「さかはし」さん集まれ~*苗字は歴史の小宇宙

公開グループfacebook≪「さかはし」さん集まれ~*苗字は歴史の小宇宙≫

坂橋屋市右エ門  商店街か? 見附 新町 

2024-09-04 16:53:16 | 坂橋氏
見附市の新町




                

一体何を売っていたのだろうか。

この市右ェ門と、後の市太郎の「市」が重なっている。
また取り寄せた戸籍にある住所は「見附新町第百九十番戸」となっている。

復習として、戸籍の記載を年代的に列記すると

天保九年生 坂橋チイ(祖父善八二女)…戸主の叔母にあたる。
戸主の父 坂橋繁蔵(繁蔵の父が善八か?)

戸主 弘化二年生(1845) 坂橋市太郎(繁蔵長男)
妻  嘉永元年生 ミツ
長男 慶應三年生 繁太郎 
次男 明治七年生 善次郎
三男 明治十年生 金作
四男 明治十八年生 徳治郎
五男 明治二十二年生(1889) 音吉

明治37年、繁太郎の一家が北海道岩内町に入る。
    妻 ヨミ
    長男 市太郎
    長女 フミ
    二男 政由
    二女 ヨシ
    三女 ハル



坂橋億右衛門(嘉永元年~明治23年迄の戦没者・仙台藩) 坂橋徳太郎(新渡戸稲造・遠友夜学校) 

2024-08-30 21:10:58 | 坂橋氏
坂橋 億右衛門


坂橋徳太郎 坂橋組製軸所 

一番下の左に 坂橋徳太郎 


勲七等 坂橋徳太郎


再び、始める時が来たのかもしれないと思いつつ‥‥

2024-07-28 10:06:41 | 坂橋氏
コメントをいただいたことにより、再び記事を書き始めたいと思ったが、国立国会図書館のデジタルを端から端まで調べたが、有益な情報が見当たらなかった。

今日も、もう一度チェックしようと思うのだが、新たなキーワードがあればなぁ‥‥と思う。

新潟と長野と広島に「坂橋氏」を見つけているので、やはり大江広元の息季光とその息の経光の裔か、家臣か?と思っていたこともあり、そのあたりから探してみようかと思う。経光は、Wikipediaによると越後国刈羽郡佐橋荘南条、安芸国吉田荘の領有 していた。

織田信長の妻に「坂」氏がいる。
坂氏は、安芸の毛利氏の一族でもある。





サカとハシ サカ族とハシ(波斯=ペルシャ)人 (かなり前に書いていた記事ですが‥‥)

2024-07-28 09:53:02 | 坂橋氏
聖徳太子と景教を調べていて、景教が中国に入ってくる以前に聖徳太子は歿しているのだ。これはおかしいと思い、調べてみることにした。

景教となる以前は、キリスト教ネストリウス派であり、調べていくと弓月氏が関係するらしい。

聖徳太子の母は、穴穂部の間人(はしひと)皇女である。
「ハシ」とはペルシャの波斯を連想させ、母親は外国からやってきた渡来人であったかもしれない。

しかも、もしもペルシャかと思うと、景教となる以前のネストリウス派の影響を受けていた人であったのではないだろうか。そのために厩戸皇子と言われるに至るストーリー(伝承)が起ったのではないだろうか。

 また【蘇我氏はシルクロードから渡来したという本(久慈力著)があり、飛鳥文化のルーツもメソポタミアにあったという説なのである。

また、聖徳太子の配下にいた秦河勝の秦氏の祖は弓月氏であったという説もあり、どちらもメソポタミア辺りから流れに流れて朝鮮半島に行きつき、渡ってくることになった人々であるかもしれない。

 そのルート上に「サカ」(サカイ)族がいる。

私の祖父、ちょっとエスニックな顔立ちだったので、サカ族もはいっているか?など想像してしまう事がある。

坂橋のお孫様へ  信濃から新潟へ移ったお寺 の 候補

2021-08-21 15:41:16 | 坂橋氏

坂橋のお孫様
ご無沙汰しておりました。

信濃から越後へ移動したお寺を調べましたところ、ありました。

新潟県上越市寺町2丁目7−28 常敬寺
新潟縣上越市寺町3丁目12−29 長命寺
実源山真浄寺 真宗大谷派、新潟市西堀通二 が見つかりました。

上越市ですと長野からもほど近く、関係がありそうと思いました。