頂いたコメントからのヒントで、以下のようなことを仮想してみました。
まず、系図を貼ってみようと思います。
これは、安芸坂氏の系図で、毛利親衡から始まっています。(毛利氏の始祖は大江広元四男季光です。)
其の親衡の父は毛利貞親で、越後国南条荘が与えられています。
その時点で、父貞親が安芸国吉田、息の親衡は貞親から譲られた河内国加賀田郷と越後国の南条荘(越後佐橋庄)を持っていたことになります。
ここで、安芸国と越後国のつながりができています。今の広島県と新潟県です。
系図を観ますと、親衡の息に「坂匡時」がいて、さらに桂氏・光永氏・志道氏・坂元氏が現れます。
明治時期はもう侍ではなかったでしょうが、それ以前は侍であったかもしれません。
この安芸国と越後国の離れた場所に共に「坂橋」がいることの意味は、ひょっとするとそのようなことからかもしれません。
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翻訳はgoogle翻訳をベースにしています。もしも変な箇所がございましたら、ご一報をお願いいたします。
In hints from comments received, I tried to imagine the following things.
First of all, I'd like to attach a genealogy.
This is a genealogy of Mr.Saka in Aki Province.
Mr.Saka's beginning is with Mouri affinity.
https://en.wikipedia.org/wiki/M%C5%8Dri_Tokichika