幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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【希望の法則】他教団から幸福の科学に入信した方の、驚くべき傾向性!(追記更新)

2020-11-05 00:06:44 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

大川隆法総裁 2018年11月の法話・霊言のご紹介 | 大川隆法 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

※ご好評頂いている記事の更新です。

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

幸福の科学の大きな特徴として、他教団で信仰をしてきた方の、比率が高いというのがあるかも知れません。

これは、教団設立初期ほど顕著だったと思います。

これは何も、信者さんレベルでの話ではなくて、他教団の会長さんや、教団幹部や職員さんまでもが信者登録をしていたりです。

最近の御法話では、「幸福の科学発足時、日本人なら誰でも知っている、日本を代表する伝統宗教の大僧正が信者だった。」ということで、さすがの私も驚きました。(笑)

http://www.dmm.com/mono/book/-/detail/=/cid=bkt33500566/

30年余り前で、そのとき大僧正ということは、今は故人でありましょうけど、「教えに古いも新しいもない」ということでしょう。

真理は、どこから見ても、いつ見ても、誰が見ても正しいものなので、古今東西、真理は真理なのです。

私なんぞは、他の教団に正式に属したことがありませんでしたので、他教団と幸福の科学との違いを、多くの方から学ばせていただきましたが、そういった方々をリサーチしてみると、ある驚くべき傾向性があることに気づきました。

それは第1に、「決して、以前属していた宗教を非難しない。」ということと、それどころか、「前の宗教との出会いに、心から感謝していらっしゃる」ということです。

これは、どういうことなのでしょうか?

通常ですと、新しい教えに属することは、以前の教えや価値との決別ですから、人間心として、過去を否定したい気持ちになるのではないかと思うんですね。

しかし、幸福の科学では、そういう思考パターンに、なぜだかならない方が大部分なんですね。

そしてまたこの方々が、一応に「前の宗教でも、生半可な気持ちで、信仰生活を行ってはいなかった。」というのも、大きな特徴だと思います。

そして、「祖師、教祖さまの理念を推し進めていったら、自然と幸福の科学にたどり着いた。」とか、「幸福の科学の教えを知って、前の宗教の教祖様の仰りたいことが、とても良くわかった。」と仰るんです。

これは私にも理解できました。私は幸福の科学入会前に、聖書(旧約・新約)と仏典のいくつかを読んでおりまして、「おお、これはそういうことかぁ。」という事例に富んでいたのを、つい昨日のことのように思い出せます。

これは日本国内に限ったことではないようで、かつて映画神秘の法のアメリカでの試写会の折、現地のユダヤ系の記者からは、「ハッピーサイエンスは、ユダヤ教の復活」とコメントされ、キリスト教徒記者からは、「イエスの教えの現代版」と評されました。

かつて高知支部精舎にて、インドネシア支部、韓国大邱(テグ)支部、南アフリカ支部、マレーシア支部の状況を知ることができました。

マレーシアでは、「イスラム教徒に伝道してはいけない。」という法律があるらしいですし、韓国ではやはり反日感情が強いなど、地域独特のやりにくさはあるようですが、着実に、世界に広がりつつある現状に、心強く思った次第です。

ちなみにイスラム教国においても、やはり情報化の波は全世界にいたっており、幸福の科学は、「現代的に洗練されたイスラム教」と認識されているようで、着実に影響力が出てきているようです。

確かなことは、幸福の科学を知ることで、それぞれバラバラな教えだと認識していた宗教が、本来一つの神の思いから分かれてきたものであり、それぞれが、神の多面的価値観の一面であると言うことが、体系的かつ論理的に認識できるようになることで、人々の認識力が飛躍的に高まり、同時に寛容になっていると言うことだと思います。

あるものは「光」を、あるものはその「暖かさ」を、またあるものは「有用さ」を説明したとて、「太陽は一つ」なのです。

宗教紛争に苦しむ今の世界は、新たな神の福音を知り、受け入れることで、新たな価値観の元、人種や宗教に関わりなく、「共に神の子」という人類のスタンダードステージに立てると、私は確信しております。

本日は、地元高知の立正佼成会の信者のご婦人Kさんが、2009年幸福実現党立党と同時に戦った、初の衆議院において、頂いたお言葉をご紹介します。

当時、慣れぬ政治活動に、身も心も疲れ果てた私を奮い立たせた、信仰者の篤い御言葉、独り占めにはできません。

未来の希望は、「共に神の子」という、地球人としてのスタンダードステージにあり。

その見識が人類共通の概念、つまり、「あたりまえ」になることが、終わりなきように見える大末法を終わらせると、私は信じて疑いません。

                     (ばく)

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大川隆法総裁 サンパウロ講演会「真実への目覚め」より

  映画『夜明けを信じて。』予告編 - YouTube 

 

あなた方は、仏陀釈尊の手足でしょう?
だったら誓願をお立てなさい。

御仏に、お誓いなさい。

神仏は、すべて御存知です。
誓願を立て、やるべきことをやり切りなさい。

そして、御仏の妙なる業(わざ)を信じなさい。
私は何度も体験しました。

「国会議員なんか誰がやっても一緒」などと言う、世間の無理解もあるでしょう。

しかし、あなた方は違います。
私は信じます。

尊い方々ばかりなのに、下げたくもない頭を下げ、御苦労なことでございます。

自分たちに利益にならず、挫けそうに思うかも知れません。
しかし、だからこそ! 功徳があるのです。

この国の人々や、世界の人々のことを、
本気で心配しているのは、いったい誰なのかを問う闘いです。

私の娘は隣の町で、私の属している宗教の支部長をしています。
みなさんのことを、「すごい!!」と言っています。
娘も応援しています。

体に気をつけて、これからも頑張って下さい。

 
 
多くの人々を幸福にする、「宗教融和」の考え方【インドレポート(3)】
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9552

筆者は3月2日から12日にかけて、幸福の科学学生局の仲間と共にインドを訪れた。仏跡巡りや現地の大学生との交流、街頭伝道などを通じ、さまざまな学びや感動を得ることができた。複数回に渡って、その内容をお届けする。今回は第3回目。
前回の内容は( http://the-liberty.com/article.php?item_id=9470 )を参照。

世界では今も、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立のように、宗教や宗派間での争いが後を絶たないが、インドの場合はどうなのか。同国では、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教など、一つの国の中に異なる宗教が居合わせているが、やはり争いが絶えないのか、それとも互いに共存共栄しているのか。
今回はそうしたインドの「宗教事情」についてレポートする。


◎「宗教のるつぼ」としてのインド

まず、インドではそもそも「無神論者」を見つけることが非常に難しい。

筆者は首都ニューデリーに滞在中、移動のために乗ったすべてのタクシーの運転席に、ヒンドゥー教の携帯用の本尊が安置されていることを発見。これに留まらず、街中に「ヴィシュヌ神」や「シヴァ神」を象った肖像画や銅像が多く掲げられているのを目にし、驚いた。

また市内の某所では、イスラム教徒が礼拝施設のモスクと衣食住が一体となった「イスラム街」を形成し、自給自足に似た生活を送っていた。

ブッダガヤでは、土やワラでできた家に住むなど貧しい生活をしている人が多かったが、仏教徒の間にはそうした悲壮感は漂っておらず、むしろ「仏教の聖地」を守る者としての誇りが感じられた。

各宗教とも、それぞれに立派な「寺院」と熱心な「信者」が存在し、衣食住の面で棲み分けがなされている点が印象的。そのため、お互いが積極的に交流している 様子はないが、そうかといって排斥し合う様子もない。各宗教を信じる12億人以上の人々が、お互いの「信仰」を認め合い、「インド」という1つの空気感を 作り出しているのだ。

日本では、日本国憲法第20条で「信教の自由」が保障されているにも関わらず、宗教を日陰の存在に追いやり、無視あ るいは異端視することによって1つになろうとする傾向がある。「宗教を信じる人を受け入れ、尊重する」という点において、インドの人々から学ぶべきことは 多い。


◎日本における「宗教融和」の素晴らしさ

一方で、日本からインドに伝えられるものとして「宗教融和」の考え方があるだろう。インドでは各宗教がお互いに“共存"はしているが、"融和"するところまではいっていないように思われるからだ。

日本は長い歴史の中で、日本神道という伝統宗教をそのまま残しながら、仏教や儒教、キリスト教などを受け入れてきた。

聖徳太子が7世紀、「国体」としての神道の枠組みは残しながら、仏教を「国教」として取り入れ、両者が共存共栄する体制を築いたのは有名だ。その後、日本神 道の「教え」にあたる、(1)心身の穢れを落とす「禊払い」、(2)調和を大事にする「和の心」、(3)正義を守る「武士道精神」が、「執着を去り、心の平静を得る」という仏教の教えと合わさり、「神仏習合」という思想として広まっていった。

また江戸時代には、儒学が武士の学ぶ正式な学問とされ、その秩序を重んじる教えが260年を超える泰平の世を築く元となっている。

このように、各宗教の間で互いの教えの良さを認め合い、補完し合うことによって、社会の安定や発展につなげていくことができるのだ。

日本人の多くは、正月には神社へ初詣に行き、夏にはお盆休みを取り、クリスマスにはプレゼントを用意してパーティを楽しむ。敬虔な信仰者から見れば、「節操がない」と断罪されそうだが、心のどこかで無意識に「それぞれの良いところ」をつかみ取っているとも言える。

インドのように、異なる宗教が隣り合っている環境では、本当に全人類を幸福にできる「普遍性」を帯びた教えが求められているのかもしれない。
(幸福の科学学生局 原田翼)


【関連書籍】
幸福の科学出版 『宗教社会学概論』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1243
幸福の科学出版 『日本神道的幸福論』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1262

【関連記事】
2015年3月号記事 「世界宗教」としての日本神道(Webバージョン) - 編集長コラム
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9169
2011年10月号記事 日本人が知っておきたい4つの宗教─200号記念総力特集「宗教」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=2717

2020年エル・カンターレ祭 お知らせ

演題     With Savior(ウィス・セイビア  救世主と共に)

本会場    さいたまスーパーアリーナ

衛星会場   全国全世界の支部・精舎     

開催日時    12月8日(火)19時00分~    

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11   

TEL:088-882-7775 


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