最近は夜になると西の空に金星が輝いています。
金星は光の反射率が高いので、より一層輝いています。
つまり太陽を光源とした光が、金星にぶつかり反射して我々の眼に飛び込んできてるわけです。
そんな宇宙空間の長い長い旅をしてきた光が眼の網膜にぶつかり、網膜がそれを電気信号に換えて脳に情報を伝えて我々は「見る」という事ができるようになるんですね。凄いシステムですし、それが分かるようになるまでの偉人達の研究も本当に凄いと思います。
光。
ここ数日は富山も晴れているので、暖かな光の大切さを身に沁みて感じています。
しかし光があれば影も出来る。
考えてみると影というのは、自分の影というのは光が当たった自分自身からしか生まれません。
これは私自身にも言えることはなんですが、光があるからこそどうしても影が出来る。
何かしら希望や光があるからこそ、それに対する不安や焦り等が生まれてしまう。
この時代だと、何やらSNSで他の幸せそうな上手くやってそうな人達を見せつけられちゃうので余計ですよね。
そんな人達に比べたら、私の場合は自分なんか見てられない。だってボロだもんって感じです。
でも多分実際はそんなに誰しも差はないと思うんです。
死ぬほど金持ってそうな芸能人の方でも最近は色々と問題起こしてますからね。
ああいう人達でも、信じられないような暗い面があるらしいです。
これは多分、光の方を見るか影の方を見てるかだと思うんでよね。
光というのは人それぞれ色んなカタチがあると思うんですが、影はきっと自分自身から出てくる暗いあれやこれやで。
その影ばかりを見て、その影の声に耳を傾けてばかりいると後ろ向きになってしまう。影は後ろに出来るものですしね。影が前に見える時は、光に背を向けてる時です。
それはきっと酸のように自身をじわじわと溶かしていってしまうと思うんです。
影の声も無視してばかりいるとダメだと思うのでバランスは必要だと思いつつも。
自分が思う光の方向をしっかり見据えて、まあなるべく気楽に生きてくしかないなぁと思うわけです。
もっと言えば、光という漢字が示すのは、古代神聖なものであった火を頭上に掲げる人を表しているらしいです。
だから、自分がもっともっと情熱やら希望やら面白いアイデアやらで、ほんのちょっぴりでも周りを照らせるようになれたらええなぁと身の程知らずにもあらためて思ったりします。
光の方ばかり見てると眩しくて老眼が辛いし、でも影ばっか見てると暗くなるし、やっぱここは自分が光る!!
これですね。
と、まあそんなイメージで染めましたよ。
傑作かと思います。
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