「さかはし」さん集まれ~*苗字は歴史の小宇宙

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葛城氏と橘氏のつながり(2)

2018-10-30 16:13:45 | 日記

安積というキーワードで、web上に素晴らしいブログを発見しました。とても勉強になります!! 
【「福島の歴史物語」。只今、「ショートショート」を連載しています。】の桐屋号さんのブログ記事です。↓

https://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/diary/?PageId=1&ctgy=30

それによると「安積親王」という名の親王がいるそうで、wikipediaで調べると「聖武天皇の第二皇子」でした。
しかも母親が「県犬養広刀自」で、橘諸兄の母も同じ「県犬養三千代」ということからも、同じ県犬養の一族のようです。

そして、この安積親王に橘氏・大伴氏・県犬養氏らが近くにいて応援していたようなので、橘諸兄と大伴家持も同僚のような関係だったと思われます。

その大伴家持と聞くと、「大友黒主(おおとものくろぬし)」と猿丸大夫を思い出してしまうのですが、そのあたりも謎に包まれているので、何かを書きたい!と思いながら調べても書けませんでした。頭の中でもっと熟成させないと…

安積親王と安積香(安積と香久山?)、そして橘氏と大伴氏、そして大伴氏と猿丸大夫、猿丸大夫と小野氏、というのが頭の中ではグルグルと廻っています。

大伴氏の大伴 咋(おおとも の くい)は、坂本糠手とともに、外交分野で活躍しています!







ヒグマがミジカ

2018-10-30 12:41:58 | 日記

どうしても横になってしまうので、お許しを~。


とうとうレシートの注意書きにまで…頻繁に出没してるんですね、札幌で!
ヒグマ出没マップです。しかも今年の。。。すごい。。。絶句。


http://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/index.html


以前はキタキツネが良く出没。
エキノコクスの心配があり、子供たちの砂遊びが禁止になって…はあったけれど、小さいので気にならなかったのです。

我が家の庭に冬に鹿が侵入。まぁ、これもゴツンと家にぶつかって、横を通り過ぎただけで、被害はなかったので、OK.

3年前くらいに小学校と高校のグランドにヒグマが歩いていた。。。。とお知らせがあって、朝から厳戒態勢でした。

ヒグマは思い切り物を壊して侵入しますので、怖ろしいデス。
でもね、人間が彼らのテリトリーに侵入しちゃっているんですよね。きっと。。。

新熊類(新人類の熊版)は人間を怖がらないので、どんどん美味しい匂いにつられて出てきてしまう。
だから病院や学校の付近に出たりするわけです。

困ったなぁ~。人間に遭遇してしまうと殺されちゃうから。。。








毛利は大江季光からの苗字ではなかった!

2018-10-29 08:33:37 | 坂本氏

大江季光が毛利季光となる以前の「毛利荘」は・・・

陸奥七郎源義隆流は大江姓毛利氏以前の領主であった。とあり、源義家の息が関係することがわかりました。

http://www.wikiwand.com/ja/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E9%9A%86
源 義隆(みなもと の よしたか)は、平安時代末期の河内源氏の武将。源義家の七男(六男とも)。

森冠者、陸奥冠者、陸奥六郎または陸奥七郎などと号した。七男であるが、六郎ともいう。官位は無位無官と看做されることが多いが、宮内少大輔従五位下に任ぜられるとも。子には毛利義広、若槻頼隆、高松定隆らがいる。


源 義広(みなもと の よしひろ、生没年不詳)は平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。治部丞。毛利義広とも。源義家(八幡太郎義家)の七男・源義隆の長男。子に毛利義昭。弟に源頼隆、高松定隆らがいる。

父以来の相模国愛甲郡毛利庄を相伝し、鎌倉幕府の御家人となる(源姓毛利氏の祖)。子孫は美濃国に至り、摂津源氏系の美濃源氏の土岐氏をはじめ、斎藤氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏と主家を転じ、尾張藩の藩士となる。子孫には毛利広盛、毛利広義などがいる。

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この毛利氏は、もとが源義家なので、源頼朝の側近であった大江広元がその大事な荘を頼朝よりいただいたのか、はたまた婚姻関係で、譲り渡しがあったのか、、、

坂橋氏にとっては、遠い話かもしれないです。






葛城氏と橘氏のつながり(1)

2018-10-28 10:30:35 | 日記

『新古今和歌集の部屋』さんにヒントをいただいた情報です。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/1e5b6a3c4ccedc669ba6f0a4d4ab2784

私も24年前に5年間ほど「柳瀬川」に住んでいて、この「朝霞台」を通過していました。

その「朝霞」からヒントを得ての「安積」「安積香」
どうしてこの漢字で「あさか」と読めるのでしょう。

~~~*~~~

「橘の香り : 古代日本人が愛した香りの植物」という本の中「人名としての橘」の章に、橘諸兄たちばなのもろえ(684~757年)がでてきます。

橘諸兄は、「葛城王」(かつらぎのおおきみ)の事で、つまり同一人物だそうです。
なぜ、葛城の名前がついているのでしょう。
ちょっと調べましたが、その由来は見つかりませんでした。


葛城中大兄皇子(のちの天智天皇)・葛城稚犬養網田……


葛城という名前を持った乳父母がいたのかもしれない、とも思いますが、敏達天皇の子にも葛城王がおり、それを意識して付けたのかもしれません。

其の敏達天皇を入れて6代目の子孫が「橘諸兄」となります。

この方のお墓は綴喜郡にあります。

其の綴喜郡、何かで最近見聞きして・・・。何だったのか?思い出せなくて。。。
隼人舞のことだったかな(memo)

綴喜郡
http://kyotana.be/object/detail/119/