甲斐の戦国大名・武田信玄は、最強と謳われた騎馬軍団を作り上げた武将です。
生涯における合戦の数は百三十余度に及び、一度たりとも敵を自国に入れることはありませんでした。
信玄は青年時代から禅や学問を学び、また詩や和歌にも親しんできました。信玄の詠んだ和歌の中で、最も有名なのは次の歌でしょう。
人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり
「仇」は「恨むこと」という意味です。信玄は堅固な城を造るよりも、領民の生活の安定に努めました。人を大切にし、「武田二十四将」と呼ばれる幹部を育て、最強の軍団を作り上げたのです。
この和歌は、後に江戸時代の人が作ったものという説もありますが、信玄の生き方をよく表わしたものとして、現代でも広く親しまれています。
「人材は人財である」とは、よく言われることです。人と人とが協調して仕事に励む時、苦難は去っていくでしょう。
(職場の教養 2012年5月17日「人は城」より)
生涯における合戦の数は百三十余度に及び、一度たりとも敵を自国に入れることはありませんでした。
信玄は青年時代から禅や学問を学び、また詩や和歌にも親しんできました。信玄の詠んだ和歌の中で、最も有名なのは次の歌でしょう。
人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり
「仇」は「恨むこと」という意味です。信玄は堅固な城を造るよりも、領民の生活の安定に努めました。人を大切にし、「武田二十四将」と呼ばれる幹部を育て、最強の軍団を作り上げたのです。
この和歌は、後に江戸時代の人が作ったものという説もありますが、信玄の生き方をよく表わしたものとして、現代でも広く親しまれています。
「人材は人財である」とは、よく言われることです。人と人とが協調して仕事に励む時、苦難は去っていくでしょう。
(職場の教養 2012年5月17日「人は城」より)