羚英的随想日記

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■柿内沢鹿踊 其の伍 御巡幸■

2016-05-16 21:05:35 | 風の吹くまま
 


5月4日(水)、挨拶演舞が終了し、御巡幸の列に並ぶために移動を開始します。

御巡幸パレードでの演舞は、今まで遠入羽(とおいれは/隊列のまま前に飛び出すように踊り出る場面)だけを踊っていたそうですが、それだけでは物足りないとの声も聞こえ、中立の角鹿さんがショートバージョンを披露する案を練り、まつりの関係各位の了承も得て今回の演舞披露が実現しました。

2月の寒稽古から週に何日も練習を重ね、午前に披露出来なかった誉め唄を含め、まだ習得していないパートの中のいくつかを今回の新しい踊り手さんたちは新たに教わり、この式年祭で初披露しました。


柿内沢さんに付いて行くつもりが、途中でちょっとした足止め状態に。
結局、御巡幸の途中途中で踊られる演舞の、一番初めの演舞の始まりに間に合いませんでした
太鼓の音が聞こえて慌てて向かいましたが、動画を撮れたのは鹿の子の場面から…。。。






まだ小雨止まぬ中、パレードの列に移動です。
第10代中立がいつも甲斐甲斐しく踊り手の装束の乱れを直しておられました。






すでに鹿の子の場面に入っていました…。。。
鹿の子は 『これのおせど』
鹿の子の前には入羽が入っていたそうです。








『これのおせどの 花の木に 小鳥が住むよ…』
 





『花が散り揃う 花が散り揃う』






動画で観ると分かりますが、一瞬踊りが揃わない場面が…。

各演舞は、中立が最初に4種類ある内のどの入羽を踊るかを側鹿に伝えるだけで、鹿の子はどれを踊るのかは中立の唄を聴いてから側鹿が判断し追随します。
中立の角鹿氏は、鹿の子はどれとどれを…などと考えながら、幕越しに知り合いの方がいるか踊りながら見たり(後でお礼が言えるように)と注意散漫になりがちで、つい間違ってしまうことがあるのだとか

中立が間違ってもそれに合わせて臨機応変に対応するのが側鹿。
(大変ですね~^^;)






寄せの場面。
みんながちゃんと定位置に揃ったか中立が右見て左見てと確認します。
何気ない場面ですが、ここも好きなシーンです。






引羽の場面。
『かしわの番場に…』






『群々雀が…』






『羽先を揃え 池の恋しさ 池の恋しさ』
















踊り始めてやっと1年が過ぎたという人が3名、諸事情でなかなか練習に参加できなかった踊り手さんもいる中で、昨年末の動画で観た頃よりも格段に踊りが揃い、勢いもあって、声もよく出ています。

欲を言えば、唄の音程をちゃんと中立に合わせられたらもっと素晴らしかったなと。
勢い付いてつい出てしまうのかも知れませんが、中立は踊りのリーダーですから何事もリーダーに合わせるべきだと思います。

あくまでも私個人の意見ですが、女性が混じる踊り組で声を合わせるときに女声が飛びぬけて聞こえる(男声に合わせていない)踊り組もありますが、私はそれは残念だなと思うのです。(高校の部活、役踊りは別として)
鹿踊りの唄はそれほど低音ではないはずですし、女声でも合わせることが出来るはず。
おお!女性も踊っていたとは!と思わせる踊りがいいなと、個人的には思うのです(^^)






『太鼓の胴をきりりとしめて…』






『ささらを…』






『揃え…』






『これで納めろ これで納めろ』






中立の角が地面に着いてます!
『角が大きいので着いてしまう、壊れない程度に』 だそうですよ。






御巡幸の最初のショートバージョンの演舞が終了、渡り拍子の太鼓を叩きながらパレードの移動を始めます。






この演舞は…
①入羽→鹿の子(これのおせど)→寄せ→引羽(かしわの番場)、でした。








前方の団体が演舞中、渡り拍子を叩きながら待機。




次の場所に移動し、御巡幸パレードでの2回目のショートバージョンの演舞。
打っ切り(ぶっきり、または抜きばち)と呼ばれる、場面と場面の間に打つ繋ぎの太鼓から始まります。

雨のため午前中の奉納が出来なかったので、それに代えて天照御祖神社に向かって演舞を披露しました。





入羽の場面。
入羽は4種類あり、これは挨拶演舞の入羽 「ザンザンザンザン」 とは違うものです。
(前述したように、さきほどの演舞の入羽は観そびれましたので、どの入羽か分かりません…泣)
これは、ザッツャゴザァコ ザッツャゴザァコ…








中立のように、踊りに追随して装束が流れ揺らめく鹿踊りのひとつの美しさを、側鹿さんたちもいつか見事に表現出来るようになることでしょう。
とても楽しみです。




 

庭廻り(+唄切り)の場面へ。








幕を足したために余裕が出て、ふわりといい踊りの余韻が幕に残ります。
こういった瞬間を観るのも、私にとっては鹿踊りの醍醐味のひとつなんですよ。






ササラを地面に打ち付ける直前。
ササラをねじるようにして打つのが特徴です。

唄切りが入ります。 
『京で九貫の 唐絵の屏風 一重にさらり 廻り合わせろ 廻り合せろ』






幕がひらひらと…。






そのまま鹿の子の場面へ。
中立の見せ場の一つ、長いササラが弧を描いて空(くう)をなぞります。






鹿の子は 『奥の御山(みやま)/奥の御山の細筋竹 よれてからまる ばらり離れろ ばらり離れろ』






この鹿の子も私の好きなひとつ。
バチを前に掲げ、バチ同士を叩き鳴らしながらの所作が続きます。

キッカタカタカタ ザンザンザンザン
キッカタカタカタ ザンザンザンザン…






キッツァゴザンザン キッツァゴザンザン…






キッツァン キッツァン キッツァン…






ザゴイゴ ザンチキチ…








中立がくるりと後ろを向きます。背中のながしには誇らしげな山口派を示す和歌が。
寄せの側鹿が揃うのを確認する場面以外では、中立が背中を見せる所作はここだけです。










このあと鹿の子の場面は終わります。






寄せの場面。鹿の子の輪の状態からもとの隊列の状態に戻ります。








引羽の場面。
『かしわの番場に 群々雀が 羽先を揃え 池の恋しさ 池の恋しさ』




動画が途中で終わってしまいました。
iPhoneはアラームや電話やメールなどの着信があると動画撮影が止まってしまうことを知りませんでした。
大切な動画撮影の時は機内モードにし、アラームも切らねばいけないそうです。
せっかくの動画だったのに…柿内沢さん、申し訳ありませんでした



御巡幸パレードのショートバージョン演舞は…
1番目が 入羽→鹿の子(これのおせど)→寄せ→引羽(かしわの番場)
2番目が 入羽→庭廻り(+唄切り/京で九貫の)→鹿の子(奥の御山)→寄せ→引羽(かしわの番場)でした。


YouTubeに動画をアップロードしています。
演舞の様子をどうぞご覧下さいね。
(※移動の動画はデジカメでの撮影、演舞の動画はiPhoneでの撮影、記事内ではそれらの動画から取り出した静止画像を使用しています)




2016 式年祭 柿内沢鹿踊2

(2016年05月16日アップロードの動画を、解析度の高いものと差し替えました。)



 

 (※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)

■柿内沢鹿踊 其の六 御巡幸■ へ続く

#鹿踊り #ししおどり
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■柿内沢鹿踊 其の四 挨拶演舞■

2016-05-12 21:48:00 | 風の吹くまま
 


5月4日(水)お昼前、式年祭の御巡幸の前に、お宿(柿内沢鹿踊の休憩所)の前の道路でお宿への挨拶演舞が行われました。

まずは柿内沢鹿踊について、簡単ではありますがご紹介致します。





行山流山口派柿内沢鹿踊
(ぎょうざんりゅう やまぐちは かきないざわししおどり)
 

岩手県気仙郡住田町世田米・柿内沢地区に伝承される行山流山口派の踊り組。
寛政初年(1789年)、世田米村の肝入(村長)の登戸(のぼと)屋敷弥市の子孫・加蔵の代に矢作村馬越(現・陸前高田市矢作町馬越)より伝授され、地区に帰り人々に伝い習わせたのが始まりと云われている。
『加蔵は若くして妻を失い、愛児一人と馬一匹が残され途方に暮れていたが、馬を売って矢作村に行き、鹿踊りを習い、皆伝を受けて帰宅し、妻の霊前で踊ったとされている。』

一方では口伝によると、天明期(1781~1789年)の頃に大原山口(一関市大原大東町山口)から相伝されたとも、文政期(1818~1830年)に大原山口の喜左衛門から伝授されたとも云われる。

詳しい資料や古文書(伝書)が残されておらず、分かっている範囲内では現在の中立は第12代目となる。
消長を繰り返し、記憶にあるところで第二次世界大戦時に一時中断・昭和30年代後半~40年代前半頃に休止を余儀なくされたが、昭和59年に再開し現在に続く、およそ230年の歴史を刻む踊り組である。




踊りの構成

柿内沢鹿踊にはいわゆる“演目”という概念はなく、踊りの各場面(パート)の複合構成により一つの踊りを成立させている。一回の踊りを一庭(ひとにわ)と言い表す。
基本の一庭は各場面から一つずつ、任意で狂いの場面を略したり鹿の子を複数含めて構成することも。
狂いの無い場合は“鹿の子踊り”と呼び、狂いが入ったときはその狂いの名で演目名に代えて呼ぶ。
案山子踊りは狂いの部類に分けられ、案山子の場面が入った場合は狂いは踊らない。
竿鹿の子という場面が、今回の式年祭で十数年ぶり(二十年ぶり?)に踊られた。


■ 踊りの場面とその数・構成は次の通り

1.渡り拍子(わたりびょうし)・・・・・1
2.遠入羽(とおいれは)・・・・・1
3.入羽(いれは)・・・・・4
4.庭廻り(にわまわり)(+唄切り)・・・・・3
5.長唄(ながうた)・・・・・6(何十年も省略していたが、今回中立が長唄のひとつを踊り手に伝えた)
6.狂い(くるい)・・・・・3 (内訳;唐金狂い(三人狂い)+追い狂い(読み;ぼいぐるい)、松島狂い(三人狂い)+追い狂い、絡み狂い(二人狂い))
7.鹿の子(かのこ)・・・・・13 
8.寄せ(よせ)・・・・・2
9.引羽(ひきは)・・・・・5 (内訳;踊りも唄も異なるもの/3、踊りが同じで唄が異なるもの/2)

また、場面と場面の間には、抜きばち・打っ切り(ぶっきり)と呼ばれる“繋ぎの太鼓”のパートが入る箇所がいくつもある。
場面場面でたびたび唄が挿入され、踊りは緩急に富み、同じ気仙地方でも他に類似する踊り組がほとんど見当たらない、珍しい踊りだといえる。





さて今回、この記事内の画像はすべて動画からのスクリーンショットを使用します。
初めて使うコンデジでの撮影で、画素数が高いのにiPhoneのスクショよりも画像が荒いのが納得行かないところでして。。。
画質の悪さに関するお目汚しは、どうぞご勘弁下さい 


演舞が始まります。
柿内沢鹿踊の演舞の内容は未だによく分からず説明するのが難しいので、だいぶ割愛しております。
大目に、また気楽に見て頂けたら幸いです。





まずは渡り拍子から。タンタン タグヂグ タンタンコ…






シッという中立の合図(警蹕/けいひつ)で打っ切りの太鼓を叩いたあと、唄が入ります。
『一礼申して 通れ吾が連れ 通れ吾が連れ』
最後の『吾が連れ』のときに中立の太鼓がもたついた感じに聞こえるところがありますが、これは「ころばし」という技法で洋音楽で言うビブラートのような三連符のような、リズムに抑揚をつける打ち方です。

実際歌われる歌は、歌詞の合間につなぎの言葉が入ったりするものもあります。
原文を載せていますのでご了承下さい。






合図と打っ切りのあと、遠入羽の場面に入ります。
これは隊列のまま前に飛び出すように踊り出る勢いのある場面です。














合図と打っ切りのあと、唄が入ります。
『心静かに 遊べ吾が連れ 遊べ吾が連れ』
 





合図と打っ切りのあと、入羽の場面に入ります。ザンザンザンザン ザゴイゴザン…












そのまま庭廻りの場面に入ります。ザッツァゴ ザゴザゴ ザッツァゴイゴ ザゴザゴ…






2本のササラがねじれるように回すのが本来のやり方だそうです。






腰を下ろして頭で見得を切るような所作を。






唄切りが入ります。
『京で九貫の唐絵の屏風 一重に…』でササラ(ヤナギ)を地に叩きつけて
『…さらり 廻り合わせろ 廻り合わせろ』
 







そのまま鹿の子の場面に入ります。中立が庭を廻り…






ダイナミックに左に右に半回転します。中立の踊りが際立つ場面のひとつです。
側鹿はリズムの緩急に臨機応変に対応します。

1回目の鹿の子は 『此の庭/此の庭は 広く平になるならば 小花を散らし 遊べ我が連れ 遊べ我が連れ』






この場面ののち、鹿の子の最後のあたりでは鹿たちが一斉に腰を下ろす所作があり、続いて次の鹿の子が始まりました。
ショットを取ろうと思いましたが、タイミングよく(?)目の前に通行人たちが通り過ぎてしまったので取り出せず…、のちほどで。






2回目の鹿の子の場面。
この鹿の子は 『海の波中(どなか)/海の波中のはまつどうは 波にゆられ づんと立ちそろう づんと立ちそろう』






鹿たちが一斉に片足ケンケンで左に右に廻ります。
鹿頭が小さく、太鼓が大きく位置が高いため立ち姿のバランスがよく、すらっと端正な柿内沢の鹿の美しさが際立つ 『海の波中』 も私の好きな鹿の子のひとつです。






ここが鹿の子の中にある一斉に腰を下ろす場面。ひとつの鹿の子の場面の終わり直前の所作です。






寄せの場面。タゴンゴタン タゴンゴタン…






引羽の場面です。『かしわの番場/かしわの番場に群々雀が 羽先を揃え 池の恋しさ 池の恋しさ』






威勢のいい掛け声が掛かり、クライマックスの場面。






次期中立の若鹿の左口輪の踊り手さん(この画像では中立の右隣)、ところどころが師匠譲りの踊りになったような。
このあとも、威勢のいい掛け声が。






他流派のような頭を勢いよく振ってザイを振り流す場面(所作)のない柿内沢鹿踊の中での、振り乱しの場面。






『太鼓の胴(どう)をきりりとしめて ささらを揃え…』
“調べ”ではなく“胴”なのですよ。






『…これで納めろ これで納めろ』






挨拶演舞が終了です。






間を置かず、シッの合図で打っ切りを叩いたあと、息も絶え絶え(!)花受けの唄。
唄がすぐに始まります。






中立がお花(ご祝儀)を受け取ります。






ひとりひとりの前に行き、頂いたお花を間に互いにお辞儀を。






右口輪の踊り手さんともいいタイミング。






唄は『旦那様は我等に下さる 御酒代を故郷(くに)の土産に 持てや我が連れ 持てや我が連れ』






花受けの唄が終了、一礼を。






最後に渡り拍子を叩いて一連の演舞が終了しました。






お宿に向けて、踊り手さんたちが一礼。




この日最初の演舞は無事終了しました。
今回の演舞は…
①渡り拍子→遠入羽→入羽→庭廻り(+唄切り/京で九貫の)→鹿の子2(此の庭・海の波中)→寄せ→引羽(かしわの番場)の鹿の子踊りを一庭と、②花受けの唄→渡り拍子、でした。

雨も小雨になりもう少しで止みそうな中での演舞でした。
本番用ではなく練習用の太鼓にビニールを張って臨んだ踊りだったので、太鼓の鳴りが良くなかったと仰ってました。



取り急ぎYouTubeのアカウントを開設し、この挨拶演舞をアップロードしています。
画像と稚拙な文章では上手く踊りを説明できませんので、画像は鮮明ではありませんが、是非ご覧になってみて下さい。
(※演舞の動画はコンパクトデジタルカメラで撮影、使用している画像はその動画からスクリーンショットで取り出したものです。)




2016 式年祭 柿内沢鹿踊1

(2016年05月08日アップロードの動画を、解析度の高いものと差し替えました。)

 

 
 

 (※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)

■柿内沢鹿踊 其の伍 御巡幸■ へ続く

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■柿内沢鹿踊 其の参 式年祭へ 【補記】■ 

2016-05-11 16:58:03 | 風の吹くまま
 



行山流山口派柿内沢鹿踊の中立の角鹿氏が、以前の装束の画像をさらにご提供下さいました。
これをアップしないなんて、勿体無い!

ということで、前回の記事に補記してご紹介します。






まずは、柿内沢鹿踊の半纏を。






後ろには対面した二匹の柿内沢の鹿が。






こちらは前回に使用していた大口袴。
牡丹の花の開き具合で役を表しています。






畳むと、より分かりやすいですね!対面で踊りを観ている位置関係と考えて…。

前列真ん中の中立は、満開の牡丹。
中立の左側(左口輪)は、七分咲きの牡丹。
中立の右側(右口輪)は、五分咲きの牡丹。
後列の側鹿は、三分咲きの牡丹。
しがりは、つぼみの牡丹。






前の記事にも載せましたが、前回の装束は大口袴の背面の図柄はどの鹿も同一だったそうです。






これは側鹿の幕。側鹿・しがりの区別がなかったそうです。
現在の装束のしがりの幕と同じですね。






左から前々回のながし、前回のながし、現在の側鹿のながし。
現在の装束になる以前は、やはり側鹿としがりの区別はなかったそうです。
前回の図柄が現在のしがりの図柄と同じですね。






前回の中立のながし。
前の記事にも載っていますが、竹に雀紋のスズメにちゃんとスズメ色がついてます。
傷んでいた華鬘結びの部分はばらしたそうで、華鬘と縁取りのない状態です。




装束の図柄の変遷も、興味のあるところです。
新調するにあたって、染物屋さんの意向が前面に出る装束をよしとするか否か、時代に沿った新たな柄や色合いを受け入れるかそうでないかなど様々あるでしょう。

伝統とは、その伝統の現在を担う人々の意向で後年へと繋がっていくものですものね。
(私個人としては、あまり変わって(崩れていって)欲しくないなと思います…。。。)

■追記■
前回の装束は25年ほど使っていたそうです!
画像では色鮮やかに見えますが、実際はけっこう色褪せて痛んでいるそう。





(※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)

■柿内沢鹿踊 其の四 挨拶演舞■ へ続く

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■柿内沢鹿踊 其の参 式年祭へ■

2016-05-10 19:57:52 | 風の吹くまま
 







5月4日(水)、世田米 天照御祖神社式年祭(あまてらすみおやじんじゃしきねんさい) 御巡幸の日。

車で町の中心部に移動し、お宿と呼ばれる柿内沢鹿踊さん専用の休憩所に集合します。
そこで踊り手さんたちは装束の着付けを済ませます。
撮り忘れてしまったので、画像を中立の角鹿氏にお借りしました。
尚、この記事内でマークがある画像はすべて角鹿氏からお借りした画像です。
(角鹿氏、ありがとうございます!)

柿内沢鹿踊の装束の作りは昔ながらで、着付けには必ず人手が必要なのだそうです。
踊り組によっては脱着がスムーズに出来るように工夫を加えているところもありますが、こちらはそうではないそうです。

鹿頭(ししがしら)の下にはえんつこ(嬰児籠が訛ったもの。嬰児籠とは昔赤ちゃんを布でくるんで入れて使った、藁で編んで作った道具)と呼ばれる藁で作った帽子状になったものがあり、それをすっぽりと被ります。
その踊り手にあった大きさになるよう、タオルなどを使って調整するのだとか。
激しい動きで頭がズレないように、まず顎できつく縛り、後頭部から腰の帯にまで伸ばした紐状のもので更に支えるそうです。

終始一人の踊り手さんにピッタリ引っ付いて着付けを見ていればよかったんですが、そこまで頭が回りませんでした(笑)












柿内沢鹿踊の装束について記します。

は麻の青い幕。(画像で見るよりも、実際はもっと濃い深い青です)
喉印は、井桁継ぎの九曜紋。(以前の幕は井桁継ぎの無い九曜紋だったそうです)

中立の幕は、行山の文字、その下に鶴丸紋、竹に雀紋、蟹牡丹紋、鶴の紋様、亀の紋様。
側鹿の幕は、日の丸扇紋、鶴丸紋、九曜紋が二つ、鶴の紋様、亀の紋様。
しがりの幕は、日の丸扇紋、鶴丸紋、九曜紋、蟹牡丹紋、鶴の紋様、亀の紋様。
結び目のあたりからは紺地に花の紋様の布が足されていて、女鹿は紅色系、その他は金茶系。
(以前の幕より幕裾の長さが短くなっため踊り難くなり、昨年に布を足したそうです) 









は小さめ、顎が他の団体の鹿よりも狭く幅9cm弱。
目と目の間の赤いポンポン飾りは、今回は中立のみ。(角鹿氏のお手製!今後全ての鹿に飾る予定とか)

中立の角は大変希少な四つ叉、ザイは白髪が少しの茶髪のヤンキー系。
側鹿の角は三つ叉、ザイは真面目な黒系。
しがりの角も三つ叉で、ザイは白髪のメッシュ入り。






がしの頭頂には華鬘結び、その下には、
中立は、白の竹に雀紋と仰山の文字、白縁の緑の二本筋、『 陸奥能信夫牡鹿濃女鹿廼郷殸遠曽侶邊天遊婦志嘉可裳 』 の和歌。
側鹿は、白の九曜紋と二本筋、松に金時(怪童丸)の紋様。
しがりは、白の九曜紋と二本筋、松ともみじに山姥金時。

華鬘結びから繋がる赤い縁取りの下部は、
中立は、赤いポンポン飾り。(角鹿氏お手製!)
側鹿は、桃色のポンポン飾り。
しがりは、紫の房。
(資料画像には写っていないので、踊り手さんの画像をご覧下さい)







ちなみにこちらは、以前に使われていた中立のながしの竹に雀紋



サラ(ヤナギ)は約10尺(復活当時は13尺、現在の約4メートル)、巻かれているのは障子紙ではなくビニール状のもの。(千切れて難儀なので、他団体さんを参考に変えたそうです)
ササラに巻かれている布は青紫に九曜紋を染め抜いたもの。
ササラの先には鳥の羽根。
しがりのササラは黒の印が。
(踊り手さんの画像参照)

 
口袴の裾は白の二本筋で、前面は、
中立は、白の重ね源氏車紋、その上に牡丹(満開)の紋様。
側鹿は、牡丹(満開)の紋様。
しがりは、白の鎧蝶紋、その上に牡丹(つぼみ)の紋様。

ちなみに、前回の装束では大口袴の前面はどの鹿も牡丹の紋様で、
中立は、満開
左口輪(中立の左側にいる踊り手)は、七分咲き
右口輪(中立の右側にある踊り手)は、五分咲き
側鹿は、三分咲き
しがりは、つぼみ
であったそうですよ。








背面は、
中立は、もみじに御所車の紋様。
側鹿は、唐獅子牡丹の紋様。
しがりは、松に白鷺の紋様。




 



ちなみにこちらは以前に使われていた大口袴。
全鹿に共通の図柄だそうです。




チの房飾りは、
中立は、 えんじ色。
側鹿としがりは、紫色。

物(襦袢、単衣)の袖の柄は
男性(しがり役も)は、空色の市松模様。
女性は、赤地に花の紋様。

甲は、白地に黒の九曜紋。

履には、赤いポンポン飾り。(角鹿氏お手製!以前は桃色のが付いていたものの長らく付けられていなかったので、今回色を赤にして復活&初お目見え)









こちらはこの日 「しがり(殿/しんがり、最後尾の意味)」 を務めるショーネッドさん。
ザイにメッシュが入ってますね!






中立(踊りのリーダー)の角鹿氏。






いつもは藁で編んだわらじを履きますが、この日は雨模様だったのでゴム製のわらじを。
滑らなくて踊り辛かったと(^_^;)






2代前(第10代)の中立で、角鹿氏が心から尊敬しておられるお師匠が着付けの手伝いを。
とても80の齢を超えているとは思えない、長身で背筋がすっと伸びた端正なお姿、立ち振る舞い。
右に出る者がいないほどの、もの凄い踊り手さんだったそうです!
角鹿氏のご親戚の方です。
 





踊り手さんの着付けがほとんど終わりました。






御巡幸のパレードの前に、まずはお宿の前で挨拶演舞が踊られます。
このあと暫くして、この日最初の演舞が始まりました!






(※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)
(※はる屋様、怪童丸の呼び名を教えてくださってありがとうございます。)

■柿内沢鹿踊 其の参 式年祭へ 【補記】■ へ続く

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■柿内沢鹿踊 其の弐 柿内沢■

2016-05-08 17:51:02 | 風の吹くまま
 







翌日の4日、早朝から目が覚めてホテルの窓の外を見ると、まだ小雨が降っています。
目の前の山々からは、低く暗く立ち込める雨雲に向かって朝霧が上昇していくのが見えます。
山のところどころにぼんやりと山桜も見えます。
清水橋の鯉のぼりたちも寒そう。

雨でも決行するだろうという話は前日に耳にしていましたが、果たしてこの天気で大丈夫?
そんなことを考えて心穏やかならぬ時間を悶々を過ごす間、それらの風景の画像を撮る余裕も無く
起きた直後よりも雨脚が強くなってきて、窓を開けると悩ましくも静かな雨音が聞こえます。

窓から町をボーっと眺めていると、防災無線からこの日の式年祭の放送が聞こえてきました。
がっ…!
肝心な、やるかやらないかの部分だけが聞こえない~!

ロビーに行って尋ねようと何度も足を運びましたが、不在。
仕方がなくロビーのソファーで待っていると、ホテルの方が出ていらしてどうにかお聞きすることが出来ましたが、午後の御巡幸からだけでもやるだろうと。

もう用意出来てますから朝食をどうぞということで頂いている間、新聞の配達があり、やはり決行という確かな情報が。
昼食を食いっぱぐれるかも知れないので、いつもはほとんど食べない朝食を出来る限り胃の中に詰め込んで、早々に部屋に戻りスタンバイ!
中立の角鹿氏が合間を縫って迎えに来て下さり、そのまま昨夜ワークショップを開催して頂いた(笑)練習場でもある柿内沢集落の集会所に連れて行って下さいました。

集会所にはすでに踊り手さんや世話役の方々が集合していて、その後も三々五々人が集まって来ました。
皆さんにご紹介頂いて、そのまま出発まで暫く準備の様子を見させて頂くことに。
顔出しの了解も得て(笑)堂々公開です!





中央の襦袢(単衣の着物)を着ている女性はイギリス・ウェールズ出身のコンテンポラリーダンサー及び振付師のショーネッド・ヒューズさん。
昨年2月頃から柿内沢で鹿踊り(ししおどり)を習う、踊り組と相互協力関係にある研究生的な存在の客員会員という表現が適当でしょうか。



踊り手さんたちからもいろいろとお話を伺うことも出来ました。
お忙しい中、お邪魔な初対面の得体の知れないおばさんのお相手をして下さってありがとうございます。








一番手前が中立(鹿踊りのリーダー)の頭で、いつの頃からの鹿の角なのかは定かではないそうですが、非常に希少な“四つ叉”の立派な大きい角を使っています。自分たちで補修しながら、大切に中立へと受け継がれている角なのだそうですよ!

















雨はまだ止みません。
緊急措置で練習用の太鼓にビニールを張り、本番で使用することになりました。
世話役・踊り手の方々でせっせとビニール張り。






控えの部屋の天井の隅に古い太鼓を見つけました。
わざわざ下ろして見せて下さいました。






調べは麻ひも、胴の部分は明治期のものでヒノキ製、皮の部分は牛の皮を使っていて昭和30年頃のものだとか!
(私よりも古いぞっ!)
現中立の角鹿氏のご親戚で偉大なお師匠である元中立の御大がかつて譲り受けて使っていた太鼓だそうです。






今回雨用に使う練習用(前に使用していた太鼓)の中立の太鼓と比較して。
古い太鼓の方が胴の幅が少しだけ広いようです。
ちにみに現在の太鼓は、胴は杉製で皮は馬の皮を使っています。






何度も言いますが、お昼ご飯は食いっぱぐれると思っていたので目一杯朝食を胃に詰め込んできたのに…。
私たち(お客)の分まで昼食を用意して下さっていました!
時間はまだ10時を過ぎたころ、3時間前に食べたばかり。
大変申し訳なかったのですが食べられずほとんど残してしまいまして、お師匠さんに怒られてしまいました(笑)
さて、どなたのせいでしょうか?(笑)

お心遣い本当にありがとうございました。ご馳走さまでした。
(好きなものばかりだから今だったら全部食べられるんだけどなぁ






太鼓をもとの場所に。
明治期の太鼓…もうとうに百年は経っていてすでに神が宿っていますね。
永劫に踊り手さんたちをそっと見守る(まぶる)シシ神が宿る太鼓。



ショーネッドさんからも日本語と英語を交えてお話を伺いました。
柿内沢鹿踊の追い狂い(ぼいぐるい)を観て大きな感銘を受けて、これを習いたいと強く思ったこと。
他の踊り組ではなく、自分にとって柿内沢鹿踊が唯一無二の踊り組であること。
鹿踊りは、頭の動き・太鼓の調べ・唄に踊りの他ササラの動きも含めて本当に難しいこと、などなど。

私よりも小柄で華奢な女性で、あの重い装束を身に着けての踊りはなおのこと難儀であると思います。
日本語とともに鹿踊りもますます熟していって頂きたいなと思いました。





小降りになったものの雨はまだ止んでいませんが、ササラ(ヤナギ)等道具・装束を車に積んで出発です。
こちらの若い衆は次期中立としてこれから多くを学ばねばならない踊り手さん。
どうぞ貪欲に学んで精進して下さいね。






柿内沢の沢の流れ。
雨降りで濁り気味ですが、普段はきっと澄んだ清い流れのことでしょう。

この沢のある里で230年間連綿と伝えられてきた鹿踊り。
いよいよその踊りをこの目で観ることが出来ます。






(※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)

■柿内沢鹿踊 其の参 式年祭へ■ へ続く

#鹿踊り #ししおどり
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■柿内沢鹿踊 其の壱 世田米の地へ■

2016-05-07 11:30:52 | 風の吹くまま
 



昨年お話を伺い、よかったら観にいらして下さいと誘って頂いていた三年に一度のお祭り 世田米天照御祖神社式年祭 を観るために、岩手県気仙郡住田町世田米に行って参りました。
正しくは、その世田米に伝承される 行山流山口派柿内沢(ぎょうざんりゅう かきないざわししおどり)鹿踊 の演舞を観るため、です。
3日の午後新幹線に乗り、夕刻岩手入りしました。

川崎と比べてやはり寒い!
娘に風邪をひかないようにあれこれ持っていくように言われても(荷物になるので)笑ってスルーしていましたが、結構足元から冷えてくる寒さです。
式年祭のある翌日の天気予報は雨のち曇りだと週間予報で分かっていましたが、暗く立ち込める雲に嫌な予感が…。

昼前にすでに一庭の演舞を終え翌日の準備等でご多忙の中、わざわざお時間を割いて水沢江刺駅まで迎えに来て下さったのは柿内沢鹿踊の中立を務めておられる角鹿氏。
昨年の6月に拙ブログの鹿踊り関連の記事にコメントを下さってからのご縁で何かとお世話になっている方で、今回の式年祭に誘って下さった張本人でもあられます(笑)

8年ほど前に柿内沢鹿踊の名を知る機会がありましたが詳しい情報が当時は無く、そのまま名前と背のながしの和歌のみを知る踊り組でしたが、昨年初夏のある日突然、鴨がネギ背負って来た…もとい、にわかに降って沸いた僥倖に巡り合えた訳です!

一度この目で柿内沢鹿踊さんの踊りを観てみたい!
ずっとそれを考えていましたが、今回やっとその機会が巡ってきたのです。



新幹線を降りて改札を抜けようとしてうっかり通り過ぎてしまいましたが、改札手前にはこんなお出迎えが。(そういえば、角鹿氏が教えてくれていたような…笑)
冒頭でこの画像をと考えましたが、このシシが江刺のシシだということが分かる人ばかりではないと思い、世田米のシシと間違わないようにここでご紹介します。







ああ、鹿踊り!
翌日は江刺では甚句祭りでの百鹿大群舞がありますが、こちらもどうか踊ることが出来ますようにと心の中で祈りながら。
拙ブログにコメントを下さった踊り組さんの中、金津流石関獅子躍さんを含む百鹿は以前観たことがあり、行山流舞川鹿子躍さん・春日流八幡鹿踊さんも一応観覧済みということで、今回は3年に1度の機会ということもあり、行山流山口派柿内沢鹿踊さんを観る目的で世田米行きが最優先事項にあいなりました。


静かな山間の世田米に到着、宿にチェックインしたその足ですぐ鹿踊りの練習場でもある柿内沢の集会所に移動して下さり、私の念願であった“装束なし・太鼓のみの踊り”をとうとう披露して頂けることに!
(ずっ…とお願いにお願いを重ねて来たものの、なかなか色いい返事を頂けず(笑)、とうとう拝み倒して実現に漕ぎ着けた…)


さわりの部分だけでいいと思っていたのに、一庭分も披露して下さいまして!
それも今まで動画でも観たことのない、今回のお祭りのために踊り手さんたちに新たに伝えた踊りの部分を入れて踊って下さいました。
初めて観た生の柿内沢鹿踊(装束なし・太鼓のみですが)、それも初めて観た踊りのパート付き。
私よりも数年先輩なのに、なに?この躍動感!

何だか夢見心地で現実感がなく、頭がぼーっとしてしまいました。(ただし、いつものこと+寝不足も加味)










私もお願いして太鼓をつけて叩く体験をさせて頂きました。
こちらの踊り組では、太鼓が踊りの最中にブラブラとブレないようにしっかりと、とてもきつく腰に括ります。
大きめの太鼓の重みと紐の食い込みが結構こたえます。

太鼓はよりよい音が出るように、バチの側面と太鼓の面が平行に当たるように、いわゆる、バチの長い側面を使って太鼓の面を叩くようにするそうです。
肘は張らずに後ろに引き手首を使って叩く、これがとても初心者には難しく、いい音は出ないわ縁を先に叩いてしまうわ、面の中央を叩くように意識したくても場所が見えず分からず…。
ドラムスやスネアドラムの少しばかりの経験がある私でも、叩き方がまったく異なり勝手が違って困惑するばかり。

観るばかりでは理解がなかなか出来ない部分が、少しだけでも見えたように思いました。







太鼓の比較。
3張りの太鼓がありますが、一番奥が本番用の中立の太鼓
真ん中が練習用の中立の太鼓(今の前に使っていた中立の太鼓)
手前が今の側鹿の太鼓、だそうです。
中立の太鼓、大きいですね。




そしてご多忙な中立の角鹿氏に半ばとっとと追い出される形で、小1時間ほどの個人的ワークショップは終了しました。
翌日のお天気はどうなることやら。





(※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)

■柿内沢鹿踊 其の弐 柿内沢■ へ続く

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■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 残響■

2016-02-09 21:20:09 | 風の吹くまま



中野サンプラザ前広場の演舞が終了し、新井薬師へのお練が始まります。
毎回、芸能人・力士や各界で活躍する有名どころもお練の列を飾っています。

岩手県花巻市東和町谷内に伝承される 金津流丹内獅子躍
お練の列の殿(しんがり)を務め、道中道行きの太鼓を叩いてお薬師様まで練り歩きます。












警備のもと、中野の中心地を移動します。
時間的な事情で私はサンプラザ前の演舞だけで帰らねばなりませんでしたが、駅に向かいがてら中野ブロードウェイのアーケードの入り口までお練の列を追いました。

アーケードに響き渡る岩手の鹿踊りの太鼓の音。

装束(ササラ)があるため、丹内さんたちは途中お練の列と道を違えて移動します。
そして新井薬師到着後、本殿前の特設の舞台で最後の演舞 『礼庭』 を躍ります。
今回は、三光の儀、礼庭、霧返し、島霧、礼庭と、一日躍られた訳ですね。


中野サンプラザ前の演舞の合間、元踊り手であり世話役として同行されていた方たちからお話をいろいろと伺うことが出来ました。

装束の新しい幕は、この日が初披露だったこと。
平日の公演だったので皆さんお仕事を休んで来られていて、踊り手の都合がつかず奥州市梁川の金津流野手崎(のでさき)獅子躍さんから応援の踊り手さんたちに参加して頂いていたこと。
私の稚拙なブログ記事をコピーして下さって、なんと踊り手の皆さんで読んで下さっていたこと!

丹内山(たんないさん)神社の名に由来する丹内(たんない)獅子躍が伝承されている地域名の谷内(たにない)は、やはり地元の人たちは「たにない」と言っていること。
その丹内山神社が、やはりパワースポットとして有名なこと(笑)
今年は雪が少ないこと。

などなど。

また、あるお方が丹内さんにお話を伺っていた私にご親切にも話しかけて下さり、なにゆえこの節分会に丹内さんが招聘されているかを教えて下さいました。
以前中野にお住まいだった地元(花巻、だったと思います…)のご出身のその方がお薬師様のご住職と親しいお知り合いで、お練の列に華があってはどうかと丹内さんの招聘を思いつかれ、警察その他関係各所にご自身自らが掛け合って実現に漕ぎ着けられたとの事でした。
当初太鼓の音に対していろいろな意見があったようですが、今ではすっかり中野の風物詩として定着した、25年以上にもなる恒例行事だそうです。





そして今回、丹内獅子躍さんから岩手のお土産まで頂いてしまいました
私(たち、私と娘)が来るだろうと、わざわざ用意して下さっていたそうです。
娘は平日で仕事のため残念なことに観に来ることは出来ませんでしたが、何てことでしょう、むしろ私どもがお花や差し入れなどをお渡しする立場なのに、反対にこちらが頂きものをするなんて…!

嬉しいお心遣い、本当に心から感謝いたします!
ありがとうございます!
(みんなで美味しくいただきましたっ


前年の夏休みに江刺の藤原の郷で初めて鹿踊り(その時は金津流伊手獅子躍さんの演舞でした)を知り虜になってしまい、取り憑かれたようにインターネットで情報を探しやっとの思いで中野で躍った丹内獅子躍さんの存在を知り、もしかしたらまた来るのかも知れないと一縷の望みを掛けて中野に出向き、演舞を観ることが出来たのが2007年のこの日のことでした。
あれから9年が経ちました。

陰ながら(ブログに記事を書いているくせに、あくまでも陰ながらのつもりで…笑)丹内獅子躍さんを見守って来たつもりですが、こうして受け入れて頂いたことが、また私の知らないところでブログを通して丹内さんと繋がっていたことが、本当に嬉しかった…!

この日の演舞は、太鼓の音が体の芯まで響き私の細胞を震わすのを感じました。
こんな感覚に気づいたのは初めてで、自分でも驚きました。
太鼓はよく鳴り、歌声も大きく勇ましかった!

鹿踊りの太鼓の残響を胸に、鹿踊りに心を残しながら帰路につきました。


金津流丹内獅子躍のみなさま、金津流野手崎獅子躍りのみなさま、関係者のみなさま、今年も素晴らしい演舞をありがとうございました。

■追記■
大切なことを書き忘れてしまいましたっ

演目 『島霧』 の二匹の獅子の力比べの場面でかつて“ぴょんぴょんと互いに交互に跳ねる”場面(←クリックorタップ)があって、私はそれが大好きだったんですが、2009年にはあったその場面が次の時には(翌々年)なくなり、それ以降観ることが出来なくなっていました。
踊り手さんにお聞きしたりしていましたが詳しいことが分からずにいたところ、今回元踊り手の方々からそのお話を出して頂けて(!)、実はあの場面は先輩方のアドリブであったということを教えて下さいました!

そっかぁ、アドリブだったんだぁ、だから他の踊り組さんにはなかったんだぁ、と納得!
またいつか、あの“ぴょんぴょん”の場面を観ることが出来るといいなぁと、そっと思っています。



2016 中野サンプラザ前広場 丹内獅子躍

(2016.06.18 動画を追加しました)





#鹿踊り #ししおどり
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■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 島霧■

2016-02-08 23:11:18 | 風の吹くまま



『霧返し』 終了後、次の演舞まで別の団体による出し物があるので、しばしの休憩です。
丹内さんの関係者の方々とお話をさせて頂いたところ、「幕が新しいの気がついた?今日初めてお披露目なんですよ」 と教えて下さいました。
新しくなったんだなぁとは思っていましたが、この日が初披露だったとは! 





中立の幕。
パリパリでまっさら!
私の身長が163cm強(縮んでなかったら)+3cmのヒール=166cm。
威圧されそうな迫力。






側獅子の幕。
真新しい麻布のパリパリ感が見て取れます。






アップで!
麻布の織り目の透き具合がよく分かります。
細かい千鳥掛けのステッチの端を赤い布で補強してあります。
なるほど。



あれやこれやと話に夢中になっていましたら、いつの間にか他団体の出し物が終わっていて、もう丹内さんの準備が始まりました。

しまった、困った!
夢中で話をお聞きしていたら、場所が…場所が…。

頭ひとつ飛び出るくらいの身長ならよかったのに、そうではないから後ろからでは写せない。
真ん中あたりはモチロン無理、向かって左の順光の場所もダメ、ええいこうなったらと小走りで逆光側へ。

遠くからの逆光気味で、画質が良くないですが、中野サンプラザ前広場での2回目の演目 『島霧』 の演舞の画像です。
他団体の演技が時間を押してしまった模様で、躍り内容を短縮しなければならなくなり、鹿の子の部分が省略されました。
(残念…!)






『太鼓の調べをきりりと締めて ササラを揃え』



















狂いの場面。最初は二匹で。










もう一匹加わって。













二匹が頭を突き合わせながら(がんを飛ばし合いながら?笑)力比べ。











降参!








ササラでおしりをペシッ!
















礼庭などでは雌獅子が躍る場面を、狂いの獅子が躍ります。
『白鷺は立つと思えど 立ちかねてあとを濁す 立や白鷺 立てや白鷺』






この後本来は鹿の子の場面に入りますが省略されました。
中立の合図とともに終わりの場面へ。






『きりりと締めて ササラを揃え』








躍り終了後すぐに移動です。



(※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)





■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 残響■ へ続く

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■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 霧返し 後編■

2016-02-07 12:25:52 | 風の吹くまま



三人狂いが始まります。

今回の丹内さんの記事はところどころデジカメで写した画像もありますが、霧返しの躍りの画像はすべて、このあとの 『島霧』 の場面のほとんどもiPhoneで撮った動画からのスクリーンショットを使っています。
丹内さんの演舞は、前回(去年の文化の日)の渋谷の演舞から動画から取ったスクリーンショットを使うようにしていますが、動画を撮影している方がカメラの時よりも生の演舞を堪能出来るし、ここぞ!という決定的瞬間を逃しません。

ですのでこれは、決して腕じゃないんです。
禁じ手を使っているんです。
褒めて頂いたのに、丹内さん、申し訳ありません^^;





三匹の獅子たちが遊び戯れる様子を表現しているそうです。
『…?山腰掛けて 小縞を揃え相をきらばよ 相をきらばよ』






霧返しの三人狂いの特徴的で見応えのある場面が繰り広げられます。






三匹で横一列になって右へ左へ。






2対1に別れ、二匹がピョンと跳躍!
行山流舞川鹿子躍さん同様“空跳ぶ鹿踊り”です!






次は三匹で…。
おお、脚さばき、揃ってます。凄いなぁ!






そして今度は三匹でピョンと跳躍、見応えあり!






また2対1に分かれて…。






今度は反対側で跳躍…のまさに跳ぶ瞬間。






そして、跳躍!
(この流れはスクショじゃないと。私にはこんなカメラ技術は使えませんっ)










至近だったので、すぐ目の前を獅子の幕がながしがひらひら、ゆらゆら
躍りに追随して流れる装束の美しい動き。
なんて贅沢な至福なひととき!






何度もササラを地面に打ち付けて清めながら庭を回ります。






三人狂いの締めの場面へ。






今まさにササラを打ち付けんとする瞬間。






雌獅子(女鹿)の躍り。
金津流野手崎獅子躍さんからの応援要員で女鹿が躍れる踊り手さんだそう。






雌獅子のザンチキの場面。






鹿の子の場面へ。
太鼓の縁を叩く時のバチの持ち方がまるでバイオリンの弓を持つ手のよう。
素人の素朴な感想です(笑)








鹿の子で繰り広げられる圧巻の連続のザンチキ。
『土佐の港の船路を超え 今こそ入れろ 船の櫓(ろ)拍子』






中立の迫力。バババーン!という感じ!
長身で恵まれた体格の踊り手さんの躍り。
しゃがみ込んで観ている私は射すくめられる思いです。
『差し傘の心棒の轆轤 駒かけて押しし押され? 駒の折り膝 駒の折り膝』






隊形がもとのまとまりに戻っていきます。








『きりりと締めて ササラを揃え』








演目 『霧返し』 が終了しました。








『太鼓の調べをきりりと締めて ササラを揃え』
躍りを終えて、横一列に並び直し最後に礼で終わります。



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■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 島霧■ へ続く

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■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 霧返し 前編■

2016-02-05 23:18:13 | 風の吹くまま



演目 『霧返し』 が始まります。
『礼庭』 『島霧』 に次いで格式のある踊り(演目)だそうです。

お昼頃に、新井薬師の本堂前で 『三光の儀』 と 『礼庭』 をすでに躍り、道行き(太鼓を叩いて練り歩くこと)でここまで来ているので、これはこの日3回目の踊りです。





『太鼓の調べをきりりと締めて ササラを揃え』






『中立ち入れろや/中立ちなければ中がすぎない』






隊形が広がっていきます。






広がりながら側鹿はササラを何度か地面に打ちつけます。






中立(躍りのリーダー)がくるりとひとまわり。






今回は横からではなく正面の方に居たので、近いのだけれど全体像が入らない…汗。
中立の右、小脇と側獅子たち。






中立の左側の、先頭が大脇。
(あれ?大脇の後ろの獅子、幕の喉印の井桁継ぎの上部が赤くない…?)
『まわし合わせろ』 かな?で、くるり。






中立の独唱。 『南より』






『白き雀が…』






『八つ連れて…』






『これのお庭に…』






『羽根を休めろ』






くるくるととんぼ返り。









このあと、三人狂いが始まります。


(※間違いがありましたら、ご指摘のほど宜しくお願い致します)





■金津流丹内獅子躍@中野サンプラザ 2016 霧返し 後編■ へ続く

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