17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

はじめに(3)

2025-01-08 09:41:38 | 介護
介護であったこと、肌で感じたこと、感覚的なことは、どんどん忘れ行く。消えていく、と言った方がいい。

ばあちゃんは、一昨年の6月30日に死んだが、それから7ヵ月半たった、去年の2月にフェイスブックに

ばあちゃんの介護のこと、何をしていたのか、何を感じていたのか、書いておきたい。
ところが、書きたくてもなかなか書き始めることができない。
一方で、何をしていたか具体的に事細かな事、その時何を感じていか、どんどん忘れていく。
おそらく脳が勝手に整理してくれんだろうが、自分に都合のいいことだけが都合のいい形でのこり、都合の悪いことはどんどん忘れ行く気がする。
それでまず、まだ多く残る手元の資料などを手にしてみるのだが、とたんにやる気がなくなる。
やる気がじゃなくて、本当は気分が悪くなる、そして体調が悪くなってしまうのだ。
自分で書いていた介護メモ、写真、動画、どれをとってもその当時のことがまざまざと思い出され、気分が重くなる。
やらなきゃいけないのに、出来ない。忘れていくのに、思い出す。

と、書いている。

ほほ、1年半が過ぎて、人は人の死を忘れて生きる力を得ていくものなのか、とも思う。

さて、かなり客観的に介護のことを見れるようになってきたと思うが、大量に残ったデータをどう見ていいやら。なにが書けるやら。

なにより、かなり忘れてしまった、その時の感じていたもの、戸惑い、不安、焦り、怒り、嫌悪、さげすみ、おごり、自尊心、喜び、安堵、自己満足、くやしさ、疲れ、などなどを抜きにして、自分のやった介護なのかどうか。

じいさんは、ベッドに寝ている。

このベッド、ネットで買ったんだけど、のちのち介護用品の業者さんに壊されちゃう運命にある。
その時は、バシャンといって家が半分停電になった(笑)。

そのことは、いずれまた。





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