富山にしては珍しく天気が良いので、ほてほてと護国神社まで散歩してきました。
ここからは富山空港が近いので、飛行機も飛んでいます。
ちなみに富山空港は日本で唯一の河川敷に造られた空港で、天候に左右されやすくて飛ばない事よくあります。橋もあるので絶対に滑走路が増やせないとかも聞いた事があります。
では何故わざわざ河川敷に造られたのかというメリットは聞いた事がなく、簡単に検索しても分からなかったので、誰か知ってたら教えてください。
あと、北陸新幹線が出来て東京まで2時間で行けるようになったのに、富山空港からの殆ど便が東京行きなのもちょっと不思議ですね。
これも誰か知ってたら教えてください。
護国神社です。
空気が違いますね。
ちなみにここでは時々、朝4時だったか5時だったか、とにかく早朝からフリーマーケットやってるらしいです。
僕は朝は9時前に起きるなんて極悪非道な事はしないと決めてるんで、一回も行った事はないのですが、面白いらしいです。
梅が咲いてましたね。
春ですね。
この護国神社前の道を真っ直ぐ行くと、左手にロールオーバーがあります。
帰り道に他の神社にもお参りして。
千石モールから。
肉屋さんのボーンミート寄って、コロッケ買って帰ります。
昼飯のおかずにします。
外観撮り忘れました。
すぐ揚げてくれるので、揚げたてコロッケが食えます。
鈴木亭なんかを横目に見ながらロールオーバーへ戻ります。
鈴木亭は羊羹が美味しいです。
歴史的に言えば、江戸時代に幕府が美味いお菓子天下一大会〜何が1番美味いか決めたらええんや〜って感じの番付をやってて、当時何年も大関(この頃は横綱がなかったのでキングですな)の番付を貰っていた全盛期ヒョードルのようなお江戸の菓子屋さん。
そこで15年修行して名前を貰って富山に帰ってきたのがこちらの初代。
以来、本家の江戸のお菓子屋さんはなくなったらしいのですが、こちらは現代までバリバリ続いています。
つまり、こちらの羊羹は当時の将軍様とかが美味えええ!!って食してた羊羹が多分そのまま食べれるわけです。
ちなみに当時の価格で一本50000円の羊羹だったらしいですよ。
適当にやんわりと聞いた記憶なので、間違えてるかもしれんので、気になる方は自分で調べて裏付けしといてください。
で、ロールオーバーに戻ってきたわけです。仕事しなければなりませんので。
さすがにちょっと茶色過ぎる昼飯ですが、美味しくいただきました。
街はちょっと淋しくなったとよく言われますし、皆んなが背を向けて行きますので、そんなら僕がこの街を愛してやろうかと思ってます。
最近の作品では、これがお気に入りです。
しっかり色が染まっているのに、淡く優しい感じに見えますね。
染めてる人の心の優しさが伝わってくるようですね。
僕なんですけどね、染めてるの。
これからも良い作品を染めていきますよ。
https://tabisora-foolsgold.jp/?pid=173357186
昨日はライブでしたよ。とても楽しかったです。
最近はドラムの子が闘病中なのもあって、ソロでやっています。
大体昨年の12月くらいからやり始めたのですが、最近やっとソロでのスタイルが掴めてきた気がします。
でも掴めてきたなってところで飽きてもきました笑
一回ぶっ壊す必要がありますね。こういうのは。
せっかく自由なのに経験が型にはめようとしてきます。
そこを何度も壊して新しくしていかなければ強靭な自由にならないですね、
なかなか難しい道です。
もちろんこの染めだって同じ事で、常に今まで自分がやってきた事、経験と新しい試みとの勝負です。
積み上げてきたもんで勝負したら勝てねえよ、積み上げてきたもんと勝負しなきゃ勝てねえよってあの人歌ってたよね確か。
すごくその通りだと思うんです。
なんらかの芸術に挑んてる全ての人に、
こりゃあ大変だけど、やっぱ面白いしこれからも頑張りましょう。
https://tabisora-foolsgold.jp/?mode=cate&cbid=1426746&csid=0&sort=n
自宅の部屋からの景色です。
富山は雪が降っています。
降らなくても全然困ることはないんですが、毎年律儀に降りやがりますね。
吹雪いています。
こうなるとうちの店にTシャツ買いに来るような猛者は流石に居ないので(たまに居るけど笑)今日は店は休みです。
休んでると、結構染めをやりたくなります。
次はこの吹雪を表現したのを染めてみたいなって思ってます。
これは相当に難しいチャレンジになりますね。雪は白いので色がありません。
色がないものを色で表現する。しかも猛威をふるう吹雪。ホワイトアウトする視界を、です。
できるかどうか分かりませんが、ちょっとやってみたいですねえ。
そうそう、そんでタイダイ染め用の工房を家の近所に借りる事にしたんですよ。
じゃあ今までどこでやってたんじゃい?って話ですが、店に付いてるミニキッチンみたいとこで20年やってました笑
表現や創造は工夫すればどこだって出来る。
これは本当に自信持って言えるとこです。
君のそのベッドの上から世界を変えるような何かを創造することだって出来るぜ!!
ではなんで今更新しく工房を借りるのかって事ですが、これはもう自分の「覚悟」のためです。
自分のこのタイダイ染めを究極に突き詰めてみたいと思うようになったからです。
色の表現はまだまだ奥が深いですし、染めた衣料としてのファッション性ももっともっと深く追求したい。
そんでもっともっとスタッフとも面白い事してえって思うようになりました。
そうなんですよ。
染めも店もバンドも全部面白いからやってるんですよ。
面白い事も好きな事も、結構たくさんある人生で良かったです。
今日は雪が酷くて何かと動けないのですけれども、
そんな時はこうやって休んで、ブログ書いたりしてたら新しい面白いアイデアも浮かぶし決意も固まるってもんですね。
なので雪国は雪が降ったら会社とか全部休んでもいいよって法律作って欲しいところです。
もしくは経済活動が出来なくなるし、税金他の地域より割安にして欲しいですね。どうですかね?
Twitterでも書いたんですけど、
絞り染めの良い所は、絶対一発勝負でやり直しが出来ず、更にある程度以上はどれだけ技術を駆使しても偶然に頼るしかない所です。
つまり最後に神の手が加えられて完成するんです。
その難易度は最高レベルだと思います。
絵のように描き直しが出来ませんし、偶然に味方して貰わないと良い作品が出来ないのです。
なので、手を尽くして創意を重ねて重ねて最後に神様に委ねます。
ちなみに女神様なので僕のようにハンサムじゃないと微笑んでくれません。
ここには商売っ気が入る隙はありません。
あるには一枚の布と、基本3色の染料と想像力と工夫と情熱だけです。
バンクシー的な分かりやすい平和へのメッセージもありませんし、愛とかなんかそういうのもありません。
でも、ここには人が生きていく中での根源の辺りにある、
何か塊のような感情のような何かは込められています。
「言葉で表現できなくなった時に音楽、芸術が始まる。」
現在、僕の創作活動の根底にこの言葉があります。
ドビュッシーの言葉が元になってます。
自分の気持ちの奥の奥にある、僕たちが習った言葉では表現出来ない気持ち。
気持ちみたいな、、、なんか塊みたいな何か、、孤独と言うにはあまりにも深く広く長く、いくらでも湧いてくる後悔や力不足や、、どこか満足すらしているような、、やっぱり何か表せないものがありますよね。
最近は一芸術家の端くれとして、そんなものに向き合っています。
冬なのでそんな気分なだけかもしれませんけどね。まあとにかく寒いし染めするには水が冷たすぎるし笑
この作品を仕上げて、眺めていて、「雪 花 夜」とタイトルが浮かんで、そう付けました。
その次の日に本当に偶然Twitterで見かけたこのゴッホの作品が「星 月 夜」だったのを知りました。
どこか似てなくもないし、言葉を超えて何かを伝えてくるものは同じような波動を感じます。
あ?ゴッホと自分を同じにすんな調子乗りすぎだろって?
ふふふ、救いようのない阿呆だな君は。
ゴッホは存命中には1枚しか絵は売れなかったという話もあるんですよ。
僕の染めは既に累計で2千万円は確実に販売しているんですよ。
だからってゴッホのレベルかは勿論分かりませんが、今後そのくらいの価値が出ないって決まったわけじゃありません。
勿論、そんなことはどうだって良くて、何か根底にある波動が同じようだと言ってるだけです。
その言葉に出来ない、なのに誰もが隠し持っている感情を芸術として表現しようとしていくなら、
僕の作品も後世に何かを伝えていってくれたら嬉しいなあって思います。
日本人はよく誤解してる気がしますが、芸術ってのは理屈や正義やら悪やらの理論の外にあるもんだと思います。
そんな小さいもんでも大きいもんでもないんじゃないかなあ。
先日、2ちゃんを見てたらって今は5ちゃんか。こういうスレがありました。
これは今に始まった事ではなくて、富山はガチのマジで何もないってネット上ではよく言われています。
富山にずっと住んでる僕としては、ハッキリと言わせて貰いたいです。
「その通り!」と。
とはいえ、僕の世界一カッコいい店ことROLLOVERもあることですし、そもそも何かがないと面白いと思えないとか、お前は与えられてばっかりかおい?っていう思考の奴の為に富山に来る人が減るのは僕の店にも響きます。
そこで、先日TwitterでROLLOVERの東側のその昔は遊廓があった地域なんかを紹介したら、県外からの反応が思いの外大きかったので、こちらのblogでもう少し掘っていきます。
まずは。
営業してなくてもカッコいいROLLOVERです。
昭和の建物なので、よく見ると趣きのある玄関口です。昔は喫茶店か何かだったのではないでしょうか。
ここから立山連峰の方へ歩いて行きます。
山が綺麗です。
昔、ネパールへ行った時にエベレストを見る機会もありましたが、立山連峰を幼い時から見てるせいか、それほどの感動はありませんでした。
すぐに日本で1番小さい神社の富山中教院があります。
日本で1番なのに、特に観光地的な扱いもされてないし、多分富山の人もあまり知らないのが逆に神聖な感じがしますね。
ちゃんと手水もあるし、おみくじもありますし、手前の御神木も美しいです。
ちなみに、この辺によく居る猫はハッピーという名前です。横にあるアーティストというライブハウスに生息しています。可愛いです。
富山県民は郊外のスタバのドライブスルーに毎日渋滞を作るくらいボンクラですので、殆ど誰も来ません笑 このただ放っておかれてる様が良いです。
このまま立山連峰の方に歩いていくと、
アフターオール レコードがあります。パンクやロカビリーが好きな方は是非!
いたち川沿いを歩きます。
この季節はこんな感じで趣きありますねー。
春になると桜が綺麗です。
この、写真はうちのスタッフです笑
↑これは富山城の方です。いたち川はとても桜が綺麗です。
さらっと新世界通りの辺りです。
先述しましたが、この辺は戦前は大きな遊郭地帯だったらしいです。
あの阿部定が最初に売られてきたのがここだったとの事。ここから、より条件の良い働き場を求めて大阪の方へ移って行ったとか。
しかし僕の予想ですが、多分冬がクソ寒過ぎて嫌になったのが真実じゃないでしょうか。
そして戦争の時、富山は街の95%が壊滅っていう徹底的な大空襲があったので、その遊郭街は残っていません。
軍需工場ではなく、どういう訳か市街地に向けた徹底した空襲で被害は広島、長崎を除くと最も酷い被害だったらしいです。
僕は頭が良いハンサムで生まれたので知ってますけど、殆どの富山県民は不勉強で不思議な程これ知りません。もしかして富山の優秀な人はこの空襲で皆んな死んじゃったんじゃないかと残念に思うくらいです。
でも、その空襲の後、せめてって感じで造られたのが新世界通りで、どこかそういう時代の名残を感じます。
男がいて女がいて、いろんなロマンスがあって、そして戦争があって焼け野原になって、そこから立ち上がった人達の事を思うと、ここら辺を歩くだけで胸に来るものがありますね。
喉が渇いたら、そこら中で美味しい水がタダで飲めます。延命水で有名です。
ここにもやっぱり物語があって、、、まあ写真のとこまで来たら書いてあるので読んでください笑笑
この水さえ飲んでたら、そう簡単には死にません笑
あと、ここの水飲んでる僕の知ってる人達は子宝に恵まれる傾向にある気がします。
信じるか信じないかは、あなた次第です。
何もないんですけど、何か趣きの良い街並みがあります。
この小川にも昔はきっと蛍が飛んで、何か艶っぽい夏があって、秋や冬もあって、暖かな春が来て人々が暮らしていたんだなぁと。
さて、今日はこの辺にして、戻って店を開けなきゃいけません。
途中、山川で焼き芋を500円分買って、いたち川を眺めながら食べましょう。
1人なら500円でかなり腹一杯です。
昔ながらの焼き芋で、まわりに胡麻塩がまぶしてあって美味しいんですよ。
ちなみに夏はカキ氷です。
さて、戻って店あけました!
この地元紹介、楽しかったのでまたやります!
全然染め関係ないけど、関係ないけど無関係じゃない気がします笑
自分でも驚きの気持ちなのだけど。
いやいや決して撤退ではないのです。
退くではなくて、進む気持ちなのです。
アジア雑貨屋を26の時に始めて25年。その時々でカタチを変えながら続けてきたんですが、ここへきて心境の変化が起こりました。
商売で旅するの、、、、なんかもう嫌だなぁ。
元々は旅が好きで、しかし旅するだけだと金が減ってく一方なので、そこを何とかならないかと考えて始めたのが今の仕事です。
しかし、コロナ禍で渡航が3年近く出来ない間、それはもう四苦八苦して何とかやってきたんですが、その何とかの部分。
つまり渡航出来ないから仕入れ出来ないので、商品は自分らで作って売ろう!ってのを徹底しました。
勿論メール等で仕入れ出来る分は続けてましたけど。
元々はタイダイ染めは自分でやってたわけで、流れとしては自然な流れでもありました。
コロナ禍が落ち着いてきて、さあ渡航しようかってところで今度は円安ですよ。
オーマイガー!!
まあ、、、でもオリジナルの商品があるからな。別にいいかっ。
てな感じでモノ創りに軸足を移していった結果、旅は旅として行きたいなあ、、、仕事で旅したらそれもしかして出張じゃん?ってようやく気付くに至りました。
バカなので25年くらいかかりました。
もちろん今までの買い付け旅も最高に楽しかったのですが、買い付けがメインなので行くところも限定的で、なんと言っても重い重い責任があります。ちゃんと買い付けしないと店が潰れてしまう。これから売れる物を分析し予測して賭ける、なるべく安く仕入れて。。。
これはなかなか精神が削られる作業でした。
幸い僕はバカのわりに頭の良いハンサムに生まれついたので、なんとなくやってこれましたけど。
そういうところから自由になろうと思うようになりました。
元々アウトローな人生を選んだ訳なのに、もっともっと自由になる覚悟が足らなかったなと。
そしてタイダイ染め。
昨日、自分が染めた作品を見てて凄く思ったんです。
めちゃくちゃ綺麗やなあと。
多分、染めやってる人は皆んな感じ、思いつつ絶対に口には出さないだろうけど、僕の染めが絵画に近い
芸術的な儚さと美しさを内包した完全に絞り染めの域を一つ抜け出ている存在である事。
それを誰よりも自分が認めてやるべきだと思いました。
いや、本当に凄いよこれ。
これらを商品として売る事の残酷さ。
自分で自分を酷く傷付けてる事に等しいと気付きました。
商売人としての自分が居るから、作家、芸術家としての自分を染め職人として扱わなくてはならないジレンマ。絶対矛盾的自己同一。
おお。
それが限界に達していたんですね。
商売人としての自分をめちゃくちゃ縮小して、芸術家としての自分を大切に世界中の誰よりも評価してやる事にしました。
以前から思ってたんですが、タイダイ衣料もあれ僕の中では「服のカタチをした服としても使える芸術作品」なんですよね。
なので普通に服として見てるお客さんと意識が乖離してるんです。
機能性とかお値段以上とか庶民的な感覚な物を求められても、そんなんやったら染めじゃなくてプリントのもん探せよバカかよって感じなんですよねー。
そこの溝を埋めるには、自分の存在の在り方を変えるしかないです。
てなわけで、徐々に染色作家、芸術家、音楽家としてのそれの総合的な活動にシフトしていきます。
よろしくお願いしますね。
ちなみに画像の染めは過去作です(^^)
気が付いたら5月からブログずっっっっっっっとサボってましたね!
サボってた事にも気付かない程サボってました。
もう秋も晩秋で冬間近じゃないですか。
まあ考えると本当に色々と楽あり苦ありですが充実した日々を過ごしてたんだなって思います。
あと、染めを載せなきゃって考え過ぎてましたね。
染め載せなくても別にブログ書きたければ書いていいんだって気付きました。さっき。
まあ、一応載せますけれども笑
最近は曼荼羅だけでなく色々と染めてます。
染めが本当に楽しいんですよ。
なんか歳のせいか、色々自由になってきてる気がします。
今後の目標は自分に優しくです。
徹底的に自分に優しくする事を目標に、ダラダラと自由にやっていきます。
なので自由でどこか余裕のある染めが出来ていくんじゃないかって思います。
また、このブログもちょっとずつダラダラ書いていけたらなって考えています。
宜しくお願いいたします。