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戦争とは軍幹部による暴走である。

2019-09-30 | 社会問題
 9月30日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


正義と不正義とは何か?

法の無いところに不正はない。

韓国が国際法を無視するなら、

それを守らなければ不正である。

そして不正でないものは何であれ正しいのである。

正義とは法を守ろうとする不断の意志である。

なぜなら、正義は理性に反しないからだ。

いつの時代も、

愚か者が正義を主張する時は決まって感情によるものであるからだ。





現代において戦争とは何か。


結論から言えば、軍部の暴走だと考えられます。

なぜなら、全て軍事機密で軍法会議だからです。

そして何より問題なのは、

その責任を国民が背負うことにあるのです。

実際、米軍の派遣は国民が決めた訳ではなく、

カシミールの制圧も同様、軍部主導によるものと考えられます。

確かに、最高司令官は選挙で選ばれた実力者ですが、

国家安全保障に強い国民などめったにいません。

そこを軍部が寄ってたかって指図するのです。

ですから、仮に米軍がイランに攻撃を仕掛けても、

それはアメリカが悪いのではなく、

米軍の幹部による暴走だと言えるのです。

国民が暴走しても戦争にはなりませんから。

本来、国民の安心と誇りこそが最高の軍であるのだから、

大権とは、法規に従わず保全を確保する権利であって、

軍部の目的はすべての人々を保全するその一点にこそ存在する。

軍の統治それ自体、

本質的には国民の同意にのみ基礎を置くものであるにも関わらず、

軍内部の野心によって世界に無秩序が充満しつつあるその結果が、

人類悲劇の大きな部分を占める戦争の犬たちにかき乱されて、

保全という大権の意味に、ほとんど注意が向けられなくなってゆく。

侵害からの保全のために自然は他の全ての侵略者に対して、

実力には実力で対峙してよい特権を情け容赦なく認めているのしても、

現代はそれらの侵略者が誰なのかが見えてこないのが最大の問題だ。


そこで相談です。

一度、軍と国民を二分し、軍の責任を明確にする。

今後、戦争が始まるならば

それは軍部による暴走だと明確にするのです。

戦争のきっかけはさておき、

国民は軍の意向に同意できないと法に明記するのです。

実際、戦争を楽しむ者は軍幹部だけですから。

そしてここからが重要なのですが、

国民には軍部の解散権が与えられるのです。

一度始めた軍による暴走を終わらせるには

幹部たちの入れ替えが必要だと考えるのです。


    つづく。


サウジ石油攻撃は誰?

2019-09-27 | 社会問題
 9月27日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


獣との信約は無いように、

無責任ヒーローとの信約はない。

感情的な人間との間には信約を結ぶことは不可能である。

なぜなら、感情では善悪の判断がつかず、

法の重要性も破ることが容易くなる。

権利のいかなる移行も受容しないから、

いかなる権利も相手に移行させることが出来ないのである。

そして何より重要なのは、

相互的受容が無ければ信約は無いのである。




サウジ石油施設攻撃について思いついたことを。


誰が得をしたのでしょうか?

攻撃を受けた個所はピンポイントで犠牲者はない。

テロだと無差別が取柄ですし、

メディアがイランだと言うならイランでも違う。

サウジの自作自演でもなさそうですし、

内戦時にケンカを売るほどの器量もない。


今回の攻撃なのですが、

潜水艦で近づき、ドローンを操れば誰でも出来そうな話です。

その潜水艦って何?

仮に米軍がイラク戦争と同様、暴走するにしても誰がそれを望むのか。

善良な市民が悪者にされてしまう前に、

戦争を始めるにはどうすればいいのか考えてみます。


人間の本性の中に3つの主要な争いの原因を思いつくなら、

1、競争。2、不信。3、面子だ。

1は利得を求め、2は安全を求め、3は評判を求める。

1は支配する側として、2は自己保存として、3は誇りとしてである。

確かに平和を求めてそれに従うならば、

我々には自己を防衛する権利がある。

問題なのは恐怖によって強制された闘争心だ。

神への王国は暴力によって接待される?

まさにこの世は地獄である。


しかし、助かる方法が一つだけあります。

イエス様を十字架から降ろすことです。

イエス様を十字架に縛りつけて「助けて」はないでしょうから。

イエス様はこの様に言われます。

「助ける代わりに縄を解け」と。



   つづく。



G7と自然法。

2019-08-26 | 社会問題
 8月26日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


アリストテレスは言います。

「国家は人間の最高の業績であり、人間の完成に必須である」と。

隣国は、早く大人になりなさい。なぜなら

あなたの考えはどれも思い違いだからです。

アリストテレスは言います。

「間違いを冒すのはその過程ではなく、思い込みだ」と。



パスカルは言います。

「神と自然との法を否認して自ら法を創り出し、それを厳格に服している。
その様な人々がこの世に存在するということは考えてみるとおかしなことである」と。


マルクスはこう考えていました。

「人権は時代遅れのものだと。人権は人類の前史段階、
階級に支配されている社会に起因する権利侵害と保護にある」と。

基本的人権が与えられるには、人格的な自律性の行使を可能にする条件が必要のようだ。


思うに、大自然の背後には絶対的な知性があるにちがいないから、

自然法は一つの普遍的な共同体または世界国家を成すための表現となるに違いない。

法とは人間の共通な性質に基づくものとして真に普遍的であると、

ローマ法王も認めているのだから。


そこで「主義」についてまとめてみました。

1、平等主義・・強者が弱者に合わせなければならない。

2、自由主義・・お金が無ければ生きられない。

3、功利主義・・数ですべてが決まってしまう。

4、共産主義・・共存だけでは働かなくなる。

5、道徳主義・・完璧な人間はフィクションだ。

7、資本主義・・欲望が制御出来なくなる。

8、立憲主義・・少数派だけでは何もできない。

9、民主主義・・民主的な精神が不可欠である。

10、ウィンウィン主義・・中庸を保つために何が必要か。

個人主義と集団主義については、個人は集団のために存在すると考えます。

なぜなら、烏合の衆では危険だからです。

優れた個人主義が集団社会に貢献してこそ健全なエリート社会だと。


また、カントが説く「定言命法」は、

二つの道徳的選択が互いに対立するところでは役に立たない。

どちらかを選択すれば、もう一つの選択を侵害することになり、

仮にどちらも選択しなければ両方の選択を侵害することになる。

二つの選択を同時に可能とするにはウィンウィン主義しかないのです。



なぜ? 私たちの生活の中に自然法が容認されないのか。

社会に共通な一つの法を人類の基本権に承認したいと誰もが願っているにも関わらずに。

裁判官はこう考えているかもしれません。

「自然権は認めるが、よくわからない」と・・・。



    つづく。



無知のヴェール。

2019-08-19 | 社会問題
 8月19日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


アメリカは韓国に対し少しばかり過保護すぎる。

韓国を自立させるために一度、突き放してはどうだろうか。


韓国の失敗は大統領制ともう一つ、

三権分立で一番腐敗しているのは司法である。

一体、アメリカは韓国司法の精神年齢を何歳だと考えているのだろうか?

ジョン・ロールズの名言、

「無知のヴェールの背後で解決する」 とでも思っているのだろうか。

「当事者は無知のヴェールが特定する適切な理由によって導かれる」 とでも。

判事がなぜ、国際法に従わないのか?

それは裁判官が必ずしも正しい判断を行うとは限らないからである。

国際法は神の声だ。


表面に現れる行動には情動による動機づけが必要なのと同じように、

反社会的な行動には反社会的な情動によって方向づけられる。

そしてその動機とは、日本に対する 「嫉妬」 である。

もう少し正確に言えば、在日韓国人の有能さに対する 「嫉妬」 だ。

国内で起こる犯罪者の動機にもピッタリ当てはまる。


私たちの情動と理性に関する判断力は、

ピタゴラスを含めた古代からの問題定義なのだが、

算数が苦手な社会では争いが絶えず、

お互いに折り合いがつけられなくなるだろう。

人間の幸せは脳に比例するように、無知では幸せになれない。






「それでは質問致します。」

「韓国大統領! あなたはどんな社会を創りたいのですか!」


答えられなければ 「アウト」 だ。




韓国の「複雑さ」は一例であって「困難さ」の例ではない。

大統領はこの二つの言葉を同意語とみなしているようだが、

実際には大きな違いがある。

「困難さ」の現象は、各部分を詳細に分析すれば説明がつくが、

「複雑さ」の場合はそうはいかない。

その影響が各部分の結果に大きく関与するからだ。

国家運営は「困難」なものであり、

国民生活は「複雑」なものである。

国家運営の不備は取り換えが可能で、

それでいて基本概念が変わることはない。

たとえ機能不全が起きたとしても国家は国家だ。

一方、「複雑さ」の場合、国民生活を変えてしまうと

本来の韓国である本質が変わってしまう危険がある。

アイデンティティとは 「私は何者か」 だからだ。

繰り返すが「困難さ」と「複雑さ」は、

単独の構成要素ではなく、社会生活の関係性にある。

生活の中に対立が存在することは、文献を調べれば納得できる。

もし自然淘汰が適応だと仮定するなら、

個人の対立と社会の対立は同意語ではない。

世界基準に適応する柔軟さと最適化は自然原理にピッタリと当てはまるのです。




    つづく。



セックスレスについて。(表現の自由)

2019-08-13 | 社会問題
 8月13日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


韓国の失敗は、大統領制の失敗にある。

米国が誇る大統領制度は必ずしも完璧ではないようだ・・・。



セックスレスについての第四弾。


問題なのは 「夜立ち」 じゃない。「朝立ち」 だ。

思い出してください。

「夜立ち」 とは誘導型性欲つまり、

労力とコストが掛かり過ぎるのに対して、

「朝立ち」 は自然現象でありローリスク・ハイリターン。効率的だ。

神は一日の始まりに人を御創りになったように、

人間も一日の始まりに赤ちゃんを創る。合理的だ。

なぜ? 私たちは 「朝立ち」 を敬遠するのだろうか?

なぜ? 私たちは 「夜立ち」 に拘るのだろうか? それほどまでに。

もしかすると、自然現象に逆らってSEXするから後で後悔するのかもしれない。

もしかすると、「夜立ち」 と性犯罪は比例するのかもしれない。

もしかすると、嫉妬の多くは 「朝立ち」 で消滅されるかもしれない。

愛は静けさの中で育まれるように、

私達の性欲はいつからそう野心的に生まれ変わったのだろうか?


もちろん反論があることでしょう。

「従来のやり方で上手くいっていたのだから」 と。

確かにその通りなのですが、

環境に適応した者だけが生き残るのですから、

よって従来通り 「夜立ち」 だけでは絶滅する可能性がある。

早寝早起きは三文の徳であり、

「朝立ち」 を制する者が喜びを分かち合える。


こんな話をすると、

「変態だ!」 と思われるでしょうが問題ありません。

なぜなら、

人間性の奥深くには大なり小なり 「変態な部分」 が隠されているからです。

これをフロイトは 「肛門愛」 と書き残したように、

危険なのはその変態性を極度にため込んでは大爆発してしまう。

そうならないように、適度な変態性の開放が重要なのです。

ですから、人はみな変態だと自覚して正しく活用するのが自然的で上手くいく。

ベルクソンが言うように、「圧縮された欲望には限界がある」 のだから。


表現の自由。タブー視されたものを議論し発展させる。

不快(感情)に感じられるものを

アート(感性)で表現するものが表現の自由。

感情表現に自由は与えられない。それは子供と同じ理由である。


   つづく。


ホルムズ海峡、中東問題について。

2019-08-05 | 社会問題
 8月5日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


本当に、韓国は解らないのだろうか?

ホワイト国外しを承認しているのは、

米国や世界各国であることを。

感情によって善悪の判断基準がずれていることを・・・。


ホルムズ海峡による有志連合について考えると、

米軍がホルムズ海峡から手を引くなら、

正真正銘の有志連合が誕生する。

当然だが、その中にイランも含まれるから有志連合となる。

考えとして、

一つ一つは新しくないが、その組み合わせが新しい。

イランを敵国と扱っているのはアメリカ人ではないからだ。

同時に、パレスチナ問題を一緒に考えるなら、

結論はこうなります。

聖書、コーランに従い、戦わせればいいのであると。

なぜなら、

この世は地獄であり、聖地とは地獄の一丁目だからである。

それを証明する者こそが全能者の使命であろう。

黙示録に記されているように。

実際、100年の歳月を経なければ理解されないものが時には存在するが、

私たちは目の前にあるものを、

それ自身をありのままに発見することで問題解決へと導く。

宗教対立、その勢力の拡大、地域安定の低下、

危険的レベルの国家の出現、世界を脅かす最終兵器の開発。

これら全て、自然現象には無関係に見えるが、

根源はただ一つ。

社会が混乱するのもその一つだ。

新たな対立に驚愕したその瞬間から、

強い宗教心を持つ者たちが抵抗を始めているのが現状である。

中東から戦争の脅威が免れないかもしれないが、

現状のやり方で戦争を回避することは不可能だろう。

別の戦略が必要なのである。


私たちは長い間、神の生態系に抱かれ、

自然環境の保護のもとに、社会秩序を調整してきた。

人と生活と社会の健全な関係を実現する計画が根本だ。

人類は聖地が誕生してから実に様々な失態を繰り返した。それが自然だった。

確かに、危険に絶えずさらされ、悲哀の中にこそ知識が鍛えられ磨かれもした。

聖書の歴史から学べば、ほんの一瞬である。

憎しみを活用し、奪い合い、汚染し始めたのは、

自然でもなければ聖書でもない。私たちだ。

幾世紀もかけて築き上げてきた中東体制を再び、

一からやり直す時が来ているのである。

問題なのは、その心構えが出来ているかどうかである。

それは米軍が中東から撤退することにある。



    つづく。



金正恩委員長へ。

2019-07-31 | 社会問題
7月31日 水曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


ある筋の情報によると、

金正男暗殺を実行したのは韓国である。

これはチャンスかもしれない。

世界を味方に、朝鮮半島統一への足掛かりとして。

なぜ、そう思うのかは、

1、マスコミの言う裏に事実が隠されている。

2、近頃の韓国は挙動不審である。

3、VXガスを輸入し、核兵器を望んでいる。

4、手口が幼稚。(日本のテレビ番組を装う)

5、一番得したものは韓国だからだ。

おそらく韓国軍は勝利の美酒に酔いしれていることだろう。

金正男氏を暗殺するように、金正恩氏をも暗殺できると。

金委員長。一番の敵は韓国かもしれません。

だが、これはチャンスである。

今や北朝鮮は素晴らしい洞察のさなかに流れをつかんだ。

長年の忍耐それ自身によって。

今こそ何ものにも引き止められずに大義ある聖戦に踏み出すことができる。

そして誰はばかることなく、朝鮮半島を統一しても無限に告白することができるだろう。

信じるならば恩恵が受けられる。

仮に世界を震撼させても、耐えてみせよう。

人生、時には大博打を打たなければ栄光は手に入らないように、

それが今、判らなくとも大したことではない。

たとえ100年間待たされてもかまわない。

大いなる神ご自身が2,000年もの長きにわたり、

この世界を理解する者を待ち続けられたのだから。



  つづく。



日本IWC脱退、捕鯨船再開について。

2019-07-09 | 社会問題
 7月9日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


日本人による国際感覚の無さは天下一だと感じます。

敵に回してはいけない団体が存在することがどうも判らないらしいからです。

そこで、私の観なのですが、

梅雨明け、8月くらいから日本中で、

鳥インフルエンザや豚コレラが流行し、

日本の食生活が脅やかされると予想します。

関係者たちは、保険に入ることをお勧めします。


それにしても

日本人は鯨を愛していのではなくて、ただ食べたいだけなのでしょうか?

伝統文化は嘘だったのでしょうか?

もしそうであるならば、捕鯨船再開を反対致します。

なぜなら、

食べたいだけで 「殺す」 のであればダークサイドだからです。

大義名分が何処にも見当たらないからです。

日本がIWCから脱退したことに対しては、

とやかく言うつもりはありませんが、

その結果が、ただ食べたいだけではお粗末なグルメで終わる。

重要なのは、明確な理由だ。

日本のIWC脱退後、鯨が守られるかどうかがポイントとなるから、

世界に先駆けて独自に、

クジラ漁の伝統文化を世界に伝える役目を果たす、

具体的には、古来クジラ船を復活させての「白鯨」だ。

鯨を守るために、クジラ愛を示すために、何ができるかが重要だ。

広い海に愛が伝わればクジラから日本にやって来る。

そんな状況を創り出せればウィン・ウィンだ。

第一、今までみたく 「調査だ」 とか何とか言って、

こっそり食するよりかは断然美しい。

傷だらけの 「日新丸」 も救われる。


それとともに、

気になることがもう一つあるのです。

反捕鯨団体のことです。

関わっている本人たちはもちろん正義を主張すると思いますが、

私の眼には 「必要悪」 に映るのです。

仮に、反捕鯨活動を別の目線で映像化できれば

日本人もなかなかの 「優れ者」 なのですが、

資金豊富な活動団体を相手に上手く立ち回るほどの国際感覚が

今の日本には残念ですが無いように思われるのです。


    つづく。


朝鮮民主主義人民共和国

2019-07-04 | 社会問題
 7月4日 木曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


現代の進歩には、

競争原理によって徐々に過激で非生産的な創造性や過剰な破壊を糧に

「生産の為の生産」「消費の為の消費」「新しい成長の為の成長」が

繰り返されていますが、実際は

「怠け者が怠け者になる為」のシステムだと思います。

いつしか必要とされるのは、生きることよりも義務を果たすことになっている。

不安とは、あらゆる原則が通用しない時に働く現象である。

国家の名誉と回復という定められた因果関係には、

苦難の後に成果が訪れるという自然の循環以外に

幸運がずっととどまることはまずあり得ない。

そのバランスが崩すものには、たとえば

消耗の後に回復が訪れずにその悲惨な状態が続く貧困や困窮の生活、

逆に、繁栄によってそれゆえに単なる怠惰な生活が訪れる守られた生活、

それらは生きていることがもたらす基本的な発展を台無しにしている。

国家の存在は、消耗と回復の連続から成り立つように、

上昇は下降の後でしか訪れない。そして

常に「上に」とどまろうとする試みは必ず失敗に終わる。

国家の権利、主権とは人民との関係的な概念である。

朝鮮民主主義人民共和国のアイデンティティを定義することは

主権的な自己創出の継続的なプロセスである。

緊張に引き裂かれた公式より、

人民であることは、事実ではなく目的となるのである。

民主主義の原則には、透明性と説明責任であるから、

金正恩委員長は責任者であることを証明し、

何を考え何を目的として人民に貢献するかを明確にする。

主権が与えられるには、人格的な自律性の行使を可能にする条件がある。

日本の場合だと、大正デモクラシーである。

具体的な社会システムを肯定的に証明することであるが、

現在の日本は一体どうなっているのだろうか・・・。

発展の評価が利益をもたらすかどうかという尺度において

複雑化する時代にあっては、社会はあまりにもたやすく

理想や社会正義の理念を捨ててしまっているように思われる。

懸念されるのは、

「世界秩序の予防的な戦争」「平和のための侵略」

地政学的に言って朝鮮半島や極東とはそういう所だ。

38度線をめぐって戦闘態勢が進行中なのは

もしかすると水爆の開発のためかもしれない・・・。

そこで名案なのですが、

軍幹部の若返りを図ってみてはいかがでしょう。

名誉勲章を与えて引退してもらうのです。

金正恩委員長なら、意味はお解りになるはずです。

伝統的な軍国主義にとって平和が訪れることはつらいことです。

過去の教訓をあまり大真面目に受け取らないことを

私たちは学ばなければなりません。



  つづく。



ゲームオーバー。

2019-06-30 | 社会問題
 6月30日 日曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


トランプ大統領。お待たせしました。

先日、日本のタンカーが何者かに攻撃を受けましたが、

ひょっとすると、あれは「せどり船」かもしれません。

つまり、イランが米国に協力したことになります。

金正恩委員長が我々との友情を無視するならば、

トランプ大統領。

次はイランとの交渉を始めるだけです。

その前に、

金正恩委員長が歴史上の人物であるなら話は別。

個人的には、金正恩委員長は嫌いじゃないのですが、

金正恩委員長がどう思っているかは解らない。

だからこの際、嫌なら切ろうと思います。

心配ありません。

いつまでも隣国に脅かされて自滅するだけですから。

「時」を味方につけられない指導者にようはありません。

それとも、

金正恩委員長が私と友人になると言うのであれば、

それならばトランプ大統領同様、

金正恩委員長のためにブログを書きましょう。

ゲームを続けるのか、終了させるのか。

やるのか、やらないのかだ。


  つづく。



競争共栄(喰うか、喰われるか)

2019-06-29 | 社会問題
 6月29日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


これまでウィン・ウィン思想が

人と社会とにバランスをもたらす

極めて重要な役割の類似が明らかになりつつある今、

我々の世界を見る目は変わらずにはいられなくなる。

世の初めから隠されてきたもの、自然法則の半分を知るには時間がいるが、

それでも日々、競争しながら共生する、進化の根本は理解できる。

政治にせよ、経済にせよ、宗教にせよ、

自然原理という悪徳が繁栄する不思議な世界に、

ほとんどの社会現象は有害となって私たちの前に立塞がるが、

しかしだからといって、それだけの深く私たち自身と

目に見えない何者かの意思との主要な部分の一体となっている。

良くも悪くも我々はこの世界の真理を理解できるかけがえのない存在である。

視野が広がり、社会あるいは人との関係において

成長や共存などにおける計り知れない価値に気づく。

例えば2000年間、人類は見えない 「敵」 の脅威に脅えてきた。

歴史を恨み続け、競争に明け暮れ、それでも進化の過程を信じてここまで来た。

自らの 「敵」 を排除するという考えは何時しか我々の慣習に定着した。

その結果、おびただしい数の憎悪を我々はあまり気にしてこなかった。

確かにパワーバランスを強化すれば一時的には安心が得られても、

長期的には強敵化し逆襲してくるに決まっている。

新たな 「敵」 を生み出すのだ。

今や自己防衛手段だけでは平和を維持できないまでに拡大しつつある。

「敵」 を一つ倒すといった危険な 「賭け」 に依存してしまった。

それらが意味するものは一体何なのか。

 ― 競争と共生 ― 進化にとって決定的に重要な二つ ―

その働きはどうやら私たちが考えてきたこととは違うということだ。

互いに競争しあいながら共生することは可能であり、

実は必要で必然であったということである。

もちろん 「敵」 と戦うことに異論はない。

私たちが敵対者と関係を持つことには大きなコストと犠牲が強いられるだけである。

過去の経緯を振り返りながら安全保障や経済活動には、

考えの違いが進むべき道筋を不安定な方向へと歩ませる。

だが、自然法則と共存するならば安全保障のあり方を決めることは容易くなる。

実際、私たちは世界を大きく変えてきた。

堂々たる経済、豊かな生活、様々な真理を手に入れてきた。

思い出してみよう。

私たちは自らに牙をむくことを得意げにしていることを。


自然法則の全体像については未だ不完全なのだが、

ある種の慣習を変えようとする能力は私たちにはある。

混乱する資本主義社会の名誉回復は、

周知の通り難題であり危険もあることだろう。

そもそも壊さずに助長することが最善なのかもしれない。

過去数世紀、多くの偉人たちが人類の進化に光を当ててきた。

この過程では実際、多くの人々を幸福へと導いた。

同時に、有害な働きを生み出していることにも薄々感じている。

21世紀の初めに自然法則の知られざる扉が開かれようとする、

高次な共存共栄社会の実現へという疑えない事実が明らかになる。

我々は何者で、何しにきたのか。

ウィン・ウィン思想を通じて複雑な社会現象をどう定義し直すか。

私たちは今、問われ始めたばかりだ。




   つづく。




G20の皆さんへ。ウィン・ウィン国王です。

2019-06-28 | 社会問題
 6月28日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


寡頭政治の支持者たちは、

「自然的なもの」 と定義される方法のほうが、

直接民主主義よりも魅力的で有効であるように考えているが、

それらはしばし、ヒエラルキーの形成 ― 言い方を変えるなら

ダーウィニズムによる 「強者による支配」 もしくは 「自然淘汰」―

誰が言ったか忘れたが 「神が自然を創り、悪魔は人を創った」 ―

自然発生的なものだと主張している。

なんでも、この考え方に従えば、

人間社会はこの掟からは逃れられないそうだ・・・。


少数が権力を握る政治システムでは、

確かに生存競争の最先端に位置していることは同意できるが、

いわゆる、「ダーウィニズム」 ― もしかすると

社会の混乱の根本原因は、我々の思い違いにあるかもしれない。

なぜなら、ダーウィンの名著

「自然淘汰による種の起源について、生存を求める闘いで有利なものが維持されること」

これが正式タイトルだが、

実際、誰も最後まで読んでいない気がするからである。

なぜそう思うかと言うと、

動物哲学的には弱肉強食なのだが、生物学的には我々は共生生物、

生き残るために何かしら共存しているからである。

ダーウィンは晩年、

「地上に生息している生物はどれも、それぞれ進化の過程で適応している。さもなければ既に滅んでいたはずだ」と。

有機物同士による物理的相互作用が自然界にもたらした進化の結果ではなかろうか。

持続可能な社会に対する技術的な解決策には、

科学によるものだけではなく価値観の問題だと結論付けます。

「種の起源」 による生命最後の砦には、

全体を通じてどんな地球に住みたいのか、この一点にかかっている。

生命を有する個体が辿る一生は、

その個体を通り過ぎてゆくものであると同時に、

その個体が本質的に有しているものである。

したがって、他者との共生意識において言えることは、

属性が確立されるものであって、個人だけでは確立されない。

属性は必ずしも単一体の生命体やモジュール体に付属している訳ではなく、

長い年月をかけて個別の能力として受け継がれる。

事実、生命は種に従属しており、それ以外にはない。

明確なビジョン ― 

明らかにそれを次世代に伝える生命の所有者であると同時に種の進化であり、

厳然たる事実を受け入れるには

深いところで共生についての福音を継続させることにあるのです。



    つづく。



ウィン・ウィン経済論。お金に愛があるか?

2019-04-06 | 社会問題
  4月6日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


経済に新しい概念、次元を附与されるなら、古い理論は使えなくなる。

マルクス資本論とアダム・スムス国富論、この二つを足して二で割ると、

導き出されるその答えは、投資によって社会が前進するウィン・ウィン経済論だ。

このウィン・ウィン経済論の根底にあるものは、「愛」 であり、

「愛」 があれば、この世の法則 「必要悪」 も調和する。

経済に欠けた最大のものは、

自分自身の関心(マネー)に他人を結び付ける 「愛」 にある。

自らの関心(マネー)の方向性が集団に結び付く時、

全生命を懸けて打ち込める自信(パワー)が沸き上がる。

逆にこれが欠けた毎日は、退屈で、いい加減で、身勝手な、自己中心的な行動へと

つながることなき無目的が、悪意ある関心(マネー)へと人を向かわせる。

一体何時になれば、揺るぎない経済活動が実現するのだろうか? 

なぜ? 関心(マネー)は求めるが善悪は傍観するのか。

関心(マネー)を経済学と称するビジネスマンの英知であるなら、

何を不安がり敬遠しているというのだろうか。

ここで逆説だが一度、

勇気を出して、熱意をもって、集めた資本を社会に差し出してみることだ。

得る前に与えるならばウィン・ウィンの道が開かれる。

愛とウィン・ウィンで集団社会に提供するのである。

まかり間違っても元々ではないか。

汝は、自らの良心のみ恐れ、それに従う者に、

断固として実践する自信と勇気が経済理論として異議を持ち得るように、

統べての経済は、凡ての生活は、全てのマネーは、

社会の実践的な毎日に直結する限りにおいてその意義を持ち直し得る為には、

私達の関心(マネー)による裏付けの無い綺麗事だけでは長続きしない悲しい現実だ。

関心(マネー)は私達に、否、私自身に具体的な生活を動かす限りにおいて意味がある。

生活と経済の一致。関心(マネー)とウィンウィン(愛)との一致。

それらバランスが労働意欲として、幸福で慎ましく楽しい毎日の成果主義である。

この社会で生き抜く為に従うべき労働観念には、

日常生活の安定の中から生まれるものでなければならない。

社会正義や道徳観念をどれほど巧妙に積み重ねても上手く行かないのは、

いかにも 「必要悪」 という法則との遊戯にこそ、

真にウィン・ウィン経済という幸福論の名に値する。


ウィン・ウィン経済論の根拠は 「愛」 にある。

「愛」 が関心(マネー)の根拠となる。

「愛」 を定義するなら、認識であり、認識されたものは実在する。

経済活動は認識出来ないものとは、関係を築けない。

その関係を築けないから 「愛」 が無い。

「愛」 が同一性の原理だと結び付くまでは、経済活動に自由は無い。

自由は単純に言えば可能だ。「愛」 を原理的に認識しさえすればいいからだ。

実際、「愛」 の無い人とはシェアしたくないように、

「愛」 と 「自由」 は内部にある。むしろ外部が立ちはだかる。

あらゆる関心(マネー)は、知的なものであれ、友情的なものであれ、

何らかの欲求には違いないのだが、「愛」 がバランスを現出させるのである。


    つづく。


1ダースの質問(イエスかノーか)

2019-04-03 | 社会問題
  4月3日 水曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


マルクス・レーニンからの質問表。

1、計画的社会主義は、独占資本主義であり帝国主義化する。

2、共産党独占的地位とは、ブルジョア政治家と呼ぶに相応しい。

3、解放すべき宗族との闘争に真のプロレタリア革命がある。

4、階級社会の下では、賄賂、腐敗、消費能力が低下する。

5、侵略的自治区は専制政治であり、植民地政策だ。

6、労働組合(巨大トラスト)は、プロレタリアートを分断させない為にある。

7、富の分配と公平。労働分配率50%。

8、情報隠蔽が人々をお金依存にさせてゆく。

9、大企業による合理的統括が、下層プロレタリアートに陥れて格差となる。

10、AIIB高利貸国家による一帯一路政策が寄生性だ。

11、ブルジョアジーとプロレタリアートによる平和的和解が支配的和解となっている。

12、中国共産党はマルクス・レーニン主義を本当には理解していないと感じられる。

                                 以上。

中国は「民族の偉大なる復興」

を成し遂げる気があるのであれば、

この質問に答える義務がある。

もし、答えられなければその時は、 「アウト」 だ。


     つづく。




「ウィン・ウィン主義」による世界経済統一。

2019-04-02 | 社会問題
  4月2日 火曜日

 おはようございます。 グリーン・DE・クリーンです。


今からおよそ200年前、

マルクスが資本論を、アダム・スミスが国富論を書き示した時に、

資本主義は経済学者の圧倒的多数によって、

まるで自然法則のように取り扱われ、実際そうなった。

マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、

アダム・スミスは、経済活動の本質と感情分析によって、

資本主義は生産の集積を生み出し、その蓄積はまた次の

発展の特定の段階で急成長をもたらすことを実証したが、

現在の経済学者たちは資本主義を一種のゲーム理論に、

MBAという欲望ゲームの攻略法でもって、今さらながらにして、

しかも口をそろえて「マルクス主義は論破された」と言明し続けているのは

よほど現代の経済理論に自信が持てないものだと思われる。

だが、事実は頑固だ。否応でもそれは考慮に入れなければならない。

マルクスとアダム・スミスが示す共通点を見出すならば、

例えるなら保護貿易か?自由貿易か?

という点でのお馴染みのお国柄の間の相違は、

独占的な形態もしくはその逆の双方の利益に叶った

本質的な相違を条件付けるものに対しての、

ウィン・ウィン主義という経済理論の誕生には総じて、

資本主義の発展の競争の段階の社会的かつ根本的で感情的で文化的な自然法則である。

これまでの欲張りで古い資本主義体制が今後の美しい資本主義体制によって

終局的にとって代えられるには多少の時間がかかることと思われるが、

もしくは、美しいウィン・ウィン共同体と肥ったブルジョア資本家との

経済衝突が起こりうる可能性が無い訳ではないのだが、

過去、カルテル・トラストが極度に傾き無分別な政策が

物価を激しく騰貴させ大暴落へ向かわせた歴史から学べば、

現代の金融市場の株高は新しい秩序への中休みにも見て取れる。

問題なのは、過度に激化しすぎた競争社会である。

競争社会は独占企業を予防し、企業協定は物価安定として、

その結果は、健全なる社会活動が形成される予定だった。

確かにとりわけ、技術上の開発や改良の工程には適していた。

生産能力が消費を上回り、得た利益が共有財産として社会発展へと

形式的には自由競争が少数の独占企業を上回ることを期待した。

その結果は言わずとしれたものとなる。

現代には新しく、時代に適した美しい経済理論が必要だ。


ウィン・ウィン主義による経済理論というものは、

グローバル化が進む中での統一的概念による持続可能な発展、

今日までの統一的規制なしに展開される資本と生産による

無政府状態がますます国家と企業との経済的感情の溝が埋まらない。

より一歩高い見地から世界経済の広い領域を見渡せることができる機関が、

世界経済が国民にとっての幸福に直結し、またあるところでは規制をかけ、

生産手段をウィン・ウィンの観点で管理していくことが、

とくに生産者と消費者との間の不断の調和による配慮となろう。

互いの情報交換によって生産を指導するのは、

相互の独立した世界市民による経済欲望を知らない、

良心的な者たちの 「見えざる手」 によるものである。

情報を提携し独占し利用する企業に対しては、

特定のウィン・ウィン機関の手に帰属することとなろう。


    つづく。