幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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マツダデミオ(初代)「人々の、ニーズに応えた救世主」

2020-02-25 23:45:53 | 自動車から見える日本と世界
マツダデミオ(初代 1996年発表)
 
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本日も幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越し下さり、本当にありがとうございます。
ここのブログサイトは、その名の通り、高知の幸福の科学信者による共同ブログですが、時折、自動車偏愛主義者の代表編集長の私(笑)の趣味の領域を活かして、自動車関連記事をお届けいたしております。
 
テーマは、「自動車が日本や社会に与えた影響」がメインでして、ここ最近では、トヨタからヤリス、ホンダからフィットという、とても力の入った小型車が発表になりましたので、記事にしてみると面白いものができそうなんですが、しかし忘れてはならないのは、ここが布教ブログでもあることです。
そう、新車情報だけでは布教に結びつかないのが、この手の記事を大量生産できない泣き所でもあるわけですね。
 
しかし、「一見布教に無関係と思われる自動車記事から、一体どのような、布教に結びつく内容が創造されるのか」。
それが、幸福の科学高知なかまのぶろぐの醍醐味のひとつでもあるんです。(爆笑)
 
ということで本日のお題は、1996年にマツダから発表された「初代デミオ」に、スポットを当ててみたいと思うんです。
当時、バブル期に販売チャンネル多角化が大失敗し、倒産寸前だった苦境のマツダを救った救世主とも言われる「初代デミオ」。
さて、この小さな実用車から、どのような内容の、幸福の科学の布教記事が生まれるのでしょうか。(笑)

実はこの初代デミオちゃん、私、所有していたことがあるんです。
そういった意味で、とても思い入れのある作品なんですね。
 
あれは、長男が生まれてしばらくのこと、高知の仲良しの信者さんから、「僕の友達がマツダに勤めてちょって、今度、ぢばさんセンターでフェアをやるき、悪いけんど、見に行っちゃってやぁ。どうやら集客のノルマがあるらしいきぃ(土佐弁)。」とお願いされたんです。
 
私は自動車好きですが、実は当時の私は(とっても失礼な言い方で、申し訳ないのですが)マツダ車には全く興味がなくて(笑)、デミオが発売になっていたのは知っていたのですが、「なんや、ブサイクな車やなぁ。(笑)」としか思っていませんでした。
また当時乗っていたスズキのアルトにも、別段不満もありませんでしたし、私はスポーツカーが好きですから、「RX-7やロードスターを触れたらいいな。」ぐらいの軽い気持ちと、お仲間の信者さんの顔を立てて、家族でフェアの行ってみたんですね。
 
フェアの現場では、いろいろ見て回って、実車にも乗り込んで、楽しい気分を味わっていたのですが、デミオを実際に見ると、「これ、CMのテレビ映りが悪いよね。」という感じで、結構かわいいスタイルでした。
そして嫁さんがシートに座ったときに、「これよ、これ!」と一発で気に入ったんです。
 
それは私も同感で、「おお、まさしく、これじゃぁ!」と唸ってしまいました。
そして全くのノーマーク、買う気ゼロ以下、半分冷やかしで来たマツダのフェア(笑)で、まさかまさかの商談が始まっちゃったんですね。
 
何が私たち夫婦の心をつかんだかと言いますと、デミオちゃんのシートが、とてもしっかりしていたからなんです。
というのも、当時の私たち夫婦は、長男が生まれて以降、ひどい腰痛に悩まされていたんですね。
 
体重も増えていましたし、日に日に重くなる子供の体重、そして慣れない育児で、二人とも腰を痛めていたんですが、デミオはマツダの中で最も安い商品であるにも関わらず、シートがしっかりして、座っても全く腰が痛くなかったんです。
これには関心、いや感動しました。
 
そして室内も、おつりがくるくらい広く、シートアレンジも多彩でどのようにも使え、トランクも広いだけでなくて、実用的な高さがありました。
当時使っていたベビーカーが、「折りたたまずに、立てたまま格納できる」という、高い機能性には驚きましたし、横方向にしゃがめば、大人が楽々座れるくらいの荷室スペースがありました。
 
初代デミオの全長は、たったの3.8mしかありません。
車幅は、1.65mだけです。
今のデミオの全長は4m越えですから、今のデミオ(4代目 現・マツダ2)より、一回りは小さいんです。
今の我が家には4代目のデミオがありますが、4代目の車内には、初代のような、おったまげるほどのスペースの余裕はありません。
 
初代デミオのサイズは、軽でなければ、最も小さい部類のサイズですが、小型乗用車で家具クラスのものが詰める使い勝手の良い日本車は、おそらく後にも先にも、この初代と、初代の開発コンセプトを受けついだ、2代目デミオだけだろうと思います。
 
初代デミオの内装は、プラスチック感がモロで、ドアなどは外ボディと同色の鉄板が向き出しで、安っぽさと言ったら、そりゃぁハンパなかったですが(笑)、「どうにでも使ってくれ!」という、ある意味での潔さが伝わってきましたし、子育て中で「きれいに乗れる可能性は、限りなくゼロの時代(笑)」である当時の私たちには、むしろ気兼ねなく、どうとでも使える気軽さが、安心感につながったのです。
 

ということで、侮れぬ優れたシートと使い勝手の良さで買った初代デミオでしたが、動力性能も必要かつ十分、そして燃費も15㎞/Lは余裕で走りましたので、当時としては優秀です。

様々な方面で、飛び抜けたコストパフォーマンスの商品でした。

マツダが苦境の時に発表された初代デミオは、徹底的にローコストで短期間開発をされたことから、車体の主な部分は、先代のフェスティバからの流用です。

そう、初代デミオは、先代フェスティバ(フォードブランドで販売)の、車体デザインを大幅に変えただけの作品なのですね。

ですから初代デミオの基本設計は、実はものすごく古いんですが、日本経済がバブル絶頂のころ開発されたフェスティバは、とても丁寧な作り込みがされていたのです。

ですので、その基本骨格を受けついた初代デミオも、商品としての基本性能は、とても高いものだったのですね。

ボディが強いのは、乗るとはっきり自覚できました。

ただ今から思うと、とてもやかましいヤツでした。(笑)

元来軽自動車からの乗り換えなので、私たちはあまり気にしていなかったのですが、友人がデミオに乗ったとき、「この車、ディゼルエンジン?」と聞いてきたので、「えっ、自動車って、もっと静かなの?」と答えて、笑われたのを覚えています。

遮音材をケチったからなのか、基本設計の古いOHCエンジンを、無理やり4バルブ化したからか、ガシャガシャという音が車室に入って、いつも車内では、皆大声で会話していました。(爆笑)

 

「フォード フェスティバ 初代」の画像検索結果

初代デミオの前身 フォード フェスティバ

さて、デミオの一見ブサイク(失礼)なデザインは、お洒落なフェスティバの車体骨格で、無理やり高い実用性を持たせたが故に、少しバランスを欠いていたのかも知れません。

ただ実車を見ると、そのブサイクさが、かえって可愛らしく見えるから不思議なのですが、これは実用性を突き詰めたが故の、ある意味での『機能美』が備わっていたのでしょうね。

初代デミオは、マツダの期待を上回るヒットとなり、RJCカーオブザイヤー(1997年)を受賞し、これによりマツダは息を吹き返しました。

5代目、通称赤いファミリアの時もそうでしたが、ピンチの時に、大ヒット作を出して苦境を乗り切るのがマツダのお家芸と言えばそれまでですけど、もしあの時、初代「デミオ」が生まれなかったら、おそらくマツダというメーカーは消えていたと思われます。

しかしなぜそれほどまどまでに、初代デミオは売れに売れまくったのでしょうか。

それはやはり、「特定ニーズを、独占したから」ではないでしょうか。

世の中には様々なサービスがありますが、それが市場に提供される前提には、そのサービスを必要としているニーズがあります。

そのニーズを満たす分だけ、市場にはサービスが提供できるわけです。

自動車においても、「スタイルがカッコイイのが良い。」とか、「スピードが出るのじゃないと買わない。」とか、「燃費が悪いのは問題外。」とか、購買者は様々なニーズを持っているわけです。

そこで、「小さくて、きちんと走り、コストパフォーマンスに優れ、とにかく実用性が高く、実際に使えるのが欲しい。」というニーズだってあるわけです。

当時これを叶える商品は、日本の初代デミオと、2002年発表のフランスのルノー カングーしかなかったわけですね。

ルノー カングーも、デミオ同様、高い実用性を売りに、世界中で大ヒットしました。

「ルノー カングー」の画像検索結果

ルノー 初代カングー(フランス 2002年発表)

ですから、「小さくて、きちんと走り、コストパフォーマンスに優れ、とにかく実用性が高く、実際に使えるのが欲しい。」という、割り切った実用主義を求めるニーズのシェアを、日本では初代デミオが独占できたわけです。

デミオは3代目からおしゃれ路線に舵を切りましたので、現在のところ、初代デミオのような、超実用主義車が存在しません。

マツダに余裕があれば、今のマツダ2を使って、初代のような楽しい作品を出していただければとは思います。

さて今世界を取り巻く状況を見ると、潜在的な大きなニーズに至ります。

それは、「宗教紛争の解決」です。

宗教紛争が解決しなければ、人類の文明は、次のステージには進めないからです。

宗教紛争は、人類は宗教の違い、つまり、肌の色の違いや、民族の違いや、生まれ育った環境の違いによって、営々と争いを続け、憎しみの連鎖をくり返し、増幅させる大きな要因です。

その大きなニーズ「宗教紛争を解決」を成すには、幸福の科学大川隆法総裁の教えの普及が、どうしてもどうしても必要なのです。

それ以外、「宗教紛争の解決」を達成できる思想・信条・信仰の体系がないからです。

また幸福の科学大川隆法総裁の教えは「宗教紛争の解決」というニーズからくるシェアを、独占できる教えでもあるわけです。

また、「世界の中の日本」そして「宇宙の中の地球」といった、現代的な科学的知性を持つ人であっても、ごく自然に、神や仏、死後の世界を信じられるというのも、幸福の科学大川隆法総裁の教えの、オリジナリティーがある、大きな特徴のひとつです。

この「現代的知性を土台にした信仰心」というニーズも、今後、未来に向けて、もっともっと大きなものになってくるでありましょう。

ということで本日は、Liberty webより、先日開催された四国観音寺市での御法話『法力を身につけるには』関連記事をご紹介いたします。

             (ばく)

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モナコ国際映画祭 最優秀作品賞を含む4冠達成!映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』
 
マツダ 初代デミオCM集

「コロナを死滅させることも可能」 大川総裁が香川で講演会「法力を身につけるには」

 

「コロナを死滅させることも可能」 大川総裁が香川で講演会「法力を身につけるには」

講演する大川総裁。

大川隆法・幸福の科学グループ創始者 兼 総裁が22日、香川県観音寺市のハイスタッフホールで、「法力を身につけるには」と題して講演を行い、約1300人が詰めかけた。

講演の模様は、同グループの中継網を通じて、四国や近畿、中国地方にも中継された。

中国発の新型コロナウィルスの影響で、日本でも全国的にさまざまなイベントが縮小・中止される中、会場にはマスク姿の参加者も散見された。

『中国発・新型コロナウィルス感染 霊査』

『中国発・新型コロナウィルス感染 霊査』

大川隆法著 幸福の科学出版

冒頭、大川総裁は「(マスクは)実際全然要りません。(中略)コロナウィルスを死滅させることも可能です。そういう法力を持っております。だから全然気にしないで、治しに来たと思った方がむしろいいかもしれません」と語った。

総裁は2月中旬、コロナ問題を霊的に調査した書籍『中国発・新型コロナウィルス感染 霊査』を発刊。同著では、なぜコロナが中国で広がったのか、感染拡大は何を意味しているのか、など、中国の人々も知らない衝撃の真実が記されている。

「古代からあった学問というのは宗教のことです」

大川総裁は、これまでに説法3000回以上、公開霊言・リーディング1000回以上行ってきた。これだけを見ると「スピリチュアル」な印象を強く受けるかもしれないが、在家時代には、東京大学を卒業し、商社の財務部門で働き、ニューヨーク勤務も経験したエリートだった。こうした神秘性と合理性を兼ね備えた教えが、幸福の科学の特徴の1つと言える。

講演で総裁は、現代の日本の教育界に、宗教への偏見があることを指摘。日本の学問や西洋の哲学も宗教から始まっているとして、「古代からあった学問というのは宗教のことです。(中略)学問の根本をたどれば宗教的真実がそこにはあるのです」と言及した。

熱心に耳を傾ける参加者たち。

「人々の幸福を望むような国になっていただきたい」

講演の話題は、5月公開の映画「心霊喫茶『エクストラ』の秘密」(製作総指揮・原作 大川隆法)や、近年のアカデミー賞作品、そして国際情勢にも及んだ。

続けて、コロナの感染拡大によって、情報統制を強めてきた中国の問題が浮き彫りになっていることや、水面下では台湾や香港の考え方を受け入れる方向に動きつつあることに触れ、中国、そして、日本人に対し、こう呼びかけた。

巨大な隣国には、もうちょっといい国になってほしい。お金だけ儲けて日本に撒きに来ているだけ、というのでは寂しすぎる。私たちは、もはやエコノミックアニマルじゃありません。(中略)大国になったら、倫理を守る、人々の幸福を望むような国になっていただきたい。そのぐらいの意見が言えないようでは、本当の友人とは言えないと思います

中国での感染拡大は不幸な出来事かもしれない。

だが中国は、中国共産党が軍隊(人民解放軍)を持つ軍事独裁国家である、という前提は変わらない。多くの国民が自由を奪われ、精神的・肉体的な苦痛を受けながら奴隷化されている。日本は今、そんな中国に対して、「NOと言える日本」に生まれ変わることを求められている。

講演では、この他にも、以下のような多くの論点が語られた。

  • 昨年10月公開の映画「世界から希望が消えたなら。」が38カ国で35の賞を獲得。
  • 幸福の科学の映画に込められた思い。
  • 法力を身につけるための、最初の段階とは?
  • 自分のことしか考えない人の特徴。
  • 他の人を善導し、助ける「法力」について。
  • 最終的に、超自然的な法力を高める力とは?
  • アカデミー賞受賞作品「パラサイト 半地下の家族」について。
  • 「自分はどういう人間か」を知る方法。

ここに紹介したのは法話のごく一部です。

詳しくは幸福の科学の施設で、ぜひご覧ください(下記参照)。

・幸福の科学サービスセンター Tel:03-5793-1727

 火~金/10:00~20:00 土日祝(月曜を除く)/10:00~18:00

・同グループサイトの支部や精舎へのアクセス

 http://map.happy-science.jp/まで。

【関連書籍】

『中国発・新型コロナウィルス感染 霊査』

『中国発・新型コロナウィルス感染 霊査』  大川隆法著 幸福の科学出版

【関連記事】

2020年2月10日付本欄 新型コロナウイルスの真実を「霊査」 感染拡大の背景と「対策」は?

https://the-liberty.com/article.php?item_id=16800

2020年2月12日付本欄 新型コロナウィルスで日本企業に打撃 国内回帰・内需拡大に舵を切るチャンス

https://the-liberty.com/article.php?item_id=16805

大川隆法総裁 プロフィール

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は2,900回を超え(うち英語説法130回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,500書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「光り合う生命。-心に寄り添う。2-」(ドキュメンタリー・同年8月公開) 「世界から希望が消えたなら。」(実写・同年10月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020 年公開) など、18作の劇場用映画を製作総指揮・企画しているほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている。

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。


ホンダCR-XのFF最終革命と、成功体験の積み重ね。

2020-01-07 23:07:23 | 自動車から見える日本と世界

 「CR-X」の画像検索結果

ホンダ バラードスポーツ CR-X (FF 110馬力)

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このブログは、その名の通り、幸福の科学の高知信者による布教ブログですが、ときおり自動車関連記事をお届けしております。

地元の信者さんからも、「それって編集長の趣味なんじゃね?」というお声も聞かれるのですが(爆笑)、いやいやこう見えて、自動車というのは、極めて社会性の強い商品ですので、「自動車から見える社会」というのは、全く外れがないのです。

たとえば、自動車販売台数の推移というのは、その地域や国家の実態の経済指数というものが隠せません。

なぜならば、自動車は高額で、しかも、衣食住のように、「絶対に買わなければならない商品ではない」からです。

ということは、庶民のお財布が厳しければ、真っ先に買い控えの対象になるのは、自動車なわけですね。

ですので、いくら政府が数値をいじって「史上最長の好景気じゃ!」と言い放っても、たとえば以下の統計グラフのように、「2008年から自動車販売台数が横ばい」ということは、日本の実質経済というのは、「2008年から横ばいだ。」ということがいえますし、2年連続で自動車販売台数が2桁ダウンの中国市場は、「とんでもない不景気が続いている。」ということが言えるわけです。

ということで、政府に消費増税後の軽減税率をちらつかされて、政府主導の世論誘導の景気報道をせざるをえない日本の言論界の意見よりも、またもとより言論の自由がなく、政府のいいなりの中国マスメディアの現代版大本営発表よりも、自動車販売台数を見た方が、遙かに実体経済がわかるのですね。

 

国内新車販売台数の増減率 https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_car-newsales-japan

ということで、本日のお題は、1983年に発表された、ホンダのバラードスポーツCR-X(以下CR-X)です。

私はどうも、小さな車が大好きでして、性能を出すのも、また利益を出すのも大変な小さな自動車のことが知りたいし、小さな作品の多い日本車が大好きです。

このCR-X、その後発表になった名車、3代目シビックシリーズ、通称ワンダーシビックをもとにした小型スポーツカーのような印象を持たれていますけれども、この作品の歴史をひもといていくと、どうやらスポーツモデルのCR-Xが最初に開発されたらしいです。

つまりよくある、「汎用セダンのパーツを使って云々」のスポーツモデルではなくて、後の大量生産モデルのシビックは、スポーツカーをもとに作られたファミリーカーだったわけです。

なぜ当時のホンダは、「まずスポーツモデル開発」をしたかというと、「理想的な次世代小型車を作りたかったから」らしいのです。

つまり、理想的な小型車となると、当然ながら「燃費が良い」ということが重視されますが、となると、「軽量で空気抵抗が少ない方が良い」ということで、CR-Xがまずできあがったのだとか。

CR-Xは、当時のホンダが考えた、新時代の小型車のパイロットモデルであり、パイロットモデルを市販し、市場の動向を探ろうとしたのがCR-Xだったわけです。

 

さてホンダがF1に2度目の参戦を果たした1983年に、CR-Xがデビューしました。ホンダはモータースポーツの頂点にチャレンジする一方で、50マイルカー、つまり燃費約21km/Lをコンセプトに、世界最高の超低燃費車をめざしたもので、一見ホンダらしい両極端の取り組みに見えます。

しかし現実には、燃費の悪いレーシングカーは勝てないのですね。なぜならば、レースは究極の高効率の世界だからです。

今ホンダはF1に参戦し、2019年は3勝を勝ち取りましたが、F1のパワーユニットに搭載されるエンジンの熱効率は50%を超えます。

通常の市販車のエンジンは、最高がトヨタのダイナミックフォースエンジンが41%で大体が30%台です。

ですからレースやラリー、またスポーツカー作りというのは、一見すれば浪費に見えて、効率を研究する上で、大きな知見を得られる分野なのです。

おそらく当時のホンダは、当時のレースで培った技術や知見を、よりよい市販車に取り組むことを、ホンダらしく原理主義的に突き詰めた結果、CR-Xを開発し、そして、それに続くワンダーシビックの誕生につながったはずです。

エクステリアデザインは、FF車とは思えない低ボンネットを実現し、当時として世界トップクラスのCD値0.33です。CD値というのは空気抵抗係数で、車長が長い方が有利ですが、全長4mに満たないCR-Xで0.33は驚異的です。

このデザインの実現のために当時のホンダは、エンジンをはじめトランスミッション、サスペンション、ラジエーターなど、すべてのコンポーネンツを新設計しましたので、開発コストは膨大であったはずで、まさに社運をかけた取り組みだったと想像できます。
その結果、燃費は、1500cc MT車で15.0km/L、1300cc MT車は20.0km/Lを達成しました。(いずれも10モード燃料消費率・運輸省審査値)

また、路面などの外力を受けないボディに、樹脂製の素材を使うなどして徹底的な軽量化を行った結果、車両重量はわずか800kg前後と、現在の軽自動車を凌駕するほどの軽さを実現しています。

そしてCR-Xは、同じ部品を使った同時期のワンダーシビックシリーズの原型になりました。

否、コンセプトから言えば、ワンダーシビックシリーズは、CR-Xシリーズだったと言えますね。

また、ホンダの歴史上、その後の燃費トライアル車、ハイブリッド車の初代インサイト、そして実用的なハイブリッド車の、2代目インサイトのコンセプトに、CR-Xは多大な影響を与えていると言えます。

ホンダ シビック Si 1984

ホンダシビック(通称ワンダーシビック)

CR-Xの軽量&コンパクト(空気抵抗軽減)への工夫は、サスペンションにも現れます。

前輪は、一般的なコイルスプリングを使用したストラットとは違い、トーションバーというねじり棒を使用しています。

これは、もっとスペースに余裕のなかった前時代の小型車には多く使用されていましたが、精度の高さが求められ、コストの関係上、あまり使用されなくなっていた技術です。

コイルスプリングは、それだけでサスペンション上部にスペースを取りますが、トーションバーだと、下方のちょっとしたスペースに埋め込むことができるので、CR-Xの低いフロントノーズの実現に寄与しました。

そして後輪は、日本車で始めてトーションビーム型を採用しました。

トーションビーム型は、初代ゴルフ(ドイツ・フォルクスワーゲン社)が世界で初めて採用した、太いトーションバーを左右の車輪の連結具として使用するタイプで、部品総数が少なくシンプルで軽量で低コストです。

また、トーションビームがねじれることで、一見固定式に見える形式にもかかわらず、独立式のように左右の車輪が別々に機能できる上に、固定式のように、タイヤのトー変化やキャンパー変化がほとんどないという美点があります。

ただ、ねじりによるタイヤの設置面積の変化が皆無ではないので、高重量車両は苦手ですが、シンプルでなおかつ後輪の接地性が安定的に良いので、CR-X以降日本車でも採用例が増え、今では軽自動車を含めた小型車のほとんどが、トーションビーム型のサスペンションを採用しています。

CRーXが偉大だったのは、そういう形式的な分野にとどまりません。

それは、たった1500ccで凡庸なOHCエンジンで、前輪駆動(FF)であったにも関わらず、当時の1600ccクラスの市販車最速を実現したことです。

「ae86」の画像検索結果

トヨタ スプリンタートレノ (FR)

スポーツカーというのは、販売台数が多いわけではなく、会社にとって直接的な利益は薄いのですが、自動車雑誌等に出演することが多く、実際にはメーカーの広告塔的な役割も持っています。

ただその分、「対決企画」があると、車種による優劣もつきやすい、ハイリスク・ハイリターンな存在でもあります。

ということで、そこそこのお値段のAE86、MR2、CR-Xの三つ巴対決は、サーキットなどを利用して、各自動車雑誌の対決企画が行われていました。

その結果は、各社ほぼ同じで、運動性能では、カタログデータでは最も低く、またコーナーリング等で不利と思われていたFFのCR-Xが、最も速く走っていたのです。

「ff fr 違い」の画像検索結果

当時1600ccで最速を謳っていたのは、今も人気のトヨタカローラレビン・スプリンタートレノ、そうAE86です。

AE86は後輪駆動、つまりFRでしたし、当時の常識では、スポーツ走行をすれば、FRの方が速いと思われていました。またAE86は新設計のDOHC4バルブエンジン(130馬力)を搭載していました。

しかし実際に走らせてみると、FFが苦手とする発進加速以外、3バルブOHCエンジン(110馬力)のCR-Xの方が速く走れるのです。

また、レーシングカーやスーパーカーのイメージがあり、コーナーリングを得意とすると思われていたリアミッドシップ(MR)のトヨタMR-2(130馬力)にも勝ってしまったのには、私も驚きました。

「mr2 aw11」の画像検索結果

トヨタ MR2(リア・ミッドシップ)

FRやMRなどの後輪駆動車は、フロント部が重く操舵輪と駆動輪を共有するFFでは、太刀打ちできないと思われていました。後輪駆動は、ドラーバーのコーナーリングの自由性が大きいのですが、後輪が横滑りすれば、車体は前へは進んでいないのですね。実際のタイムは、「コーナーリングの自由度があまりなくても、ハンドルを切った方に進もうとするFF」が、有利なことも多いことが、CR‐Xで示したのです。

CR-X以降、日本車のFF化は小型車の枠を超え、2000ccクラスのみならず、重い6気筒エンジンを搭載する中型~大型車にまで広がり、今や世界の自動車製品の99.9%はFF車です。

世界屈指の傑作車スバル1000に始まり、スーパーシフトというアイデアで、ジアコーサ式横置きエンジンを普及させた三菱ミラージュ、そして、等長ドライブシャフトによって、ジアコーサ式のFFの癖を克服したマツダファミリアに続き、ホンダCR-Xは、トヨタの後輪駆動スポーツカーに勝って見せることで、FF最終革命を成したといえるのではないでしょうか。

しかし今から言えることは、FRのトヨタレビン・トレノ(AE86)、ミッドシップの同MR2,そしてFFのホンダCR‐Xと、当時の日本には、世界では見られない、数も種類も違う豊熟した小型スポーツカー市場があったのは驚くべきことです。

80年代には消費税もなかったですから、今よりも豊かな市場があったんですね。

ともあれ、ホンダCR-XのFF最終革命は、度々行われるAE86やMR2との戦いに勝ち続けるという、小さな成功の積み重ねによって成立しました。

その積み重ねにより、FFへの見る目を着実に変えていったのです。

ということで本日は、幸福の科学経典『不動心』と『釈迦の本心』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、成功の積み重ねについて語った一節をご紹介いたします。

           (ばく)

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Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ BALLADE SPORTS CR-X(1983年)

緊迫対談!2020年大予想!令和大恐慌、米大統領選、香港最新情勢、台湾総統選、他(里村英一×及川幸久)

不動心

基礎づくりは子供の時代にだけすればよいのではありません。成人してからも、うまずたゆまず基礎の部分をつくっていくことが大事です。
木は根から水分と養分を吸い上げる努力をしつづけていますが、それでこそ大木になっていけるのです。また、たとえ大木であったとしても、水分と養分を吸い上げることを一週間やめたならば、枯れてしまうはずです。

何百年もの樹齢を保っている木は、うまずたゆまず根から水分と養分を吸い上げつづけてきているのです。
人間の場合も同じです。「自分は〝大きな木″になってきたから、きょうは水分も養分もいらない」というわけにはいきません。日々に水分や養分を摂取し、基礎の部分をつくっていくことが大事なのです。
人間はともすれば発散のほうに重点を置きがちです。しかし、吸収を忘れた発散は、やがて疲労を招くことになります。

これは仕事をしている人にも言えます。たとえば薬剤師ならば、新しい薬についての知識を絶えず吸収している人と、大学卒業後、新しい知識をほとんど得ていない人とでは、大きな差があるでしょう。
サラリーマンの場合でも、与えられた仕事をただやっているだけの人と、新しい経済情報を常に入手し、勉強しつづけている人とでは、やがて雲泥の差がつくでしょう。

技術者などではそれが特に顕著だと思います。毎日、実験を積み重ねていくなかに、常に向上を目指している姿勢があれば、やがて素晴らしい技術を開発することができるでしょう。
医者も同じです。さまざまなことを勉強して、人びとの悩みを理解できるようになれば、名医と言われるようになっていきます。

したがって、「いったん基礎をつくれば、それで終わり」と考えるのではなく、「日々に人生の基礎をつくっていく」という姿勢が大切です。現時点ではすぐに生きてこなくても、三年後、五年後、十年後に生きてくるような基礎づくりが、何にもまして大事なのです。
『不動心』(P14~16)

釈迦の本心

だれにとっても、一日は二十四時間、一年は三百六十五日で成り立っています。また、だれもがやがては地上を去ることになっています。大多数の人は百歳まで生きることさえできません。

人間は一日の枠のなかで何時聞かを睦眠にとられ、さらに何時聞かは食事など生活に必要な時間にとられます。そして残された時間が、仕事の時間だったり、自分のための時間だったりするのです。

だれに対しても一日が同じ枠として与えられているという事実は、恐るべきことです。生まれつきの才能などに関係なく、だれに対しても同じく二十四時間が与えられており、その二十四時間をどう使うかによって、その人の人生が決まっていくというのは、このうえなく公平なことだと私には思えます。

この二十四時間を使って、ある人は一国の宰相となり、ある人は大学者となり、ある人は思想家となりますが、ある人は単なる無為徒食の輩となることがあります。この差は、時間という観点から見たときには、結局、「時間の中身をどのように充実させていったか」ということに起因するのです。

したがって、正命(しょうみょう)を現代的に翻訳し直すならば、「どのように一日を生きているか。どのように二十四時間を使っているか」という考え方になります。また、「二十四時間の積み重ねである毎月毎年を、どう生きているか」ということにもなります。

ここで私は大事な事実を指摘しなければなりません。それは、「時間を貴重なものだと考えるならば、一日の枠を一生として考え直し、そのなかで時間をいかに使うべきかに、思いを巡らせなければならない」ということです。

たいていの人は、「昨日があったように、今日があり、今日があるように、明日もあるだろう」と楽観していますが、あすの生命があるという保証はないのです。もし、今日一日で、今日の夜中の十二時で、みずからの人生が閉じてしまうならば、さあ、どうしますか。あなたはどう生きますか。「しまった」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。

結局、正命とは、「きょうで生命が終わると考えたならば、おそらく自分はこのように生きただろう」という観点なのです。こうした観点から見たとき、反省すべき点が出てくるはずです。あちらにもこちらにも、さまざまな可能性があったのに、その可能性を捨てて生きていた自分を思い知らされるのです。

要はこの一点です。「一日を一生と思い、その一日で死んでしまうと思ったとき、はたして悔いのない一日であったか」という観点から、一日の出来事や自分の言動を判断していくことです。これを続けることによって初めて、「正しく生活をしている」と言うことができるようになるのです。
『釈迦の本心』(P81~84)

※『鋼鉄の法講義』高知支部御法話開催

日時

1月8日(水)①14時 ②19時

1月9日(木)①14時 

1月10日(金)①19時 ②20時

1月11日(土)①11時 ②13時 ③19時

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「幸福実現党 釈量子ポスター」の画像検索結果  

幸福実現党 釈量子(しゃく りょうこ)党首 https://hr-party.jp/   


【マツダ3】真打スカイアクティブX登場!『新しき繁栄の時代へ』

2019-12-17 00:07:07 | 自動車から見える日本と世界

 

マツダ3ファストバック<スカイアクティブX搭載車>【試乗記】

マツダ3

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本日も幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて拙ブログはその名の通り、高知に暮らす幸福の科学在家信者たちによる布教ブログですが、代表編集長の私が自動車好きが高じて、時折自動車関連記事をお届けしております。

テーマは、「自動車(主に国産車)が社会に与えた影響」や、「当時の社会が製品やメーカーに与えた影響」など社会面からのアプローチですので、必ずしも人気車種が登場するわけではありません。

ただ小さなこのブログサイトとしては、安定したアクセスを頂いておりまして、最近お聞きするところによると、「ばくちゃんが、自動車ネタから、どうやって布教に持っていくかが面白ポイントよね。」と言われ始めております。(爆笑)

さて本日お届けするのは、今月マツダから発表になったマツダ3スカイアクティブXエンジン搭載車です。

今年初めに、旧アクセラからフルモデルチェンジしたマツダ3。

日本車ばなれした超絶おしゃれなデザインが売りで、じわじわと浸透してきています。

 

当初から世界初の火花点火制御圧縮着火 ( SPCCI) 方式のエンジン搭載は発表されていて、今年の10月に市販予定だったのが、12月まで延期されていました。

これはどうやら、日本とオクタン価(ノッキングの起こりにくさ)の違うガソリンを使用する欧州仕様と、日本仕様を同じにするのに、マツダが手間取っていたようです。

このSPCCIエンジンのマツダの通称が、スカイアクティブXです。

スカイアクティブXとは、要するに、ディーゼルエンジンとガソリンエンジンの長所を持つエンジンです。

ガソリンエンジンは、燃料のガソリンが混ざった空気をシリンダーに吸い込み、それを10分の一程度に圧縮して、プラグから火花を発して爆発させ、シリンダー内のピストンを押し下げます。

一回の爆発力は弱く、低回転は苦手ですが、軽量で軽やかに回り、最高出力が強くなるのが、ガソリンエンジンの特徴です。

一方ディーゼルエンジンは、シリンダー内に空気を吸い込み、14~20分の一まで圧縮して、高圧縮によって高温になった空気に、燃料の軽油を噴射して一気に爆発させてピストンを押し下げます。

熱効率はディーゼルエンジンが優れていて、燃費性能が良くなりますし、ガソリンより安価で着火しにくい軽油を燃料とします。

一回の爆発力が強く、低回転から粘り強い回り方をします。ただ高圧に耐えるよう頑丈に作る必要があり、高回転が苦手となります。

スカイアクティブXエンジンは、ガソリンを気化してシリンダーに吸い込み、15分の1に圧縮して、ディーゼルのように圧縮で一気に爆発させます。ただガソリンは着火しやすく、その制御が難しいので、プラグで放電して、着火をコントロールしているらしいです。

また過給機を使用して、シリンダー内の大量の空気を押し込み、相当薄いガソリンでパワーを得ているらしく、それだと性能の割に、燃料消費量も環境性能もかなり優秀と思われます。

通常空気:ガソリンが14:1くらいですが、スカイアクティブXは30:1と言われ、相当薄いガソリン混合気です。

薄い混合器を素早く燃やせば、シリンダー内の温度が上がりにくく、窒素酸化物の排出も少なくなります。

ちょうど一年前にもご紹介したのですが、丈夫なエンジンを壊すくらいの爆発力を持つノッキングを、制御して起こしているわけで、スカイアクティブXがこれから成熟していくと、最高41%の熱効率が最高のガソリンエンジン(トヨタダイナミックフォースエンジン)の熱効率も、50%越えも夢ではないと言われています。

低回転から粘り強く回り、高回転までよどみなく回りますし、騒音もガソリンエンジンより少ないとのことで、まさに奇跡のエンジンですね。

マツダは、かつて世界で唯一ロータリーエンジンを市販化もしました。

ロータリーエンジンは、直線で動くものがない「全てが曲線」のエンジンですから、少しでも部品に不備があれば回転中に破損します。

世界で唯一、ロータリーエンジンを市販化できたマツダは、「技術力世界一」と言って差し支えないわけで、だからこそ、「実用化は不可能」と言われていた、制御が超絶難しく、シリンダー内の着火環境を高度化した圧縮着火ガソリンエンジンを、他に先駆けて世に出せたのでしょう。

「刀 鍛冶」の画像検索結果

マツダが先駆けたことで、今後他のメーカーも追随するかもですが、日本と言う国の歴史は、困ったときには、技術力で克服してきた国です。

近代は幕末以降の繊維や戦後の自動車などの工業製品然り、戦国時代の鉄砲の国産化や、弥生時代には大陸に刺激されて、鉄器を国産化しています。

今日本の富を支えているのは、世界のシェアの90%を超える、「工業製品の部品」ですが、これらは中小企業が多く、消費増税や長引く不況にあえいでいます。

日本はものつくり大国で、技術力が継続し、発展し続けるだけで富を生み続け、いざというときに国を立て直してくれるのですから、政府はもっと大切にしないといけないと思うのですが。

ともあれ、ゾロアスター教の光の神オーラマズダ(エル・カンターレ)を会社の名前の由来に持つマツダ。

世界随一と言われる技術力で、『新しき繁栄の時代』を切り開いていただきたいと、心から願います。

さて、『新しき繁栄の時代』と言えば、12月17日(火)は、本年のエル・カンターレ祭で、大川隆法幸福の科学グループ総裁によるご法話が開催されます。

「大川隆法 2019年エルカンターレ祭」の画像検索結果

https://happy-science.jp/ryuho-okawa/lecture/event/

その演題が『新しき繁栄の時代』、本会場はさいたまスーパーアリーナ。

全国の幸福の科学支部や精舎を始め、全世界3000ヶ所以上に、同時衛星中継されます。

ということで本日は、経典『霊界散歩』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、仏教や、仏教よりももっと古いエジプトの思想、そしてゾロアスター教に共通する、死後の世界の裁きについてご紹介いたします。

              (ばく)

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After Deathー人は死んだらどうなる?【What happen after we die?】

マツダ 次世代ガソリンエンジンSKYACTIV-X (Mazda Skyactiv-X / Japanese)

霊界散歩 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=133

仏教は、「諸行は無常である」「この世は仮の世である」と、繰り返し説いています。
それは、どういう意味かというと、「本来の世界は、あの世の世界であり、この世には、海外旅行のように、一時期、来ているだけなのだ。赤ちゃんとして生まれて、人生修行をし、いろいろな人と出会い、さまざまな経験をしながら、新しい人生を築き、新しい個性を身につけて、あの世に還る。そういう修行をするために、この世に来ているのだ」ということです。

この認識を、きちんと持っていただければよいのですが、学校の教科書や参考書には、どれを読んでも、このようなことを書いてあるものはありません。そのため、「古い時代の人の思想だ」「迷信だ」と思っている人のほうが多いのではないでしょうか。

しかし、厳しいことに、死後には、「その人の、この世における思いと行い、考えたことと行動したことが、真理価値に照らして、どうであるか」ということが的確に判定されます。

これは、仏教だけでなく、エジプトの古代の宗教でも説かれています。「その人が善人であるか悪人であるかが、死後に正義の秤で量られる。その結果を記録しているのはトート(トス)という神である」ということが壁画などに描かれています。

古代のイランの宗教でも同様です。ゾロアスター教では、「あの世に渡るときには橋の上を歩いていく。悪人の場合には、その橋が剣の刃のように細くなり、その人は下に落ちてしまう。善人の場合には、その橋をそのまま通ることができる」と説かれています。これは、あの世に渡るときの裁きの厳しさを言っているのでしょう。

そのような話は、あちこちに遣(のこ)っています。
ところが、現代の知識人たちは、「それは昔話や迷信である。人々に、悪いことをせず、よいことをするようにさせるための、道徳的なたとえ話である」と考えています。しかし、その考えは間違いであり、そういう話は、ほんとうのことなのです。

複雑なことが、ほんとうなのではなく、単純なことが、ほんとうなのです。物事は単純に考えたほうがよいのです。「単純なことが、ほんとうなのだ」ということを知っていただきたいと思います。
『霊界散歩』(大川隆法著 幸福の科学出版)P33~36

 

☆2019年エル・カンターレ祭☆  

ご法話「新しき繁栄の時代へ」本会場 さいたまスーパーアリーナ

(全世界3000ヶ所衛星中継)   

日時:12月17日(火)17時~(予定)    

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11      

TEL:088-882-7775 

高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7   

TEL:0889-26-1077 

高知朝倉支部〒780-8062  高知県高知市朝倉乙988-11   

TEL:088-850-7774 

高知四万十支部〒787-0012  高知県四万十市右山五月町2-22 

TEL: 0880-34-7737

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いすゞ117クーペ 「走る芸術品」が開いた美の法門

2019-11-12 23:53:36 | 自動車から見える日本と世界

 「isuzu 117 スポルト」の画像検索結果

 いすゞ117クーペ 初期型 (通称 ハンドメイド)

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ここはその名の通り、幸福の科学信者による布教ブログですが、偏屈編集長の私が自動車大好き人間でして、時折、自動車という、極めて社会性と趣味性の強い作品を通して垣間見える、日本と世界をテーマに投稿させていただいております。

それがなぜだか、安定的なアクセスを稼がせていただいておりまして、地元信者さんからは、「どうやら、ばくちゃん編集長は、ブログのアクセスが減ってくると、自動車記事を書いちょるようじゃ。(笑)」というお声も聞こえてまいります。(爆笑)

ということで本日の題材は、いすゞ117クーペ(1968年~1981年)です。

知る人ぞ知る日本の名車ですけれども、私にとっては、とても思い入れの強い作品です。

と申しますのも、私が自動車好きになったきっかけは、私が小学校低学年のときに、街に停車中の白い117クーペを見て、その美しさに魂を奪われたからなんですね。

それまではの私は、自動車であれ飛行機であれ電車であれ、動くもならば何でも好きな極々普通の少年だったのですが、117クーペとの遭遇以降、私は自動車偏愛主義者(爆笑)になってしまったんです。

思えば、私にとっての初恋は、保育園の先生でもなく、小学校時代の同級生の女の子でもなく、いすゞ117クーペだったかも知れません。(大爆笑)

「ジョルジェット・ジウジアーロ」の画像検索結果

117クーペ ハンドメイドの室内

さて現在は、トラック・バスの製造販売メーカーとして有名ないすゞ自動車ですが、かつては乗用車のベレット、ジェミニ、ピアッツァ、SUV車のビッグホーンなどを、個性的で上質な乗用車を製造販売していました。
 
そのいすゞが開発し、13年という自動車社会では異例の長きに渡って製造された、高級パーソナルカーが117クーペです。

117クーペを語る上で欠かせないのは、私を一目惚れさせたそのボディです。

何だか聞き方によっては、宗教布教ブログらしからぬ文言(笑)ですけれども、心清らかな読者の皆様、これは自動車用語ですので、ご勘弁くださいませ。(爆笑)

117クーペの車体デザインは、イタリアのカロッツェリア・ギア社の、ジョルジェット・ジウジアーロ氏です。

カロッツェリアとは、元々馬車のボディを作るイタリアの工房のことで、その後自動車の普及により、市販車をもとに、貴族や富裕層の顧客の好みに合わせてデザイン処理された、美しい専用ボディを製作する工房へと進化してきました。

そして近代以降は、ベルトーネやピニンファリナ、ミケロッティやザガートなどの大手カロッツェリアでは、自動車のデザインや改造のみならず、マセラティやフェラーリなどの、いわゆる高級スーパースポーツカーの、シャーシ(骨組み)を含めたボディ製造そのものや、製品の企画を請け負う企業となっていました。

さて60年代の日本の自動車メーカーでは、日産がピニンファリナ(410ブルーバード)、プリンスがミケロッティ(スカイラインスポーツ)、マツダがベルトーネ(初代ルーチェ)に、一部の車種のボディデザインを依頼するなど、一種のイタリアンカロッツェリアブームが起きていたんですね。

当時ベレットの成功で、一時期日本第3位の自動車メーカーにまで躍進したいすゞも、新たな基幹車種、後のフローリアンのデザインを、有名カロッツェリアのギア社に依頼したのです。

そこで、いすゞのフローリアン(コードネーム117)の企画書を知った、当時ベルトーネからギア社に移籍したばかりの、若きジウジアーロ氏が、「このセダンをもとにクーペモデルを作り、自動車ショーで出品しないか。」と話を持ちかけたとのこと。

元々はセダンだけを作るつもりでギア社に近づいたいすゞですが、「メーカーのイメージアップの機会である、自動車ショー用のモデルなら。」ということで、既存のベレットをフローリアンのサイズに拡大したボディ(一説では、ベレットの簡易版のベレットB)を、ギア社に送ったとのことです。というのは、まだベースとなるフローリアンは、企画段階なので実物ができていないからです。

たとえ市販しなくても、国際的な自動車ショーのブースに出品すれば、いすゞの国際的な知名度のUPにつながります。

そう、117クーペの誕生秘話は、「そもそも市販を考えていなかったショーモデル」が発端なんです。

さてそこで、1966年のジュネーブ国際モーターショーに出品されたのが、117クーペの元になるショーカーが117スポルトです。

ここから運命の歯車が回り始めました。

「ジョルジェット・ジウジアーロ」の画像検索結果

117クーペをデザインした、ジョルジェット・ジウジアーロ氏

117スポルトは、ジュネーブモーターショーで注目され、同年7月、イタリア国際自動車デザイン・ビエンナーレで名誉賞を受賞しました。

そして同年の10月、第12回東京モーターショーにも展示され、市販を望む声がどんどん大きくなっていったのです。

117クーペに一目惚れしたのは、幼少期の私だけではなかったのですね。(爆笑)

117クーペのデザインの素晴らしさは、美しいフォルムというだけでなく、余裕で4人が乗車でき、荷物も十分に詰める実用性の高さにあると私は考えます。

そのようなモデルは、古今東西117クーペと、同じくジウジアーロ氏デザインの、117クーペの後継車ピアッツアしか存在しません。

流麗で美しいフォルムと実用性の融合という、極めて難しく、またオリジナリティがある出で立ちは、それだけで見た目とのギャップがありますし、相反する両極を融合することで、一種の機能美を醸し出します。

さて、自動車ショーでメーカーとしての注目度を集めるために、ジウジアーロ氏の企画を進めたいすゞでしたが、予想を上回る市販を望む声の高まりに、いすゞ経営陣も「117スポルトを、ショーカーで終わらせたくない。」と決意し、当時の開発コード番号をそのまま車名として「117クーペ」として市販に踏み切りました。

しかし、ここからがいすゞの苦闘の始まりです。

当時のいすゞの技術では、複雑で美しすぎる117クーペのボディの金型を作ることができず、プレスによる大量生産体制が採れなかったのです。

否、頑張ればできたかも知れませんが、当時のいすゞの経営状態で、利益が期待できない車種の新金型を製造するのは、経営上大きなリスクが伴いました。

自動車というのは、日本では花形企業ですが、「売れなかったら即破産」という、極めて博打性の強い産業で、事実今でも、年々世界の自動車業界は淘汰されているのですね。

そこでいすゞは、量産メーカーとしては異例の「ほぼ手作り」という、イタリアのカロッツェリアなみの手法で、117クーペを製造することを決断しました。

それはいすゞの本社工場で、ベースとなった量産セダンのフローリアンと、共通の一次金型だけをプレスしたボディを作り、それを別の工場に送って、その後は職人による手作業で製造したのです。

その特異なボディ製造のために、いすゞはイタリアから技術指導のため板金職人を招き、ボディをたたき、ハンダを盛り、ヤスリでこするなど、多くの部分を職人による手作業で、いすゞは117クーペを世に出しました。

この初期型の117クーペは、その製造方法から、「ハンドメイド」という愛称で呼ばれています。

このとき、その後自動車業界の大御所となジウジアーロ氏は、ショーモデルと寸分違わぬ形態にまで、量産メーカーであるいすゞが作り込んできたことに、とても感動したと言われています。

普通のショーモデルは、自動車メーカーにとっては、あくまでショーモデルですので、そのまま市販化することなどあり得ないからです。

その後ジウジアーロ氏といすゞとの関係は、その後初代ピアッツァや2代目ジェミニまで続きましたし、117クーペのボディ製造にジウジアーロ氏は、開発プロデューサーとして参画した経験が、ジウジアーロ氏がその後ギア社から独立し、イタルデザインを起業して、一デザイナーの枠組みを超えて、イタリアのアルファロメオアルファスッドや、フィアットでは初代パンダ、ドイツではVWゴルフの開発に携わる、総合プロデューサーとなっていくきっかけとなっています。

さてジュネーブショーで発表されてから、2年9カ月後の1968年12月に、117クーペは市販開始となります。

ショーモデル発表から、2年以上の歳月を要したのは、ベースとなるフローリアンの製造準備がそれだけかかったからです。

しかしこの「ハンドメイド」の月製造数は30~60台と言われ、車両価格は172万円と、超が付く高額製品となっています。

ちなみに当時、300台あまりの極少量生産で、しかも当時超一級の運動性能のトヨタ2000GTが238万円、そしてこれも、世界レベルで超一級の運動性能を誇った日産スカイラインGT-R(PGC10、ハコスカ)の価格が、150万円(一般的な2000GTグレードは86万円)です。

117クーペと同等の性能と思われる、後のセリカ1600GTも86万円ですから、セリカやスカGの2倍以上の価格ですので、どれほどの高額車かは推測できますが、それでもハンドメイドの117クーペは赤字だったのですね。

それだけ117クーペのボディ製造は、コストがかかりすぎていたのです。

いすゞも、できるだけ117クーペに商品の付加価値を上げようと、当時いすゞがレースの研究用エンジンとして開発していた、G160Wという4気筒1600ccDOHCエンジンを、出力を落として117クーペに搭載しました。

「いすゞ117クーペエンジン」の画像検索結果

 

せめて117クーペ専用エンジンにできれば良かったのでしょうが、製造台数が極めて少ないハンドメイドに搭載すれば、これまた劇高エンジンになってしまいますので、製造台数の多いベレットに搭載し、ベレットGTーRに搭載したとのことです。

G160Wエンジンは、当時世界的にも珍しい、美しい青色のヘッドカムカバーを持つことで有名です。

これも、製造台数の少ない117クーペ専用だと、とても大量製造できないことから、ヘッドカバーの専用の金型プレス製造ができず、フェラーリやレース用のエンジンのように、砂型加工でプレスをしたために表面がザラザラになってしまい、それを着色することで、分からなくする工夫だったらしいです。

しかし、低速トルクも十分にあって扱いやすく、120馬力の出力で、最高速度は190km/h、0→400m加速は16.8秒と、当時の1600ccとしては一級の性能であったG160Wエンジンですが、さすがに華麗な117クーペの車格には役不足です。

また、当時の常識的判断であったのは間違いないのですが、後輪のサスペンションがリーフリジッド、つまり板バネ固定式という、一般的かつ古典的な形式だったのも、117クーペにとっては、商品のイメージ低下となってしまったと言わざるを得ません。

せめて、エンジン全長の短いV型で良いので6気筒エンジンを搭載し、そして、BMW車のような、その後主流となったセミトレーリングアーム独立式や、アルファロメオ車のような半独立のド・デオン式など、ベレットで培ってきた後輪独立サスペンションの改良型が搭載できていれば、いすゞは一躍世界的メーカーに躍進できていたかも知れず、残念でしかたありません。

決してセミトレ式やド・デオン式に、形式としての欠点がないわけではないのですが、どうしても一般的な顧客は、イメージで付加価値を創造してしまうからです。

しかし、以前AE86記事でも書きましたが、総じて名車というのは「デザインが優秀で、なおかつ、どうしようもない欠点がある。」という側面を持つのものです。

もちろん、苦労した開発秘話や、作品を世に出した人々の思い入れなど、「ドラマ性」というのも、名車の条件ですが、美しい超一級のデザインにもかかわらず、相対的に小さく非力なエンジン性能で、なおかつ安価で、当時のありふれた形式で、乗り心地が良いとも高性能とも言えないイメージの、古典的な足回りの117クーペは、逆説的に、名車中の名車なのかも知れませんね。

さて日本発の電子制御燃料噴射装置導入などで、エンジン性能と商品付加価値の向上につとめたハンドメイド117クーペですが、組み立ての自動化率は最後まで上がらず、3年間の総生産台数は2458台に留まりました。

しかしハンドメイド117クーペは、「10年後の廃車数が全くなかった。」という偉業を成し遂げています。ハンドメイド117クーペが、オーナーにどれだけ愛されていたかを物語るデータです。

「117クーペ ハンドメイド」の画像検索結果

中期型 通称 丸目

さて117クーペは、1973年3月に量産化に転換します。

これはいすゞが1971年に、アメリカの世界最大大手自動車メーカー、ジェネラルモータース(GM)と提携したことにより、GMからの資金と技術の習得により、機械によるプレス成型ができるようになったからです。

マイナーチェンジし、エンジンの排気量を1800㏄とした117クーペは、通称「丸目」と呼ばれ、月販1000台前後まで製造できるようになりました。

117クーペは、「丸目」で量産化できるようになって、やっと黒字が出せるようになったそうです。

しかし結果的にいすゞは、117クーペを量産化できるようになるために、GM傘下に入ることになったとも言えるわけで、117クーペの美しさは、企業の母体をも揺るがしたとも言えますね。

そして1978年12月には4気筒DOHC2000ccのECGIエンジン搭載のスターシリーズ、通称「角目」にマイナーチェンジされます。

「117クーペ 角目」の画像検索結果

後期型 通称 角目

「ハンドメイド」「丸目」「角目」と、主に3種類のいで立ちのある117クーペです。

もちろん、手作りという希少性や、ジウジアーロデザインが色濃く残り、妖しいまでの繊細さを持つ初期型「ハンドメイド」が一番人気ですが、この3種にはそれぞれ趣きがあって、それぞれにファンがいるという大きな特徴があります。

ちなみに、私の一目惚れの相手は、時系列的に恐らく「ハンドメイド」ですが、実は、70年代のアレンジを積極的に取り入れ、なおかつそれをバランスさせている「角目」のファンです。(笑)

ともあれ、現在も語り継がれる美しき名車117クーペは、ある意味で「凄すぎない名車」というのが、117クーペの大きな魅力なのかも知れません。

さて「走る芸術品」とも称されるデザイン性から、117クーペは「日本の自動車界に、美の法門を開いた。」とも言えます。

本日は経典『幸福への方法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、「心の美しさ」について大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。

人は「何が美しいかを本能的に知っている。」と言われます。

人が「美」という価値観を、本能的に心に宿しているということが、「人は神の子」ということの証拠なのです。

              (ばく)

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「大川隆法 2019年エルカンターレ祭」の画像検索結果

https://happy-science.jp/ryuho-okawa/lecture/event/

"The Age of Declaring your Faith" Master Ryuho Okawa Lecture excerpt 2

いすゞ 117クーペ(前編)-商品概要紹介

 

心というものは、きれいなガラスの容器に入ったダイヤモンドである――そうしたイメージを持っていなくてはいけません。真ん丸い水晶の玉のなかに入っていると言ってもよいでしょう。  

水晶の玉のなかにダイヤモンドがあるならば、水晶の表面をきれいに磨いておかないと、なかにあるダイヤモンドの美しさが見えません。

ダイヤモンドそのものは、外から見えようが見えまいが、いつもキラキラと光を放っているわけですが、外側の水晶なりガラスの器なりが曇ってしまうと、外からはダイヤモンドの光が見えなくなってしまうのです。  

そのダイヤモンドをキラキラ輝かせるのは、天上界からさしてくる光、仏の光です。それは高級霊からの啓示であったり、インスピレーションであったりします。  

そうした光がサーッとさし込み、ガラスや水晶の容器を通り越してはじめて、そのなかにあるダイヤモンドはキラキラと輝き、その値打ちを周りに見せてくれるのです。  

昔から、「人間は平等である」という言い方をよくしますが、ほんとうにそのとおりだと思います。ただ、平等であるということにあぐらをかいて、「人間は平等なのだから、どんな生き方をしても、どんな考え方をしても、みんな同じ値打ちがあるのだ」と思ったならば、それはたいへん傲慢なことだと思うのです。  

人間が平等だというのは、「だれの心のなかにも、仏からいただいた美しいダイヤモンドがあるのだ」ということを意味しているのです。  ところが、ダイヤモンドを持っていても、ダイヤモンドに光がささなくなったならば、その輝きは見えなくなります。各人はすばらしいものを持っているのですが、それを曇らせているのも各人の心なのです。  

美しいダイヤモンドの輝きにも似た、宝石のような心を、仏からいただいているにもかかわらず、二十年、三十年、四十年、五十年、六十年……と生きていくあいだに、それをまるで石炭か何かのようにしてしまったのは、いったいだれでしょう。それを問わなければなりません。  心というものは、美しい宝石として輝く可能性を持っているにもかかわらず、いつのまにか、それが黒ずんだものに見えるようになっていたとしたならば、それはだれのせいでしょう。  

そして、自分自身のダイヤモンドが黒ずんでしまい、まるで石炭か何かに見えるようになっている人は、他の人の心のなかにあるダイヤモンドさえも、同じように煤けて黒ずんだものに見えてくるようになります。そのため、世の中が真っ黒に見えてくるのです。

 『幸福への方法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P101~104

いすゞ 117クーペ(後編)-試乗インプレッション

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セリカXXとフェアレディ130Zが先取りした未来。「未来は予測できないが、切り開くことはできる!」

2019-10-16 00:04:55 | 自動車から見える日本と世界

 

トヨタ セリカXX(初代 A40 1987年)

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越し下さりありがとうございます。

ここはその名の通り、幸福の科学信者による布教ブログですが、時折、編集長の好きな自動車関連記事をさせていただいております。

自動車は社会性の強い商品ですので、そこからくみ取れるエッセンスは、時代や世代を超えた学びがあると思っておりますし、意外にも、安定したアクセスをいただいておりまして、編集長といたしましては、ありがたいやら、ホッとするやらでございます。

そこで本日のお題は、共に1977年発売初代セリカXX(ダブルエックス)と、2代目フェアレディーZ(S130)です。

ここの自動車記事は、社会性に重きを置きます関係上、私が記事を書いていて、「懐かしいなぁ。」と感慨にふけることは意外に少ないのですが、この2台は別なんですね。

この2台、日本の自動車の歴史の中では、それほど取り扱われてはいませんし、今も自動車雑誌に出演する大スターの先代たちと比べると、情報量も圧倒的に少ないのですが、私にとっては大スターなんです。

若干12歳だった当時の私は、「運転できるようになったら、セリカXXを買う。」と考えていました。(笑)

と申しますのも、当時はスーパーカーブームですし、中学生になった私は、本格的に自動車雑誌を読みふけ始めたころで、当時自動車雑誌を賑わせていた2台に、心ときめかせていたものです。

この2台が、日本自動車界で地味な扱いの理由は、ひとえに、先代の初代セリカ&フェアレディーZ(S30)が偉大過ぎるからで、先代が偉大すぎると後を引き継いだものの影が薄くなるのは、人間社会でも同じことですので、決して2代目のXXや130Zが駄作だったわけではありません。

それよりも、偉大な先代とは違う歴史の1ページを、この2台が切り開いたという点で、もっと評価されてもいいんじゃないかと、私は勝手に思っちょります。

日産 フェアレディZ 1978-83   

日産ファレディZ(2代目 S130 1987年)

さて、セリカXXは、アメリカで大人気だった先代のS30フェアレディ―Zに対抗するため、アメリカのトヨタ販売会社のリクエストに応えて製作されたものです。

当時のアメリカではスポーツカーは、「少なくとも6気筒エンジンを搭載していないと、スポーツカーとしては商品価値が低い。」という市場のニーズがありました。

当時のセリカは、ボディーが小さく2000CCの4気筒エンジン搭載の商品しかなくて、2800CC(アメリカ仕様)で6気筒エンジン搭載のフェアレディZ(S30)に、営業面で不利に立たされていました。

そこで営業サイドから、「セリカにも6気筒エンジンを載せてくれ!」と強い要望があったとのことで、2代目セリカのフロント部を延長し、2600ccの6気筒エンジンが搭載できるようにしたのが、セリカXX(輸出名スープラ)です。

同時期にモデルチェンジした130Zは、超ヒット作である偉大な先代、S30Zのイメージを「これでもか!」というくらいに残したニューモデルです。

今ではそれほど扱いの大きくないXXとS130Zですが、実は当時は結構注目されていて、たくさんの雑誌の紙面に登場していたのですね。

なぜそれほど紙面への露出が大きかったかというと、やはり、日本で初めて、エンジンの排気量が2000CCを超えたスポーツカーだったからだと思うのです。

XXが2600cc、S130Zが2800ccと、両車とも北米仕様をそのまま日本でも販売しました。

当時の自動車税制下では、排気量が2000ccを超えると、年間7万円もの税金がかかりましたので、2400ccのフェアレディー240Zが一時期販売されただけで、当時のスポーツカーの事実上の上限は、年間税3万5千円の2000ccまででした。

しかし77年に、オーバー2Lのスポーツカーが、2台も本格的に販売されたのです。

ただ両車とも実際には、売れ筋は税金が半額の2000ccでしたし、2000ccオーバーと言っても、両車ともエンジンは、上級セダンのクラウンやセドリックなどの旦那使用で、もっさりとしたものでしたので、XXも130Zもおそらくスポーツカー的な性格ではなかったはずですが、雑誌的には、よりパワフルなオーバー2Lがかり出されるわけで、当時は何かと対決企画が持ち上がっていたわけです。

「サバンナRX-7初代 ポルシェ924」の画像検索結果

マツダ サバンナRX-7(1978年)

私が40年以上経った今でも鮮明に覚えているのは、当時東北から中国地方まで高速道路がノンストップでつながったことから、サバンナRX-7とポルシェ924と4台で、3日かけて東北~広島まで長距離テストをするもので、途中、岡山県のサーキットでタイムアタックなどの企画を交えながら、4台が延々と走り続ける企画です。

このとき、記者たちに滅法評判が良かったのが、もっともスポーツカーらしくなく、また実際にサーキットでも遅かった、セリカXX2600G(AT仕様)でした。

それはなぜかというと、とても運転が楽だったからです。

XXがなぜ運転が楽だったかというと、ハンドルがパワーステアリングで軽く、しかも変速機が自動変速(オートマティック・トランスミッション AT)だったからです。

パワーステアリングとは、エンジンの出力などの動力源を使って、ハンドル操作を助ける機能です。

現在では、市販車でもF1のようなフォーミュラーカーでも、100%パワーステアリングが備わっていますが、XX登場までのアメリカ製以外の乗用車は、パワーステアリング未装着が大半で、重いハンドル操作が当たり前でした。

XXも130Zもパワーステアリング装着車で、3日も走らされる記者たちからすれば、「ハンドルが軽いって、こんなにありがたいことなんだ。」と思ったに違いありません。

ちなみに以前のステアリング機能では、リサーキュレーティング・ボール式、通称ボール・ナット式というものが主流でした。

ボール・ナット式ステアリングとは、ギアに大量のベアリングが組み込まれていて、ベアリングの作用でハンドルがなめらかになりますが、反面、ハンドルに”遊び”が生じます。

この”遊び”で勢いをつけ、えいや!と重いハンドルを回すのが、XX・130Z以前の自動車の姿です。

ちなみに130Zもパワーステアリングで、こちらは現在主流のラック&ピニオン型です。

ラック&ピニオン型は、棒状のネジに丸形のネジを組み合わせたシンプルな構造で、遊びが少なくダイレクトで正確なハンドル操作ができますが、ノンパワーのステアリングならば、メチャクチャ重いハンドル操作になります。

130Z以降、正確で軽いラック&ピニオン型のパワーステアリングが増え、現代では、全世界で全ての製品がこの形式となっています。

XXや130Z以前は、「自動車は男の乗り物」という価値観や、「パワーステアリングなんて、軟弱者の象徴」という風潮が日本の自動車界にはありましたし、パワーステアリングだと、路面状況を伝える情報が緩和されるので、走り屋には敬遠されていました。

「ラック&ピニオン」の画像検索結果

しかし、当時を代表する最強ジャンルの2台が、ともにパワーステアリングを装着したことで、その後、バリバリの硬派代表だったマツダ サバンナRX-7や、世界の大御所ポルシェもパワステ化するなど、パワーステアリングの市民権が確立したのだと思います。

当初のパワステは、エンジンの出力によってオイルポンプの圧を高めるオイル式でした。しかしそれだと小さな出力しかない小型車では搭載できないことが多かったのですが、後にスズキが、軽自動車にエンジンの出力を使わない電動式を踏査したことで、小型車にもパワステが普及してきました。

しかし歴史の始まりにおいて、XXや130Zの誕生が、現代における、自動車の女性解放に分岐点になったと考えられます。

また自動変速機(AT)に関しては、セリカXXが世界初4速ATを搭載したことが、その後の世界的な日本車の飛躍につながる分岐点になったと思います。

今では相当運転が上手い人でなければ、マニュアルシフトよりATの方が速いとまで言われるほど進歩したATですが、その進化の始まりは、トヨタのXXから始まり、しばらくの間、独擅場であったと言えます。

 「オートマティック トランスミッション シフト」の画像検索結果

今では、市販車の大半がAT車で、ガチャガチャとギアチェンジするマニュアル車(MT)の方が少数派で、これには、日本の三菱自動車の初代ミラージュの存在が大きいと、拙ブログでも記事にしましたが、実際に走るだけなら3速でも十分なATのギアを一つ増やすことは、技術的にも実用的にも大変なことで、77年にトヨタが4速ATを発表した後、日本のみならず世界においても、他のメーカーで4速ATを販売することはできませんでした。

変速とは、力の出る回転数が決まっているという宿命を持つエンジンを、ちゃんと速度に合わせて実用回転数を保つための機能ですが、変速ギアのチェンジをする場合には、エンジンとギアとの伝達をいったん切らないと、エンジンもギアも破損してしまいますので、接続を切断させるクラッチという金属の板が必要です。

しかしATにはクラッチは存在せず、その代わりにトルクコンバーターという、液体のオイルを満たした接続器の内部をかき回して動力を伝達します。

簡単に説明すると、同じ扇風機を向かい合わせに置き、 片方をコンセントにつないで回したときにもう片方も つられて回る動きが、イメージ的に解りやすいでしょうか。

ATは個体であるクラッチがないことから、当然伝達効率は悪いのですが、その分雑に変速しても壊れないので自動変速ができます。

トヨタは1980年には、世界初のクラッチ内蔵のロックアップ機能を持つトルクコンバーターをXXで発表し、MTとの動力や燃費の差を大幅に縮めてきました。

これは当時のトヨタが、制御技術を世界に先駆けて、自動変速技術に応用できた証です。

その後、他のメーカーで4速ATが出たのが、1988年の日産初代シーマ(ロックアップ機能付き)ではなかったかと記憶しておりますので、相当長い期間にわたり、「ATと言えばトヨタ」で、ATの分野はトヨタ(トヨタグループのアイシン製)の独擅場でした。

ひいき目ではなく、当時トヨタのATは、世界一の性能を持っていたのは間違いなくて、日本車、特に大躍進したトヨタの、大きなアドバンテージになったのも間違いありません。

話を戻せば、3速プラス超ハイギアードな4速ギアを持つXXは、エンジンの回転数を少なくできて、3日という長時間の高速道路中心の運転において、他車を圧倒する静粛性と低振動で、運転するドライバーの負担を大幅に軽減させる体験を、実際に記者にさせたのですね。

そしてコースが短く、急なカーブの多い岡山でのサーキット走行では、当時世界で最も速かったであろうマツダ・サバンナRX-7(5速MT)に、大柄なXXはわずか4秒のタイム差でした。これは初期のロックアップ機能のないAT仕様を考えるなら、大健闘であったとしか言えません。

その他にも、今では当たり前な温度設定をすれば、自動的に温度調節をするオートエアコンや、屋根の一部が開閉するサンルーフなど、新規格、新装備盛りだくさんで、XXは市場のニーズを探査するパイロットモデルだったでしょうし、XXで試された企画のほとんどは好評を納め、大ヒットしたソアラやマークⅡなど、その後の日本車の指針となっています。

「サンルーフ セリカXX初代」の画像検索結果

そして着目したいのは、XXと130Zは、ともにオートドライブ機能を持っていたことです。

オートドライブ機能(日産はオートクルーズ)とは、設定した車速を維持する機能で、アクセルを踏まなくても、同じ速度で走り続けることができる仕組みです。

高速道路での自動車の運転を楽にする機能と思われるのですが、当時は渋滞しがちな日本の道路事情からか、それほど普及しませんでした。

しかしオートドライブ機能は、高速運転時の前方車両との車間を保つ機能として、「安全面」から見直されただけでなく、近未来技術である自動運転の必須アイテムとして注目されています。

自動運転は、パワーステアリング(電動式)・自動変速・オートドライブの3点が、最低限そろっていなければ実用化できず、はからずもセリカXXは、1977年のデビュー時に、すでにそれらを完備していたことになります。

まさに、「未来を先取り」ですよね。

もちろんトヨタや日産とて、40年以上も前に、未来を予測してXXや130Zを開発したとは思えませんが、彼らが実際に、努力において、また根底にある志において、未来を切り開き、手もとにたぐり寄せたのは間違いありません。

そこで今回ご紹介するのが、幸福の科学の経典『未来の繁栄は絶対に揺るがない』(大川隆法著 幸福の科学出版)の一説です。

本文中にある、「未来は予測できないが、切り開くことはできる」という言霊。

皆様、信じて損はないんじゃないでしょうか。

10月18日(金)からは、大川隆法総裁の、実際に病に倒れたエピソードが描かれた映画『世界から希望が消えたなら』も、日活系で全国上映されますので、未来を切り開きたい方は、ぜひ映画館に足をお運びになられたらと思います。

               (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』10月18日(金)公開直前インタビュー!<総合プロデューサー兼主演・竹内久顕>  

セリカXX (A40) CM

 

トヨタイムズ 東富士研究所 取材 フルバージョン

 

 日本の繁栄は、絶対に揺るがない https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=118

 

どのような事態が来ても、未来は切り開いていけます。

ドラッカーという有名な経営学者がいましたが、彼も、「未来は予測できないが、未来を切り開くことはできる」ということを言っています。

とても意味深い言葉だと思います。

どうすれば未来を切り開けるかというと、その答えとして、ドラッカーは、「目標を設定することである。目標を設定すれば、未来を切り開くことができる」ということを言っています。

確かに、人間は、目標があると、それに向けて努力するものです。

例えば、「海外で仕事をしたい」という目標があれば、英語の勉強をしたくなってきます。

むしろ、せざるをえなくなるでしょう。

未来は予測できませんが、「未来を切り開こう」と思うなら、強い意志を持って、目標をつくり、その目標に向けて頑張ることが大事です。

そうすれば、必ず道は開けてくるはずです。

未来は切り開くことができます。

そして、目標こそが、未来を切り開く力となるのです。

目標を設定して、それをやり遂げようと努力することです。

熱意を持って、一生懸命、やり遂げようと努力し、多くの人の智慧を集めて、“あの手この手”で努力しているうちに、必ず、自然にそうなってくるのです。

私も、「幸福の科学を日本一の教団にします。世界宗教にします」と繰り返し言っていますが、それは一種の目標です。

そういう目標を繰り返し言い、その目標に向けて努力していくことで、未来は切り開いていけるのです。

その目標の達成は、人間の力によって、早くにも遅くにも、どちらにでもなります。

未来は人間の力によって切り開いていけるのです。

私は、「世界宗教にする」という目標を達成するのに、「好況であるか、不況であるか」などということは、まったく気にしていません。

好況であろうと不況であろうと、やるべきことをやっていくだけです。

好況であれば、経済的にも潤っていて、熱心な活動をしやすいでしょうし、不況になったら不況になったで、人間は悩み事が増えるため、宗教の需要もそれなりに増えるのです。

(日本の繁栄は絶対に揺るがない より)

S130フェアレディZ CM

 

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いすゞベレットの、果敢な挑戦の歴史と『必勝の戦略』

2019-09-16 23:42:06 | 自動車から見える日本と世界
画像: いすゞベレット1600GTR(1970年)

  いすゞベレット(1963~1973年) 画像はタイプR

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、心より感謝申し上げます。

このブログはその名の通り、幸福の科学の在家信者による布教サイトなのですが、代表管理人が自動車大好き人間なので、時折、自動車関連記事をやらせていただいております。

私は素人なので、稚拙な記事しか書けませんけれども、自動車という商品から見える社会構造や、また歴史を通して、その時折に生きていらっしゃった方々の判断から、これからの日本の方々の、何らかの参考になればと思っております。

さて今日のお題は、いすゞのベレットです。

「懐かしいなぁ。」と仰った方がいれば、私より年配です。(笑)

いすゞは今では、トラックやバスを作っていますが、かつてはとても上質な乗用車をつくっていました。

そのいすゞの黎明期にあたる意欲作が、かわいいスタイルのベレットです。

私が考えるに、いすゞベレットが、その後の社会に与えた影響力というのは、結構大きかったと思うのですね。

と申しますのも、おそらくいすゞベレットは、ライトバンなどの商業者兼用の乗用車ではない、日本初の乗用車専用車両ではなかったかと思われます。

古い作品なので、なかなか資料に出あえないのですが。

今では商業車専門ボディの商品があり、ライトバンは死語になっていますが、かつては、トヨタのカローラにしても、クラウンにしても、また日産ならブルーバードやスカイラインにいたるまで、必ず、ライトバンがラインアップされていました。

その他のメーカーも、例えば、レースをすれば一番早いと言われ、RX-3とまで言われていた初代サバンナであっても、ライトバンがカタログに入っていました。

これは、一定のシェアのある商業車を自家用で使う方用の商品だったのですが、ボディ、特にボディ全体で強度を保つモノコックボディの場合、強度や重心や乗り心地などで、ライトバンとボディを兼ねることによる影響が、どうしても出てしまうのです。

そしてライトバンのある風景というのは、つい20年ほど前までは、日本の当たり前の日常だったのですが、ベレットは、56年も前に、乗用車専用車両だったのです。

この点で、方やトラックを作っていたいすゞですが、ベレット以降、乗用車部門では、商業車兼用ボディを作らなかったことが、いすゞの乗用車の上質性の要因なのかも知れません。

 日産スカイライン商用バン

さてそんないすゞのベレットですが、何がすごかったかというと、FR車で4輪独立サスペンションだったことです。

サスペンションというのは、タイヤを吊す機能のことで、路面からのショックを緩和し、乗り心地をよくするだけでなく、タイヤを路面に押し付けて、車体が走ったり曲がったり止まったりするのを助けています。

大別すると、リジットアクスルサスペンション(車軸固定懸架式)とインディペンデントサスペンション(独立懸架式)に分けられ、固定式と独立式で大きく違うのは、乗り心地と操縦性です。

 

 

        

リジッドアクスルサスペンション(車軸懸架式サスペンション)   

 

インディペンデントサスペンション(独立懸架式サスペンション)    

 

さて、固定式と独立式だと、乗り心地に関しては、圧倒的に独立式が有利です。

それは、左右のタイヤがバラバラに動き、バネ下が軽いので、路面追従性が良いからです。

ただ操縦性、特に後輪(リアサス)に関しては、部品が多く、上等と思われがちな独立式も、実は様々な問題があり、それはある意味で、未だに解決していないかも知れません。

というのも、サスペンションの運動面の機能から見れば、上下のみに動いて欲しいのですが、その点だけを見れば、単純な固定式サスペンションの方が優れているのです。

独立式だと、キャンパー変化(前から見た時のタイヤのブレ)またトー変化(上から見た時のタイヤのブレ)をゼロにすることはできませんが、固定式だと、限りなくゼロに近づけることが可能で、タイヤを上下だけ動かすという、サスペンションの基本的な動きをさせることが、シンプルで旧式の固定式の方がやりやすいのです。

ラジコンカーのサスペンションセッティング方法・基本【アライメント】 

唯一、ダブルウィッシュボーン型が、キャンパー・トー変化共に最小にできますが、そのためには、長く広い角度を持った4本のアームが必要で、乗用車に設置するなら、とてつもなく巨大なタイヤハウスが必要です。

乗用車のタイヤハウスに収まるスペースで、ダブルウィッシュボーン並、あるいはそれ以上の機能を持つと言われるマルチリンクサスも、やはりタイヤハウスは大きめで、かなりの大型車でなければ採用できません。

リアエンジン車やミッドシップ車のように、エンジンとギアとデフ(車輪につながる最終ギア)が一体構造であれば、後輪は独立式以外の選択肢はありませんが、当時の主流のFR車だと、デフをエンジンとギアから分離できるので、後輪を、技術的にもコスト的にもハードルの高い独立式を、無理して採用する必要はなかったのです。

「 フォーミュラーカー サスペンション」の画像検索結果

ですので、FRの降臨独立式サスペンションは、当時世界的にも採用例は多くありません。

またイタリアのアルファロメオ社などは、ある時期まで、「リアサスは固定式であるべき」という固い信念を持っていましたし、日本でも、トヨタや三菱やマツダなどが、ある時期までは、「リアサスは固定式に限る」と考えていたと思われます。

それだけ、後輪の独立サス、特に後輪駆動車は難しく、上下だけ動かしたいなら、乗り心地も悪く、タイヤの接地性の低い板バネ(リーフスプリング)による固定式に勝るものなしで、フェラーリもマセラティも、世界の最高級車ロールス・ロイスも板バネ固定式でした。

というのも、当時はタイヤの剛性も低く、グリップ力、つまり路面に吸い付く能力が低かったので、板バネでも乗り心地は良かったし、無理してサスペンションでタイヤを地面に押しつけたとしても、当時のやわなタイヤであれば、コーナーリングのスピードは、どの形式でも、さほど変わらなかったのです。

パラレルリーフ式サスペンション(リーフリジッド)

ですがいすゞは、果敢に後輪独立サスペンションに挑みました。

1963年当時、FRの小型車での後輪独立サスペンションは、ドイツのメルセデス・ベンツと、同じくドイツのBMWと、いすゞのベレットだけですから、いすゞの挑戦は、世界的にも進んだ試みだったのは間違いありません。

ただその形式は、スイングアクスルと呼ばれるものでした。

スイングアクスルの最も良い点は、部品が少ないこと、横方向の剛性が滅法高いことです。

スイングアクスルは、他の独立サスペンションとは大きく構造が違っていて、独立式というよりは、固定式を中央で分断し、両端をバネで吊す方式で、最もシンプル、かつ、基本的な独立式サスペンションです。

  

スイングアクスル式サスペンション(画像は日野コンテッサ)

 

 今の独立式サスペンションとの大きな違いは、車輪と車軸が固定されているところです。

今の独立式は、車輪と車軸は、等速ジョイントという関節でつながっていますが、スイングアクスルは、デフと車輪に回転を伝えるドライブシャフト(アクスルシャフト)のみがジョイントで連結されていて、車輪とドライブシャフトは固定式サスペンションと同じく一体構造で固定連結されていて、「独立式」というよりは、「固定式を中央で分断したもの」と言えます。

ですので、横方向の剛性が高いのですね。

もし車輪と車軸をジョイント(関節)でつなげば、くにゃくにゃですので、それだけだと剛性はほぼなくなり、何かで保持しないといけなくなります。

さて問題は、車軸と車輪が固定しているスイングアクスル式サスペンションだと、現実的には「どういう動きになるのか。」です。

「スイングアクスル 動き」の画像検索結果

 

スイングアクスル式は車輪と車軸が固定されていますので、横方向の剛性は万全です。

しかし固定されているので、縦方向には振子のように、円運動で動いてしまいます。

タイヤが上下だけに動かず、円運動に動いてしまうということは、タイヤやボディが上下に動くたびに、タイヤの接地面積が変わってしまうということになります。

これは自動車ではしょちゅう起こっています。

カーブでは車体は外側に傾きますし、ブレーキを踏めば車体は前のめりになりますし、急発進すれば後ろのめりになります。

つまりスイングアクスル式の車では、そのような車体が動くたびに、後ろタイヤの接地面積が変わってしまうのです。

当時のいすゞベレットの走行インプレッション記事を読むと、乗り心地は快適で、直進性もコーナーリングも優秀とあります。

直進性の良さは、スイングアクスルの大きな特徴です。

それはトー変化が事実上ないからです。

またコーナーでは、ロール(ボディが外側に傾くこと)したり、ブレーキで車体が前のめりになることで車体後半が雨季、その結果タイヤが逆ハの字、いわゆるポジティブキャンパー化するスイングアクスルの特徴が出て、後ろタイヤがふんばれずに、オーバーステアが起こっていたと思われます。

 

古い自動車雑誌から推測するに、当時は、オーバーステア=優れたコーナーリングという思いこみがあったと思われます。

オーバーステアは、要するにハンドルを切るより、曲がり過ぎる性格ですが、これはきちんと逆ハンドル操作を行う技量がないとスピンしますし、その間、車体は前へ進めず横方向に滑っていますので、実際に速く走れているわけではありません。

また強度のポジティブキャンパーで怖いのは、ジャッキアップ現象です。

ジャッキアップ現象とは、ポジティブキャンパーでタイヤが逆八の字になった際に、コーナーリングで発生する横からの外力によって、ドライブシャフトがデフを押し、車体が持ち上がることです。

その結果、重心が急速に上昇し、最悪転倒を起こすことで、このジャッキアップ現象が起これば、転倒するか否かは、「神のみぞ知る」となります。 

 
VWHandlingphotos.jpg

このジャッキアップ現象は、車軸と車輪が連結していることで起こる、スイングアクスルの根源的な問題です。

横剛性が強いがゆえに、車体を持ち上げてしまうのです。

いすゞはなぜ危険なジャッキアップ現象を起こすサスペンション形式にしたのか、それはおそらく、当時はまだ、等速ジョイントがレース用しか開発されていなかったことが大きいと思います。

車軸とタイヤを連結するジョイントの性能が完全でなければ、タイヤが回転するたびに振動が発生しますので、より上級な快適性を求めて独立式にする意味はありません。

そして当時、後輪独立式サスペンションといえば、メルセデス・ベンツだって、フォルクスワーゲンだって、ポルシェだって、みんなスイングアクスルだったわけですから、いすゞを責めることはできません。

しかしいすゞは、ベレットで、徹底的にスイングアクスルの弱点を抑え込む工夫をしています。

まず、ダイアゴナルリンクという、前と横方向のリンクを使って、ドライブシャフトにかかる横方向の力を分散しています。

そして、横方向にリーフスプリングで連結して、独立式の美点である乗り心地を保ちつつ、左右の車輪のポジティブキャンパー化を、最小限に押さえ込んでいます。

ただ、ここまで工夫してはいても、スイングアクスル式独立サスペンションのベレットは、絶対に、急ハンドルだけはしてはいけません。

「絶対に!」です。

 

「ベレットダイアゴナルリンク」の画像検索結果

このようにいすゞは、ベレットで、メーカーの総力を上げて、スイングアクスルの弱点つぶしに尽力したと思われるのですが、残念ながら、後続が続きませんでした。

ベレットの後の作品、フローリアンや117クーペでは、当時一般的な、リーフリジッドになってしまいました。

おそらくいすゞは、ベレットで、独立サスペンションの悪癖に、そうとう辟易したのだろうと推測します。

当時のいすゞの現実的な選択は、技術的には理にかなった、至極当然の選択です。

しかしその現実主義的な判断は、先進的だった当時のいすゞのイメージを、前時代的なものに変えてしまったと思えて、私はとても残念です。

いすゞがもう少し粘ってくれて、その後主流となった、車輪側に等速ジョイントを持つ、セミトレーリングアームを採用してくれていたら、フローリアンや117クーペには、別の魂が宿っていただろうと思います。

その結果、いすゞはイタリアのアルファロメオや、ドイツのBMWのような企業イメージを持つ、日本随一のブランドメーカーになっていたかも知れません。

ベレットは、やはり世界的レベルの傑作車だからです。

またその後リアサスの主流となったセミトレーリングアームとて、横剛性は十分ではなく、またアームの形状から、スイングアクスルにはないトー変化がありました。

そして、タイヤの上下動によるキャンパー変化も、かなりマイルドにはなりましたが、完全に払拭されたわけではありません。

その結果、低速でのコーナーではアンダー、高速コーナーではオーバーステアとなる傾向があり、タイヤの性能が向上することと、積極的にトー変化を演出できるマルチリンクサスペンションの普及により、その後採用例がなくなってきました。 

 

セミトレーリングアーム式サスペンション

 

ただ私が子どものころ、いや1982年にメルセデス・ベンツが、190シリーズでマルチリンク式サスペンションを発表するまで、自動車雑誌等で、セミトレーリングアーム式サスペンションの、ネガティブな評価は聞いたことがありません。

ですが、セミ・トレにもしっかりとネガティブな一面があり、その後淘汰されていくのですから、今の主流のダブルウィッシュボーンやマルチリンク式など、どこのマスコミも文句を言わない形式であっても、時代が下れば、評価が逆転する可能性もありますね。

案外、シンプルで完璧な横方向への剛性を持ち、トー変化のないスイングアクスル式が、また見直される時代が来るかも知れません。

その時には、かつてのいすゞの果敢な挑戦の歴史に、再びスポットライトが当たるやもですね。

ということで本日は、経典『リーダーに贈る「必勝の戦略」』と『成功の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、産業や成功に関する一節をご紹介いたします。

            (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』特報【2019年10月18日ロードショー】

リーダーに贈る「必勝の戦略」 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=123

業活動をしている人々、経営者や管理職、あるいはビジネスエリートたちにとっても、宗教から学ぶべきものはあるでしょう。  それでは、いったい、どのようなものを宗教から学ぶべきなのでしょうか。  

宗教に学ぶ「経営の原理」の一番目は理想や信念です。宗教において至るところに満ち溢れているものは、理想や信念なのです。  宗教は、「かくあるべし」という理想の塊のようなものです。「ユートピア」と言ったり、「仏国土」と言ったり、「理想郷」と言ったり、言い方は、いろいろありますが、宗教活動というものは、基本的には、仏の国づくり、神の国づくり、ユートピアづくりであり、そういう理想を目指しているものなのです。  

さらに、その理想を実現しようとする人々は信念の塊です。「これは絶対の善である」「これは絶対に正しい」「これは成し遂げねばならないことだ」という、強い使命感に裏づけられた人々なのです。それが宗教に生きる人々です。  

この部分は、薄められたかたちであっても、企業活動のなかに取り入れるべきものであろうと思います。(中略)  

その理想が本物であれば使命感が出てきます。  

したがって、まず、自分の会社において、宗教的な理想や使命感にも似たものを、何らかのかたちで考え出さなければいけないのです。「自分の会社を通じて何ができるか。仏国土ユートピアづくりに、いかなるかたちで参画することが可能であるか」ということを、とことん考え抜くべきです。  

経済の原理からいっても、基本的に、世の中の役に立たないものは消えてなくなり、人々の役に立つものが残っていくことになるので、この「根本的な哲学を考え抜く」ということは非常に大事なことなのです。

『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(大川隆法著 幸福の科学出版)P28~31

みずからが成功する過程において、「自分一人の成功にしない」ということは、極めて大事なことです。(中略)  

一生懸命に働いているのに、まったく他の人々から認められず、尊敬もされないのでは、辛いでしょうし、やる気もでないでしょう。何十年も働いていくためには、出世意欲を持つことは、よいことだと思います。ただ、課長や部長、役員になっていく過程のなかで、仕事や、自分の志の全部を、「自分の成功」という一点に絞りすぎないことが大事です。(中略)  

たとえば、自分が部長になる過程で、ほかの人に対して、その人の成功のために、仕事のお手伝いをしてあげたり、引き上げてあげたり、自分の成功のノウハウを分けてあげたりするのです。(中略)  

成功の流れのなかにある人は、ほかの人から、かなり、うらやましがられたり嫉妬されたりするものです。  

それは、ある程度は、しかたがないことです。(中略)

ただ、嫉妬される立場になった場合には、「他の人のために生きたい」という気持ちを常に持っておくことが大切です。それを外に出す必要はありませんが、常に心のなかに持っておくのです。  

また、他の人が自分より大きな成功をしたときには、自分のほうにも競争心や嫉妬心が出てきたりしますが、それを、極力、抑えることです。そして、自分の思いに反するとしても、その成功をほめてあげることです。「素晴らしいですね」と祝福してあげるのです。  

たとえば、他の会社が自分の会社よりも、どんどん大きくなっていったときには、「あそこは、たまたま、うまいことをやって成功した」などと言わずに、「素晴らしい成功ですね。わが社も、できれば、そのようになりたいと思っております」と言える気持ちを持ったほうがよいのです。  

「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。人の不幸や失敗を願うと、その貧しい心が、結局は自分のほうにも失敗を引き寄せてしまうのです。  

みなさんも、人の失敗を願っている人を、それほど、応援したり、支持したり、担いだりしたくないでしょう。むしろ、人の幸福を願っている人を担ぎたいでしょう。それと同じことです。  

「その会社が成功すれば、ほかの会社がみな不幸になる」というような会社は嫌なものです。会社が大きくなってもよいのですが、「産業界全体のために頑張りたい。この産業で頑張ることによって、できるだけ国全体や世界に潤いを与えたい」という気持ちを持っていることが、成功を続けるための条件なのです。(中略)  

「ほかの人の成功を願う」ということは、お人好しに見える面もあるのですが、自我我欲を、目一杯、出しきるのではなく、それを抑えることによって、実際は、多くの人々の支持を受けることになり、実りの大きな幸福や成功を得ることができるのです。

 『成功の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P192~196

 

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2019-08-25 00:43:50 | 自動車から見える日本と世界

ホンダ プレリュード XX 1982-87

ホンダプレリュード(2代目)1982年~1987年

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さて今回は、前回に引き続きホンダの話題から。

シティーやVTECの記事でもご紹介しましたけれども、80年代のホンダ車は、原理主義的というか、突き詰めたというか、そういう意味で、後々に大きな影響を与えた傑作車が多いです。

今日のお題のプレリュード(2代目)ですけれども、そういう原理主義的なホンダだからこそ実現した傑出した作品です。

プレリュードの何が突き詰められているかというと、FF、つまりフロントエンジン・フロントドライブ車でありながら、前の低い素晴らしいプロポーションを得、そしてなおかつ、卓越したハンドリング性能を誇ったことです。

今でこそ、数々の技術的革新と普及により、運動性能云々が言われなくなったFF車ですが、プレリュード出現以前のFF車は、「スタイルが凡庸で、ハンドリングは評価対象外」というのが一般常識でした。

それをホンダは、「FFでもスタイリッシュで、ピカイチのハンドリングが可能」ということを、現実的に示して見せたのです。

その始まりは、「ボンネット(エンジンが収まる、ボディ前方部分)を低くして、かっこいい商品を作ってくれ。」という、営業サイドから技術部門への、ひとつの提言によって行われたようです。

この提言には、FF車しか生産ラインのないホンダにとって、「無理じゃ!」と突っぱねても良かった事情がありました。

というのも2つの事柄から、FF車に低いボンネットは無理な条件があるからです。

一つはエンジンの存在です。

エンジンには当然、それ相応の「高さ」が存在します。

ボディ後方にエンジンのあるミッドシップや、ポルシェ911などのRR(リアエンジン・リアドライブ)車ならば、いくらでも低いボンネットが可能ですし、エンジンを後方に下げられ、なおかつ、前輪の前の空間を自由に伸ばせるFR(フロントエンジン・フロントドライブ)車でも、寸法に余裕があればボンネットを下げることは可能です。

しかし横置きとはいえ、前タイヤ前方にエンジンを積むFF車では、エンジン搭載高以上にボンネットの高さを下げられない事情があります。

「フェラーリディノ」の画像検索結果 「ポルシェ930ターボ」の画像検索結果

そしてもう一つが、タイヤを吊るすサスペンションの存在です。

サスペンションがなぜ必要かというと、乗り心地をよくするのはもちろん、タイヤを地面に押し付けて接地させるためです。

タイヤが地面に接地できなければ、自動車は進むことも曲がることも止まることもできません。

つまりサスペンションがなければ、自動車は安全な運転ができないのです。

サスペンションには独立式と固定式と半独立式がありますが、自動車の前輪のサスペンションは、よほどの強度を必要とする車種でない限り独立式です。

ちなみに現在の乗用車で、前輪が固定式サスペンションなのは、スズキ・ジムニーだけだと思われます。

固定式だと他のタイヤの影響をどうしても受けてしまうので、後輪に比べ圧倒的に重要な働きをしている前輪には、高価な独立式でなければ高速での運転操作が難しくなります。

しかしFF車の前輪を吊るすサスペンションで問題となるのは、タイヤとサスペンションを収めるスペースです。

FF、特に現在主流の、エンジン横置き搭載のFFには、横方向に余分なスペースが一斉ありません。

独立式のサスペンションの形式には、ダブルウィッシュボーン式とストラット式がありますが、それまで横置きエンジン搭載のFF車では、横方向のスペース効率に優れるストラット式しか搭載例がありませんでした。

しかし「横方向にスペース効率に優れる」ということは、「縦に長い」ということでもあります。

ですので、それまでのFF車では、低いボンネット高のかっこいいスタイルは不可能だったのです。

しかしホンダは、このFFにまつわる問題を、見事に解決してみせたのです。

一つは、エンジンを傾斜させて搭載したこと。しかしこれは、他にも実例がありました。

しかしもう一つは、まったく新たな挑戦でした。

ホンダの新技術、それは、横方向のスペース効率に優れた、ダブルウィッシュボーン式サスペンションです。

ウィッシュボーンとは鎖骨のことで、V字型のリンクの形状が、鳥の鎖骨に似ていて、それを二本使用することから、ダブルウィッシュボーン式と呼ばれます。

ダブルウィッシュボーン式 ストラット式

自動車のタイヤは、上下にしか動いて欲しくないものです。

しかしタイヤを何も固定しなければ、グラグラです。

動いてほしい上下だけでなく、正面から見て左右に動き、タイヤの接地角度が変化(キャンパー変化と言います。)し、横から見て前後に動き(キャスター変化と言う)、上面から見て左右に動き(これをトー変化と言います)ます。

この厄介なタイヤのキャンパー変化、キャンパー変化、トー変化を抑制するためには、タイヤホイールが連結している部品を、上下それぞれ二方向でボディに連結必要があるのです。

  「キャンバー変化」の画像検索結果 

これがダブルウィッシュボーン式サスペンションですが、上下2本のウィッシュボーンが動くだけの、広大なスペースが必要で、巨大なタイヤハウスが必要です。

もう一方の主流のストラットサスペンションは、タイヤ関連の下方向のみボディに連結し、上方は、上下の衝撃を抑えるダンパーで兼用しています。

部品が少ないですし、踏ん張りも強いですが、どうしても背の高い構造になります。

何かが優れていれば、何かが劣っているのが「真実の姿」であり、優れた部分を磨き、劣っている部分を克服する努力こどが「文明の進歩」なのです。

さてそれまで誰もなしえなかったプレリュードの前輪革命は、タイヤ関連部品の上部を支えるウィッシュボーンの形式を変更し、タイヤの上方にまで追いやって、なおかつずらした形状の、アッパーアーム式と呼ばれるものです。

「ホンダプレリュードダブルウィッシュボーン式サスペンション」の画像検索結果 図6

このプレリュードのサスペンション形状だと、レースなどの究極的な状況であれば、強度やトー変化に問題が出る可能性がありますが、一般的な高速道路走行くらいでは、ダブルウィッシュボーン式サスペンションらしい、しなやかさが失われることはなかったはずです。 

「横方向のスペース効率に優れたダブルウィッシュボーン式サスペンション」で、一般的なFF乗用車では不可能だった、低いボンネットを実現し、その優れたプロポーションで、2ドア車では、異例とも言えるヒット作となりました。

ここで称えたいのは、プレリュードまでにも、ホンダSシリーズで日本初のDOHCエンジンを発表し、F1に出場して優勝し、シビックのCVCCで排気ガス規制に立ち向かったホンダの、まさにホンダスピリット「為せばなる 為さねばならぬ 何事も 為らぬは人の 為さぬなりけり」の、苦境に立ち向かう挑戦精神です。

「上杉鷹山」の画像検索結果 

この「為せばなる ・・・」は、有名な米沢藩9代目当主であり、上杉鷹山公の言葉です。

幸福の科学大川隆法総裁の霊査によれば、ホンダの創業者、本田宗一郎氏の前世が上杉鷹山公とのこと。

ホンダに脈々と流れるホンダスピリットと、上杉鷹山精神との共通点はまだあります。

鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得には、

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 

右三条御遺念有間敷候事

一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。

とあります。

「本田宗一郎」の画像検索結果

一方、本田宗一郎氏は、自身が一代で築いたホンダを、御自身の子孫に譲りませんでした。

「会社は公器」という本田氏の精神でしょうが、これも、藩の私物化を戒めた鷹山精神に通じますよね。

今の為政者には、何かと言えば増税を口にし、まるで「国民の財産は俺のもの」と言わんばかりで、「ホンダで研修なさったらいかがか?」と苦言を言いたくなります。

そう気が付けば、総理も副総理も、その他の先生方も、みんな二世議員ばかりですよね。

ということでマニアックなメカの話から、偉人の言葉、そして現代日本政治への苦言まで、このブログらしく、脱線に脱線を重ねて参りましたが(爆笑)、本日は、上杉鷹山霊言『富国創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、今のお上に聞かせたい、日本史上屈指の名君の言霊をご紹介いたします。

         (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

1982 HONDA PRELUDE BOLERO 1 Ad

富国創造論 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=86&utm_source=IRHweb&utm_medium=POPLINK&utm_campaign=id86

お上のほうも、自分たちの仕事の付加価値というものを客観的によく考えて、襟を正さなくてはいけないと思うんですよ。(中略)  公務員は、まず、給料やボーナス等が適正かどうかを考えるべきですね。民間よりたくさんもらっているところもあると思うんです。実際に、いい仕事をしているなら、まあ、文句は言いませんけれどもね。だけど、その額は、法律や条例等で決められますから、改まるのが非常に遅いし、弾力性に富んでいませんね。やはり、こういうところは考えるべきでしょう。  

それから、「公立病院の病院長には経営責任がない。県知事や市長等に経営責任や人事責任までがある」と言われているんでしょう? これでは、病院のシステムについて改革しようがないではないですか。当然、病院長に経営責任を取らせるように努力しなければいけないでしょうね。(中略)  

やはり、「経営という問題をクリアせずに、国家の財政赤字を、全部、税金の問題にすり替える」というのは基本的に間違いなんですよ。「まずはきちんと経営を再建することが大事だ」ということですね。  

もちろん、経営再建のなかには人員削減も含まれていると思いますが、少なくとも、公的な組織のトップに経営責任を与えなければいけない。経営責任と、それに伴う権限の両方を与え、独立した経営体として運営していける方法を考えさせなければいけないわけです。(中略)  

やはり、「経営体としてやるべき努力は、全部、試みる」ということと、「公的な組織の長に決定権を与えて、責任を取らせる」ということが大事ですね。  

例えば、「この公立病院を三年以内に黒字にしなさい。できなかったら、あなたはクビです」というように、タイム・リミットを決めて、やらせることが基本ですね。そう言われたら、自分がクビになりたくない人は、経営改革をせざるをえないでしょう。その際に、「黒字の病院では、どうやっているのか」ということを参考までに教えてあげるのは大事だと思いますね。  

ですから、まずは、そういう経営レベルの努力をし、それでも足りなければ、次に税金問題になるのであって、それをやらずして増税を論議すべきではないんです。  

今、「高所得者の累進課税率をもう少し上げるべきではないか」「消費税も十五パーセント、二十パーセントと上げるべきではないか」などと言っているけれども、経営レベルで努力した上でなければ、そういう議論は基本的にすべきではないと私は思いますね。まだ、全然やれていないと思います。やはり、経営努力しなければ駄目ですよ。  

国家公務員および地方公務員等の仕事が効率的になり、サービスが向上して、国民が、「もうちょっと税金を払ってもいい」と思うような状況にならなければ、税金は取れないし、また、そうした良い状況になったときには、おそらく、増税が要らなくなっているはずです。

「黒字の公益法人を見つけては、それをいじめる」などということも、現実には起きているわけでしょう?(中略)これは考え方が基本的に間違っていると私は思いますね。  

そういう非営利法人であっても、それだけ利益がたまってくるのは、ニーズがあるからですよ。(中略)多くの人々が「その料金は妥当だ」と思っていて、それで利益がたくさん出るんでしたら、もう一段、事業として裾野を広げていくべきです。(中略)  

そういう利益が出ているところは、「民間会社並の可能性がある」ということを意味しているので、そこに公務員を引き取ってもらうようにしたほうがいいですね。単に失業者を出すよりは、そのほうがいいと思います。そして、そのなかで、多少なりとも違ったサービスを提供できるように努力していくべきですね。  

先ほど言った「漢検」もそうです。これから、移民が増えてくれば、外国人に漢字を教えるような事業が、当然、出てきますよね。そういう事業をやるために、先生を雇い、いろいろな所に教室を展開したら、当然、費用はかかり、利益は消えていきます。でも、それは移民を増やすために必要な事業でしょう? 漢字が読めなければ日本人になれないですからね。  

ですから、「漢検は利益が出すぎているから、外国人に漢字を教えるような事業を展開して、その黒字部分をもう少し投資に充てなさい」というような業務指導をするのが当然であって、「利益が出すぎるのは、けしからん」「本当に悪いことをしている」「着服したのではないか」などと言いすぎるのは問題ですね。(中略)  

「英検」みたいなものだって、受験者が増えれば増えるほど、当然、利益が増えますが、「利益が増えたから、けしからん」という考えは間違いですね。そういう英語の検定試験を受ける人が増えることは、「日本人が英語の資格に対して一定の値打ちを認め、英語能力を上げようと努力している」ということなのですから、それを悪いことのように言って潰そうとするのは間違っています。  

やはり、その英語事業を多角化していって、もう一段の国際人をつくれるような事業形態をつくり、公務員の余剰部分を吸収して、彼らが稼げるような体質に何とか持っていくべきです。  

「それは、民業を圧迫するから、いけないことだ」という考えもあるけれども、そんなことはないんですよ。非営利法人がそれだけの競争力を持っているのであれば、民間は民間で、それに負けないように、さらに頑張りますからね。「公立の小・中・高」対「塾・予備校」の戦いでは、軍配は明らかに民間のほうに上がっているわけですから、非営利法人がそういう事業をやっても、民間はいくらでも参入できるんです。  

公のものがよくなれば、民間も、さらにそれを超えるべく努力する。それが、まあ、資本主義市場経済のあるべき姿ですね。  

だから、「事業仕分け」もいいけれども、ちょっと間違わないようにしなければいけませんね。基本的には、黒字になったほうがいいんですよ。増税しないで黒字になるなら構わないんです。

公営のもの、非営利のものでも、増税をしないで黒字化できる事業は良い事業なんです。「増税して黒字にする」というのは、最悪、最低、最後の仕事ですね。

『富国創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)P214~225

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「ホンダf1優勝」の画像検索結果

オーストリアグランプリで優勝した、マックス・フェルスタッペン選手と、レッドブル・ホンダのマシン。

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先日お届けした、トヨタセリカの「逆転の発想」と、「戦略と戦術」という自動車関連記事が、何と、大手の保守系ブログ『理想国家日本の条件』で紹介され、そして掲載の翌日人気記事1位、翌々日に3位となってしまって、書いた私も驚く反響がございました。

「嬉しい」という思いと、「何がそんなに良かったんじゃろうかぁ?」と困惑した思いが・・・。(爆笑)

さて本日の話題は、日本を代表して、フォーミュラーの最高の舞台F1で活躍するホンダ(チーム名レッドブル・ホンダ)が、13年ぶりに優勝した話題です。

時は6月30日(日)、F1第9戦オーストリアグランプリ。

今シーズン、昨年の年間王者メルセデスが8連勝中で、昨年年間ポイント3位で、今シーズン最高位が3位と、これまで今一つの成績だったレッドブル・ホンダの勝利でした。

最強時代は続くのか? メルセデスF1、新車W10を公開 関連画像

銀色の車両がメルセデス、赤色がフェラーリのマシン

さて、F1に限らず、レーシングカーで重要な要素は、エンジンのパワー(最高出力)と空力です。

今のF1では、エンジンとは言わず、パワーユニット(PU)と呼びます。

それはレースはレギュレーション(規約)が厳しく、今のF1では、6気筒の1600㏄ターボチャージャーエンジンに、出力用と発電用のモーターを使ったハイブリッドシステムで戦うことが義務つけられているからです。

そして空力には大きく2つの考え方があって、一つは「可能な限り空気抵抗を少なくする空力」と、「ダウンフォース(下向きにボディを押し付ける力)を得る空力」があります。

F1マシンには、前後他に羽(ウィング)が付いていますが、これは飛行機の羽と逆で、車体を地面に押し付けていて、このダウンフォースでタイヤを地面に押し付けて、フォーミュラーマシンはコーナーを曲がっているのですね。

もちろん、ダウンフォースは大きすぎれば抵抗になるのですが、これがなければ、システム出力1500馬力以上と言われるマシンを、安全に操縦することはできません。

この空力には、各チームの戦略が大きく働いていて、昨年の3強チーム、メルセデス・フェラーリ・レッドブルの中で、最も空気抵抗の少ないのは、フェラーリだと言われています。

フェラーリのPUは、参加チーム最強とのことで、直線で最も速いのはフェラーリらしいです。

今シーズンの絶対王者メルセデスは、PUも強く、なおかつ空気抵抗・ダウンフォース共に高度なボディーを持ちます。

 キャプチャ69

そしてホンダのPUが載るレッドブルは、伝統的にダウンフォース重視のボディを作ります。ホンダのPUは、現時点ではまだ、パワーで言えば、フェラーリやメルセデスには及びませんが、昨年からどんどん進化を続けていました。

ただ、レーシングチーム・レッドブルとしては、今年からフロントウィングの幅が狭くなるレギュレーション変更もあり、ダウンフォース重視のコンセプトが生かせなかったのと、昨年まで積んでいたルノー製のPUより、遥かにパワフルなホンダPUとのバランス取りに苦心していたようです。

さてホンダ1勝目のオーストリアGP、そして2勝目のドイツGPでは、とても興味深い「法則」のようなものが見えます。

オーストリアGP予選1位でポールポジションだったのは、直線最速のフェラーリでしたし、途中までレースを引っ張っていたのは、絶対王者メルセデスでした。

しかし後半戦、グイグイと順位を上げるマックス・フェルスタッペン選手が操るレッドブル・ホンダに、みるみるフェラーリやメルセデスが抜かれていくのです。

それはどうやら、この日のオーストリアは熱波で、サーキット会場の気温が33℃を超える暑さで、2強のPUがオーバーヒートしたらしいのですね。

つまり周回の決まっているフォーミュラーレースでは、完走しないとポイントゼロですので、メルセデスもフェラーリも、マシンが止まらないように、気を使って走らざるを得なかったのでしょうね。

つまりパワフルで、空力に優れる2強のマシンですが、それゆえに、「暑さに弱い」という弱点があったわけです。

フォーミュラーカーのエンジンは、重量バランスに優れるミッドシップレイアウトですが、走行風がエンジンに当たりませんので、エンジンを冷やすことが苦手です。

ましてや、エンジン、高温の排気を利用するターボチャージャー、発電機、モーター、全て大量の熱を発しますし、そしてモーターは、熱に、滅茶苦茶弱いデバイスです。

それが、優れた空力の影響で、極限まで超タイトな空間に押し込められていますので、PUがパワフルになり、空力に優れれば優れるほど、高気温には弱くなるわけですね。

また2勝目のドイツGP決勝は、雨の中での戦いでした。

雨のレースでは、そもそも最高速も出ませんし、高速コーナーリングもできませんので、マシンの扱いやすさと、ドライバーのドライビングスキルが、レース結果に大きく左右します。

ここでもハイパワーなメルセデスの1台は、コースアウトしてリタイヤしています。

そんな悪環境のレースで、レッドブル・ホンダが1位、そして兄弟チームのトロロッソ・ホンダが3位と6位と大健闘しました。

それはもちろん、優勝したマックス・フェルスタッペン選手のドライブスキルも素晴らしいですし、なおかつダウンフォース重視のレッドブルの車両の扱いやすさというのが、勝利の大きな要因になっていると思うのです。

つまり、サーキットという特殊空間で、超一流の性能を持っているからこそ、サーキットの外要因、つまり気温や天候などの変化に弱いということが言えますね。

「短所は長所の影」と言われますが、何が幸いし、何が災いするかは、やってみないとわからないところがありますね。

「f1 パワーユニット パッケージ」の画像検索結果

さてこの企画、毎度ここからが本題なのですが(笑)、特殊空間と言って思い出すのが日本の政治。

戦後70数年の価値観のままで、今の政治制度はできているし、選挙という民主主義の最も尊い政治選択もなされています。

私には、現代の日本の政治そのものが、ガラパゴス化しているか、日本の政治だけが鎖国しているようにしか見えないのですが、それゆえに、「米中両経済大国で減税していても、イギリスやオーストラリアがそれに続いても、日本だけが増税路線」という、よく考えれば、恐ろしくてとてもできない政治選択がなされるのだと思うのですね。

また、中国の香港や台湾への恫喝外交や、中東での不穏状態がありながら、「選挙の争点が年金」で選ばざるを得ない状況もありうるのだとも。

しかしそれも、「戦後の日本」という、一種の特殊空間だからこそ、そういう制度も許容されていると思うのです。

今はまだそれが許容できる条件であるからこそ、ガラパゴス政治も許されてはいますが、それがサーキットでの高気温や雨などのように、何か一つでも、特殊空間がどうすることもできない条件が発生すれば、さあどうなるのでしょうか?

レッドブル・ホンダのマシンのように、「悪条件でこそ強い政治」が残るはずですよね。

さあ、日本の政治組織で、悪条件に強い政治組織と言えば、これが幸福実現党なんです。

先日の参院選でよく耳にしたのが、「幸福実現党の言っていることが、しっくりくる世の中になった。」というもの。

こういう状況は、おそらく今後、もっと言われだすでしょうし、そのピントの精度は、もっと上がってくるでしょうね。

日本の政治選択における、「何か一つでも、特殊空間がどうすることもできない条件の発生」は、日本が鎖国していない限り、また日本での情報収集や政治選択が自由である限り、必ず多くの日本人が知ることになるからです。

それは日本の、未来への夜明けの始まりになるでしょう。

ということで、本日もLiberty web記事をご紹介いたします。

           (ばく)

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2019 Austrian Grand Prix: Race Highlights

F1 ドイツGP 2019 ハイライト【日本語実況】

徴用工問題など歴史問題で"暴れる"韓国を救う方法

 

徴用工問題など歴史問題で

 徴用工問題で韓国内の日本企業の資産が現金化される動きがあるなど、日韓関係が悪化している。

 29日付産経新聞は、日韓両首脳が顔を合わせる可能性が高い9月の国連総会時にも、首脳会談は開かれない模様だと報じた。

 「従軍慰安婦」などを含めた歴史認識の問題で、日韓はたびたび衝突するが、何が問題なのか。

 本誌は2014年3月号で、当時、反日外交を展開していた朴槿恵(パク・クネ)大統領へのメッセージとして、「救韓論 ~韓国が「近代化」する5つの方法~」という記事を掲載した。

 

記事では、上記5つの方法について、歴史的事実に基づいて1つひとつ丁寧に分析・提案している。約5年が経過しているが、内容は古くなっていないので、ぜひお読みいただきたい(2014年3月号本誌記事 「救韓論 韓国が『近代化』する5つの方法」)。

 

今回は、上記企画に登場いただいた近現代史研究家の水間政憲氏のインタビューを紹介する。

(※2014年3月号記事再掲。年齢や肩書きなどは当時のもの)。

 

◆               ◆               ◆

 

韓国は近代化の精神を理解できていない

 

Interview

 

近現代史研究家

水間政憲

(みずま・まさのり)

1950年、北海道生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科中退。テレビ・新聞報道などで捏造されている近現代史について、一次資料を基に反証している。おもな著書に、『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』(徳間書店)、『ひと目でわかる「戦前日本」の真実』、『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』(いずれもPHP研究所)などがある。

 李氏朝鮮の時代を描いた韓流ドラマを見ていると、きらびやかな色の衣装がよく出てきますが、当時の李朝には庶民が使用できる安い染料がまだなかったので、実際、ほとんどの民衆は白地の服を着ていました。

 また、延々と派閥抗争の様子が描かれていて、結局は勢力が強く、勝利した側の言い分が正しいという結論になります。真実か偽物かという基準で物事を判断しないのは、朝鮮半島の歴史的な特徴であり、これは今も変わっていません。

 特に、歴史を文字にして残すカルチャーが弱いのですが、これは政権が代わる度に、前代の功績を書き記した人が粛清されてきたからです。そのため、慰安婦問題でも分かるように、歴史的な事実を資料などから検証して、真偽を明らかにする姿勢が足りません。

 日本では、明治以前から約束事を守る伝統があります。江戸末期に欧米諸国と不平等条約を結ばされても、あくまでも交渉によって治外法権や関税自主権を取り戻しました。日本は国際社会で差別を受けながら、近代産業を育成して立派な国にするために、40年あまり努力を重ねたのです。

 しかし、韓国は血のにじむような近代化の歴史がありません。日露戦争が終わった後、日本の保護国になって突然、近代化の果実だけがもたらされました。

 それまでの李朝は、道路脇に下水が流れ、馬車もないような状態でした。当時の朝鮮人にとって、次々と近代化の恩恵をもたらした日本人の姿は、まるで空から降りてきた宇宙人のような感じだったでしょう。

 

 

併合時代の恩恵

〈上〉李氏朝鮮末期(上)までは、木造の一軒家が広がっていた。〈下〉併合して26年後の1936年には、電車が走り、近代建築が立ち並んでいる。

 日本は朝鮮半島を法治国家にするために、まずは裁判の三審制を導入しました。そして、初代韓国総監の伊藤博文などによって学校制度が作られ、当時まだ100校ほどしかなかった公立学校が、併合末期には6000校近くにまで増えました。日本国内にもまだなかったような、レンガ造りの3階建てという立派な小学校をたくさん建てています。日本は、決して朝鮮半島を植民地として搾取した訳ではなく、近代化させようと尽力したのが歴史的な事実です。

 他にも、貨幣経済を整えるための朝鮮銀行や、資料を遺す文化を育てるための博物館、李朝時代にはありえないような水力発電のダム、東洋一と言われた跳ね上げ式の鉄橋、延べ5000キロを超える鉄道と1000以上の駅など、どれも日本が投資して築き上げたのです。

 

 

韓国の「甘えの構造」

 ただ残念なことに、近代化の精神が浸透するには至りませんでした。例えば、三審制を導入したものの、法治主義を自ら手にした訳ではないので、その意義が理解できず、今でも人の感情や損得で判断する人治主義が抜けません。

 戦後も、特に日本に対して理不尽な要求が多いですが、これは併合時代に日本人の優しさに触れて、恩を感じるのではなく、逆に味をしめたためでしょう。

 1970年代に、韓国は「漢江の奇跡」と言われる高度経済成長を経験しましたが、これも実際は、日本が日韓基本条約に基づいて、当時の韓国の国家予算の2年分に及ぶ資金を援助したおかげです。

 その後も経済が不調になると、ありもしない慰安婦問題などを叫ぶことで、何度も日本から資金援助を引き出しています。日本に対する「甘えの構造」です。

 また、日本との大きな違いは、仏教が朝鮮半島に根づかなかったことです。李朝時代に廃仏崇儒という政策で弾圧されて、お寺は山奥にわずかしか残りませんでした。中国もそうですが、仏教が排斥された地域は、たとえ距離が近くても日本と馴染めないと思います。

 仏教には、慈愛や菩薩行など、困った人に手を差し伸べて見返りを求めない精神がありますが、韓国や中国では、そういう人を見ると馬鹿だと思うのです。

 韓国が本当に近代化するためには、日本と同じように何十年もかけて、国際社会の信用を自ら築いていく努力が必要です。(談)

 

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この企画、結構読まれていて、嬉しい限りでございますが、ここで取り扱っているのは、自動車という窓から見える日本や世界や、社会に与えた影響、そして成功法則や教訓など、自動車という作品から推測する社会性の部分を記事にしています。

そういう企画は、どうやら自動車雑誌にもないし、他の自動車関連ブログでもなさそうですので、そういうオリジナリティがあるのかも知れません。

本日のテーマは、トヨタの初代セリカです。

このセリカ、これまで記事にしていませんでした。

というのも、日本随一の人気者ですから。

以前記事にさせていただいたトヨタのカローラレビン・スプリンタートレノ(AE86)もそうですけれども、超がつく人気車種だと、ちょっと腰が引けるところがあります。

さあ今日の主役のセリカですが、登場は1970年12月。

最高車種のGTには、当時はまだ珍しかったDOHCエンジン(2T-G型)を積んだ高性能車です。

セリカは、日本発のスペシャリティーカーと言われています。

スペシャリティーカーというのは、通常のセダンタイプの乗用車に、おしゃれなデザインを施した自動車作品の総称です。

この方法だと、専用部品を少なくできるので、製造コストを大幅に下げることができるのですね。

セリカにも兄弟車として、カリーナというファミリーセダンがありました。

しかしセリカが通常のスペシャリティーカーと違うのは、「まず、セリカの企画があったこと。」なんですね。

つまり、セリカの製造コストを下げるために、量販が期待できるファミリーセダン(カリーナ)が作られるようになったことなんです。

自動車製品のデザインは、車体骨格に強く影響されますので、ファミリーセダンベースでスポーツカーを作ると、どうしても、元の骨格の影響がでてしまいますが、セリカは、まずセリカを作ってから、それより大きなボディで居住性を上げたファミリーセダンを作っているので、セリカは「日本自動車史上、随一の傑作デザイン」と呼ばれる車体となりました。

まさに、「逆転の発想」です。

このような商品企画は、セリカ以外、世界中どこにも存在しません。

セリカの兄弟車カリーナは、スポーティカーの部品を使ってできたファミリーセダンで、CMのキャッチフレーズ「足のいいヤツ」と相まって、カローラと上級車コロナの間を埋める人気車種となりました。

ただセリカは、しゃきしゃきのスポーツカーではなくて、トヨタ的には、あくまで実用性の高い、おしゃれなスポーティーカーだったようですが、トヨタの予想に反して、高性能エンジンを積んだ1600GTがバカ売れしました。

それは卓越した車両デザインや、ファミリーセダンカリーナによる、大量生産効果に伴う車両価格の安さの影響もありました。

当時、自動車雑誌等でも、セリカ1600GTが度々登場し、当時のライバル車たちのと対決が企画されていました。

これが、自動車メーカーがスポーツカーを作る理由でもあるのですが、スポーツカーは雑誌の企画などで取り上げられやすいので、たとえ売れなくても、広告塔がわりになるのですね。

私は自動車少年でしたので、親や親せきが買った自動車雑誌などをよく読んでいたのですが、当時のセリカが他のライバルを蹴散らせたかというと、決してそうではなくて、随分と苦労していたのを記憶しています。

というのも、当時のライバルたちが、とても優秀だったからです。

たとえば、三菱のギャランGTO MR。

これは以前書いた記事があるので、お暇なら見ていただきたいのですが、ギャランGTOの元になったコルト・ギャランというファミリーセダンがとても優秀な作品でして、「その後の、世界のFR車のお手本となった。」とまで言われる、フロントミッドシップの歴史的市販車でした。

他にも、マツダサバンナもいました。

サバンナは、通称RX-3とも言われまして、国内のレースで連戦連勝していた日産スカイラインGT-Rの連勝記録を止め、当時国内レスの横綱となっていたツワモノです。

セリカは、ギャランGTOやサバンナに、性能面ではかなわなかったのです。

マツダ サバンナ

トヨタがすごかったのはここから。

なんとデビューからたった2年半後に、事実上のフルモデルチェンジをするのです。

このときに、今も人気のリフトバック(LB)を追加するのですが、車体を大きくするのですね。

これは2T-Gより大きなブロックを持つ、2000㏄の18R-Gエンジンを積むためです。

これはトヨタも一般的にも、商品の改良モデル、つまり「マイナーチェンジ」と呼ばれていますが、伸びたのがエンジンルームだけでなく、ホイールベース(前輪と後輪の距離)もトレッド(左右の前輪の距離)も変えていますので、これはボディ全体の変更であって、「ほとんどデザインを変えなかったフルモデルチェンジ」です。

これは、強力なライバルたちに勝つ!という、日本自動車のリーダートヨタとしての意地だったと思います。

その試みは、なかなか実りませんでしたが、その後トヨタ車のボディは強くなり、様々な名車を産むに至ります。

さて、「逆転の発想」や「戦略と戦術」ということで、皆さまにお伝えしたいのが幸福実現党。

幸福実現党の訴えは、他の政治組織とは違っているところがあります。

それは通常の政治組織が、「今できること」を訴えるのに対し、幸福実現党の訴えは「今、そしてこれから必要なこと」なんです。

これはなかなか伝わりにくい話ですが、とても重要なことです。

しかし、「世の中が、幸福実現党を必要とする時代は、必ず来る。」と思います。

否、「幸福実現党でなければダメだ!」という時代になるはずです。

そしてそれは、それほど遠くない未来に。

それが、幸福実現党の、戦略と戦術なんですね。

本日は、Liberty webより、パキスタンの国営放送特派員による、幸福実現党報道関連記事をご紹介いたします。

       (ばく)

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初代セリカ1600GT(後編)

 

トヨタ セリカ リフトバック(後編)-試乗インプレッション

パキスタン国営テレビ特派員が幸福実現党を紹介 すべての民族が幸福になる

YouTubeで幸福実現党を紹介するムガール氏(写真中央)。

参議院選に数多くの政党が候補者を擁立しているが、混沌とする国際情勢について意見を発信している政党・候補者は少ない。唯一明確に発信しているのは、幸福実現党だ。

 

同党は、中国の拡張主義に警鐘を鳴らし、アメリカとイランの対立に代表されるような宗教対立にも、世界の平和と繁栄のために、日本が仲裁役として使命を果たすべきだと訴えている。

 

そうした中、同党創立者兼総裁である、大川隆法・幸福の科学総裁が7月5日、福岡国際センターで御生誕祭大講演会を開催。そこに参加したパキスタン国営テレビ局特派員のフマユン・A・ムガール氏がこのほど、自身のYouTubeチャンネル「HUMAYUN MUGHAL」で、講演の様子をレポートした(今、日本で最も"アツい"宗教政党「幸福実現党」とは? 参照)。

 

ムガール氏は、パキスタン出身で、現在は福岡でイスラム文化研究会を主宰。パキスタン国営テレビのPTV News(英語版)の海外特派員も務めている。

 

動画では、大川総裁が、宗教にとどまらず、映画や政治など多岐にわたる分野で活躍していることへの驚きを次のように語っている。

 

「教祖の大川隆法総裁先生は、私から見れば、宗教家というより"監督"ですね。映画もつくる、音楽、作詞・作曲、すべてのありとあらゆることをやっている最高の"監督"であると思いました。宗教家だけじゃなくてクリエイターだと思うんですね」

 

また、信仰を持つ人が政治家になることの意義をこう語った。

 

「一番私が思ったのは、やっぱりシンプルな、『幸福』と考えた方がいいんです。ハピネス、全ての民族がハッピーになることは簡単なマニュフェストでありますから、あとどうやってやるか、純粋に素直に謙虚に、ピュアに、スピリチュアルな政治をやれば一番いいんだと思います」

 

動画の後半では、講演会の会場に駆けつけた幸福実現党の釈量子党首の様子も紹介している。

 

日本では、宗教に対する抵抗感が強い。ただ、世界のスタンダードから見れば、無宗教であることの方がむしろ非常識的だ。

 

今回のムガール氏のレポートは、政治家に宗教的素養がなければ、国際社会で起きている問題に対処できず、日本の孤立を招くことを教えてくれる。これからの日本には、宗教政治家が求められている。

 

【関連記事】

2019年7月6日付本欄 「アメリカなら幸福実現党の考え方で大統領が出る」 大川総裁が福岡で講演

https://the-liberty.com/article.php?item_id=15992

 

2019年7月6日付本欄 在日ムスリムが期待する日本外交「O(お金)・D(だけ)・A(あげる)ではダメ」

https://the-liberty.com/article.php?item_id=15990

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ホンダNSX(初代)フェラーリを近代化させたアルミの革命

2019-05-03 00:36:10 | 自動車から見える日本と世界

 初代NSXは今なお色褪せぬ──ホンダが所有する極上の1台を試す!

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新年号『令和』がスタートしました。

ここは高知の幸福の科学信者による布教ブログですが、代表管理人である私が、心のことより社会化が好きな看護師でして(笑)、しかもまた、そのサンプリングに自動車を使う変な思考を持っています。(大笑)

そこで時折、『自動車から見える日本と世界』という演題で記事を書かせていただいているのですが、これが結構アクセスが多いんですね。(爆笑)

私的には、「御縁があってブログに来ていただいた皆様への、ちょっとした箸休めにでもなればなぁ。」という企画なのですが、あっ、こんなこと言うと、高知のお仲間たちから、「ばくちゃん、お前さんの記事は、全部ばぁ、箸休めじゃきに。」と怒られそうですが・・・。(大爆笑)

そこで今回は、前時代となった平成を代表する、とびっきりの和製スーパーカー、『ホンダ NSX(初代)』にスポットを当ててみたいと思います。

ホンダNSX(以下NSX)は、トヨタセルシオ(現レクサスLS)、日産スカイラインGT-R、ユーノスロードスター(現マツダロードスター)、スバルレガシーなど、傑作国産車が目白押しの1989年に発表され、翌1990年に発売開始となっています。

これら平成元年に発表された傑作国産車は、現在も後継車が製造継続されるブランド作品となっていますし、その後の世界の自動車産業界に大きな影響を与えたことは、拙ブログでも何度か取り上げて参りました。

その中でNSXの大きな特徴は、エンジンを車体中央に置く、ミッドシップの、本格的なスーパーカーであったことです。

「nsx透視図」の画像検索結果

トヨタセルシオは、その後のメルセデス・ベンツ(独)やジャガー(英)などに多大な影響を与えたように、ホンダNSXは、フェラーリやポルシェなど、世界のスーパースポーツカーに、大きな影響を与えました。

なぜ影響を与えたかと言うと、「誰が運転しても、速く走れたから」です。

 なぜ誰が運転しても速かったというと、NSXは、とても扱いやすかったのですね。

1980年代までのスーパーカーというのは、レースやラリーをイメージしているからか、ハンドルを始めとする操作系は重くて当たり前、また、室内空調は悪くて当たり前だし、空力をよくするために視界が悪く、荷物が積めなくて当然という価値観でした。

そして、エンジンやその他のパーツの調子を整えるのが難しく、常に整備をしていないと、本来の性能を発揮できなかったのですね。

当時はその扱いにくさや、維持する苦労も、「スーパーカーが買える、選ばれし人の証」というような、変な論調がまかり通っていたのです。

中古車・新車情報 フェラーリ 328 

フェラーリ328GTB

ところがNSXは、操作系は軽いし、エアコンだってついているし、視界は広々で、トランクはゴルフバックが2個入るスペースがあり、エンジンはノンメンテナンスで、しかもVTECという、低回転から高回転まで、出力ロスの少ない最新エンジンでした。

ホンダはNSX発表の前年(1988年)は、世界最高峰のレース、フォーミュラー1(F1)で、16戦15勝という、途方もない成績を残し、NSX発表の89年も、ワールドチャンピオンに輝く、当時世界一のレーシングエンジンメーカーです。

そんな当時のホンダが作ったスーパーカーですので、もっと尖った作品かと思いきや、NSXは、とっても人間に優しいスーパーカーだったのです。

当時のホンダは、アメリカで高級車販売ブランド「アキュラ」を設立するにあたり、ホンダを代表する作品としてNSXを作ったのですが、そのコンセプトは、「人を犠牲にしないスーパーカー」だったらしく、当初から、ギンギンの作品は念頭になかったようです。

ただ、V型6気筒3000㏄で280馬力のエンジンは、当時の「自主規制という名の280馬力規制」がなければ、もっと出せていたはずなので、とても惜しいことです。

「一体何兆円の国富が失われたか。」と、私は、行政に腹が立って仕方がないです。

さて、ホンダはNSXを開発するのに参考としたのは、フェラーリ328GTBだったのは有名な話です。しかし基本的な部分などは参考にしつつも、ある意味で、フェラーリ328のネガティブな面を、徹底的に払拭したのがホンダNSXだったとも言えますね。

ちょうど、NSXが参考にしたと言われるフェラーリ328GTBも、時を同じくして、1989年に348tbにモデルチェンジします。

カタログ上のエンジンの性能などは、フェラーリ348の方がNSXより上なのですが、一般的なドライバーが運転したら、NSXが圧勝してしまう現象が、主な市場である全米各地で起こったのですね。

なぜならば、圧倒的にNSXが扱いやすかったからです。

NSXは変速ギアも、オートマティックトランスミッション(AT・通称オートマ)もありますし、AT車はハンドルの軽いパワーステアリングもついています。またトランクも広いので、お買い物にショッピングモールに女性が運転するのにもってこいでした。

その、お買い物に運転しているか弱い女性ドライーバーに、なんと、男の中の男の車であった、フェラーリやポルシェ911が負けてしまうのです。

NSXの大きな特徴は、世界初のオールアルミニウムモノコックボディ。

ボディをアルミ製にすることで、軽量かつ剛性の高いものになりますが、その分コストがかかります。アルミは、スチールよりも溶接が難しいという特徴があるため、当時の市販車では、他にこのような車はありませんでした。

 初代販売時の価格は、当時の国産車の中で最高峰となる800万円と高額にもかかわらず、バックオーダーが大量に発生し、待ちきれないオーナーの中には、アメリカの「アキュラ」からの逆輸入品を購入する人も多かったのだとか。

NSXは、当初のホンダの予想を超えて、日米で大ヒットとなりました。

当然、サーキットを走れば、フェラーリ348もポルシェ911も速いのでしょうが、両者ともエンジンは昔ながらの気難しいものでしたし、348はフェラーリ初のモノコックボディで、十分なボディ強度を持っていなくて、直進安定性に問題がありました。

また当時のポルシェ911は、伝統の空冷エンジンから、今につながる水冷エンジンへの切り替え期でしたから、基本的な車つくりに経費をかけられない時期であったのかも知れません。

コーナーリングを得意とするミッドシップ車は、その反面、直進安定性に難のある作品が多いのですが、空力を安定させるために伸ばしたトランクが功を奏し、NSXの直進安定性は優秀でした。

当時、スーパーカーの雄、フェラーリの焦りは相当なものだったようです。

というのも、フェラーリの伝統は「F1レースに出る費用を稼ぐために、市販車を売る」がモットーです。しかし当時、F1でホンダに、全くかなわなかったからです。

フェラーリはホンダに、レースとアメリカ市場の両方で、存続の危機にまで追い込まれたのですね。

フェラーリ348tb

そして今度は、NSXを徹底的に研究したとされるスーパーカーが、1994年にフェラーリから発表されます。

その名はF355。

F355は、348シリーズの後継モデルで、3500㏄ V型8気筒5バルブエンジンを搭載し、ボディの強度を大幅に上げて、日本製の部品を多用してトラブルをなくし、またF1マチックという、セミオートの変速ギアを搭載しています。

F355は、「フレンドリーで速いフェラーリ」ということで大ヒットとなりました。

フェラーリで人気No.1モデル?であるF355

フェラーリF355

自動車ライター、ジョン・ラム氏によると、

「NSXは非常に欠点の少ないクルマである。技術的にNSXは素晴らしく、動力性能的にも群を抜く出来だ。魂をゆさぶる走りとロングツーリングにも適した乗り心地よさの共存というカメレオン的な性格は、従来の最高級スポーツカー市場を変えた。(中略) NSXは、それまでのぬるま湯的なスポーツカー市場に活を入れ、フェラーリやランボールギーニといったメーカーに恐怖感を与えたのだ。そして数年後、我々はNSXがもたらした影響の大きさを改めて実感することになる。フェラーリがNSXに対する答えとして世に送ったF355に乗ったとき、このクルマをここまで変えさせたのはNSX以外の何ものでもないと強く感じた。NSXの存在なしに、フェラーリがここまで洗練かつ文明的になることは、多分無理だったに違いない。」

と絶賛です。

今、世界のスーパースポーツカーは、パワーステアリングやオートマチック変速機など、らくちん運転が当たり前ですが、その最初は日本のホンダNSX(初代)からです。

つまりNSXは、フェラーリを始めとするスーパーカーを近代化させたとも言えますし、近代のスーパーカーの始祖的な存在とも言えますね。

初代NSXは今なお色褪せぬ──ホンダが所有する極上の1台を試す!

さて、ここから幸福の科学や幸福実現党の話題に持って行くのが、この布教ブログの真骨頂なのですが(爆笑)、名車ホンダNSXから、我々が学ぶべき点は2つあると思います。

一つはなんと言っても、「規制緩和の重要性」です。

初代ホンダNSXの時代は、悪名高き「280馬力規制時代」ですので、「当時、世界で一番速かった」とも言われるNSXとて、最高出力280馬力以上には、高性能化することができませんでした。

280馬力規制がなければ、ホンダは、後塵のフェラーリF355と競争し、もっと多くの名車を産んでいたかも知れません。

つまり行政の規制には、「失われる富がある」ということで、不必要な規制はなくしていく方向こそ重要です。

280馬力だろうが64馬力だろうが、自動車の危険性には変わりありません。ということは、280馬力規制そのものが、大いなる無駄だったわけですし、ひいては、平成のはじめに、これだけ多くの名作を生んだ日本の自動車産業界が、時代が進むに連れ輝きが薄れていったのも、消費増税や多くの規制によるものということです。

これは行政、つまり政治問題ですので、ものつくり大国である日本が、今後輝きを取り戻すには、減税や規制緩和を政策とする政治勢力の躍進が絶対に必要です。

そしてもう一つは、「電力政策」です。

NSXのボディは、世界初のアルミモノコックです。

アルミは高価ですが、そのほとんどは電気代なのですね。

原料のボーキサイトからアルミニウムを分離するのに、大量の電力が必要なのです。

つまり、電気代が少なくなれば、安価なアルミニウムが作れるということですね。

今世界のアルミニウム製造のシェアは、中国が主流となっていますが、それは電気代が安いからに他なりません。

日本の政治政党で、電気代が安くなる可能性があるのは、幸福実現党だけなんですね。

「幸福実現党 政策」の画像検索結果

つまり、幸福実現党が日本の政治で躍進すれば、ホンダNSXのような、オールアルミボディで、軽くて強くて燃費に優しい自動車がたくさん作れるようになる・・・ということですね。

自動車大好きな私は、自動車愛の方には、幸福実現党を支持していただくべきだと思うのです。

とにかくも、NSXは、全世界に革命をもたらしたのです。

革命とは、価値観の不可逆的変化をもたらします。

つまり、過去の価値観に戻らないのが、革命なのです。

日本に、「減税と規制緩和の革命」をもたらせたいですね。

それは、幸福実現党でしかできませんので、ぜひにとも、幸福実現党を応援していただければと存じます。

ということで本日は、経典『幸福の革命』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

       (ばく)

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 幸福実現党党首・釈量子が命を懸ける理由ー夢のある国をつくろうー

NSX 2型 3.2L 6MT 黒澤元治がニュルブルクリンクを攻める!【Best MOTORing】1997

 

幸福の革命 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=150

 

「自分は才能あふれる人間である。学歴は高く、教養も能力もある。しかし、現実には成功を得ていない」と思っている人は数多くいます。  

そうした人は、自分が成功できない理由が分からず、「世の中のブームに乗り遅れた」「他の人のせいでこうなった」「時に利あらず」などと考えがちです。  

しかし、そうではありません。自分の心の狭さに原因があるのです。  

孤高であることはよいとしても、「孤高と言いつつ、実は、みずからの心の狭さを誇っている部分があるのではないか」ということです。  

心の狭さとは、結局、人を裁く傾向です。すなわち、他人のあら探しをする傾向です。  

優れた才能や資質、豊かな教養を持ちながらも成功しない人たちに共通する傾向は、「他人のあら探しをする」ということなのです。  

こうした人には、他の人は決してついてきません。たまたま、オーナー社長であったり、どうしても抜き難いタイプの指導者として、現在の立場についていたりしても、徳がないため、やがては人の心が離れていくのです。  

そうした徳のなさは、結局、その人が強い自己愛を持ったナルシスト(自己陶酔者)である点に原因があります。  

自分の孤高の性格をよしとしているため、他の人の人格を受け入れようとせず、人を裁こうとする傾向があるのです。  

高い知能を持ち、素晴らしい経歴がありながら、現在、成功していない人は、この点を点検していただきたいと思います。  

要するに、「寛容さが欠けているのではないか」ということです。  

寛容さの基礎にあるのは、「多様な価値観を持てる」「さまざまな個性を持った人を、包み込むように愛せる」ということです。  これができない人は、偉大な指導者として多くの人を引っ張っていくことはできないのです。  

もちろん、仕事の過程で他の人が失敗した場合は、それを修正させていく必要があります。しかし、そればかりではなく、他の人の欠点をも愛せる人間となることが大切なのです。  

他の人の欠点がかわいく見えてきはじめたならば、あなたはすでに成功者への道を歩んでいるのです。  

逆に、他の人の欠点がどうしてもがまんできず、その人を自分の視界から完全に消してしまいたいと感じるならば、いまは成功しているとしても、やがて必ず逆境のときが来ます。これは予言できます。  

どうか、寛容ということを学んでください。これも大いなる愛なのです。

『幸福の革命』(大川隆法著 幸福の科学出版】P71~74

20190514_happy_science.jp_web

https://info.hr-party.jp/2019/8694/

 

☆大川隆法幸福の科学グループ総裁御法話☆

演題 「自由・民主・信仰の世界」

日時  5月14日 18時40分より

場所  本会場 幕張メッセ 衛星会場 全国支部・精舎

夢は尽きない https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2182

☆大川隆法幸福実現党総裁・釈量子幸福実現党党首

演題「君たちの民主主義は間違っていないか。」

日時 5月22日(水)18時50分~

場所 本会場ベルサール高田馬場 衛星会場全国支部・拠点・精舎

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