聖徳太子と景教を調べていて、景教が中国に入ってくる以前に聖徳太子は歿しているのだ。これはおかしいと思い、調べてみることにした。
景教となる以前は、キリスト教ネストリウス派であり、調べていくと弓月氏が関係するらしい。
聖徳太子の母は、穴穂部の間人(はしひと)皇女である。
「ハシ」とはペルシャの波斯を連想させ、母親は外国からやってきた渡来人であったかもしれない。
しかも、もしもペルシャかと思うと、景教となる以前のネストリウス派の影響を受けていた人であったのではないだろうか。そのために厩戸皇子と言われるに至るストーリー(伝承)が起ったのではないだろうか。
また【蘇我氏はシルクロードから渡来した】という本(久慈力著)があり、飛鳥文化のルーツもメソポタミアにあったという説なのである。
また、聖徳太子の配下にいた秦河勝の秦氏の祖は弓月氏であったという説もあり、どちらもメソポタミア辺りから流れに流れて朝鮮半島に行きつき、渡ってくることになった人々であるかもしれない。
そのルート上に「サカ」(サカイ)族がいる。
景教となる以前は、キリスト教ネストリウス派であり、調べていくと弓月氏が関係するらしい。
聖徳太子の母は、穴穂部の間人(はしひと)皇女である。
「ハシ」とはペルシャの波斯を連想させ、母親は外国からやってきた渡来人であったかもしれない。
しかも、もしもペルシャかと思うと、景教となる以前のネストリウス派の影響を受けていた人であったのではないだろうか。そのために厩戸皇子と言われるに至るストーリー(伝承)が起ったのではないだろうか。
また【蘇我氏はシルクロードから渡来した】という本(久慈力著)があり、飛鳥文化のルーツもメソポタミアにあったという説なのである。
また、聖徳太子の配下にいた秦河勝の秦氏の祖は弓月氏であったという説もあり、どちらもメソポタミア辺りから流れに流れて朝鮮半島に行きつき、渡ってくることになった人々であるかもしれない。
そのルート上に「サカ」(サカイ)族がいる。
私の祖父、ちょっとエスニックな顔立ちだったので、サカ族もはいっているか?など想像してしまう事がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます