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[2024年11月13日18時4分]日刊スポーツ・THE ANSER紙転載

2024-11-15 16:58:09 | 日記
有森裕子さん名言「自分を褒めてやりたい」起源は高石ともやさんだった 京都「お別れ会」で明かす
  • おくやみ ・有森裕子 ・高石ともや


今年8月17日に82歳で亡くなったフォーク歌手高石ともやさんのお別れ会が13日、京都・円山公園野外音楽堂で行われ、音楽関係者ら集まった。午後2時開場だが、会場一番乗りの男性(兵庫県尼崎市)は午前7時半から並んでいた。
マラソン仲間でもあるABC道上洋三アナウンサーから贈られた花がステージに飾られ、その横には、高石さんと盟友永六輔さん(故人)の写真が飾られた。円山野音は、高石さんと永さんが主宰してきた「宵々山コンサート」の会場として親しまれた場所。入場無料とあって1000人を超す高石ファン、宵々山ファンが集結した。
「私を待つ人がいる」「明日になればね」など懐かしい音源から高石さんの歌声や永さんのトークが会場に響き、観客を喜ばせた。ステージにあがった高石さんの長女たづるさん、晩年の高石さんを支えた中田ゆり子マネジャーは亡くなる直前、病室にいたことを明かし「ドクターが『高石さん!』と呼びかけるとビクッと動いたので『大丈夫ですね』と安心して帰ったのですが、その後…」と振り返った。
マラソンの五輪メダリスト有森裕子(57)はシックな黒い衣装で登場。アトランタ五輪で銅メダルに輝いた有森は「自分で自分を褒めてやりたい」と語ったことで知られるが、その名言のルーツは高石さんにあったことを明かした。
「高校時代、都道府県駅伝で毎年、京都に来たんですが、ずっと補欠だったんです。だから気持ちは晴れてなかったんですが、前夜祭かなにかで高石さんが出てこられて『補欠の方も含めて、みんなは県の代表なんだから、自分をほめてやりましょう!』と激励してもらって。よし、いつか自分の口から使ってみようと」
しばらくは高石さんと会う機会もなかったが、京都駅で偶然再会。「あの言葉、高石さんからいただいたんですよ」と伝えることができたという。2003年の宵々山コンサートに招かれ、高石さんが書いた曲「自分をほめてやろう」を歌った。有森は時折涙ぐみながら高石さんの思い出を語っていた。
高石さんと円山公園野外音楽堂は、切っても切り離せない関係だ。
「高石ともやとザ・ナターシャーセブン」として、1973年(昭48)7月に立ち上げた「宵々山コンサート」は毎年、回を重ねるたびに「京都の夏の風物詩」として音楽ファンや市民から広く愛された。永六輔さんが音頭を取り、桂米朝さんや渥美清さん、ミヤコ蝶々さん、道上洋三アナウンサー、有森裕子ら多彩なゲストが出演。歌とトークで会場のファンを盛り上げた。
中断はあったが、2011年(平23)まで続け、高石さんのライフワークであり続けた。
高石さんは1941年(昭16)、北海道出身。立教大学在学中に「受験生ブルース」がヒットし、フォーク歌手の道を歩みだした。その後、ナターシャーセブンとともにアメリカ民謡、オリジナル曲、伝承歌などを通じ、コンサート活動を展開。77年のホノルルマラソンに36歳で初参加し、78歳まで連続43回出場。他にウルトラマラソン、トライアスロンにも多数出場した。

有森裕子さん 高石ともやさん追悼 「自分で自分をほめたい」名言誕生のきっかけに…感謝つづる
[ 2024年8月19日 16:09 ]スポニチ
五輪2大会連続メダリストの有森裕子さんが19日、自身のインスタグラムで、17日に82歳で亡くなったフォーク歌手の高石ともやさんへ感謝をつづった。
 

有森裕子さんの名言「自分を褒めたい」誕生の礎に スポーツ界に生き続ける高石ともやさんの「言葉の力」
  • 2024.08.20 THE   ANSER
  • 著者 : 荻島 弘一
「受験生ブルース」などで知られるフォークシンガーの高石ともやさんが17日に亡くなった。82歳だった。昭和を代表する歌手の一人でありながら、スポーツ界とも深い縁があった。国内外のマラソン、トライアスロンの大会に数多く参加。高石さんが残した言葉はスポーツの世界にも影響を与えた。生前、取材した記者が悼む。(文=荻島 弘一)

 
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