんのファンですので、録画してなお放送も見ておりますので、最近では、よほどの幸運がない限り、『世界ふしぎ発見』を見ることができませんし、見るときは、そりゃぁそりゃぁ、とんでもない集中力で見ちょります。(大笑)

その、『世界不思議発見』で、以前、ダーウィンの進化論特集をやっていて、ダーウィンが観察したガラパゴス諸島を、何週間か続けて放送していました。

その特集で私は、ゾウガメを1時間枠で扱っているのを見ました。

 

番組によると、ガラパゴス諸島には、それぞれ生えている植物が違うので、ゾウガメの形も島によって、それぞれ違っているらしいです。
そしてどうやら、それを観察したダーウィンさんは、種の起源のもとになるヒントを得たらしいんですね。

たとえば、地ベタに草の繁えている島のゾウガメは、まあ、皆さんがイメージしているであろう、普通の一般的な形をしています。

しかし、背の高い木や草しか繁えない島のゾウガメは、甲羅の首の所が鞍状にえぐれていて、首を高く持ち上げることができるんです。
これが「進化」だと、一見すればそう思えるかも知れませんし、とにかくも、ダーウィンさんはそう確信したらしい。

しかし、この鞍状の甲羅を持つゾウガメと、普通のゾウガメとは、遺伝レベルでどう違うのかは、今もまだ、良くわかっていないらしいのです。

というのも、彼らの寿命は120歳以上と人間より長生きで、長期の観察が出来ない生き物だからだそうです。
要するに、観察してデータ処理している人間の方が、ゾウガメより早く死んでしまうので、一匹のゾウガメの一生を記録したものは存在しないですし、その子や孫まで、観察することができないからだそうです。

 

番組の最後に、地元のゾウガメの人工繁殖プロジェクトが、幼カメを島に返すシーンが映っていました。

鞍状甲羅のゾウガメの幼体だったんですが、なんとその幼カメの甲羅には、鞍はまだありませんでした。
つまり、生まれた時には、ゾウガメには鞍の形に、違いはなかったんです。

「やっぱりダーウィンの進化論は、生物の適応能力の高さを実証したものなんだぁ。」と思った後、私は凄いことに気付いてしまったんです!!

それは、

「なんでこんな絶海の孤島に、こんなに巨大なカメがいるんだぁ!!」
「彼らは、絶対に泳げないじゃないかぁ!!」

「この子たちは、いったいどうやってこの島々に来たんだぁ!!」
「ダーウィンさん、よっぽどそっちの方が、不思議なんじゃぁないですかぁ?」

っていうことにです。(爆笑) 

そんな重要なことを、全然不思議に思わない、ダーウィンさんの生物学者としての眼は、「全くの節穴」だと、私はその時思いました。(大笑)

本日は経典『愛、無限』(幸福の科学出版)より、「生命が神より分かれて来たからこそ、人間も人生も尊い」ということがよくわかった一節のご紹介です。

             (ばく)

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「人生の苦難に立ち向かう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

Halloween Party For Galápagos Tortoise Seniors

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=755

あの世の存在を信じることは、なぜ大事なのでしょうか。それは、「真実の人生」を生きるために必要だからです。

「人間は、どのような意味を持った存在なのか。つまり、人間とは何なのか。人間は、どこからか来たものなのか。それとも、偶然に生まれたものであり、唯物的に物としてのみ存在するものなのか」という、人間存在の根本に関する理論は、人生の意味や生き方と大きくかかわっています。

そして、「あの世があることを知らない人間は、『真実の人生とは何か』という問いに答えることはできないであろう」と私は考えています。

そのような人の人生は、非常に小さな箱庭のなかで生きているようなものだと思います。

人間は、もっともっと素晴らしいものです。

みなさんも、言葉としては、これが分かるでしょう。また、人間の尊厳ということも、基本的人権ということも、「人一人の生命は地球より重い」ということも、言葉としては分かるでしょう。

しかし、その本当の意味、根底にある意味は、あの世の存在を信じなくては知ることができないのです。

『旧約聖書』を読むと、「神は、単なる砂や泥から、まるで粘土をこねるようにして世界や人間を創った」というようなことが書いてあります。また、「人間の形をとったものに対して、生命の息吹を吹き込んだ」とも書かれています。

まさにそのとおりです。この「生命の息吹」があってこそ、人間は尊いのです。

それがなければ、人間の体は、分解されて土に還ると、土の成分とまったく変わるところがありません。火葬場で焼いてしまえば、一握りの骨と二酸化炭素や水分以外の何ものでもありません。

それのどこが尊いのでしょうか。二酸化炭素が尊いのでしょうか。あるいは、蒸発した水分でしょうか。残った一握りの骨でしょうか。いったい、どれが尊いのでしょうか。

そう考えたとき、「人間を物質としてのみ捉える人間観を持っている人には、人間の尊さを論理的に導き出すことは決してできない」と私は思うのです。

確かに、人間の体は、死ねば土に還る素材でできています。

しかしながら、素材が尊いのではなく、体のなかに宿っている、生命の息吹とでも言うもの、魂とでも霊とでも言うべきもの この存在こそが尊いのです。
『愛、無限』(幸福の科学出版)P11~13


ぶり返す寒さと新文明の予感と『奇跡の法』

2018-03-21 00:14:57 | 気象・天変地異

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今日は、全国で桜の開花が続いた先週の暖かさが、嘘のような寒さとなりました。

東京では、雪が降る可能性もあるのだとか。

「花冷え」とも言われますが、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますのに、むしろまだ、「三寒四温」なんですね。

日は一日一日長くなり、時と共に、温かくなるものと思いがちですが、ところがどっこい、春ほど気温差の激しい季節はありません。

なぜ春は、こうまで温度差が激しいのかというと、気温というのは、日差しや日照時間などに、実はあまり関係がなくて、むしろ、「今現在、どういう性格の気団が支配しているか。」が問題なんですね。

今は、冬から春への移行期で、冬の高気圧(シベリア気団)と春の高気圧(揚子江気団)とが、がっぷり四つで相撲をしているような時期で、シベリア気団が優位ならば寒く、揚子江気団が優位なら、春の装いとなるわけです。

それが、偏西風によって、どんどん入れ代わり立ち代わり、日本上空に訪れるものだから、寒くなったり暖かくなったりを繰り返し、最終的には、日照時間が長くなって、シベリア気団が北極圏に追いやられて、日本は春になり切ると言うわけ。

日本は4つの気団に影響を受ける地理的条件がありますが、そのような国はとても珍しくて、それが故に、はっきりとした四季があり、梅雨という雨季まであって、日本においては、極地と赤道直下以外の気候を体験できます。

しかしこの、はっきりとした四季の移り変わりや、季節の変わり目の大雨や強風などの荒れた天気が、晴れをもたらす高気圧のぶつかり合いや、新旧の高気圧の勢力争いによっておこるのが面白いところです。

私はここに、文明の栄枯盛衰と神仕組みを感じるのです。

日本の歴史においても、たとえば、聖徳太子の時代とか、大きな戦乱がありましたし、大化の改新などでも国は荒れました。

また、平安末期のには源平の戦いがあったり、室町末期には長期の戦国時代があり、幕末期は動乱と呼ぶにふさわしいでしょう。

これらは、ある意味で、古い価値観の時代が終り、新たな文明が興隆する前の、どうしても不可避な混乱であったでしょう。

今テレビを見れば、日本国民の代表が集うと言われる国会は、「公文書改ざん」という、三流国でしか聞いたことのない問題で、事実上の空転状態であって、まぁ、古い政治が最後のあがきをしているようにも見えるし、まるで日本の神様が、「日本国民よ、早う、古い価値観を見限れ。」と、画面を通じて、教えてくださっているように見えなくもない。

安倍内閣の支持率は30%台に落ちていて、内閣発足意以来の危機ではあるが、安倍さん、どうせ辞めるなら、力を振り絞って憲法改正し、日本国の永続への道筋をつけてお辞めになるのがよろしかろうと思う。

ともあれ、季節が変わるように、古い価値観は新たな文明の基軸に、いつか必ず押し切られます。

それは何も、悪いことではなくて、ホント、ただ、新しい季節が訪れるだけです。

新しい価値感は、日本に再誕した仏陀・救世主によって既に説かれて、2千数百冊もの経典となって、世界に流布されています。

5月には、映画作品となって全国上映されます。

その価値観は、「神の心を心として生き、神の願う地上へと進化させていこうと努力することが素晴らしい」という価値観で、本来の日本の美意識とも一致します。

本日は、経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、仏教やキリスト教など、これまで世界の文明の基軸となった思想と、新たな文明の基軸となる思想の根幹を語った一節をご紹介します。

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「人生の意味とは」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

「さらば青春、されど青春。」予告編

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=146

仏教は、創始以来二千五百年たって、かなり化石化が進み、救済力が落ちてきています。キリスト教も、創始以来二千年たって、やはり救済力がそうとう落ちてきているようです。

『聖書』に書かれていることをそのまま守ろうとすると、現代社会では生きていけないようなことが数多くあります。
したがって、「今後三千年の人類史をリードしていけるだけの思想を創る必要がある」と私は考えています。

世界的な大宗教の寿命は、ほぼ二千年から三千年ぐらいであり、その間は、その思想の下に、さまざまなものが繁栄、発展し、新しいかたちの文明ができていきます。

かたちとして目に見えるハードの部分を文明といい、ソフトの部分を文化といいますが、文明や文化は、新しい宗教が基盤となって生まれてきます。

そして、その新しい宗教は、仏神と一体となった指導者が現れたとき、あるいは、預言者が天上界からの指導を受けて仏神の心を伝えたときに始まります。

私は、少なくとも三千年後ぐらいまで、すなわち西暦五〇〇〇年ぐらいまでを射程に入れた新文明の建設が、幸福の科学の使命であると考えています。

その三千年の流れのなかにおいては、数限りない光の天使たちが地上に下り、時代の変化に合わせたイノベーションを行っていくことでしょう。

しかし、少なくとも、その世界文明の基礎になる思想を、三千年の視野を持って創らなければなりません。
幸福の科学という団体は、そのような大きな構想を持った運動をしているのです。

そして、三千年後まで影響を与えるということを一つの視点として持ちながらも、もう少し小さな範囲で、「二十一世紀の国家百年の計はどうあるべきか。二十一世紀の国家建設はどうあるべきか」ということを私は考えているのです。

これは百年ほどで過ぎ去っていく些細な問題ではありますが、三千年の視野を持ちながらも、目先の問題として、少なくとも曾孫の代ぐらいまでについての具体的なビジョンを持つことが、現代に生きる人の使命であると思います。三代ぐらい先まで責任を負うことが現代人の仕事なのです。

私はこれからも、人間の生き方や国家のあり方、世界のあり方について、さまざまな提言をしていくつもりですが、その志は、「未来の文明を創る」というところに原点があるのです。

その点をよく理解していただきたいと思います。
『奇跡の法』(幸福の科学出版)P219~222


少なくとも、卑弥呼の時代から、朝鮮問題はあったはずです。

2018-03-20 00:46:10 | 古代文明

幸福の科学の映画「君のまなざし」のワンシーン(2017年)

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今国会では、森友公文書改ざん問題ばかりが注目されています。

今日本は、コップの中での争いをしている暇があるのでしょうか?

まるで日本に、国難であるとか、国亡の危機などないが如き、政治における時間の使い方ですね。

もしもとある人が、お医者さまの言うことを聞かず、花粉アレルギーが不愉快だから、免疫抑制剤を大量に飲んで、肺炎になったとしたら、どういう対応をしますでしょうか?

それが今の日本の姿なのです。

日本は、常に朝鮮半島からの、永続的な侵攻を恐れていたというのが、歴史を振り返って見える真実です。

不思議なことに、そういう視点があれば、日本の歴史のほとんどが理解できるのです。

歴史というのは、「過去」という亜空間の物語ではなく、「その時折に起きた日常」なのです。

そして、過去の人が、今の人たちと比べて、特別に劣っていたわけでもなく、その時折において、精一杯の判断こそが「歴史」なのです。

そういう視点でもって、有名な卑弥呼の物語を、中国の魏の時代の外交資料、「魏志倭人伝」から読み取ってみたいと思います。



さて古代日本の邪馬台国の卑弥呼外交は、一般的な説としては、「大国魏(ぎ)の後ろ盾を得て、邪馬台国国内をまとめるために使ったのではないか?」と言われることが多いですが、しかし私は、対朝鮮半島国家群向けの外交だと思います。

これは、「遠交近攻」と言って、外交戦略の鉄則中の鉄則で、とてもよい見本と呼べるものです。

そう思うのは、当時の邪馬台国(ヤマトの国の音読み)にとって、遠国「魏」との同盟は、日本国内向けの演出としてはほとんど効果はないのですが、眼を転ずるに、朝鮮半島国家群に対しての効果は絶大だからです。

一般説はあまりにも、「当時の日本は、占いで政治をしていたくらいだから、レベルが低いに決まっている。」という先入観を元に、日本の歴史を見過ぎていると思います。

魏志倭人伝を読むと、邪馬台国の北の国境は、狗邪韓国(くやかんこく)とあります。
ということはつまり・・・、邪馬台国は、その時既に、朝鮮半島に領土を持つ大国だった”可能性”があります。

”可能性”と言うのは、相当弱気な発言ですね。(笑)
字面をそのまま読むと、そういうことになります。(爆笑)

つまり少なくとも、朝鮮半島情勢に合わせて外交をするという、高度な外交価値判断が必要な状況に、当時の邪馬台国は十分に達していたということです。

魏国の公式外交文書である「魏志倭人伝」を、素直な心で読む限りは・・・。



ただ、当時の日本には、”国家”という概念が十分でなかったかも知れませんし、もしくは、機能としての国家が、存在しなかったかも知れません。

当時大陸では、既に”国家”が形成されていました。

ですから日本でも、きちんと国家を形成しない限り、時の流れにおいては危うかったのだと考えます。

パパママストアーが、長い眼で見れば、大手スーパーやショッピングモールにかなわないみたいな感じと、表現すればいいでしょうかね。

ただ、文化圏とすれば、当時の日本は、十分なものはあったはずです。

また恐らく、海洋文明である縄文時代に、既に日本人は、朝鮮半島諸国と交易などの人的交流を、既に相当行っていたからだろうと思われます。

そして、領土かもしれないし、はたまた文化圏なのかも知れませんが、任那(みなま)という日本人居留地も朝鮮半島内あり、朝鮮半島国家群とは、実際には相当密接な関係にあったはずです。

その証拠に、縄文土器や古墳など、日本古来の製品や文化を思わせるものは、古代朝鮮の地層から、結構たくさん出土します。

しかし教科書的には、飛鳥時代にあったと言われる朝鮮半島南部の任那は、今や「日本人の妄想説によるもの」とまで言われ始めています。

しかし縄文時代遺跡を素直な心で見る限り、当時の日本は、沈まぬ舟による高度な海洋文明でしたので、朝鮮半島南部くらいは、当時の日本人にとっては、”向こう岸感覚”だったと思います。

現実的に朝鮮半島南部からは、古墳が発掘されます。
古墳は、”墓”です。

つまり、「古墳」という、死後の遺体を埋葬する機能を持ったものが発掘されるということは、それがたとえその発祥が、いずれの地域であったとしても、その古墳が発見される地域の当時の人々というのは、少なくとも、「古墳の広がっている地域においては、そこで暮らす人々は、死生観を共有していた。」という、明らかな証拠です。

どちらが主要国で・・・とか、古墳の発祥が、どこの国で・・・というのは、古墳が見つかることではわかりません。
しかし、「共通の死生観を共有する地域であった。」ということは確実なのです。

つまり、古墳から導き出される歴史的真実として、古代日本と朝鮮半島南部は既に、同じ宗教を持つ間柄であったことには間違いがないのです。

これらを総合するに、卑弥呼外交は、朝鮮半島内における邪馬台国の、影響力強化や地位確立に、多大なる影響力を、それも相当長きに渡って持ち続けたはずなのです。

「漢の倭の奴の国王」という称号は、魏が存続する限り有効だからです。

見事です。

倭国(日本)の、一人勝ち外交なんですね。

その影響力が、保てなくなったので、その後の時代に、聖徳太子の遣隋使が始まったのかも知れませんよ。

中国では、王朝がコロコロ変わりますからね。(笑)

魏などの漢民族は、本来、海の外には全く興味を持たない、完全な大陸系民族です。
ですから、当時の超大国魏が、九州邪馬台国に攻めて来る危険性はありません。

しかし漢民族は、陸続きならば進入して来ます。
ですから、朝鮮半島諸国はビビリます。

朝鮮半島国家群が日本列島に、いや半島南部の任那にも攻め入ることができなくなるのです。

さて、「漢の倭の奴の国王」という称号の影響は、それだけにとどまりません。
ここからが本題です。(笑)


「魏や、朝鮮半島諸国から見た”倭=邪馬台国”は、九州にある。」対外的には、そう見えます。

中国(魏)や朝鮮国家群からは、そうとしか見えないのですが、そこがミソなんです。(笑)

卑弥呼外交が成功すれば、朝鮮半島国家群は日本や韓半島南部の任那にも入れないばかりか、「ヤマトの国の正規軍を、九州地方に温存しての、奈良への遷都」という、歴史の離れ業が可能だからです。

つまり、卑弥呼の邪馬台国が、九州にあると中国や朝鮮半島国家群に思わせることが重要で、それが、卑弥呼の邪馬台国の正体だと思います。

つまり、初代神武天皇による、奈良に都を移したヤマトの国の囮(おとり)です。

それができれば、平和裏に、ほとんど軍事的行動を起こさずに、奈良盆地へ遷都することができるからです。

というように、日本には「歴史の重み」があります。

それは誇るべきであるし、それは、「他国への配慮」という観点でゆがめるものでもないです。

本日は経典『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、憲法への考え方に言及した一節をご紹介いたします。

             (ばく)

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「前世と運命の秘密」1-2 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

「アンサー」vol.22~学校教科書の歴史観について~【幸福実現党】

『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=113

日本国憲法は、敗戦後の占領下において、日本に主権がない状態のときに、占領軍の人たちが一週間程度で草案をつくり、それを日本語に訳したものに手を入れてできたものです。

草案づくりには、一部、学者も入ってはいましたが、学者ではない人も入っていました。占領下において、外国人が、どさくさに紛れてつくった憲法なのです。

つくった人たちも、「これを日本が六十年以上も守り続ける」とは考えていなかったでしょう。「十年もしたら、国として立ち直り、自分たちの自主憲法をつくるだろう」と思って、とりあえずつくったものだったのに、それが延々と六十年以上も残ってしまったわけです。

なぜかというと、結局、敗戦を契機として、宗教というものが日本から葬り去られ、表の存在から消えたため、日本国憲法を、宗教に代わる“御本尊”か“基本教義”として捧げ奉ってきたからです。

それが、戦後の日本の歴史であったと思われるのです。
そのため、日本国憲法を「不磨の大典」のように考え、決して変えることのできない基本教義のようなかたちにしてしまっています。

「イエスの言葉を改竄したり、仏陀の言葉を改竄したりしてはいけない」ということと同様に、「この憲法は、一字一句、変えては相ならない」というような感じになっているのです。

しかし、「日本国憲法は、そんなに偉い人が書いたものなのか」といえば、そんなことはなくて、雑多な人たちが集まって書いたものであり、内容的にはボロボロで隙だらけの文章なのです。内容には矛盾がたくさんあります。

今流に言えば、六十数年前の敗戦国・日本というものを、現在の北朝鮮のようなものだと思ってつくられた憲法だと思います。あるいは、イラク戦争で敗戦を喫したイラクにおいて、占領軍が憲法をつくるとしたら、こういうものをつくるだろうと思います。

したがって、日本人自らの手によって、憲法を、自分たちの幸福にとってふさわしいものに変えていく必要があるのです。

「硬性憲法だから、なかなか変えることができなかったのだ」という言い方もされますが、それは単なる言い訳にしかすぎません。勇気がなかっただけのことです。自分たちのイニシアチブによって変える勇気がなかったのです。

精神的には、「占領状態のままで、ずっといたかった」という甘えです。「占領状態でいるかぎりは、アメリカが守ってくれる」と考え、「アメリカが言ったとおりにやっているのだから、守ってください」というかたちで、六十数年間、やってきたのです。

しかし、そのアメリカも、今は傾いてきて、唯一の超大国、スーパーパワーから、幾つかある大国の一つになりつつあります。はっきり言えば、「日本のことまで、もう面倒を見切れない」という状況になりつつあるのです。「自分のことぐらいは、自分でどうにかせよ」というのが、アメリカの本音ではないかと思います。

「子供であっても、親よりも大きくなってきたら、自分のことは自分で解決しなさい」ということです。
そういう判断力が日本にないのは悲しむべきことであると、アメリカは見ていると思います。

「占領下において、マッカーサーは日本人の知性を十二歳ぐらいと言った」という話が伝わっていますが、小学生と中学生の境目ぐらいの知性にしか見えなかったのでしょう。しかし、もう大人にならなければいけない時期が来ています。

憲法の内容を分析し、現在の国の状況に適合した新しいスタイルに変えていくべきだと思います。
『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)P31~35


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