このブログでは、歴史の中でほとんど光が当たってこなかった「坂橋氏」について調べています。
坂も橋も、見回すとたくさんあるのに「坂橋氏」は少ないです。
何故なのでしょうか?
そんな不思議から、何か理由があるのではないか?と…
まだ始まったばかりですが「坂橋」に関係がありそうなことを見つけていきたいと思っております。
今年は、始まったばかりのブログを応援して下さりありがとうございました。
また来年も続けていきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
そして小さな情報でもお待ちしております。
では、皆さま良いお年を~☆
以前の書き込みが1年前くらいのようですが、何か坂橋姓について譲歩ありましたか。ブログの発起者の方は北海道の方のようですが、私は新潟生まれで母の旧姓が坂橋です。私も今坂橋の由来を調べています。
信濃の国から越後へ戦国時代に寺の移動に伴い移住した程度の情報しかありません。何か新しい情報があるならば教えていただけると助かります。
このアドレスに祖父の事書いてあります。
坂橋のお孫様
はじめまして。
旧姓がサカハシでした。
お母様の旧姓のほうは「さかばし」さんでしょうか?
それとも「さかはし」さんでしょうか?
私の祖父はsakahashiで、新潟より北海道へ来ました。
私の祖父の先祖や親戚を書き出してみますと
見附町
祖父 坂橋善八(市太郎の祖父・政由の高祖父)
二女 チイ 天保九年生まれ1838年(繁蔵妹カ?)
坂橋繁蔵 (市太郎の父・政由の曽祖父)
市太郎の家族
市太郎 (繁太郎の父・政由の祖父)弘化2年1845 ー 明治23年1890
ミツ (市太郎妻・椿沢村桜井平次右衛門 二女)嘉永元年1848-?
繁太郎 長男 慶応3年1867-昭和19年1944 隠居
善次郎 二男 明治7年1874-?
金作 三男 明治10年1877ー?
徳治郎 四男 明治18年1885-?
音吉 五男 明治22年1889-? 板垣長七養子縁組…
googlebooksに「板垣音吉:板垣鉄所を創業」とありましたが、はたして同一人物でしょうか?
繁太郎の家族
繁太郎 慶応3年1867年生ー昭和19年1944
ヨミ 妻 明治2年1869年生ー昭和12年1937 井上常七二女
市太郎 長男 明治27年1894年生
フミ 長女 明治29年1896年生
ヨシ 二女 明治32年1899年生
政由 二男 明治34年1901年生
ハル 三女 明治37年1904年生
…の他に繁太郎の妹が二人とその娘も同居していたようです。
ミタ 明治9年1876年生(福多村 小林甚三妹・善次郎妻)
ヲキ 明治12年1879年生(坂橋善次郎長女)
イツ 明治33年1900年生(ミタの娘)
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この中に「徳治郎」さんの記載がありますが、
新渡戸稲造の遠友夜学校に通っていたのが「坂橋徳太郎」さん・「坂橋ミヨ」さんです。
ひょっとすると徳治郎さんの関係かもしれないと思いました。
市太郎の息繁太郎、
繁太郎の息市太郎、
となっています。
何かお心当たりはないでしょうか?
見附町や桜井さん、他小さな情報でも良いのでお教えいただけますとうれしいデス。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。