幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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阪神大震災 ポケットマネーで救護所を運営した大川隆法総裁。

2020-01-17 00:59:37 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

「阪神淡路大震災」の画像検索結果

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1月17日。

25年前、未曾有の大災害、阪神淡路大震災が起こりました。

亡くなった方は、5000人を超えました。

被災なさり、お亡くなりになった多くの方々の、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

当時30歳だった私は、生まれて初めて目にする大自然の驚異を前に、人としての無力感を強く抱いたことを、つい昨日のことのように覚えています。

さて今から10年前の2009年5月に幸福実現党は立党し、3か月後の衆院選を戦いました。

この09年衆院選で、幸福実現党としては際立った得票率を誇る地域がありました。

兵庫9区です。

姫路や淡路島が選挙区のところです。

「兵庫9区」の画像検索結果

ここでは、幸福実現党の高木義彰(たかぎよしあき)氏が、5.3%の得票率で、12033票を得ました。

なぜここが、他の地域と違い、突出した得票率であったのか。

それは、阪神淡路大震災の折に、幸福の科学が行った神戸市内で救援活動で、神戸市内の救護所に行った方が、この地域には、たくさん住んでいらっしゃったからなのです。

「私たちは、あなた方を待っていた。」

そう言って、この地域の方々は、幸福実現党候補を応援してくださったのです。

25年前、阪神淡路大震災の折には、幸福の科学は神戸市内に構えた救護所では、豚汁の炊き出しなど、暖かい食べ物の提供が主でした。

そのガスや飲料水なども、全国各地からの、幸福の科学信者からの無料提供品でした。

高知からも、資材や飲料水などをトラックに積み込み、信者連が交代でボランティアに参加しました。

救護所は急ぎ仕事でしたが、仮設トイレやお風呂も備えた本格的なものでした。

幸福の科学は、震災後数日でそれを構え、ボランティアで運営し続けたのです。

そのときの費用は、いったいどこから出たかと申しますと、大川隆法幸福の科学グループ総裁のポケットマネーなのですね。

「最も早く予算が出るから。」という理由で、大川隆法総裁は、ご自身の預貯金を使って、神戸の救護所を構えたのです。

それで当時の大川総裁の貯金は、すっからかんになったとお聞きしております。

「幸福実現党 大川隆法総裁」の画像検索結果

この国の規模は大きく、またその国民性は、急激な変化を好まない国民性です。

また義理人情に厚く、これまでのしがらみや、多くの縁者からのお願いを断れない優しい国民です。

そのような国民が、わずか数ヶ月前に立党し、しかも宗教法人が母体で、マスメディアにも報じられない政党を、すぐに容認することはなかったでしょう。

しかし、10年経てばどうでしょうか?

20年続ければどうでしょうか。

この国の民は優秀です。

歴史の分岐点では、最後は必ず正しい選択を、日本国民はしてまいりました。

幸福の科学そして幸福実現党の、無我なる戦いは今も続いています。

そして、まだまだ続きます。

本日は経典『心の挑戦』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、個人の修行と社会の幸不幸の関係について、大川隆法総裁が語った一節をご紹介いたします。

        (ばく)

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大川隆法総裁 大講演会2016 「真理への道」抜粋版(幕張メッセ)

 

心の挑戦

(ごう)においては個人責任は当然の問題ですけれども、社会全体、人類全体というような、大勢の人々の共通の運命のようなものもあります。大きな戦争のときには、個人個人は正しく生きていても、そこから逃れることはできない、というような運命があります。これを「共業(ぐうごう)」といいます。これに反して、個人の業のことを「不共業(ふぐうごう)」といいます。

「環境や社会や時代のせいではないと言いつつも、実際には共業というのがあるではないか」「自分は人を殺したくなくても、戦争が起きたではないか。どうしてくれる」「自分は、一生懸命、事業をしているのに、経済不況が来たではないか」──そういう考えもあるでしょう。

ただ、これも結局は、人間というのは個人独りだけでは生きられるものではないということです。ロビンソン・クルーソーのように、孤島に独りで生きるわけではないし、みんなで共同生活をしているわけです。それぞれの人が「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」の縁起のなかで、お互いにつながって生きているのだ、ということを考えなければいけません。

そう考えると、社会が悪いとしても、その一端を担っているのは自分でもあるわけです。ですから、自分自身の個人修行はあくまでも大切にしていくわけですけれども、自分がかたちづくっている共同体、その社会や国家自体が悪い場合には、その一員として世の中をよくしていくために、「自分も何かをしなければいけない」という気持ちを、常に持つことが大事です。

ですから、共業そのものの悪い傾向を解消するためには、やはり光の仲間を増やしていくことこそが正道であるわけです。

そのためには、どうしたらよいか。それは仏法真理を一人でも多くの人に伝えることです。それも、真心を込めて、熱意を込めて、一人ひとりに仏法真理を伝えていくことです。

それが、やはり、多くの人々の共通の運命としての共業が、不幸な方向に向かっていくのを救うことであると思います。

個人個人が自分の心を正すことは大事なことです。しかし、「個人個人が自分の心を正していって、その流れが全体に広がったときに、全体の運命をも変えていけるのだ」ということを教えることもまた、大切な大切な修行であると思うのです。

ですから、「利自即利他(りじそくりた)」──自分を磨きながら他の人々をも導いていく──それこそが真実の宗教のあり方なのだということを、どうか深く悟っていただきたいと思います。

『心の挑戦』(大川隆法著 幸福の科学出版)P258~261

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