「ケーソンの会」代表で沖縄学習交流会に参加された高橋さんのツアーの報告、その3です。
4月19日 スタディツアー(伊江島コース)
伊江島へは本部港からフェリーで伊江島港へ。
18、 本部港へ向かう途中、本部町の採石場を見学。
19、 沖縄のガンジーと呼ばれた阿波根 昌鴻さんが収集した
資料が展示されている「ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館」
正面右側に書かれている言葉
20、 資料館入り口
21、 阿波根さんの非暴力に徹するたたかいの基本となった
伊江島土地を守る会の陳情規定(資料館の中)
22、 入口正面には米軍が訓練中に落とした原爆の
模擬弾や薬莢、落下傘、有刺鉄線などが展示されている。
23、 阿波根さんの写真の前で話される資料館館長の謝花悦子さん
戦中、戦後闘い続けている思いはいくら話しても尽きることがない。
「銃剣とブルトーザーは今も続いている、みなさんの力ではね返しましょう」
24、マイクロバスで島内見学 「アハシャガマ」
1945年4月16日 米軍は伊江島南部の海岸線から上陸し、
6日間の攻防を展開し、島の住民の3分の1にあたる1500人が命を
奪われた。
25、アハシャガマの前で説明を聞く。
伊江島には多くのガマがあったが、「日本兵が一緒にいたガマでは
住民は命を落としている」と。
アハシャガマの壕内は奥行き約20m、広さ約100㎡ で今も
中に入ることができる。
26、土煙を上げるオスプレイ
伊江島は島の32%が基地、島の西側には米軍演習場があり、
オスプレイの離着陸帯がある。ちょうどその訓練を目の当たりにする。
伊江島では戦後生活をスタートしてまもなく米軍によって「銃剣とブルトーザー」
による土地強奪が行われた。伊江島の戦中・戦後を理解することは、
沖縄の戦中・戦後の本質的な意味が見えてくるので伊江島は「沖縄の縮図」といわれている。
そして、今「オール沖縄」の原点もここにあるように思う。