酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

私たちは共に「プリン」である。

2020-03-14 | 社会問題
 3月14日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


日本で暮らす在日日本人たちは中途半端な存在だ。

私は彼等を、

日本に生まれて日本人になれなかった「ゴースト」と呼んでいる。

そんな「さまよえるゴースト」を傍観しているのが日本政府だ。

そんな政党を「ビビり党」と呼んでいる。

これではいつまで経ってもロストロスト・ワールドだ。

バブル崩壊後から長引く失われた30年が今後も続くと予想される・・・。

現実を直視できないお花畑日本人と、

中途半端なゴーストとの生活の中での衝突と対立。

いい加減に目を覚ませ。

そうだ! 私に良い考えがある。

さまよえるゴースト達を日本人のブランドに変える良いアイデアがある!

在日日本人をブランド化できれば、双方にとってウィンウィンの関係だ。

問題なのは、誰も私の話に耳を傾けないことである。

一体だれが何をそんなに恐れているのか分からないが、

その恐れは意外にも感情による思い違いであることが多い。

人生二度なし。たった一度の人生である。

さまよえるゴーストとして犬死するか、

日本人のブランドとして人生を全うするか。

殻に閉じこもって後ろ指を指されながら生きるか、

世界中に誇りを示して輝いて生きるか。

さあ、どうする?

いいかげん、見てみないふりをするのはもう、よそう。


私たちは「プリン」のようなものだ。

だが、自分のプリンは自分では食べられない。

お互い相手のプリンを味わうことしか出来ないのだ。

いがみ合った状態の中では、誰がプリンを食べられようか?

しかしそれではプリンを腐らせてしまうだけである。

どんな相手なら、貴方のプリンを与えられるのだろうか?

貴方のプリンと私のプリン、混ぜっこし合っても良いだろう。

貴方が先か、私が先か、論じ合うもの結構だ。

プリンが美味しいのは、

私が在日で貴方が日本人だからうまいのではなく、

私が高価で貴方が貧しいからうまく行かないのでもない。

運が悪いからどうしようもないのでもなければ、

たまたま日本に生まれた悲劇でもなんでもない。

プリンが美味しいのはただ感謝にあるのだ。

貴方の持ち味、それは与えてこその長所でありブランドである。

人生は捨てる修行だという。

囚われているものから離れること。達人の領域だ。


最後に一曲。

♬~「お~うお。君とだけ、プリン」

♬~「お~うお。食べたいな、プリン」

♬~「お~うお。甘いキス、プリン」

♬~「お~うお。その後は、プリンing」~♬。


   つづく。


依存症とは。

2020-02-16 | 社会問題
 2月16日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


今年、新たに一人暮らしを始める人も多いと思います。

一人暮らしの経験が長い私の考えでは、

哲学的な問いの一つ、「人は何処からきて、何処にゆくのか?」

その答えは今以て誰にも解りませんが、

しかしそのカギを握るものは 「自立」 にあると言われています。

ですから 「自立」 することは良いことでしょう。

だからといって同時に心配事が生じるのです。

それが 「依存症」 なのです。

人は弱い生き物です。

常に何かに依存しなければ生きられない「弱き子羊」なのです。

依存しなで生きられる人間は皆無といっていいのです。

例を挙げれば、

お金、愛、神様、家族、友人、仕事、音楽、スポーツ、スマホ、ゲーム、

これらは比較的悪い依存ではないのですが、

それでも一つにだけ特化すればたちまち依存症に陥ります。

お金なら拝金主義者に、愛なら盲目に、家族なら引きこもりに、

また、一人だけの友人では裏切られた時に立ち直れないように、

依存と依存症との違いは、

一つに集中するか、分散させるかで依存度が変わります。

さらに悪い依存。怠惰による依存症には、

性欲、ギャンブル、お酒、ドラック、暴力、など、

興奮状態によって快楽を引き出す依存症です。

科学的には楽しい感情と興奮状態によって、

脳内麻薬を分泌させて病められなくなるのですが、

その為の対策が、

楽しい快楽と興奮状態を分散させることで依存度を調整します。

結論を言えば、

良い依存をとことん追求しメチャクチャに楽しめばいいのです。

逆に一番悪い依存は、

中途半端な依存、好きなのか嫌いなのか解らずに惰性的な依存です。

まずは一度、

子供たちによる 「ゲーム依存」 から考えてみます。

よく耳にすることなのですが、

ゲームが出来ない環境に置かれれば

ゲームをしなくなると思われがちなのですが、

実際にはゲームを飽きさせる、

楽しみを増幅することで依存症を回避します。

好きなことを焦らされればブチ切れるのは当たり前ですから。

1、ゲーム機を一台にせず分散する。

2、ゲームソフトを一つに集中する。

3、ゲームをしながらユーチューブを見る。

4、音楽やワールドカップにハマってみる。

5、自宅よりも外で出来る環境を作る。

6、ゲームが上手な人のマネをする。

7、似た者同士でレベルを上げる。

8、友人に勝つ。または負ける。

9、好きな人ができる。

10、人に好かれるようになる。

問題が残ります。

家に帰って一人になると再びゲームを始めることですが、

惰性によるゲームを趣味に高めることです。

仕事とゲーム。お酒とゲーム。趣味とゲーム。友人とゲーム。

仕事と遊びとお酒と食事と趣味と友人とゲーム。

依存症かな?と思ったら、

その依存するものを複数に分散するのです。

収入を分散し、異性の友人を分散し、快楽を分散させるのです。

お酒を分散し、ギャンブルを分散すればかなりの時間と労力が必要になります。

どんなに優れた脳にも限界がありますから、

脳がそれ以上は無理だと判断させれば脳内麻薬は分泌されない。

したがって依存症には、

中途半端な慣習が発達した依存がほとんどですから、

計画的に良い依存度を上げることをお勧めします。

目指すゴールは 「趣味の哲人」 です。

何事も没頭すればどんなことでも楽しみに変わるように、

依存症もやり方次第では利用価値があるのです。

要するに良い依存と悪い依存との比率です。

80%の良い依存の分散と

20%の悪い依存の分散をイメージするのです。

どんなに優れた名人であっても、

人には必ず変態性が隠されていますし、

完全無欠な善人などフィクションです。

心理学の祖フロイトが肛門愛で示すように、

自らの変態性に気づきそれを少しづつ開放することで、

ベルクソンの言う、

圧縮された欲望は危険な方向へと大爆発するのを回避するのです。

したがって依存症対策には、

鉄格子による飴と鞭による管理や精神安定剤で治る類のものではなく、

そもそも人間は弱い生き物であり、

だから常に何かにすがろうとするのですから、

依存症のメカニズムを理解し、

活用することが何よりも大切なことなのです。

一人暮らしを始めるにあたり、

環境が変われば新しい依存を探さなければならなくなります。

ですが依存症が何なのかを理解することで自分を導くことが出るのです。

おすすめは、サークル活動やクラブに所属するのが良いでしょう。

とにかく、

依存症が無くならないのはそういう理由なのです。




   つづく。



「鬼」を明確にしてみます。

2020-02-03 | 社会問題
 2月 3日 節分の日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


「鬼」 とはだれを指すのでしょうか?

そいつが解れば絞めたも同然です。

そこで一度、分かりやすくするために、

人間を大きく二つに分けて考えてみます。

一つは、人を幸せにする人間と(これは鬼じゃない)

二つ目は、人を不幸にする人間だ。(そいつが鬼だ)

どちらも大人での話なのですが、

最初の一つ目は、一緒にいて楽しい人物だが、

後の二つ目は、一緒にいて不愉快で苦痛な人物だ。

不完全な子供がまだ、感情的なのは理解できるが、

大人であって感情丸出しでは見っともない。

確かにどちらも同じ大人の顔を持つ人間には違いないのだが、

前者は好意的であるのに対し、後者は破滅的だ。

自分のことを分かってもらえるように話をするのが前者で、

自分自身がどちらかなのかはどうでもいいと思うのが後者だ。

前者には、隣人愛の概念が存在するが、

後者には、性欲と感情だけが属性だと思っている。

なぜこのようにハッキリと分かれるかというと、

前者は大人らしさの中にあって、

後者は子供らしさの中にある。

そう考えると、「鬼は外」 の鬼とは、

大人なのに子供っぽい 「アダルトチルドレン」 なのかもしれない。

実際、子供の「鬼」が存在しなければ、

「良い鬼」も存在しないように、

「鬼」 はすべて 「大人のくせに子供だ!」 と

子供たちに石を(豆を)投げられるのが節分だ。

そしてそこに、

新しく登場したのが、「恵方巻」 である。

「恵方巻」とは太巻きを丸かじりする、大人の証だ。

子供たちに豆を投げられなくする方法である。(石じゃなくて良かった)

そういえば確かに、私の知り合いの、

「サイコパス」や「彷徨えるゴースト」は「恵方巻」を食べない!

そうか。見えてきました。

どうやら 「鬼は外」の「鬼」 とは、

幼稚で感情をコントロール出来ない大人のことであり、

他人を不幸にし、一緒にいて楽しくないアダルトチルドレン。

そいつが 「鬼」 の正体だ。



    つづく。


ユナイテッド・キングダム

2020-01-28 | 社会問題
 1月28日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


英国がなんだか騒がしいですが、

日本人として不思議な違和感が湧き上がります。

なぜなら、

1、英国を独立民族集団と呼ぶのは、日本も同じである。

2、英国は外国が嫌いだ。日本人は自分をアジアの一員だと思っていない。

3、ほとんど感情を表に出さずに、本音と建前を使い分ける。

4、不便を楽しみに変えて、逆境を通じて人生を学んでゆく。

5、歴史が好きで伝統や文化を何よりも維持せよとする。

6、皇族を見るとなぜだか心が安らぐ。

7、国を一つにまとめるには戦しかない。そしてその戦に長けている。

8、握手する時には、一定の距離感をもって少し離れて握手する。

9、英国は良識に従い、日本は良心に従う。

10、クラブ好きなのは仲間と一緒だと安心する。

11、イギリスの格言 「ペット好きに根っからの悪人はいない」

12、人に会うとすぐに「お茶する」。時間が空けばとりあえず「お茶する」。

13、スポーツのゴールシーンを繰り返し見るのが好きだ。

14、何事も「ほどほどに」がナイスで、やりすぎると取り繕うとする。

15、英国は創意工夫に富んでいるが、みんな他国に持ってかれる。

16、これは島国の特徴かもしれないが、

   なにかと天気番組に人気が集まる。天気の話題はコミュニケーションの一つだ。


これって、もしかして

日本のことを言っているのだろうか・・・?

いや、違う。七つの海を支配した大英帝国の話だ。


流石、ユナイテッドキングダム。日本とは一味違う。

英国はあくまでも

自分たちが同意の上で統括されていると信じている。

自分の運命は自分で決めるし、

個人の権利や自由、独立性には敏感であり、

自らが法律に従うのは、自分がそう選んだからだというように、

その法律が道理に適っているか、

最終決定権は英国になくてはならないと我慢できない。


どうやら島国日本は、

今回の一件から学ぶべきところが沢山あるようです。




    つづく。


ウィンチュー VS 自己チュー

2020-01-27 | 社会問題
 1月27日 月曜日  おはようございます。 

ミーム(利他的な女の子)と ジーン(利己的な男の子)五才の双子の遺伝子です。


幸せ細菌である 「ウィンチュー」 にはライバルが存在する。

「自己チュー」 だ。

だいたい、人と人との争いの原因のほとんどは、

利己的 VS 利己的 であるのだから、

強い者だけが生き残るジャングルの掟には、

「自己チュー」 が幅を広げることになる。

そんな 「自己チュー」 だが、面白いことに

自分自身よりもレベルの高い「自己チュー」な人物には弱いらしい。

例えば、

最も最悪な「自己チュー」が、

二番目に最悪な「自己チュー」を従え、

三番目の「自己チュー」がそれを真似る。

「自己チュー」 社会とは階級社会であり、

「ウィンチュー」 を支配することで喜びを見出す。

したがって、「ウィンチュー」は「自己チュー」 にイジメられる。

こういう場合の対策には、

「自己チュー」 同士を集めて競わせるのが効果的だ。

逆に、「ウィンチュー」 同士が集まれば愛が生まれるように、

「自己チュー」と「ウィンチュー」、その共存など考えないほうが身のためだ。


過去半世紀の間に日本社会は、

「自己チュー」 の支配が目を見張るくらい成長を遂げたが、

そのほとんどは 「自己チュー」 同士による激しいバトルによって激化した。

「ウィンチュー」 が認識しつつあるのは、

人間に備わる 「隣人愛」 の境界線上にある世界観が、

いつしか 「自己チュー」 に乗っ取られ脅かされていることである。

実際、その根源から現実化するまでの間、

「自己チュー」は「ウィンチュー」 の境界線で活動している。

その後 「ウィンチュー」 を排除し、悪意ある要素を導き入れ、

根の表裏に付着して定着し、代謝を拡大への架け橋とする。

そうすることで最も弱い 「自己チュー」 でさえ、

しばし培養し続けられるようになったのである。

私たちが頼りにしているはずの 「ウィンチュー」 でさえ、

時の試練に耐えざるを得ない例外的なものではないのだ。


何事にも社会的なバランスが重要をきたす一方で、

「隣人愛」 の有効とされた伝統的な慣習と根拠には、

「ウィンチュー」 によってすべて解明されてゆく。

長年、「隣人愛」 の主流は、

そのような慣習を「愛の欠如」によるものだと片付けてきた。

これはある種の慣習、悪名高き 「自己チュー」 による仕業である。

「隣人愛」 による伝統的なプロセスとその結果には、

有効なものがある理由を私たちは今、知りつつあるところだ。

それは社会的な関係の要となる有益な間柄を支えるものだからである。

それこそが有機的に十分な良心的関係を保てるかどうかの重要な理由、

そして、

愛の世界観に秩序と調和をもたらす環境を整える然るべき理由だ。

少し奇妙に聞こえるかもしれないが、

「自己チュー」と「ウィンチュー」 とを場合によって使い分けることが、

健全と不健全の分かれ目となりうるのだ。

「自己チュー」 が互いに傷つけ合う愚行は永遠に私たちに付きまとい、

元々の要素を混乱させることで新しい問題を作り出して行く。

これは非常にまずい戦略の特徴だ。地獄社会での方程式だ。

社会全体を焼き尽くす有害な 「自己チュー」 を

餓えさせて与えるだけでなく、一堂に集めて競わせるのが得策だと考える。

同じように、「ウィンチュー」 では、

お互いに 「隣人愛』 を脅かす場合にのみ、

必要に応じて、優先順位に置き換えて排除する。

「この場所では、自己チュー。あなたとならウィンチュー」 だ。

そうでもしなければ、

「ウィンチュー」 が食い物にされて

「自己チュー」 が野放しになるのである。



    つづく。



憲法改正の前に。

2020-01-23 | 社会問題
 1月23日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


きっと日本が憲法を改正する時には、

米国が日本軍を復活させるのが望ましいと判断され、

そうなった時、

国民は自国の新憲法を改正しなければならなくなり、

米国もまた、

ポツダム宣言に代わる同盟宣言書を交わす必要が出てくる。

いずれにしても、

日本は自己防衛に関する軍事力の強化を認める方針を基に、

日本国憲法の改正を検討していく必要が生じるのである。

もちろん条件つきである。

核兵器を絶対に持たないこと。これだろう。



ここからの話はとりわけ重要なので、どうしても取り上げる必要がある。


1954年(昭和29年)

国家安全保障会議(NSC)による極秘文章が、

ホワイトハウスの執務室の机の上に置かれた。

「アメリカ政府の対日政策に関する勧告」 と題する極秘文章には、

事実上それが

その後の数年間にわたる日本人の生活を想定したアメリカ政府の方針と、

国家安全保障会議(NSC)の意向を示した政策であった。

それは「英知の統治者」と称するマッカーサー元帥の草案に、

調和をもたらす優れた内容が書かれたものであった。

米政府がこの時点で、

講和条約を押し付けるような行動に出ないことを勧告していた。

だがしかし、いよいよ講和条約が締結されたあかつきには、

その条約ができる限り

「簡素で、統括的で、かつ懲罰的でないもの」 になることを望んだ。

極秘文章はまた、

アメリカがそれまでの間に占領軍の規模縮小を勧告しながらも、

沖縄を長期間にわたる米軍の管理下におく想定にたって、

海軍基地として発展させることを提議している。

その為の維持費を

戦後最も貧しい沖縄に負担させずに済む段取りを素早く取り付け、

米軍が自弁する方法に切り替えることを勧告しているのである。

また同時に、

海上自衛隊を含めた日本の警察組織の強化を求めている。


マッカーサー元帥のことを百も承知なNSCは彼に対し、

「日本政府への干渉をする前にホワイトハウスと協議すること」を要請している。

そして最も注目すべき重要な部分、

ホワイトハウスの英断としてこの極秘文章の中でも最も優れた部分、

「日本経済の回復こそ米政府の対日政策が次の時期に目指すべき最大の目標」だと述べた個所だ。

報告書にはこう示されている。


「我々は日本政府に対して復興計画の成否は、

 つらい仕事をいとわず、休日を最小限度にとどめ、

 耐貧生活に甘んじ、厳しいインフレと戦うことによって

 国力を高め、高水準の生産性を維持していく。

 日本人の努力に主として懸かっていることを、

 はっきり理解させておくべきだ」と。


この報告書が

ホワイトハウスの執務室の机の上に置かれてから2年と経たぬ内に、

朝鮮半島で戦闘を続けるアメリカ兵に必要な物資を提供する為の、

日本の国内生産による工場が素早くも立ち上がり、

新規注文を次々と引き受けていったことは改めて説明するまでもない。


断っておくが、なにも私は

トルーマン大統領が正しいことをやったとは一言も言っていない。

しかし、

戦後日本の奇跡とも言れたこれほどまでの復活をもたらしたのは、

まぎれもなくホワイトハウスの優れた対策、軍人たちの非凡な力量、

戦勝国アメリカを恨むのではなく、うらやむ姿勢を示した国民、

そして、日本とアメリカによる良心の呵責。それとつぐないであろう。



    つづく。



憲法議論について。

2020-01-22 | 社会問題
 1月22日 水曜日

 こんばんは、 酒好きの思想家です。


安倍総理も同様に、

日米安全保障条約のカサが永遠に続くものではないと考えています。

遅かれ早かれ今世紀中には、

日本は自らの自衛権を世界情勢に応じた形で、

また、財源を考慮しつつ地政学的に合わせて

漸進的に築き上げてゆく必要に迫われると考えられる。

さらには、世界各国と協力した有志連合などによる

平和と自由を守ってゆくことになると言明しても差し支えないだろう。

安全保障問題に強い総理大臣はそうざらにはいないように、

むしろ、安全保障で安倍総理の後継者が今の国会にいるのか心配だ。


近代史を振り返ると、

日米安全保障条約とは、

日本が再軍備するにあたり、米国との同盟として

日本領土に米軍基地を存続させることを目論する。

日本が再び帝国主義への復活を防ぐとともに、

第二次世界大戦の勝利国として、

永久に封じ込まなければならない理由が存在するのだ。

間違いなく、米軍の日本駐留を継続させるものは、これだ。


戦後、吉田首相はかつてこの様なことを言い残しています。

「再軍備よりも経済再建が優先する」と。

当時は、バズーカー砲よりバターであった。軍服より背広だ。

また、日本の再軍備には国民がどんな反応をするか解らなかったし、

隣国が何よりも不安と怒りを呼ぶのではないかと予想した。


1946年6月29日、吉田首相は衆議院で、

日本の自衛権と交戦権を放棄。

「正当防衛権を認めることそれ自体が有害」だと主張する。

それから三週間後、国家警察予備隊に同意し、

米軍から軍事訓練を受け、兵器を支給されても、

あくまで「軍隊ではない」と言い張った。

実際、憲法九条の条項を誰よりも弁護していたのは吉田首相である。

憲法九条には、日本国民は

「国権の発動たる戦争と武力による脅威または武力の行使は、

 国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」とある。

米国に日本が平和を重んじることを納得させるには、

あれから70年以上の年月が必要だったのである。

と同時に、

米軍が日本をソ連から守ってくれると見抜いていた。

それによって再軍備に掛かる経費のすべてを

経済再建に費やし近代化を推し進めていく。日本の奇跡である。

その後、日本の自衛隊が認められたのは

ほかならぬ北朝鮮が南へ侵攻したからである。

情勢は現代も同じのようだ。


話が少しばかり外れるが、

「征服する英雄」と称したマッカーサー元帥は戦後、

農地改革、神武禁化、財閥解体、マスコミ規制、反戦教育それと

米国生活様式を日本に移植するといったバラエティーに富む支配を試みた。

たしかに米国に押し付けられたとはいえ、

東アジアの近代化の見本となったのは事実である。

現在、憲法改正の議論を呼んでいるのは、

占領下でのアメリカの不備によるものではなく、

まして憲法の成文によるものでもなければ、

突然敵意を剥き出しにしてくる隣国に対する対抗策にあるのだ。

もし仮に、

現代の日本の生活に不満が残っているとすれば、

それは、事実に基づいた近代史の欠如と、

高度な工業化による副産物であろう。

確かに米国が押し付けた憲法を70年以上も守り続けた責任は十分に果たせた。

さらに日本国憲法を改正せずに、これからも100年間、

守り続ければ世界中から大きな信用が得られよう。

戦争責任を果たす上でも100年間の憲法維持は評価されよう。

それが国民の望みならばそれも良かろう。

しかし、

現憲法よりも素晴らしい立案があり、

アメリカの国力がこれを許し、

グローバル経済力が整い、国民が自主防衛を認め、

諸外国の情勢をもこれを持たざるに至るならば、

国民投票によって憲法改正という手段になると思われる。

決めるのは国民である。

二十一世紀の日本を取り巻く世界情勢にどの様な対策があるのか。

陸海空軍その他の戦力を保持せずに、

一体どうやって国民を外敵から守るのか。

私たちには知る権利があるのです。




     つづく。


カルロス・ゴーン

2020-01-21 | 社会問題
 1月21日 火曜日

 おはようございます。 グリーン・DE・クリーンです。


これと言って取り上げるつもりはなかったのですが、

随分と長らく「ゴーン・ショック」を報道しているところを見ますと、

おそらく重要な事件なのだと考え、私も参加しようと思った次第なのです。


あれは確か二年前のお正月の初めでしたか。

経済新聞がカルロス・ゴーンを取り上げ高く評価したと思えば、

その年の終わりには「ゴーン逮捕」の記事で騒ぐ。

それを目にして思ったことは、

日経の記事に書かれない方がよいことと、

日本の経営学は平等思想なのだと思ったことである。

いわゆる日本では企業はまるで

人間と同じような感情を持っているといってもよいだろう。

したがって日本企業には、

社内による異例の抜擢といったものはめったになく、

社外から連れてくる以外にヒーローは生まれない。

また社内では、給料の開きが大幅になることはなく、

能力給による成果主義制度の導入はなかなか難しいのが現状だ。

ひと口で言うなら、日本社会では

平等思想が企業存立の基本となっていると言えるのである。

そこで一度、多国籍企業と比べてみることにしたい。

日本人が自社の体制の長所と見ているものには、

欧米諸国にはビックリするような弱点に映って見える。

その一つが、米国企業やEU連合で一番力を入れているのは、

天才たちの足を引っ張ることではなく、

思い切った昇給による天才の能力に十分に酬いることなのである。

それどころかむしろ、

天才たちが思いもよらぬ高給で他社に引き抜かれないよう、

社運を賭けた是非とも必要な対策なのである。


日本式経営学の大切な仕事の一つ、

技能についても、給料や地位についても、

少なくても平等の建て前を取り続けることにあるだろう。

それに対して、欧米諸国での経営学には、

天才を見つけ出し、彼らを励まして研究を進めさせる一方、

自社の強みに変えて発明に次ぐ発明により社会貢献可能とするのである。

その為に手厚く酬いることが経営者の責務となる。

日本の場合、

ギリシャ神話に出てくる「プロクルステス」のように、

ベッドの大きさに合わせて天才の足を切り落とすところを、

欧米諸国の場合、

そのベッドをゆとりをもたせて拡大させ、

天才たちの居心地を良くしようとするのである。

その意味で、日本ではよくある話だが、

外人マネージャーに付き添う駐在員が、

本社の意向がまとまった線にそって最善を尽くすという段取りを命じる。

いきおい、外人マネージャーは欲求不満に陥らざるを得ない。

なぜなら、意思決定のコンセンサスに加わることが出来ず、

よそ者扱いされているからである。

エリートであるカルロス・ゴーンも例外ではないはずだ。


それにしても「ゴーン・ショック」のおかげである。

日本人が何かと見過ごされてきたものに目を向けられるようになったのは。

やはり「血の入れ替え」は人間には必要なのかもしれません。




     つづく。



「no-war.」

2020-01-09 | 社会問題
 1月 9日 木曜日

 明けましておめでとうございます。 年上の女性です。


「no-war」。

攻撃とは、

1、自らの感情的衝動性。(生を望むなら死に備えよ)

2、権力や個人思想による動機。(平和を望むなら戦いに備えよ)

3、生命及び財産に対する防衛手段。(喜びを得たければ苦痛に備えよ)

「no-war」。

「他国の苦しみを見るのは心地よい。
 他国同士が苦しまされるのを見るのは更に心地よい。
 悲しい現実だが ー人間らしさー 余りにも人間らしい性である。
 残酷さのない祭りはない。
 人間の最も古くて長い歴史がそう教えている。」

「no-war」。

「必要なことは生きることではなく、義務を果たすことだ!
 恐れるな!
 不安とはあらゆる原則が通用しない時に働く原則だ!
 結果を考え過ぎる故の臆病なためらいである。
 自らが考えることなど、その内の4分の1にしか知恵がなく、
 残る4分の3は常に臆病心だ!」

「no-war」。

国民のみなさん!

おもしろいと思いませんか。

軍隊を撤収させたら戦争が始まるのですよ。

なぜ、そうなるのかご存知でしょうか?

既に戦争をすることが軍隊の目的だからです。

軍隊の存在価値とは戦争に勝利することなのです。

勝てば何であれ許されるのです。

もし負ければその時は国民の責任です。

そうです!

問題はここにあります。

善良な国民を勝手に戦争に引きずり込んで、

負ければ国民の責任なのです!

軍隊は英雄気取りかもしれませんが、

責任を取らされる国民にとっては不名誉極まりないのです。

国民の皆さん! どうか気づいて下さい。

近代戦争はすべて軍隊の暴走なのです。

国民や指導者によるものでは断じてありません。

これが近代戦争の実態だ。

一人の英雄による過去の戦争の時代は終わったのです。

国民の皆さん!

戦争とは軍隊と軍隊による戦いであって、

国と国との戦いでもなければ、国民と国民による戦いでもないのです。

したがって、軍隊の最大の弱点とは、

国民からの支持を得られないことなのです!

単独犯にさせられては戦争を続けられないのです!

もちろん、本人たちは 「祖国の為にやった」 と言うでしょう。

しかしだ。

行動を起こす前に、 戦争を仕掛ける前に、

国民に相談したでしょうか?

いいえ。

そんな話はまったく聞いていません!

実際、この戦争によって何が得られるのでしょうか?

それすらも解らない。

自由ですか? 名誉ですか? それとも報復なのでしょうか?

この戦争の目的は何処にあるのですか? 教えてください。

この戦争の大義はどこだ!

ミサイル開発、細菌兵器、核攻撃。

軍隊の暴走に振り回されるのはもう、うんざりだ!


そしてもう一つ、

戦争について、重要なお話があります。

戦争とはいつの時代でも 「男たちのもの」 であるということなのです。

ここには一切の 「女性たち」 は排除されます。

「男」 が主役で、「女」 が犠牲者だ。

過去、女性が戦争を起こしたことがありますか?

女性のリーダーはいましたが、女性は大量殺戮など望みません。

事実です。嘘ではありません。歴史が証明しています。

国民の皆さん! 聞いて下さい。

軍隊の挑発には決して乗ってはいけません!

メディアを通じて世界中に訴えかけてください。

「この戦争は軍隊によるものであって国民の意思ではない!」と。

世界は勘違いしているのです。

国民が戦争を望んでいると。

そうではないのです。

私は断言します。

女性たちが手を取り合えさえすれば、

平和な秩序が実現すると心から信じて疑ないことを。

「no-war」。



      つづく。


偉大なる漢民族の復活は大賛成!

2020-01-06 | 社会問題
 1月 6日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


幸先の良い一年を占うとして、

トランプ大統領と習近平国家主席による、

今後のシナリオを描いてみたいと思います。


最終目的は 「偉大なる漢民族の復活」 にある。

現在行われている中国対策は、そのための準備期間といえる。


中国は天命を求めている。

逆に、恐れるのは騙されることだ。

火薬を発明しても戦争利用しなかった中国人。これが本当だろう。


習国家主席は無政府、無国家、無秩序の三無を悟った。

この三無こそ中国人民が何よりも恐れることである。

人民にとって一番大切なことは、信じられるものが無くなることで、

したがって、国民の多くはマネーに走る。

偉大な建国の父である毛沢東主席は一つだけ過ちを犯した。

中国共産党は守れても、人民は守れなかったことである。

同じ轍を踏むべきか。10億人の心が党から離れた時、革命が生じる。

実際、習近平国家主席は外敵など少しも恐れてはいない。

恐れているのは、党の方針から人民の心が離れることである。

力で人民を押さえつけてみたところで、同じ力で跳ね返されるのだから、

人民の心を一つにするものは力じゃない。思想だ。


古い共産体制の時代は寿命が終えた。

新しい社会主義体制には「中庸」、そのプロセスにある。

独占支配と自由経済とを和解させるために、

確固とした原則と具体的なビジョンを発見することは、

勿論、大賛成であるし望み多きことである。

中国共産党の方針やその他これに類似する戦略家の告白が、

社会主義体制の弁護者による組織された管理社会の魅力に対する、

「大いなる復活」への方向性に障害が発生している現状下で、

混乱がさらなる混乱を人民のプライドを傷つけている。

「大いなる復活」が確立されるのは一体どの時点を指すのだろうか。

現代の共産主義体制理論の課題は、

やはり古い社会主義から新しい社会主義への、

中国共産党支配から自由主義社会への転換時期なのだろう。

仮に、

中国の社会体制が今よりマシな自由へと向かった時、

果たして現代の中国人が独り立ちできるのか。疑問がある。

なぜなら、

中国人の最大の問題点それは 「神の不在」 だからである。

「お金の神様」 が必要だ。

また、もう一つの懸念、他国からの侵略から国民を守れるかである。

過去の屈辱を国民は決して忘れてはいないし、

汚名を晴らすためには報復をも持さないでいる。

この二つの問題がクリアーされるなら、

中国は一気に改革路線へと突き進む。

実際、中国人が優れていることは証明済みだ。

世界中にいる華人にせよ漢民族にせよである。

重要なのは国際協定である。

中国が約束を守れるかに懸かっているのだ。


現在の共産党体制の課題には陰陽二つの矛盾が存在する。

階級社会と自由社会、支配する者とされる側、大企業と零細企業、集団と個人。

目下、これらが疑いもなく共産主義国家の主要な矛盾である。

そしてその矛先は、より大きな支配する側に向けられている。


偉大なる漢民族の復活は大賛成だ。

偉人が得意とした 「中庸思想」 = 「中華思想」。

だが、

我々としては、

中国がこのまま世界の「必要悪」であることには、

いささかの矛盾も感じてはいないのである。

なぜなら、

これは 「必然と必要」 としての 「中庸」 だ。



    つづく。



靖国神社。

2019-12-27 | 社会問題
 12月27日 金曜日

 こんにちは。 酒好きの思想家です。


軍の暴走には動機があって目的がない。

竹島を取り戻すための侵略行為は、

主張の違いであって平和ではない。

それでも「韓国軍が正義だ!」というのなら、

犯罪心理学をお勧めする。



靖国神社について。

天皇陛下、総理大臣が靖国神社に参拝出来ないのは、

米軍によるものである。

中国や北朝鮮、韓国によるものではなく、米政府でもない。

10月に行われた暦代わりで分かった。

靖国神社参拝については、

軍人と民間人とを区別しなければならないし、

平和の象徴なら、民間人にも同じ主旨でいい。

本来ならば、日本の軍人も米軍の兵士も中国の軍人も

一緒に祈るべきである。

それは戦争の選択が兵隊によるものではなく、

味方であれ、敵であれ、軍人はみな同じだからである。

敵が変われば、味方にだってなれるからだ。

米軍がなぜ、これほど靖国神社に反対するのか。理由がある。

日本文化の中に「忠臣蔵」、敵討ちが名誉、誇りだというからだ。

仇討ちが大義名分、「リメンバー・パールハーバー」だ。

「わが心、奮起して神明に誓う。犬死してのち成仏するものと。」

「わが心、誠に武、誠に義。以て忠義を尽くし報復するは大義なり。」

これではいくらなんでも日本人が鬼に見える。恐ろしすぎる。

アメリカによる日本の対策には、

1、米軍の戦略として、

a、日本が報復に出ないよう再軍備を殺ぐこと。

b、プロパガンダにより自虐史観を教育し自信を失わせること。

2、米政府の戦略として、

a、資本主義社会の優位性を示すこと。

b、日本をモデルに東アジアの統率を図ること。

これらが共通するものは、

「天皇を中心に靖国に誓いを立て、米合衆国に報復させないこと」である。

二度の原爆実験を行った当時の合衆国の責任は重い。

しかしである。

現代の日本人はこう考えている。

「日本人は決して腰抜けになったのではく、

 大いなる悲しみを知った国民なのだと」。

また、「現代のアメリカ人は何も悪くない」と。

「現代の米国に敵討ちをして何が大義だ」と。

事実、大多数の日本人は現代のアメリカ人を

全くと言って良いほど恨んでいないどころかアメリカが大好きだ。

その証拠が、

70年以上変更されない「日本国憲法」にあるのだから、

敗北の姿勢を憲法を守ることで示してきたのである。

日本軍は内戦には強いが、外戦には疎いこともよく判ったし、

仮に今度、戦う時は、米軍が指揮を執り、日本兵が先陣を切ろう。

大丈夫。日本人は裏切ったりしない。(そうならないことを願う)

とにかく、

同盟国として今後はそこから考えればいい。未来志向だ。

私たちは歴史の重荷に耐え兼ねているのである。

私たちは歴史の修正が求められているのだ。



    つづく。


一度失った信用は、そう容易くは取り戻せない。

2019-11-27 | 社会問題
 11月27日 水曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。



日韓闘争は何も今日始まったことではない。

考えてみると、

韓国政府は国民を導く正しい理性を用いた年齢に達していないようである。

確かに能力が低い者ほど自分の無能さを認識できない。

それどころか自分のことを「すごい奴だ」と思っている。

実際はそれほどでもないのに相当凄いヤツらしい。

だから無能な人ほど自信満々でハッタリを言ってのけたり、

のほほんと気楽に他人を裏切ったりするのである。

そして同じ失敗を何度も繰り返すのだ。


私たちが確実に知っている事柄の多くは、

実は知らないのに知っていると思い込んでいる事柄と比べたら、

ほんの一握りなのだという。

知らないことさえ、知らない事柄は、おそらく

それより遥かに多く、あいにくそのことを知る術もない。


まして感情的な人間は、

自らの間違いを理解することが心底嫌いだ。

控えめに言っても、

しくじるかもしれないと分かっているのに、

嘘を言っていることが分かっているのに、

気持ちが収まらないのは、そのためだ。

さらにまずいことに、

感情的抵抗は一層強化され続けて、

「それは正しい選択だった」と頑なに言い聞かせる。

感情的抵抗とは、ちょっとした自暴自棄の悪夢になり兼ねない。

また、相手の出方によっては、

自分の過ちを更に忍耐強く信じ込ませようとするデーターさえある。

だからどんなに韓国の肩を持ったとしても無駄に終わる。

当然のことだが、日本が正しいからといって

韓国政府に譲歩すればもっと酷い目に遭う。


日韓闘争の主導者が誰なのかを考えると、

おそらく在日米軍と在韓米軍であろうと思う。

両国が対立している限り両国の報復は考えられない。

間違っても日本と韓国、北朝鮮この三国が手を結べば、

かつての大東亜共栄圏構想が復活しかねない。

それだけはアメリカは勿論、ロシア、中国が黙っていないだろう。

勘違いしてはいけない。アメリカ政府ではない。米軍の戦略である。

安全保障問題に強い国民のリーダーはそうはいない。

それに生じて、日韓闘争の主導者が韓国軍だ。

韓国軍が言うには、

「我々は平和の軍隊だ!」そうだが、

日本と協力しないで何が平和の軍隊だ。

平和の軍隊など無い。平和を守る軍隊の間違いだ。


だからといって、日本国も悪い。

いや、もしかすると一番問題なのはやはり日本かもしれない。

日本が安全保障問題にしっかりしていれば、

極東地域の安全と世界平和に大きく貢献出来るのに、

手をこまねいている日本政府が一番だらしがないのかもしれません。


   つづく。
    


現代アート論(その3)

2019-10-21 | 社会問題
10月21日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


歴史を忘れた民族に未来はない。

歴史を直視できない国民に未来はない。

過去、日本と朝鮮半島は一つになり、

共に列強大国に立ち向かい東アジアを統一、

世界を植民地支配という暗黒時代から独立へと導くのである。

敗戦後、日本と朝鮮半島は分断され、

二度と団結しないよう対立しているのが現代である。

なぜなら、もしも再び日本と朝鮮半島が手を組むなら、

考えるだけでも恐ろしいからである。





人生はアートだ!・・・忘れてました。


アートは見る者に何を与えるのか。

たとえ、負の遺産でも芸術作品として展示される環境に置かれると、

それが何であれ芸術作品になるという二流のアーティスト論に対し、

例を挙げれば、大きめの鏡を前に映し出されたあなた自身が、

アートにとって重要な言葉を必要としない感性が生み出されるのは、

偉大な詩と同様、アートは日常的で不完全な感情をふるい落とし、

見る者を感性へと作品それ自体に引き付けるからである。


従ってこのブログはアートである。なぜなら、

ブログ上に書かれたものは空想ではなくできごとであるからだ。

スピリチュアルな感性と同時に、

現実をシンプルにすることで日常生活に喜びが感じられるからである。

感情を感性に高めて喜びを獲得すること、

それこそが私が行っている行為である。

概して私たちの生活は常に変化する感情的社会であって、

真実についての本質的な知識を必要としているのである。

現代アートの目的も同様に、

見る者の想像性に関してさらに洞察を得るための手段を与えてくれるものである。

実際、私たちはみな、外界から不完全な情報を受け取って、

独自の方法で完全なものへと仕立て上げてゆく。

アートが曖昧なのはそのためである。

感覚刺激は光学的なものであり、目が刺激されて生じる生物学的現象である。

対して、知覚とは感覚刺激とは異なり総合的に脳が関与する。

過去の経験や記憶、仮説の検証など学習に基づいて得られた知識と統合し、

それらに意味や有意性、価値を得ることでアートのプロセスとなる。

文脈がアートを提供してくれるのである。

問題なのは、その情報量が少なければアートとして不快なものとなり、

本質的にアートが快をもたらす理由は、

一般にそれによって想像的な自己が刺激され、ある種の芸術作品を前にして

ポジティブでスピリチュアルな経験がもたらされるからである。

視覚から得られる情報は真に脳による想像物であり、

私達が知覚するものは、現実と同時に生じるファンタジーである。

つまり、快をもたらすか不快をもたらすか。

事実に対する新たな事実がアートだ。




    つづく。


ブルータス。

2019-10-09 | 社会問題
 
 10月9日 水曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


大統領!

「韓国はもう、中国や日本に対して「法を守れ!」とは言えないのでしょうか?」

大統領!

「韓国は立派な先進国の一員であるはずなのに、法に背いて良いのでしょうか?」

大統領!

「あなたが大統領を辞められた後に、訴えられる可能性は?」

大統領!

「金正男暗殺についての韓国政府のコメントは?」

大統領!・・・・・・・。






安倍総理の所信表明演説で気づいたことを述べます。


安倍総理。

これまで私たちは様々な問題に取り組んでまいりました。

私たちの友情は今も健在であります。

昨日、

所信表明演説や政策論をサポートしてきた人々が、

とかく安倍総理の目を盗んでは中傷したり矛盾したことを行うのに対し、

偽りのない理性的な原理原則へと国家を導くためにも、

今回ばかりは安倍総理とその関係者との間の問題につきまして

検討しフィードバックを行うことをお許しください。


誰が書いたのかは知りませんが、

はじめとおわりの所信表明です。

ブルータスが見つかりました。お前もか。

びっくりしました。

安倍総理が差別的で軍国主義者に聞こえるではありませんか。

説明いたしますと、スピーチのおわりの部分では、

「人種差別」「有色」「アフロ・アメリカン」「戦死者」「悲惨な戦争」「植民地」

など、普段でさえも使わない文言が目白押しなのです。

このスピーチライターは今すぐクビにすべきです。二流です。

スピーチのはじめの部分についても

また全体を通じても言えること 「暗い」 のです。

本来ならばこう書くべきです。

「今年は日本にとって歴史的な一年です」

そして戦争のない平成に感謝しつつ、

令和に希望を感じられるスピーチであるべきなのです。

国民と共に明るい未来を共感できるスピーチが理想的です。

私にはこれまでの安倍総理のスピーチとはまったく違って聞こえたのです。

これでは日本にとっても諸外国にとっても非利益であると存じます。


私はこれまで総理のお助けを得て、

様々なお話をさせていただけたことを心から感謝しております。

もし安倍総理が今後も多くな課題を私に命じてくださるならば

私は総理からこれまでの恩にお応えするために、

ウィン・ウィン国王をスピーチ・ライターにお雇い下さい。

必ずや、日本と世界を正しい方向へ導くことをお約束いたします。

   



     つづく。



戦争を回避するには。

2019-10-08 | 社会問題
 
10月8日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


先日、韓国軍の発表によると、

「韓国軍は南北の和解と協力を導く平和の軍隊だ!」

そうだが、平和の軍隊などない。平和を守る軍隊の間違いだ。

また、韓国は日章旗にこだわりを感じているようだが、

それは、いつの話だ?

そういった過去志向では夫婦関係も難しいはずである。

なぜなら、夫婦喧嘩では決まって、過去を持ち出すからである。

「以前、あなたは人前で私に恥をかかせたでしょう!」

「それは、いつの話だ?」




戦争を回避するにはどうすれば良いかを考えてみます。


思いついたことは、

軍隊のグローバル化がやはり正しいと考えられます。

これだと軍部による暴走が難しい。

逆に言えば、各国に独自の軍隊が存在するから暴走しやすくなる。

そう考えると、

EU連合はやはり正しいのではないでしょうか。

また、対テロ対策として有志連合も平和への対策に有効だと考えられます。



国内に目を向けるなら、

日本は核兵器を持つべきか、持たざるべきか、

議論することは賛成ですが、

私は勇気を振り絞って持たざるべきだと主張します。

今ある平和、あるいはこれからの平和についての

私たちの改善と夢見る目的は、

良心で受け継がれてきた社会契約が、

理不尽な隣国への批判に耐え忍ぶか、

それとも核保有国となり国難に立ち向かい、

けりをつけるにしても、

恐らく世界中が大反対するに決まっている。

今日の争いと不和に引き裂かれた世界では、

これまでにも増して差し迫って必要なのは核兵器ではなく、

日本を何ものとももたらすような平和なるものを与えられるには、

中立国家の樹立こそ世界を照らす光照とならんことを。



   つづく。