凡夫の日常(たんたんぴー日記)

たんたんぴー(キジョラン)は綿毛のついた種です。風に吹かれてどこに飛んでいくやら。淡々坦々にも通じる気持ちです。

徳川家康と大黒屋光太夫と山口誓子と杉野兵曹長と勝小吉(海舟の親)

2019-03-24 | 日記
 本能寺の変で堺を脱出した徳川家康は伊賀衆に助けられ命からがら最難関の伊賀越えを果たした。その後どうなったかといえば白子(しろこ、三重県鈴鹿市)の港から三河まで船で伊勢湾を渡り岡崎城まで無事逃げた。それが縁かどうか白子は後々天領となった。
 時代は下がって亀山藩若松(白子の北)の船頭大黒屋光太夫は白子の港から江戸に物資を運ぶ廻船船頭として江戸に向かう途中嵐に遭遇しロシア(カムチャツカ?)まで流され救助された。初めてロシアを見た日本人である。光太夫はラックスマン(著名な博物学者)と出合い知遇を得る。帰国の夢を果たすため首都のペテルブルクまで行きエカテリナ女王に拝謁し帰国を嘆願した。女王は知識能力の高さを認め帰すには惜しい人物と現地に留まるよう慰留したが日本帰国の熱意に帰国を認めた。この辺の話は井上靖の小説を読んでいただきたい。
 家康も光太夫も白子の浜から船出とあるが白子は河口に作られた天然の港である。昔は突堤がなかっただろうから浜といった風情だったかもしれない。接岸できるように石垣はあったとは思う。NHK大河ドラマで家康が白子から船で逃げるシーンがあったがなんと磯浜のシーンだった。適当に作ったのだろうか、映像的に緊迫感を作りたかったのだろう。実際は追っ手もいないのでのんびり出帆したのだが(小学生のころそう聞いた)。伊勢湾の桑名いや熱田から伊勢付近まで100キロメートルのほとんどいや全部が砂浜海岸だ。二見ヶ浦まで行かないと磯浜はない。
 白子隣接の鼓ヶ浦(寺家)は遠浅の海岸で白砂青松の美しい河岸だった。現在日本の白砂青松100選に選定されてるが昔の美しさを知るものとしてがっかりのレベルだ。ここに歌人山口誓子が別荘を持っていたが波打ち際近くの砂浜にあったので伊勢湾台風で破壊された。卒業した中学校の校歌は山口誓子作詞だ。
 鼓ヶ浦の隣が磯山だ。磯がつくが磯浜ではない。ここの出身者で杉野兵曹長は軍国主義の時代の有名人だもっとも彼は日露戦争旅順港封鎖で戦死した広瀬中佐の「杉野、杉野はいづこー」の脇役かも。東京の万世橋駅には広瀬と杉野の像が立っていたが戦後撤去され広瀬中佐と杉野兵曹長の話を知る人は少ない。近鉄線磯山駅から杉野の碑が見えるが誰も気にしない。

 勝小吉は勝海舟の父親である。若いころはヤンキーで喧嘩ばかりしていた。小吉は伊勢参りを思いつき出かけた。お伊勢参りといえば各地で援助してもらえた時代だから身一つの無銭旅行だったんだろう。なんとか伊勢の寺家(白子)あたりに来たら高熱を出し松並木の道端に倒れていたら伊勢街道(往還)から100メートル入ったところのお寺に担ぎ込まれ手当てを受け命拾いしたという。ここで小吉が行倒れしたら日本の歴史は大きく変わっていただろう。この寺はどこか?。白子は寺が多いので往還から100メートル行かなくてもどこかにある。寺家(海岸が鼓ヶ浦)なら3つ該当する。2つは隣接し、もう一つはそこから50メートルほど離れ山門に仁王像がある古刹だ。どこだと言い難い。この話は勝小吉自伝「夢酔独言」に出ており、読んでおきたい本に選定されている。江戸時代の様子や人々の生き様がよくわかる資料だと思います。


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