飛んでいる矢は止まっている[編集]
「もしどんなものもそれ自身と等しいものに対応しているときには常に静止しており、移動するものは今において常にそれ自身と等しいものに対応しているならば、移動する矢は動かない、とかれは言うのである。[12]」
アリストテレスは続けて、「この議論は、時間が今から成ると仮定することから生ずる」と述べている。この言から、ゼノンも「時間が瞬間より成る」を前提としていると解される。瞬間においては矢は静止している。どの瞬間においてもそうである。という事は位置を変える瞬間はないのだから、矢は位置を変えることはなく、そこに静止したままである。ゼノンの意が単純にこうであったのかは確定的な事ではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゼノンのパラドックス
このパラドックスの解決は簡単である。
時間0では物の長さも速さも測れないが正解である。
これは自己言及のパラドックスからくる矛盾で、決まった大きさがあるという古典的な論理と、時間0では止まっているという組み合わせで生じるパラドックスである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/自己言及のパラドックス
アインシュタインの量子力学に批判、月は見ないとないのかも、経験則の積み上げであるのに、有ると決めつけているのも同じで、月は見たら有ったというのが正しい。
アインシュタインだけでなくニュートンも物の長さが決まっている=絶対時間、絶対空間の導入からはじまった。
つまりは、省かないといけない古典
座標時の概念の完全な説明は、固有時と時計の同期との関係から生じる。古典力学と古典的な時空間に固有の仮定の多くを取り除かなければならない
https://ja.wikipedia.org/wiki/座標時