幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

体の中の砂漠と、『愛の原点』

2018-03-28 23:11:53 | 命の不思議

  高知県のランキングに参加中です。クリック応援お願いします! 

看護師でもある私が、常々思っていることがあります。
それは、身体は、あまりにも、良く出来すぎているということです。

ですので、生き物が勝手に誕生し、勝手に進化しているとは、とても思えないのです。

生き物は素晴らしい芸術家が、何かを表現したくて、「愛しさ」を秘めて創造したとしか見えないのです。

その「生命を創造した偉大なる芸術家こそ神である」と私は信じて疑わないのです。

さて、生き物には、食べ物を消化・吸収する器官に、小腸がありますが、本日はその話です。 

 
 

最終的な消化吸収器官で、栄養のほぼ全てを、ここで吸収しています。

意外なのですが、実は小腸の中には、ほとんど細菌はいないんですね。
大腸の中にはウジャウジャいるのですが(笑)、もっと栄養豊富なはずの小腸では、ガクッとその数を減らします。

広大な砂漠の中に、時折り生き物がいる。
小腸をイメージするならば、まぁ、そんな感じだと思います。
 
そう、意外ですけれども、演題の「体の中の砂漠」というのは、小腸のことなのです。
 
     ナミブ砂漠のアイドル ミズカキヤモリ

それはなぜかと申しますと、小腸の消化吸収のメカニズムが、深く関係しています。
実は、小腸の中では、「栄養を摂取するギリギリまで、消化しない仕組みがある」のですね。

腸のヒダの奥の奥にある小腸細胞に、触れるか触れないかというギリギリのポイントで、腸液を「ピュッ!!」と出して、粒の大きな栄養素を分解し、「サッ!!」と一気に吸収しているのです。

もう秒殺です。
 
下の画像が小腸のヒダの拡大図ですけれども、このヒダに栄養が触れる瞬間に、酵素を含んだ腸液を出し、一瞬で吸収していて、目にも止まらぬ速さ、神業です。

酵素で大きな糖分などを、一瞬でブドウ糖に変えて、一瞬で摂取しているところが「小腸」なのです。

 

それでなにが起こるかというと、「腸内細菌たちが、食べ物を食べることができない」のですね。

身体の小さな腸内細菌にとっては、消化酵素入りの腸液に触れる前の食べ物は、栄養の粒が大きすぎて食べられないのです。
 
たとえば、一口サイズのお肉なら一口で食べれますが、牛一頭丸のみはできないように、腸内細菌も、摂取できる大きさというものがあるわけです。
 
食べ物をじっくり食べていることができず、ただ「食べ物が小腸細胞に吸収されていく姿を、指をくわえて見ていることしかできない。」という訳です。
我々はそういう小腸の機能でないならば、食べた食べ物がすべて腸内細菌に食べられてしまって、飢え死にしてしまうのですね。
 
こんな超際どい作業を、小腸の細胞はしているために、ものすごく負担が大きいのでしょうね。
小腸細胞の平均寿命は、な・・・なんと、約1週間だと言われています。

ですから、小腸から発生するガンというのは、ほとんどありません。
ガンというのは、何年越しもの、慢性疾患でして、小腸の細胞はガンになる前に、寿命を終えているからです。
 

そして身体も、その小腸の栄養吸収システムを維持するために、膨大な予算を計上していて、基礎代謝の約半分は、この消化吸収と、小腸細胞の入れ替えに費やされています。

そうでもしないと、小腸内で栄養を腸内細菌に食べつくされて、母体の方が栄養失調になるからです。

生物の体って、本当に良くできている、否、「良く出来過ぎている」ということの実例です。

こんなこと、偶然にはできやしませんよ。
絶対に。
 
しかも、この奇跡のような構造が、「当たり前である」ということです。
「当たり前である」から、あんまりありがたくないかも知れませんけれども、この「当たり前」という前提が崩れたら、「誰も生きてはいけない」という厳粛な事実だけは享受していただかなければなりません。
 
生き物は、神様がお創りになったんです。
そうに違いありません。 
私はそう思います。
 
進化論信奉者の方、どうか反論してみてくださいませ。
 
本日は、経典『愛の原点』(幸福の科学出版)より、「当たり前のできごとや環境って、ありがたいことなんだなぁ。」と思えた部分の抜粋をお届けいたします。
 
           (ばく)

  ランキングに参加中です。クリック応援お願いします!

「取り越し苦労をやめよう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

映画「さらば青春、されど青春。」メイキング映像

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=145

人間の血や肉となる、こうした食物の事実そのものに着目してみたいと思います。

なぜりんごはおいしいのですか。なぜトマトはおいしいのですか。なぜキャベツはおいしいのでしょうか。

なぜ魚の身がおいしいのでしょうか。なぜ牛や豚が食用に通しているのでしょうか。

エネルギーを得るということだけが目的であるならば、彼らはおいしいということを前提としていなくてもよいはずです。活動のエネルギーになるというだけであるならば、そうしたことは、なくともよいはずです。

しかし、人間の食用に供される彼らは、おいしさというものをまとって現れてくるのです。ここにもまた、一つの愛があると私は思うのです。

もし、感謝なき人間に食べられることを、トマトが嫌だと思うならば、彼らは食用に適さないような味を伴って出てくることも可能なはずです。

もし、牛や豚が、人間の食用に供されることを永遠に拒否しつづけるとするならば、彼らの肉そのものが人間の舌に合わないようなものになることは可能なはずです。しかし、事実はそうなっていないのです。

彼らも、生命を断たれるときには、それなりの悲しみはあるでしょう。

しかしながら、彼らは、人間の食用に供されるという、その運命を抱きしめつつ生きているということ、そして、そのなかには、単に運命を抱きしめつつ生きているだけではなく、みずからの身を喜んで差し出しているものもあるということ、こうした事実にみなさんは気がつかなければならないのです。

やはり、愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いなのです。

植物や動物にも、そうした思いはあるのです。彼らもまた愛のエネルギーなのです。

このようなことを考えたときに、みなさんは、みずからのあり方というものを反省せざるをえないはずです。振り返らざるをえないはずです。

人間を取り巻く万象万物は、人間を生かし、はぐくむために、常にその場を提供し、常にその生命を提供し、常にそのエネルギーを提供しているのです。
『愛の原点』(幸福の科学出版)P50~53

 

映画「心に寄り添う。」

 


ゾウガメと松潤と『愛、無限』

2018-03-21 22:26:08 | 命の不思議

  高知県のランキングに参加中です。クリック応援お願いします!

私の好きなテレビ番組に、TBSで土曜日、夜9時から放映中の『世界不思議発見』という番組があります。

しかし私には、恥ずかしながら、家庭内チャンネル権がありませんので(笑)、「世界ふしぎ発見』が見られるかどうかは裏番組次第です。(大爆笑)

最近では裏番組で、『嵐にしやがれ』(日本テレビ)をやり初めまして、我が家の女性陣は松潤こと松本潤さんのファンですので、録画してなお放送も見ておりますので、最近では、よほどの幸運がない限り、『世界ふしぎ発見』を見ることができませんし、見るときは、そりゃぁそりゃぁ、とんでもない集中力で見ちょります。(大笑)

その、『世界不思議発見』で、以前、ダーウィンの進化論特集をやっていて、ダーウィンが観察したガラパゴス諸島を、何週間か続けて放送していました。

その特集で私は、ゾウガメを1時間枠で扱っているのを見ました。

 

番組によると、ガラパゴス諸島には、それぞれ生えている植物が違うので、ゾウガメの形も島によって、それぞれ違っているらしいです。
そしてどうやら、それを観察したダーウィンさんは、種の起源のもとになるヒントを得たらしいんですね。

たとえば、地ベタに草の繁えている島のゾウガメは、まあ、皆さんがイメージしているであろう、普通の一般的な形をしています。

しかし、背の高い木や草しか繁えない島のゾウガメは、甲羅の首の所が鞍状にえぐれていて、首を高く持ち上げることができるんです。
これが「進化」だと、一見すればそう思えるかも知れませんし、とにかくも、ダーウィンさんはそう確信したらしい。

しかし、この鞍状の甲羅を持つゾウガメと、普通のゾウガメとは、遺伝レベルでどう違うのかは、今もまだ、良くわかっていないらしいのです。

というのも、彼らの寿命は120歳以上と人間より長生きで、長期の観察が出来ない生き物だからだそうです。
要するに、観察してデータ処理している人間の方が、ゾウガメより早く死んでしまうので、一匹のゾウガメの一生を記録したものは存在しないですし、その子や孫まで、観察することができないからだそうです。

 

番組の最後に、地元のゾウガメの人工繁殖プロジェクトが、幼カメを島に返すシーンが映っていました。

鞍状甲羅のゾウガメの幼体だったんですが、なんとその幼カメの甲羅には、鞍はまだありませんでした。
つまり、生まれた時には、ゾウガメには鞍の形に、違いはなかったんです。

「やっぱりダーウィンの進化論は、生物の適応能力の高さを実証したものなんだぁ。」と思った後、私は凄いことに気付いてしまったんです!!

それは、

「なんでこんな絶海の孤島に、こんなに巨大なカメがいるんだぁ!!」
「彼らは、絶対に泳げないじゃないかぁ!!」

「この子たちは、いったいどうやってこの島々に来たんだぁ!!」
「ダーウィンさん、よっぽどそっちの方が、不思議なんじゃぁないですかぁ?」

っていうことにです。(爆笑) 

そんな重要なことを、全然不思議に思わない、ダーウィンさんの生物学者としての眼は、「全くの節穴」だと、私はその時思いました。(大笑)

本日は経典『愛、無限』(幸福の科学出版)より、「生命が神より分かれて来たからこそ、人間も人生も尊い」ということがよくわかった一節のご紹介です。

             (ばく)

  ランキングに参加中です。クリック応援お願いします!

「人生の苦難に立ち向かう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

Halloween Party For Galápagos Tortoise Seniors

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=755

あの世の存在を信じることは、なぜ大事なのでしょうか。それは、「真実の人生」を生きるために必要だからです。

「人間は、どのような意味を持った存在なのか。つまり、人間とは何なのか。人間は、どこからか来たものなのか。それとも、偶然に生まれたものであり、唯物的に物としてのみ存在するものなのか」という、人間存在の根本に関する理論は、人生の意味や生き方と大きくかかわっています。

そして、「あの世があることを知らない人間は、『真実の人生とは何か』という問いに答えることはできないであろう」と私は考えています。

そのような人の人生は、非常に小さな箱庭のなかで生きているようなものだと思います。

人間は、もっともっと素晴らしいものです。

みなさんも、言葉としては、これが分かるでしょう。また、人間の尊厳ということも、基本的人権ということも、「人一人の生命は地球より重い」ということも、言葉としては分かるでしょう。

しかし、その本当の意味、根底にある意味は、あの世の存在を信じなくては知ることができないのです。

『旧約聖書』を読むと、「神は、単なる砂や泥から、まるで粘土をこねるようにして世界や人間を創った」というようなことが書いてあります。また、「人間の形をとったものに対して、生命の息吹を吹き込んだ」とも書かれています。

まさにそのとおりです。この「生命の息吹」があってこそ、人間は尊いのです。

それがなければ、人間の体は、分解されて土に還ると、土の成分とまったく変わるところがありません。火葬場で焼いてしまえば、一握りの骨と二酸化炭素や水分以外の何ものでもありません。

それのどこが尊いのでしょうか。二酸化炭素が尊いのでしょうか。あるいは、蒸発した水分でしょうか。残った一握りの骨でしょうか。いったい、どれが尊いのでしょうか。

そう考えたとき、「人間を物質としてのみ捉える人間観を持っている人には、人間の尊さを論理的に導き出すことは決してできない」と私は思うのです。

確かに、人間の体は、死ねば土に還る素材でできています。

しかしながら、素材が尊いのではなく、体のなかに宿っている、生命の息吹とでも言うもの、魂とでも霊とでも言うべきもの この存在こそが尊いのです。
『愛、無限』(幸福の科学出版)P11~13


神が創り賜うた鈍足非力な人間と「幸せを呼ぶ祝福の心」

2018-03-08 22:18:22 | 命の不思議

 100m走日本記録(9秒98)保持者 桐生祥秀選手

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします!  

私は看護師で、人様のお身体を拝見するお仕事をさせていただいていて、日々「人間は神様が創り賜うた」と実感しております。
 
「生き物は偶然現れ、偶然と偶然が重なって、より高度な生命体へと進化した」とする、ダーウィンが発表した進化論で、数多く語られる論調では、「人間は、二足歩行ができるようになって進化した。」と、よく言われます。

しかし、果たして二本足歩行は進化なのでしょうか?
 
「弱肉強食、生き馬の目を抜くが如きの野性の中で、二足歩行を果たして進化と呼んでいいのか。」この説を説いている方、また信じている方に、私は問いたいです。

人間の走る最高速度は、時速40㎞足らずです。

多くの犬は時速60km台で走ります。
カバだって、あの巨体で、時速40kmは平気で出ます。

人間の走る能力は、事実上、自然界一の鈍足です。

しかも先に書いた『最高時速40km』という記録は、100mを9秒台で走る人の話です。 
 
人類の中でも選ばれた、ごくわずかな人が、人生のひと時の中で、ほんの一瞬出せる速度でさえ、人類は自然界最鈍足なんですね。

ちなみに私は、人類の中でも、かなり鈍足の部類ですけど・・・。(爆笑)


人間は、なぜ足が遅いのか? 
答えは簡単です。 
 
二足歩行だからです。
二本より四本の方が、速く走るには圧倒的に有利です。

足が遅いこと、これは、自然界においては致命的です。
逃げられないし、エサを採れないからです。

もしも、二足歩行で速度く走ろうとすれば、カンガルーやダチョウのような、足と、身体全体の構造でなければなりませんが、現実はそうはなっていませんよね。
 


また、腕力も自然界最弱です。

有名な動物タレントの チンパンジーのパン君が、5歳の時の握力は50kgありました。
チンパンジーの平均寿命は約50歳ですから、実年齢は人間と同じと思ってよくて、つまり、5歳のチンパンジーは、人間の5歳児と変わらないと考えてよいです。
 
つまり、チンパンジーでは、5歳の子供ですら、握力50kgあるわけです。
ちなみに私の握力は、そんなにありません(笑)
私は、見掛け倒しの非力な男です。(爆笑) 

生物界で最も足が遅く、最も非力で、夜目が全く利かず、泣く子を抱えて生きるのが人間です。
しかも膨大な酸素を消費する、大きな脳を持った人間は、最低で4時間もの睡眠時間を必要とします。
野生動物の中で、それほどの睡眠時間を必要とする動物はいません。
 
これでは、野性の中ではいいカモです。
すぐみつかりますし、食べられ放題です。
 


このような鈍足、そして非力だと、きっと人間は、知恵が身に付く前に滅んでしまうでしょう。

以前書いた記事と、結論が同じになってしまいますが、「人間は、自然界から自分たちを守るために、社会の中で生きることを前提に創られている」としか、弱肉強食の自然界で生き延びることができないのです。
 
つまり、進化論が正しいのであれば、人類は社会を形成し、地上で主流の位置に立つ前に、絶滅しているはずです。
生き物単体の寿命は数十年と短いので、環境の変化や、突然変異や、自らの進化を待っていられないからです。
 
特に人間は、他の動物と違って、とても貧弱に生まれるし、出産年齢まで育つのに、時間を要するために、多くの子どもを残せません。
 
人間が自然界でも生きていけるのは、『社会』を築いているからです。
 
 
ですから、現在そうなっていないのであれば、「人類の発祥時には、ある一定の数がいて、地上に出現した時点で、すでに、社会を築いていないといけない。」ということが言えるのです。 
 
「人間は、社会の中で生きることを前提に創られた存在である。」
 
これが、生物界をつぶさに観察して得られる『真実』となります。 
誰も見たことのない「ダーウィン的進化」は、やはり幻影なのです。
 
つまり、生物界最弱の人間が、万物の霊長として威張っている事実こそ、「創造論=生命は神が作り給うた。」という、厳然たる事実の確固たる証明なのです。
 
本日は、経典『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁による、説法の一節をご紹介いたします。
 
         (ばく) 

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします!  

「幸せを呼ぶ祝福の心」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

世界最強の動物ランキングベスト10

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=136

「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉は、「法を説く人がいるときには、その人の説く法に従いなさい。法を説く人が亡くなったときには、その人が遺した教えに従いなさい」ということを意味しています。

これは、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」という、仏教の教えです。

仏教では、昔から、「仏陀(ぶっだ)が生きているときには、仏陀の教えに従いなさい。仏陀が地上を去ったときには、仏陀の遺(のこ)した法に従って、各自が自分で心に灯をともして生きていきなさい」と教えているのです。

ある言葉をそのまま字義どおりに受け取ることは簡単なのですが、それでは往々にして誤解することがあります。

真剣に教えを求める気持ちがあるならば、きちんと指導者につくべきです。そうしないと分からないことがあるのです。

「仏・法・僧」の三宝に帰依することが大事です。

仏とは、仏陀、悟りたる人のことであり、法とは、仏陀の説く教えのことであり、僧とは、仏弟子の集団、サンガと、そのルールのことです。

信者になって、サンガに帰属すれば、自分には分からないことを周囲の法友たちが教えてくれるようにもなります。

それにもかかわらず、「私は自分独りで悟りますから」と言う人は、「独覚(どっかく)」(師なくして独りで悟り、目覚めること)の悟りを目指すことになるわけですが、その悟りは、ある程度のところ以上には行きません。

やはり、信者となってサンガに帰属し、指導者の下で法友と共に学んでいくほうがよいのです。
『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)P141~143


「骨は折れて治って初めて完成する」心も同じだと思います。

2018-02-21 00:45:05 | 命の不思議

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします!

私は男性ですけれども、看護師を職業としています。

人呼んで、「白衣のペ天使」です。(爆笑)
それも手術部という、血なまぐさい世界で生きております。

「人の生き血に手を染めて、やばい薬を動かして、命のやり取りの日々」でございます。(笑)

そんな日々の中で、人さまの体を、内側から毎日毎日見ておるのです。
きも~って思わないでくださいね。(笑)

私たちは、同業者以外の方のことを、「堅気(カタギ)の人」と呼びます。(笑)
ちなみに、私の妻は堅気の人です。(笑)
私の妹は10年ほど前に、足を洗いました。(爆笑)

私たちの身の回りには、刃物が沢山あります。
私たちは、刃物の取り扱いに長けています。
そしてこの業界に長くいると、血を見ると落ち着くようになります。(笑)

私たちは、赤い回転灯とサイレンのついた車に乗った人たちと、とてもご縁の深いお仕事です。(笑)
私たちは、あのサイレンの音が近づくとドキドキします。
もうホント、怖くて怖くて仕方ないです。(笑)

だってその後には、密室での取り調べで、ねほりはほり色々聞かれますし、体中あちこち調べられます。
その取調べは、嘘は通用しなくて、決して、ごまかしは効かないんです。(笑)

ちなみに、私たちの業界の禁句は、「いらっしゃいませ~。」と、「またどうぞ!!」と、「まいどありぃ~。」です。(爆笑)

以前同僚と飲みに行った際、そこのお店のママさんに、「お兄さん方、とても機嫌の良い人たちだけれども、何のお仕事なさっているの?」と質問されて、

「いやぁ、人の生き血に手を染めて、やばい薬を動かして、命のやり取りの日々ですわぁ。あーははははは。」とお答えしたところ、周りのお客さんがみ~んな帰っちゃって、ママさんを不機嫌にしちゃったことがあります。(爆笑)

こんな人間が、世間では医療者をしておりますので、皆さんご自分の健康は、ご自身で管理なさってくださいね。(爆笑)

さて、人の体は真に不思議で、神様がお創りになったとしか思えない、数々の不思議な事柄に満ちております。

たとえば、折れた骨が治ったところ、「骨折線」と言いますけれども、その骨折線は、もう二度と折れないんですね。

すごく硬い骨に変化するんです。
ある意味これは、「骨は折れて、治って、初めて完成する。」とも言えるんですね。



私は、「心」も同じだと思うんですよ。

辛く悲しく苦しいできごとがあると、心は痛み傷つきますが、努力して乗り越えて、経験と知恵を得ることで、それを乗り越え、しかも二度とその苦しみを味わうことがなくなる訳です。

結局これが、悟りの意味だと思うんですね。

その時に大事なことは 『正しく治す』ことです。
骨も必ずひっつきます。

必ずひっつくんですが、変な形にひっつきますと、後で痛んだり、グラグラしたりしますね。

心も同じです。

正しく治さないと、変なカルマ(業=心の傾向性)になったり、トラウマになったりします。

さて、医学には、基本的な3つの学問があります。


1.解剖学 = 身体の正しい仕組み
2.生理学 = 身体の正しい働き
3.病理学 = 病の状態と、その仕組み  です。

お医者様は、これで人を診、治療している訳です。

また、心も同じです。

 https://happy-science.jp/info/2017/26991/

「心も、折れて治って完成する。」そして、心を治すには、正しく治す必要があると思うのです。
そして「心を正しく治すには、正しい心の 解剖学・生理学・病理学を持つ宗教が必要だ。」ということも重要なことです。

幸福の科学は、心の解剖学・生理学・病理学 が完全に揃い、しかも日々の心の健康生活まで踏み込んだ、世界で唯一の宗教だと思うのです。

他にも良い教えはたくさんありますけれども、この3つが現代的な形で揃っているは、幸福の科学だけだと思うのですね。

偉大な信仰との出会いに、心より感謝申しあげます。

本日は、幸福の科学大川隆法総裁経典『釈迦の本心』(幸福の科学出版)より、心の調律に重要な、「視覚情報の処理」について語られた一節です。

これは伝統仏教的に言うならば、八正道の「正見」の現代的な説明と言えると私は考えます。

         (ばく)

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします!

 

太陽の昇る国、日本 天使のモーニングコール1376回 (2018.2.10,11)

 

 

 http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=151

 人間の悩みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目が見えなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。

欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによって、しだいに欲望がつのってくるのです。

したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるい分けしていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。

そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、みずからの内に深く深く入っていく必要があります。

そして、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったくの他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の眼で批判的に検討してみるのです。

この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということにかかわってきます。ある人がある行為をしたとき、それに対する見方は人それぞれです。

たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。

その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼はたいへんやる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。

しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社してまもないのに、大言壮語し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。

ここが見方の分かれるところなのです。

この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。

その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。

そうした原因を見いだしたならば、それを取り除いていく必要があるのです。
『釈迦の本心』(幸福の科学出版)P66~69


最強ダーウィンスナイパー(笑)ゆかいな「カモノハシ」の物語

2018-01-16 23:39:50 | 命の不思議

  高知県のランキングに参加中です。クリックして応援お願いします!

このブログは、幸福の科学の地方布教ブログですけれども、時折、進化論に対して、アンチキャンペーンをやっております。
私は看護師ですので、生物学のほうは、一応素人ですけど、力の続く限り、見解の尽きるまで、頑張ってみようと思います。

カテゴリー「命の不思議」でお伝えしたいのは、「生命は創られたものだ。」ということです。

宇宙も生命も、偶然などで出来上がっているわけではなく、おおいなる意思によって創られた、意味ある存在だということをお伝えしたいのです。

さて本日は、対進化論最大の『刺客』を紹介します。

刺客と言っても、とってもプリティーな生き物です。

その名は、『カモノハシ』です。 

このカモノハシ、何から何まで変わった生き物として有名です。

ほ乳類なのに、卵を産みます。(笑)

卵を産むのに、卵から生まれた赤ちゃんをお乳で育てます。(爆笑) 

 カモノハシの卵

カモノハシの授乳の様子

このカモノハシ、その名の通り、カモのようなクチバシがあるのに、な~んと肉食なんですね。
あのクチバシの形は、水面に浮かんだエサを食べやすいようにできているはずなのに・・・です。 

ちなみに、カモノハシの排泄機能は、鳥のようにオシッコとウ●チが、一緒の穴から出ます。

哺乳類では、カモノハシが唯一の単孔排泄です。

そしてミミズ、カニ、小魚、まぁ、自分より小さな生き物は何でも食べちゃう、見かけによらぬ悪食です。(笑)

また、オスの後ろ足には鍵爪があって、何に使うかわかりませんが、そこから毒まで出ます。 



オーストラリアの淡水に住み、カモノハシ科カモノハシ属カモノハシという、他の生き物とは、全く繋がりを持たない、唯一の孤立種です。

哺乳類なのに卵生で、哺乳類なのにカモのようなクチバシを持ち、カモのようなクチバシなのに肉食で、水鳥のようなミズカキを持つ。

そして、天敵のいないオーストラリア住んでいるのに、毒まで持っている。

はたまた訳のわからぬ、可愛いヒットマンです。(笑) 

進化論者は、このカモノハシの存在を、どう説明付けるのでしょうか?
カモノハシに対する進化論的な見解、私は聞いた事ないですねぇ。 

多分、説明できないですねぇ。(笑)

さて、実はと言うと、カモノハシが発見されたのは、ダーウィンが、「種の起源」を出版する直前なんですね。

ダーウィンさんは、カモノハシの存在を、知らなかったんでしょうか?

だったら、真理を追究するのに必要な、科学的な根拠が片手落ちであります。

それとも、知っていて見解を出さなかったのでしょうか?

それでしたら、ダーウィンさんの、真理を追究する者としての資質を私は疑います。

真理とは、誰から見ても、どこから見ても、いつ何時見ても正しいことです。

カモノハシを進化論で説明できない限り、この仮説は真理ではありません!!

このカモノハシ君。

きっと、進化論などという邪説がはびこることを予見した神様が、急ごしらえで創造したに違いない!!と私は考えています。(笑)

だってあまりにも、「そこら辺にある材料で、作りましたぁ!!」的な、匂いを感じる生き物なんですもの。(爆笑) 

それでは本日は、2月3日(土)開催される大川隆法幸福の科学グループ総裁の宮﨑講演会のお知らせと、経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、宇宙と生命の創造に関する一節をお届けいたします。

      (ばく)

  ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 

 

 

大川隆法講演会サイト(https://ryuho-okawa.org/sp/mission/lecture/20180203

 

☆大川隆法総裁先生 第1回講演会☆  

「情熱の高め方」

 

日時:2月3日(土)13時~

 

会場:宮崎県都城市総合文化ホール(本会場)および、全国支部・精舎にて衛星中継 

 

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11    

 

TEL:088-882-7775 

高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7   

TEL:0889-26-1077 

高知朝倉支部〒780-8062  高知県高知市朝倉乙988-11   

TEL:088-850-7774 

高知四万十支部〒787-0012  高知県四万十市右山五月町2-22 

TEL: 0880-34-7737 

世界で注目のハッピーサイエンス ブルガリア国営放送での紹介1/2

 

ゆかいなカモノハシ オーストラリア シドニー水族館

 

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153

私は、第1章において、宇宙の創造と地球霊団の成立の歴史を語ってきました。その成立過程からもわかるように、いわゆる天地の創造とは、高次元のものが、下次元のものをつくってゆくという歴史だったのです。

つまり、超高次元の根本仏の意志により、各次元に、つぎつぎと高級大霊がつくられる。そして、恒星意識、惑星意識が誕生したあと、大宇宙大霊の内部にひとつの異変が起こり、それが、三次元宇宙のもととなる。

そこから、やがて三次元空間に星ができ、星団ができ、それぞれの星、あるいは、各太陽系において、九次元以下の人格霊の生活空間ができてきた。そういうことなのです。

わが太陽系においても、地球を中心とする霊系団は、まず、九次元宇宙界層ができました。

そのあと、八次元如来界(金剛界)ができ、七次元菩薩界(聖天上界)、六次元光明界、五次元善人界、四次元幽界(精霊界および、地獄界)が完成したのです。

各次元に対応するこの次元構造は、もちろん、ほかの宇宙空間にもあります。しかし、九次元世界は、各星団の霊界とつながっているけれども、八次元世界以下は、それぞれの星に固有の霊界として発達していることが特徴です。

こうしてみると、通常、ひとことで、魂と呼んでいる各人の生命体は、はるか高次元の根本仏が、下位レベルで発現したものであることが明瞭となります。

つまり、根本仏とは、あなたがた以外の別のところにある他者ではなく、あなたがたを存在せしめているところのひとつの高次の意識体なのです。

ですから、あなたがた自身も、仏の意識体の一部であり、仏の自己表現のあらわれの一部だということができます。

つまり、根本仏は、自己表現の一端として、大宇宙をつくり、大宇宙のなかに住む生命体をつくり出したのです。

それは、根本仏の意識の反映です。

ですから、根本仏が大宇宙の存続を望まなくなれば、この無限にも思える三次元宇宙空間は、ある日、忽然とその姿を消してしまいます。

ましてや、あなたがた人間の生命体も、仏が自己表現の意志を放棄すれば、たちまちにして、あとかたもなく姿を消してしまう、はかない存在なのです。

しかし、このはかない存在でもあるあなたがた個人の生命体も、仏の意識体の一部であるという意味においては、非常に高度な存在だといえます。

ですから、あなたがたは、自分自身が仏の一部であり、仏の自己表現の一端をになっていることに、誇りと自信をもつべきなのです。

これこそが、魂の真実です。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P70~72


イヴは一人じゃないよ。

2017-12-27 23:48:13 | 命の不思議

 

  ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

もう亡くなってしまいましたけれども、私が担当させていただいている地区に、Tさんという生物の学者さんがいらっしゃいました。

誰でも知っている関西の大学の教授を定年退官し、病気をなさったのを期に、故郷で晩年を過ごされていました。

まだご家族の方が地域にいらっしゃって、「名前とかが分かるのはちょっと・・・。」と仰るので、「Tさん」と明記させていただきますが、Tさんに生物に関することを質問するのは、私にとってとても楽しい一時でした。

Tさんは、「今の生物界は、残念ながら、ダーウィンの進化論を基軸に動いている。」ということ、「学者とは、真実の大海で溺れそうになりながら、悶え進んでいるサルのようなものだ。」とか、「神様からの宿題が、人間ごときに、易々と解けるはずはないですよ。」と、門外漢の私に教えて下さったのを思い出します。

信仰なくば、立場や仕事が違えば語らうご縁もなく、いろんな方にお会いする機会もないでしょうから、「信者組織ってありがたい」と常々思う次第です。 

さて最近はDNAの研究が盛んで、検査や治療の分野だけでなく、犯罪捜査にも、大きな物的証拠として過去の冤罪や、容疑を固める上での重要な位置づけをされてきましたね。 

 まぁ、ある意味では、DNA万能論が世の情勢です。
「DNAが人間の本質だ。」と、おっしゃる方もいらっしゃいます。 

が、DNAは設計図でして、DNAに関しては、これ以上の説明はありません。 

設計図だったらば、それを書いた誰かがいるはずですね。
それを『神』と呼ぶのです。
これほどわかりやすい説明はないです。

21世紀以降、世界で協力し、各国が分担して解明していたDNAに関する、国際プロジェクトが終了しました。

それによって、メインのDNAの解明が一段落し、今新たな分野である、ミトコンドリアDNAの研究が進みはじめました。

ミトコンドリアは、細胞内での酸素の取り込みや代謝に関わる細胞内の細胞です。

要するにミトコンドリアは、細胞に寄生する細胞なのです。

ですからミトコンドリアのDNAを調べると、細胞の中での、酸素を使っての代謝に関する情報がわかります。 


このミトコンドリアDNAの面白いところは、完全な母系遺伝なところです。

つまり父方との交わりなく、遺伝情報ごと、母親からゴッソリ頂く訳です。
要するに生き物というのは、父親が誰であろうと関係なく、代謝に関しては、全て、母親からの影響を受けてるんですね。

この特徴を生かして、現代人の民族の源流を探る動きがあります。
その説明を、以前テレビ放映していたのを見たのですが、『ミトコンドリアDNAをたどると、最終的には、アフリカに生まれた一人の女性にたどり着く』って言ってました。

「アチャー。」と私は、頭を抱えました。(笑)

「理系頭脳の人って、こんな風に、理に適っていない事を、平気な顔して言っちゃうんだなぁ。」って。(笑)

その一人の女性のことを、ミトコンドリア・イブって言うそうです。
そう言えば、映画とか、最近ではゲームの題名にもなったような気がします。 

 

調べてみたら、パラサイトイブでした。(笑) ↑

いくらかっこいい名前を、付けたってダメです。そういう、「たった一人の女性から、人類は始まった」み~たいなぁことは、絶ぇ対にぃ~、ありえないのですね。

簡単です。シミュレーションしたらいいんです。

 ではいきますね。

さあ、ミトコンドリア・イブさんが、突然変異して生まれました。
無事成人して大人になりました。


さあイブさんは誰と結ばれて、その後の人類の繁栄の礎になったんですか??????  (^^)

周りの方々はまだ、ホモサピエンス(現代人)ではありませんよね。(笑)

そうでしょう?

「たった一人の女性から生まれた」でしたらね。(爆笑)
遺伝の法則から言えば、例え性的に交われたとしてもですよ、子孫はできないのですよ。
万一子孫ができたとしても、遺伝法則から言えば、生まれた子供は、ホモサピエンスではありませんよね。

そうなんです。

この理論だと、ミミズやカタツムリのように、雌雄同体で自己増殖するしか、可能性はありません。 

それ以外だと、聖母マリア様のように処女懐妊する以外は、ミトコンドリア・イブから、現代人が生まれる可能性はゼロなのです。

 

ある意味で、まだ聖書の創世記の方が、ずっと説得力があるんです。

生き物というのは、最初からまとまった数が存在しているはずなんです。
なぜならば、男女、オスメスという繁殖システムがあるからです。

オスメスがある一定以上いないと、その後に拡がらないんですよね。

だから、創造論の方が正しいと思うのです。
ちょっとシミュレーションしたら、進化論的なことが無理なことは、私の知性でもわかっちゃうんです。

ですので、ミトコンドリア・イブ信奉者とか、進化論を信奉している学者さんとかは、現実的視点を持たない夢想家だと思います。

「ばくちゃんさん、科学者っぽい、一見カシコそうな言論には、騙されてはいけませんぞ。」と、生前T教授からもご指導いただきました。

ということで本日は、私の生物学の師Tさんに感謝し『進化論―150年後の真実』――ダーウィン/ウォーレスの霊言(幸福の科学出版)のまえがきとあとがき、および一部抜粋をお届けいたします。

経典『黄金の法』によると、ダーウィンは思想的誤りによって、無間地獄にいるということで、無間地獄とは、神の子としての思想犯が行く、地獄の隔離病棟的なところらしいです。

              (ばく)

  ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

進化論―150年後の真実/大川隆法著 (2012年8月) 幸福の科学出版

#4 創造論と進化論PartⅠ「化石の研究はダーウィンの進化論を崩壊させた」(字幕付き)

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=775

まえがき
 本書は、『幸福の科学』が、「宗教」であると同時に、「科学」でもあることを証明する一書であろう。
 私たちは明らかに、人類の秘密、地球の秘密、世界の秘密、神の秘密に陸続と挑戦し続けている。
 「宗教」対「進化論」の対立は、十九世紀から二十世紀にかけて、世界を二極化する大きな対立構造となった。ウォーレスの時代には、現在の新興宗教の扱いだった「科学」が、今では中世の教会のように、「宗教」を圧迫、迫害しつつある。ダーウィンの「唯物論的進化論」は、マルクスを狂喜させ、政治経済面で共産主義・社会主義となって、全地球を侵食した。またニーチェをして「神は死んだ」と叫ばせ、神に代わる超人としての「ヒトラー」をも出現させた。百五十年の歳月を経て、今、日本の教育の根本にあるガン細胞を、ここに摘発する

『進化論―150年後の真実』――ダーウィン/ウォーレスの霊言(幸福の科学出版)P1~2

 (約五秒間の沈黙)
ダーウィン (咳をする)ウウウ、ウ? アアー。アアー、ウー。

綾織 ダーウィンさんでいらっしゃいますか。

ダーウィン アー。ハア。

綾織 話は可能でしょうか。

ダーウィン うーーーん、うーん。うーん。

綾織 日本語は大丈夫でしょうか。

ダーウィン うーーーん。うーーん。うーーん。分からん。(舌打ち)分からん。

綾織 何が分からないのですか。

ダーウィン 分からない。分からない。何もかも分からない。分からない。

綾織 あのー……。

ダーウィン 分からない。

綾織 すでにご自身が亡くなっているということは、お分かりでしょうか。

ダーウィン ああ?うー、うーん。ずいぶん時間がたったような気もするから、まあ、そんなに長生きできる人はいないかなあ。ということは……。

綾織 あなたは一八八二年にお亡くなりになりました。

 今は二〇一二年、ここは日本でございます。

ダーウィン うん、まあ、そういう仮説も成り立つ……かなあ。うん。(中略)

綾織 ダーウィンさんは霊界におられたと思うのですが、本日、日本の宗教団体である幸福の科学の大川隆法総裁が、あなたをお呼びになりまして、今、東京でお話を伺っている状態です。

ダーウィン うーん。日本の生物を調べてないなあ……。もうちょっと日本の生物を研究しなくてはいけない。うん。

綾織 今も、いろいろと研究をしている状態なのでしょうか。

ダーウィン うん、そう。そら、そうですよ。人生はもう「永遠の研究」ですよ。研究に研究を継がなければいけない。

綾織 今は、どういう方面に関心を持って研究されているのでしょうか。

ダーウィン うん?

綾織 どういう方面の研究を中心的にされているのでしょうか。

ダーウィン うーん、なんだかねえ。ここはどこなんだろうねえ。うーん、ボルネオ付近の洞窟のなかにでも落ちたのかなあ。虫を調べているうちに落ちちゃったような感じかなあ。なんかねえ、閉じ込められちゃったんだよなあ。

綾織 あなたの周りは暗い状態なのですか。光がなかなか射してこないのでしょうか。

ダーウィン うーん、なんだか、洞窟みたいなんだよなあ。

綾織 ということは、独りでいらっしゃる状態なのですね。
『進化論―150年後の真実』――ダーウィン/ウォーレスの霊言(幸福の科学出版)P38~43

あとがき
 進化論の誕生には、ダーウィンとウォーレスという二人の生みの親がいたことを、多くの日本人は知らないだろう。歴史に「IF」が許されるなら、「心霊主義」と「進化論」の両立を信じて疑わなかったウォーレスの名において、現在まで「進化論」が語られていたなら、かつての「ソ連邦」も現在の「中華人民共和国」もなかったはずである。
 ダーウィンとウォーレスのどちらが正しかったかは、両者の霊言を読めば判るだろう。もちろんウォーレスである。
 私は今、エル・カンターレの名において、歴史の流れを逆流させようとしている。キリスト教会で言われ続けてきた「偽預言者」は、「キリストの再臨」を名のる者ではなく、「科学者」を名のる者の中から出て来たということだ。間違った学問認識は正さねばならない。これもまた、正しい「科学」の立場である。
『進化論―150年後の真実』――ダーウィン/ウォーレスの霊言(幸福の科学出版)P200~201

 


6本足の天使たちと、ミッシングリンクのミステリー。

2017-07-14 00:45:47 | 命の不思議

雲母(きらら)が演じた天使 映画「天使にアイムファイン」のワンシーン ロケ地は四国徳島吉野川 

  お陰様でベスト10入りできました。これからも応援クリックお願いします!

先日白いオタマジャクシと、『偶然』という名の神。という演題で記事を書きましたところ、思いがけずご好評いだだきました。

「ばくちゃん、さすが看護師じゃ。生き物関係は強いのぅ。」と。

そうだと信じたいと思います。(爆笑)

進化論は仮説です。なぜなら実証されたことがないからです。 

推測理論だけで、まだ証明されていないんですね。

 

進化論が仮説である所以(ゆえん)が、いわゆるミッシングリンク(失われた鎖、または、失われた架け橋)があることです。

つまり、進化論が証明されるためには、ヒトになりかけの、サルがいないといけないし、鳥になりかけの、恐竜がいないといけないし、蛙になりかけの、魚がいないといけない訳なんです。

少なくとも、化石レベルにおいて、確固たる中間種が存在しないといけないです。

そのミッシングリンクの中で、最大級のモノが昆虫です。
昆虫の定義は、体が頭と胸と腹の3つに別れ、足は6本、羽が4枚ある節足動物です。
トンボ、蝶、コガネムシなどですねぇ。

実は私、虫がとても苦手でして、昆虫大好き少年だった小さい頃の長男と、虫取りに行くのは本当はとっても嫌でした。(苦笑)

家でゴキブリが出ると、私はひるみます(笑)
妻や子供たちにも笑われます。(爆笑)

対ゴキブリ用兵器としての私は、『永遠の秘密兵器』と呼ばれています。
その心は、、、『使えない』でございます。(爆笑)

さすがの私も、ゴキブリだけは、神さまの美意識を疑ってしまいますね。
「ゴキブリはきっと、地球発祥の生き物ではない」と、私は考えています。(笑)

さて、あまり知られていないのですが、昆虫の共通の祖先と言われているのが、シミという虫です。
古い本などでよく見られる、ジミ~な虫です。 

 (シミ)

さて、3億年間と言われる昆虫の出現ですけど、この昆虫のご先祖様と言われるシミの出現から、トンボなど一般的な昆虫が登場するまで、いったいどれくらいの期間が必要だったと思いますかぁ?

6000年ですよ!!
6000万年ではありません。たったの6000年です!!(笑)

たとえるなら、人間がエジプトでピラミッドを造っていた頃にシミは出現し、そして今いきなり、トンボが飛び始めるイメージをして下さい。 

そりゃぁもう、ビックリ仰天ですよねぇ。(笑)

 

トンボの祖先、メガネウロプシス・ペルミアーナ。(3~4億年前の石炭紀)体長60cmだが、立派なトンボです。

長い生き物の歴史の中では、6000年というのは一瞬です。
生き物の歴史を振り返るとき、それは全て、一瞬に完成形が出現し、繁茂する歴史です。

シミが現れ、6000年後にトンボや蝶、そしてコガネムシなど、一般的な昆虫類はほぼ全てが揃い、その後は、トンボならトンボの形態が少し変化するだけという、完成形出現の歴史的事実のオンパレードなんですね。

考古学をつぶさに学んで行くと、人間なら人間、トンボならトンボが突然出現するんです。 

生き物の出現は、すべてがそういう風な出方なのです。

ですからどこにも、人になりかけのサルなんていません。 

完成形しか、出てこないからです。 

レンジでチンすれば出てくる、冷凍食品のような出現です。(笑)

もう魔法ですよ。魔法。 

現在も、そして過去においても。 

何度も言いますが、メダカはメダカ、フナはフナなんですね。

この生き物の歴史を見る限り、大いなる存在(神様)が生き物をつくり、地に広めている事実を、受け入れざるを得ないと思います。 

 蝶の仲間も、3億年前に出現して以来ほとんど変化はありません。

蝶の種類が増え、蝶が蝶として、ほんの少し形を変えただけで、蝶は昔っから今の今まで、蝶は蝶のままなのです。 

「蝶はこの世に出現して以来、ずっと蝶だったし、これからもずっと蝶のはずだ」というのが、考古学から見える真実なのです。

完成形しか、今も昔もいないからです。

 コガネムシ(カブトムシもコガネムシ科)も同様です。

昆虫は、生きた化石でもあるのです。

よく昆虫は、幼虫→さなぎ→成虫と変体することが知られています。
しかしそれだけではありません。

バッタや鈴虫のように、変体せずに幼虫から成虫に、大きさだけが変わるものも多いです。

 トンボやセミ、蚊などは成虫になる直前の瞬間に、一瞬だけ、さなぎになっているらしいです。 

でないとオカシイです。

トンボがヤゴから羽化する場面を見ましたけれども、体の大きさだけでなく、頭や目の大きさが全く違うトンボがヤゴから出てきました。

一瞬で、ヤゴからトンボが創造されているとしか思えない一瞬でした。



このように、昆虫業界はとかく種類が多くてややこしいのですが、全種に共通することがあります。

それは、生物の母と呼ばれる海に、彼ら昆虫類の生存した痕跡が全くないことなんです。
今現在も、そして過去においても・・・。

卵からイモ虫として生まれ、さなぎとなって一時期動きを止め、6本足で羽の4枚ある海中生物は、古今東西どこにもいないんですね。

進化論が正しいのなら、どこかにいてほしいのです。

クモやムカデの類は、その痕跡があるのですけど、現在主力の昆虫類に関しては一切ありません。

しかし、化石として昆虫が出現するのは、陸上生物ではもっとも最初なんです。
昆虫類は、海を経ずして、突然現れた生物としか思えません。

 古代生物一例 どこにも昆虫の定義に入るものは存在しない。

よく、「先に陸上に進出した昆虫類を追って、両生類たちが云々・・・」って、よく解説があったりしますが、これは大嘘ですよ!!

海中には、昆虫類が生息した痕跡はないからです。

古今東西、どこにもそのような事例はございません!

先に陸上に進出した昆虫類を追って、両生類たちが云々・・・は、想像であり、空想なのです。

想像が、科学ですか?

事実をつぶさに追うと、昆虫は陸上に、突然出現しているのです。

何の前触れもなくです。

 

神様が、すべてをお創りになったという創造論の方が、事実から推測すると現実的になってしまうのです。 

つまり、創造論的視点の方が、むしろ現実的で科学的であり、進化論的な視点の方が、むしろ迷信的で妄想的なのですね。 

どちらも実証のできない、いわゆる信仰の世界ですのでね、実証的な方を選択する方が、科学的な生き方なんじゃないでしょうかね。

少なくとも、医療者の端くれである私は、常にそう考えているんです。 

このブログでは、今後もその実証を、できるだけ実例をあげて、今後も皆様にご紹介できればなぁと思っています。

本日は、物理学の分野で、日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川博士の霊言、『湯川秀樹のスーパーインスピレーション』――無限の富を生み出す「未来産業学」(幸福の科学出版)から、一部抜粋をお届けいたします。

                       (ばく)

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします!   

https://ryuho-okawa.org/info/2017/1556/

 

【参加受付中】8/2「大川隆法 IN 東京ドーム」 千眼美子(清水富美加)出演決定!  

夕闇に響く鈴虫の優しき秋音色〜日本の音旅 信州安曇野松川町〜

  https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1087 

私はねえ、今の物理学の最先端は、宗教とそんなに変わらないような気がしてるよ、本当はね。(中略)

ただ、(宗教が)嫌いなような言い方もしているけど、例えば、「ビッグバン」みたいな説を唱えたらさ、みんな信じちゃうんだろう?(中略)

そんなの、もう、宗教の世界だよ。

本当は、誰も確認なんかしてはいないけど、まあ、ある人の仮説だよな、仮説。(中略)

まあ、インスピレーションはあったかもしらんけど、仮説だよな。見たこともないのに、みんな、それを信じるだろう?(中略)

それから、タンパク質からコアセルベートができて、それがアメーバになったり、藻類が出てきたり、植物ができたり、なぜか知らんが動物も出てきてね、魚類が出てきて、両生類や爬虫類が出てきてさあ、それからチンパンジー、類人猿が出てきて、人間になったなんていうのを、まことしやかに、「百パーセントの真実」であるかのように伝えてるじゃないか、学問としてさ。(中略)

「見てきたのか」っていう、なあ?(中略)「それを本当に見てきたのか」って。(中略)

それは、ない、ない。(中略)「仮説」だよな。「仮説」なんだよ。あくまでも「仮説」なんだよ。(中略)

「それ以外、原因が考えつかないから」ということだよ。その意味では、宗教をバカにする権利はないわなあ。

そのくらいだったら思いつく人は、世の中には、ほかにもいるからなあ。(中略)

だから、みんな、科学っていうのを、「実験科学風に証明ができるもの」っていうふうに考えて、「『証明できるもの』、あるいは、『反証可能性があるもの』こそ科学だ」っていう言い方をするけども、現実の科学のフロンティアは、必ずしもそうではないんだよ。

科学のフロンティアは、もうほとんどが「イマジネーションの世界」だし、「想像の世界」だし、「空想の世界」だし、それがちょっと固まって、「仮説の世界」だわなあ。

それを間違えて、すぐ、「実験科学的なものが科学だ」と思ってるんやったら、私たちのように根本的な基礎物理学をやっているような人間は、みんな科学者としてはクビだわ。

それは、もう、「妄想の世界」で生きてるようなのがほとんどのものだからさ。

『湯川秀樹のスーパーインスピレーション』――無限の富を生み出す「未来産業学」(幸福の科学出版)(P42~47)


ランキングに参加中。