https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%AE%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
神麻績氏の住む麻績郷(おみのさと)で荒衣を織らせた。
荒妙は麻績部(おみべ、麻績氏とも)が奉織し、それぞれ封戸22を与えられていた。神宮に仕えたこれらの一族は神服部(かんはとりべ)、神麻績部(かんおみべ)とも呼ばれた。
服部は三河国より赤引の糸(あかびきのいと)と呼ばれる絹糸を入手していた。
麻績部には土師器を調進する一団がいたほか、信濃国などの東国に進出し、機織などの技術とともに天白信仰を伝えたと考えられている。
この信濃国などの「など」に「武蔵国・下野国」も入っていたのではないだろうか?
織物と土器と信仰。
このようにして広まってきたのか…と思うと感慨深い。
ちなみに天白信仰とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%99%BD%E4%BF%A1%E4%BB%B0
天白信仰(てんぱくしんこう)は、本州のほぼ東半分にみられる民間信仰である。その分布は長野県・静岡県を中心とし、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっている。
信仰の対象・内容が星神・水神・安産祈願など多岐にわたることから様々な研究・解釈が行なわれたが、1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなった。
藤原姓小見氏にも繋がってくるのかもしれないと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%99%BD%E7%BE%BD%E7%A5%9E
ウツハタ【内幡】昔、タテノミコトが太田の郷で織った織物。この織物は縫わなくても
そのままで着物になったという。
↑も関係がありそう。(茨城方言民俗語辞典 )