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いじめ問題を考える。第9回目。

2017-08-01 | メンタルヘルス
 8月1日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


いじめ問題を続けます。


いじめる側にせよ、いじめられる側にせよ、

どちらにしても、イジメに対する明確なビジョンが必要だ。

イジメ社会が一致団結する、燃えるような大いなる目的が必要だ。

目的が無ければ嫌でも逃げ出したくなるのが人情にも拘わらずに、それがない。

実際、人間の大権利である自己保存でさえ、

ビジョンが無ければ憎しみや怒りがこみ上げてくる現実の中で、

私のやり方とか、あなたのやり方という手段ではなく、

やはりイジメに対して何らかの明確な目的の強調が協調となり、

人間心理にせよ、社会現象にせよ、イジメ問題にせよ、

今までかみ合わなかったものも、より話し合えるようになるのではなかろうか。


自分のことしか考えられないと、人生に価値が認められないように、

イジメの目指す方向が同じ時、イジメの価値とレベルはさらにパワーアップする。

明確なビジョンがそれを信じさせ、導いてくれるからだ。

目的の良いところは、それは必ず達成することにある。


イジメの心配事は社会共通の問題であると同時に、個人が解決するカルマでもあって、

心配事ばかりに目を奪われて、ウィン・ウィンを置き去りにしていてはどうしようもない。


イジメや心配事の多くは、一度表面化して軽く見えてしまえば消えて無くなるように、

苦しい時や辛い時は一度、立ち止まって問い直してみると楽になる。



イジメを複雑にするものとはいったいどこから生まれてくるのだろうか。 考えてみます。



 私は子供の頃から「お前はいじめっ子だ。」と、よく言われてきましたが、

私はイジメても良いのです。

なぜなら、「愛がある」 からです。

愛があればイジメは単に人を傷付けるものではなく、愛のムチだからです。

逆に言えば、イジメを無くすことは愛のムチを無くすことでもある。

悪いイジメには良いイジメで対抗する「目には目を」という大作戦だ。

したがって、イジメに対する明確なビジョンとは、「愛のあるいじめ」 となる。

「愛がある」ならば「愛のない」イジメをいじめても良く、正義のイジメなのである。


なぜ、「愛のある」イジメが正義かと言うと、


不幸や苦しみが人を強くするのは、不運や苦痛によってその人物を愛に向かわせるからであり、

現実が厳しければ厳しいほど私たちは愛に生きるしかなく、

楽ばかりして甘えていては、幸福と不幸は表裏一体であるように、

幸せに満ちた刺激的な毎日を味わうことが出来ないのだから、

イジメを愛へと向かわせる方法を見出せられるのならば、「ウィン・ウィン」となるように、

ぶっちゃけた話、大人も子供も社会全体も、現代は「愛が感じられない」のが悲しい現状であって、

事実、大人社会に質問してみると解るように、誰も愛について説明出来ないにもかかわらずに偉ぶり、

そのくせ、説明出来ないということは、「アダルト・チルドレン」の証明であるからイジメたくもなる。



重要なのは、その愛とは何ぞや。 です。



愛を大きく分けると三つ。

一つは性欲である「動物愛」

二つ目は、子供たちの「感情愛」

三つ目は、大人たちの「理性愛」 です。

この三つをコントロールすることが 「人間愛」 と呼ばれるものです。


愛とは思想であり、理性愛とは頭の中に存在するから、

ゆえに脳の中に愛が無ければ、あなたは人間愛の無い人になり、

この世界に愛が存在していない生涯ということになる。

理性愛をほったらかしにしては自己破滅的な人間脳であるから、

愛の概念を理由付け説明することが何よりも重要なのである。

そうしなければ自らの脳がすぐに被害妄想や疑心暗鬼に囚われ、悪いことばかりを考え出しては犯罪を冒す。

つまり、怠け脳と馬鹿には愛の概念が無いということになる。

だから、馬鹿や怠け者では自滅する確率が99%。幸せにはなれない理由がここにある。

また理性愛とは他人に与えられるものではなく、自ら考え見出すものであり、

助けを求めているうちは、永遠に手に入らない神業なのである。


理性愛をもっと具体的な形に表せば、

理性愛とは私の脳とあなたの脳との交互能力、交換能力であり、

理性愛とは交換日記であると言えるのだ。

理性愛とは交換日記で表面化され、受け継がれるものなのです。

なぜなら、

人間という意思の疎通は話を交わすだけではお互いに理解が難しくて上手く伝わらず、

交換ノートの記録によって初めて目に触れ考えさせられるものだからである。

イジメ問題の多くは理性能力の欠陥による感情動物的本能によるものだから、理性喪失状態だ。

そんな動物本能に対抗するのに役立つものが記録、すなわちノートである。ノートとは脳への扉でもあるからだ。

言葉ではなかなか言えないことでも、記録を残して大人に見せることは誰にでも容易である。

それは自己主張ではなく、妥協でもなければ、怒りの感情でもない。

人間にしか知ることの出来ない知恵であり英知であり、それが理性愛なのである。


恋愛も同様、二人の理性愛による記録の積み重ねにこそ本当の意味での絆になり、

二人だけの大切な思い出であって、愛ある一体感なのである。

邪魔することも真似することも出来ない、他に類のない「二人だけのラブ・ストーリー」であり、

その良き物語の思い出こそが 「赤い糸」 なのである。


この二人だけの交換ノートこそが、人間愛を生み育て、記録そのものが理性愛を発達させ完成させる。

感情愛だけの恋では一瞬で冷めるが、物語は一生である。動物愛では単なるスキンシップで終了だ。

それに相手のことが本気で好きなら、交換ノートの苦痛は快楽に変わるから心配は無用。

恋愛とは二度と経験出来ない失望や悲哀こそ、純粋なものであって、

感情愛や動物愛だけではすぐに飽きられ捨てられる。

あなたの運命や宿命、そして人間愛は、交換ノートを始めなければ一切皆空、所行無常なのである。

それはどうしてかと言うと、

あなたはあなたのメッセージを今この瞬間に残さなければ、

誰もあなたの存在に気づかないし、見向きもされないし、誰もあなたのことを解らないのだ。

性欲や感情だけの良き思い出では、後で苦痛を2倍にするから、

交換ノートとは理性愛の道しるべであり、人格を形成するものは交換ノートであり、

それこそが人間愛であると断言して、イジメ問題をさらに続けたいと思います。










   つづく。









いじめ問題を考える。第8回目。

2017-07-28 | メンタルヘルス
 7月28日 金曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


さらに重大な問題が残されています。


この世からイジメが無くならない以上、イジメの存在理由が明確に理解出来さえすれば

その対応策も容易に見出せるに違いないから、一度、仮説を立て見直してみます。


もし仮に、

この世が楽園ではなく地獄だとしたならば、イジメがダークサイドとして正論となる。

逆説ですが、

地獄社会での方程式ではイジメが複雑化するほど苦しみが増すという成功哲学だ。

だから、他人に勝つ為の秘訣が「イジメること!」だとしても何ら不思議ではないのである。

イジメだけではない。

世界中で起きている社会現象の全ての混乱が証明されてしまうから怖すぎるくらい怖い。

当然、悪が無くならないようにイジメも無くならないのだから、したがって「パワー・オブ・バランス」が重要となり、

世界は核兵器によって脅かされると同時に守られてもいるのが現代だ。

例えると、

テロをイジメに置き換えてみれば解る様に、テロを無くそうとすることは当然だが、

「力こそ正義」が必要であり、「この世に平和があるのではない。あるのは勇気だ。」と言うのが必須条件となる。

実際、地獄での法則の中の一つである自然淘汰という機能が上手く作用していること考慮した場合、

強いものから見れば弱いものが迷惑となり、上手く立ち回れないものにはイジメが与えられるというシステムがそれに当たるが、

弱いものがさらに弱いものをイジメるルールに則るならば、スリルとサスペンスの物語に人気が集まるのは仮想空間だけの話ではなさそうだ。

重要なのは、地獄でのシステム対策に効果がありそうな良策には、良いイジメ、つまり他人からのイジメを受け続けるのではなくして、

自らの選択と集中による自らのイジメを100回、積み重ねの法則を応用することによって

法則には法則で応戦する以外に成果を手に入れ、イジメから回避する秘訣が見当たらない。

失敗と同様、良い失敗と良いイジメを重ねた生涯学習こそが、「何を行うのか、よりもなぜ行うか」であり、

怠け者の弱者であっては、苦しみの人生だけで残念だが終わってしまうのが現実だ。



だから、

世界中の歴史に名を遺す偉人たちを読み解く以外に解決策はない。

歴代の偉人たちは何をしたと思う?

そう。書き残したのだと。

タルムードとは激しく問い続ける意味である。全てを疑い、問い続けるという冒険だ。

孔子は言う。「下学して上達する」と。

囚われていた主題から解放されるには、問題を提起することである。定理や公式よりも、定義を重視して。

読書を科学すると未だ謎だらけである。世間の常識を用いなければ最高の真実は説き得ないように、

知識や手段なしには対象の理解はない。対象の理解が無ければ活動は有効ではない。

人生の思いは書き残されるように、偉人たちのその言葉にはパワーがある。

様々な人生経験から得た感性による霊性こそが最高の芸術だと言うからだ。

理屈よりも楽しくなければ何事も長続きしない。大切なのは答えは一つではないことである。大きな人生は細部に思想がある。

人類はストーリーを共有するという天賦の才能が備わっているのだから、その物語を読破し、新しいストーリーを世界に発信する必要があるのだ。


「イジメの対象を全てこの世から抹殺すれば、全てが虚しく、残酷である。それはより過激に、より悲劇的に。」

















    つづく。








いじめ問題を考える。第7回目

2017-07-25 | メンタルヘルス
 7月25日 火曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


イジメ問題を考えている内に気づいたことは

どうやら、その根源には 「移民問題が影響している」 と気づき、

子供たちだけで解決出来る問題だとは思わずに、大人たちにこそ責任があるのだから、

イジメの課題は現在世界中で混乱を撒き散らしている移民問題を解決することだと考えるのです。


世界が大きく一つになろうとしている時代の転換期であることは認めるとして、

おそらく私たち現代人がグローバル社会に対応出来ていないのが現状であるから、

移民社会をいかに克服するかによってイジメ問題もよりたやすく解決されるのではないかと考えるのです。


一度、解かり易く二つに分類してみると、「旧市民」と「新市民」とに別けられる。

グローバル市民とポピュリズム大衆がそれである。

そして何より大きな違いは、アイデンティティーの違いであると仮定した場合、

新市民である移民たちに欠けている思想とはアイデンティティーを明確にすることだと結論付けます。

なぜなら、アイデンティティーの欠如によって「今」が一番大切で「今」しか考えておらず、

その点、ポピュリズムたちには「過去があり未来」が大切なのです。

移民たちの主張をよく分析すると、歴史、伝統、文化という「過去」がない。従って「未来」が描けない。

逆に、「旧市民」たちのイデオロギーには「感謝」が受け継がれてゆく「大いなる連鎖」にあるのである。

だから当然、政策が違ってきます。

まず重要なことは二つの考え方があるという認識なのです。

どちらが正論なのかは時代によって変化すると思われるから、

どちらを主張しても対立しか起きていない現状の中では、いつしかヘイト・差別・人権などが「まやかし」に見える。


ヘイトスピーチについて意見を言えば、

「帰れ!」 がなぜヘイトに当たるのかというと、

帰るところが無い人に向かって 「帰れ」 というのがヘイトスピーチであって、

帰るところがある人に 「帰れ」 と言ってもレイトスピーチにはならないのだから、

帰る場所があるのか、それとも帰りたくないのかが明確に解ればヘイトスピーチが悪用されなくてすむ。



兎に角、これらを統括して現在思いつく移民問題の解決策には、

「どこで死ぬか!」 が何よりも重要だ。

移住した地で死ぬのか? それとも祖国で死ぬかを契約すれば移民対策もお互いに同意し易くなるのである。

移民たちのアイデンティティーが中途半端で、受け入れる側のイデオロギーも中途半端ではどちらも傷付き憎しみ合うのが現状だ。

勿論、いつ死ぬかどこで死ぬかは誰にも解からないが、少なくとも以前の日本人ならば 「ここで骨を埋める」という気概があったように、

移民たちに必要なのは 「どこで死ねますか?」 この問いに答えることである。


一度、移民を受け入れたのなら、その後の生活や家族、人権問題などに対応するのが先進国のルールであるように、

人権にせよ、自由にせよ、社会保障にせよ、その土地での法律に従えない愚か者には与えられないものであるから、

移民が成功すればそれで終わりであっては混乱を招くし受け入れられないのが世界各国の事情である。


したがって、「新市民」に必要なのは、移民許可書と同時にその国でのアイデンティティーの教育がウィン・ウィンだと考える。

当然、子供たちの学校教育も同様にアイデンティティーの教育がイジメ問題解決への糸口になる。

現在の日教組は移民教団だから、先生自身のアイデンティティー教育が最優先課題だ。

先生たちの歪んだアイデンティティーではそれは教育とは呼べずにイジメだからだ。

つまり、学校内でのイジメとは日教組によるアイデンティティーの無さが原因だと結論付ける。

なぜなら、反日教育はアイデンティティーではない。それは地獄でのイデオロギーだからだ。


確かに、急激なアイデンティティーの変化は人格やその後の人生を混乱させる要素になるかもしれないが、

そもそも好きでもない国へ移民すること自体が社会混乱の原因だから、

移民することが悪いのではなくて、移民後の対応が悪いだけなのである。









    つづく。









いじめ問題を考える。第6回目

2017-07-24 | メンタルヘルス
 7月24日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


なぜ、イジメが無くならないのだろうか?

もしかするとイジメは必要悪なのだろうか?

だとしたら、その根源は何なのだろうか?

イジメをウィン・ウィンには出来ないものだろうか?



日本人においてイジメ問題がこれほどまでに深刻化するには何か重要な要素が隠されているに違いない。

逆にこの「虐め」本体をイジメてやれば何か見えてくるかもしれないから、一度イジメをいじめ抜いてやる。目には目をだ。


イジメの存在理由が必然で必要なものとして、因果律や自然法則を統括して考えると、

「血が濃い」ほどイジメが表面化されやすいのではと思われる。

なぜなら、兄弟や身内ほど醜い争いを繰り返す、旧約聖書のカインとアベルだ。

実際、仲の良い兄弟姉妹はほんの稀で、仲の良い隣国が存在しないのもうなずける。

「隣人を愛す」ことほど私たちには難しい試練なのである。

旧約聖書・新約聖書・コーラン・仏教・新教宗派を一冊の本に統合して単純化すると、

「足の引っ張り合いはやめよ。」 となるのだが、未だその足の引っ張り合いを止めない人類だから、

イジメの原因を「足の引っ張り合い」としても妥当だと言えるのではなかろうか。

その逆が「協力」であるが、自己中心的で生き残る手段としては致し方ないのかもしれない。


そう考えて思いつくことは、とにかく日本人は他人の足を引っ張るのが大好きだ。

自分が勝つ為には他人の足を引っ張るのが手っ取り早い。

「出る杭は打て!」「みんなと一緒。」などが良い例だ。

「自らが幸せであるには他人が不幸でなければならない。間違っても他人が自分よりも幸せであっては不平等だ!」と。

事実、「他人の不幸が大好き」なのだからイジメが無くならないのも当然と言えば当然だ。

「他人の幸せを素直に喜ぶ」為には人生経験その中でも成功体験が必要だから子供たちにはちょっと難しい。

不安定な子供たちの「感情」が美しい大人たちの「感性」に成長していない段階での共感能力、コミュニケーションスキルには「習うよりも慣れよ」が先決だからだ。

子供たちのイジメ問題の核心はこの当たりにあるのではなかろうか。


だからこそ、自分自身で自らをイジメることが合理的となるのである。

自らのイジメによって自らが強く成長するならばウィン・ウィンとなり、イジメはそう悪くもない。

他人を弱らせることで満足を得るやり方ではなく、自らが強くなることを生きる目標目的に掲げれば

それだけで「勇者」であり「賢者」だと言えるのである。










     つづく。












いじめ問題を考える。第5回目。

2017-07-22 | メンタルヘルス
 7月22日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


逆に、いじめられたければどうすれば良いのだろうか?


人間の脳を大きく二つに分けて考えてみると、

一つは、楽をするしか能がない怠け脳と、

もう一つは、子供たちの長所である成長脳とに分けられる。

どちらも子供たちにとっては快楽なのだが、

最初の一つは、イジメから逃げることにかけては天才的だが、

後の一つは、レベルアップを続けてイジメから遠ざかるやり方だ。

確かに、イジメ事態がなくならないことは事実であるが、

最初の一つは、甘えん坊の臆病者で、もう一つは、尊敬される賢者である。

実際、怠け脳と成長脳は表裏一体、バランスが大切なのかもしれないが、

長所をドンドン伸ばすことがイジメとの距離をグングン引き離す 「ウサギとカメ」 だ。

だから、イジメから逃げてはいけないし、逃れられないのだから、

「なまけ者には用は無い!」 これがイジメる側の大義名分だ。

現実から引き籠ればいじめられっ子のチャンピオン確定となる。


社会を見渡して見れば解るように、

アダルトチルドレンの大人たちは、社会に出てからもイジメられているのが現状で、

「逃げない覚悟」の無い怠け者には大変な毎日が死ぬまで続くという悲しい現状が待っている。



私たちの毎日は何故だか分からないが苦しみや悲しみに遭遇する。

苦しみや悲しみの無い日は稀にしかなく、一年中苦しむ人たちもいるほどだ。

お釈迦様が言うように、どうやら「今」だけが「苦しむ」のではなく、

明日も明後日も永遠に苦しみが無くなりそうにないのである。

重要なことは、良い苦労をし成長快楽を存分に味わい尽くす以外に我々の生きる道はない。

したがって、感情的な対応ではなく理性的な対応で応戦する、 「賢く逃げるが勝ち。」となる。


子供たちの成長脳は段階を経て大人へとレベルアップするように、

初めは爬虫類脳から感情脳に、やがて理性脳へとたどり着く。

実際、いじめっ子の多くは爬虫類脳か感情脳である。

その中で、いつまでも感情脳だけでは強いイジメっ子に勝てず仕舞いだから、

本を読むことで成長脳を鍛え上げ、スーパーサイヤ人になることがイジメ対策の結論となる。


確かにいじめっ子が居なくなればイジメが無くなると言う理屈は分からなくもないが、

消極的な解決策ではイジメ問題が更に複雑化して行くのも自然現象の一つと言える。


だから、

1、現実から逃げない覚悟を決める。

2、感情を理性で対応する。

3、怠け脳よりも子供の長所である成長脳を楽しむ。

4、日記を書き残し、大人達の目に届けば双方の絆が強まりウィン・ウィン

であると考えます。








     つづく。









いじめ問題を考える。第四回目。

2017-07-20 | メンタルヘルス
 7月20日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


 つまり、イジメを無くそうとする馬鹿な考えはさっさと捨てて、

自らが持って生まれた能力 「本能を楽しむ」 ことで自らをイジメ抜くのです。

自らをイジメるとは即ち、「本能」 を刺激し開発し続けることなのです。

なぜなら、

人間の属性である大人たちの三大欲求(食欲、睡眠欲、性欲、)が、

子供達には、食欲、睡眠欲、成長欲の三つが欲求となるからだ。

そしてこの欲求とは快楽であり遺伝子であるから、「本能」 のまま成長することが子供たちの幸せであり楽しみであって、

大人へと成長していく以上、この欲求からは逃れられないのだから抵抗は無意味だ。

実際、子供たちには社会環境を変えられる力がないから、自らが変わるしか方法がなく、

まして現代の大人たちはテレビ好きのアダルトチルドレンだから、助けを求めても無駄であり、

欲望社会にかまけている大人たちには子供たちの心の叫びが届かないのが現状だ。


日本の名著、 「葉隠」 にはこう書かれています。

「子供の頃は随分不幸せなるが良し。不幸せの時にくたぶれる者は役に立たざる也。」と。

大変厳しい現実ですが、甘えてばかりいてはいじめがエスカレートするばかりなのです。


本をたくさん読むことともう一つ重要なことは、記録を書くことです。

声に出して言えないことでも日誌や日記ならば大人たちも事実確認せざるを得ないからです。

心ある大人たちは子供たちの本音をいつでも聞きたいし教えてほしいと思っていますから、

学校という閉ざされた空間での出来事を紙に書き残すことが重要なのです。

「紙とは神」でもあるからです。

困ったことがある時は紙に書いてコピーし、表現の自由をまき散らしましょう。

必ず協力者が現れます。子供たちは日本の宝ですから。


それに「先生」と呼ばれる人間にろくなヤツはいません。本当です。

「先生」とは「先に生まれた」と書くように、なにも偉くはないのです。

本当に偉い人物とは「先生」ではなく、「独学者」 です。

子供たちが自らの意思で「独学」を行うならば、その時点で「先生」よりも偉いのです。

本物の「先生」とは、たえず学び続ける「独学者」であり「恩師」なのですが、

その「恩師」は絶滅したと考えた方が良さそうです。


もう一つの大問題、先生自身の教育を考えます。

「先生」と「犯罪者」には自らの姿を映像に残し、客観的に見せる「鏡の法則」が不可欠だ。

なぜなら、誤った自らの姿を見ることが何よりも辛い現実だからだ。

なにをどのように説明したことろで本人は何も気づかないのだから、「映像化」して

みんなで議論しあうことが本人にとって何よりも恥ずかしいし不名誉だ。

「先生」と「犯罪者」を正すにはその姿を100年後に残してみんなで笑えば気分爽快?である。


また、お年寄りたちに「老人参観」に行ってもらい、水戸黄門さまの様に、

悪行に裁きを下してもらうのも良いかもしれない。

「大切な孫と日本の未来を守る為に天誅を!」 なんてね。


本来の教育というものは、

子供たちにとっては幸せに生きる為の権利であり、親たちには義務なのだから、

「学問のすすめ」 とは 「独学のすすめ」 であると

福沢諭吉もきっとあの世でそう言っています。








   つづく。










いじめ問題を考える。第三回目。

2017-07-18 | メンタルヘルス
 7月18日 火曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


 「イジメを克服する為の具体策を示せ!」


なるほど。確かにその通りだ。

実際、イジメがこの世から無くならない現実はよく解かった。

他人からイジメを受けるよりも自らをイジメ抜くことが重要だということも解かった。

イジメから逃げれば逃げるほど苦しみが増すことも承知した。

だからこそ、野球の一郎選手のようになるにはどうすればいいのか、きちんと説明して欲しい。

最もなご意見。 問題を提示するだけで終わるならば、いじめっ子と同じです。


結論から言うと、

「本脳を楽しめ!」 です。

人間の幸せは脳に比例するように、子供たちにとって一番重要な幸福感とは成長遺伝子を刺激し続けることにあると言えるのです。

なぜなら、子供脳とは私たちが考えている以上に天才脳だからだ。

教育を行う側の大人たちとは比べものにならないほどの素質である。

実際、子供脳とはテレビを見ていても成長しているし、本を読んでいても成長するのだから、

問題なのは、私たちの脳はテレビを見ているとそのテレビに相応しい脳に成るという事実であって、

重要なのは、自分の脳を「なにに適した脳」にするのかが幸福論であり快楽だ。

だから、ゲームに集中していると脳が独りでにゲームに相応しい脳を創り上げられるように、

これでは永遠にイジメから逃れられずに苦しみを味わって学校に通うのも当然の結果で、むしろイジメられた方が必然でありカモである。

そうではなくて、自らの脳を 「本脳」 に変えれば本望だ。

具体的には、テレビを見るのを止めて、ゲーム脳をリセットして、年間100冊の本を読む 「本能」 に出来れば覚醒する。

本来備わる子供脳つまり天才脳を、本を読む脳に適した脳に変えられれば 「スーパーサイヤ人」 に誰でも変身できるのである。


確かに一郎選手は本を年間100冊以上読んでいないかもしれないが、それと同様の努力をしていることは間違いないのだから、

あなたも一郎選手のように長所が明確ならば、その長所に相応しい脳を生み出すだけで余計なイジメに遭わずにすむのだが、

実際には自らの長所が解からないままなのが現状だから、その自らの長所が解かるその時までに自らの脳を「本能」にしていくことが何よりも重要だ。

現に、大人たちを見比べてみれば一目瞭然だが、本を読まない大人たちほど馬鹿にされ、搾取され、イジメられているではないか。


それに、本をたくさん読めば気づくことも多く、江戸時代の子供たちの教育方法を学べば、自立と責任の重要性が見えてくるように、

いつまでも子供のままではいられない現実を受け入れる以外に子供脳をマックス状態に働かせるのもはない。

だから、大人が創り出した摩訶不思議な社会正義などに振り回されないように、

本を読むのに適した脳を創り出せれば、必ずイジメに勝つ確率が99%、今日からいじめっ子の誕生だ。(目的が違います。)


歴史に登場する優秀な偉人たちは子供のころ何をしていたと思う?

ただ、ひたすらに本の脳を楽しんでいただけなのだ! たったそれだけである。

それだけで他人からイジメられなくなり、お金持ちになり、幸福な人生を得られるなら断然お得だ。

損をしたくなければ子供脳という大切な時間を「映像」に奪れるのではなく、「本能」 に費やせばローリスク・ハイリターン確定だ!








    つづく。











いじめ問題を考える。第二回目。

2017-07-17 | メンタルヘルス
 7月17日 月曜日

おはようございます。 酒好きの思想家です。


河村たかし名古屋市長の公約の一つに「いじめ問題を無くす」と謳っていましたが、

名古屋市を守り抜く河村たかし市長に感謝を込めてエールを送りたいと思います。

さっさといじめ問題を解決しましょう。


結論から言うと、

この世からイジメは無くならない。だからイジメから逃げてはいけない。

逃げれば逃げるほどイジメから逃れられなくなるのだから、

他人にイジメられる前に、自らをイジメ抜くことが他人からのイジメに遭わなくなる方法だ。

なぜなら、複数のイジメが同時に現れた試しがないからだ。

逆に、自らが甘えん坊だと間違いなく他人からイジメられる可能性が99%。必然である。

イジメを回避する方法は、自らが得意とすることを伸ばす為に自らをイジメることが最高だ。

なぜなら、ジャイアンのイジメから逃れるには、のび太にしかできないことでジャイアンにイジメ返せるからである。

つまり、人は誰でもいじめっ子であって、いじめられっ子なのである。

野球の一郎選手が誰からもイジメられないのは、人一倍自らをイジメ抜いているからで、

その一郎選手であってもイジメから逃げると他らかのイジメに遭うという訳なのである。

だから、この世ではイジメからは絶対に逃れられない!と覚悟を決めれば、後は行動こそ真実である。

イジメを無くそうなどと言う甘い考えはさっさと捨てて、

自らの得意とする能力に磨きを掛けることがイジメに遭わない秘策である。


もう一つ、重要なイジメ問題の本質があります。

学校という限られた教室内での隠されたイジメ問題ですが、

すでに日教組自体が反日団体であり、そこから割り当てられる教員たちも反日活動家であり、

教室内で行われている教育も反日教育で、そこで学ぶ子供たちの半数もまた反日という実態なのです。

日本の子供たちが可哀想で仕方ありませんが、その親たちも家でテレビばかり見ているから反日洗脳された大人たちです。

可哀想な日本の子供たちに残された手段は、自らをイジメ抜いて一郎選手になるか、反日の奴隷になるか、自殺するかのどれかを選択するしかないのです。


したがって、緊急に解決策を考えなければなりません。

まず、閉鎖された教室内をAIユーチューブで解放します。

反日を教育するには客観的に自分の姿を見せつけることが有効だからです。

例えると、警察の取調室による映像化はとても良いことです。なぜなら、

犯罪者の多くは何を言っているのか本人でさえ判っていないからで、

犯罪者に自らの取り調べを見せることが犯罪者の抑制になるからです。

密室での教育自体がイジメなのですから、オープンにさらけ出すことが最重要課題だと考えます。

そうだ!老人たちに孫たちの教育現場を老人参観させることもいいかも!


河村たかし市長。やりましょうよ。いじめ問題解決しましょう。

将来の日本を背負う子供たちを反日教団から守りましょうよ。





  つづく。





依存症・中毒についての考察。

2017-03-30 | メンタルヘルス
 3月30日 木曜日

 こんにちわ、 酒好きの思想家です。


人はみな、何らかの依存なくしては生きていけない弱い存在である。

例えるなら、人間とは

お金に依存し、仕事に依存し、集団に依存し、家族に依存し、恋人に依存し、宗教に依存し、お酒に依存し、芸能人に依存し、音楽に依存し、スマホに依存する。

そうです。私たちがこの社会を生き抜く為には、何かに依存しなくては楽しくない現実なのである。

依存しない人が存在するなら、おそらくその人物は神か仏さまかのどちらかである。

実際、「心ここに非ず」 の人たちが何と多いことだろう!

一度、依存が壊れたら、すぐに違う依存を見出すのは私たちの悲しい性である。

だからこそ、人は簡単に依存症に陥ってしまい、

人が一人では生きていけない理由がここにあるのだ。


そう見直すと、

正しい依存、美しい依存とはなんぞかを明確に出来れば依存症もコントロールが容易になるに違いない。


依存症を大きく二つに分けて考えてみると、

一つは、理不尽で綺麗事では済まされない現実の中での心やすまる依存関係と、

もう一つは、現実逃避による依存症である。

どちらも依存には違いないのだが

前者は、愛や存在理由、存在価値に役立つが、

後者は、自己破滅につながる危険がある。

前者は、助け合いや協力関係を築き、仮にそこから抜け出せなくなったとしても毎日を美しく誇らしく生きられるが、

後者は、依存がいつしか快楽に結びつき、止められない止まらない中毒になっていく。

問題なのは、その依存症を他人があなたをコントロールするのに利用しようとする奴らがいることである。

そいつらのことを 「悪徳」 と呼ぶ。

例えるなら、拝金主義者や、無謀な上司、妬みや嫉妬、内弁慶や、狂った性欲、高額なお布施や、アル中仲間、洗脳番組や、頭がおかしくなる情報などが要注意だ。


そして中毒については、詳しいことは脳研究者や医学者に任せるとしても、

脳の快楽物質、ドーパミンやアドレナリンに関係するようですから、

その快楽を苦痛に変えられたら中毒でなくなると思われる。

それが良いのか悪いかは別にしても、快楽は苦痛と表裏一体であり、

快楽を苦痛にし、苦痛を快楽に出来れば中毒も中毒ではいられない。


あなたの周りにあなたを依存させようと狙っている悪徳がいる限り、

まずは自らが何に依存しているのかを明確にすることが重要であり、

その依存を誇りあるものに出来れば、ドーパミンやアドレナリンを活用したところで恐れること何もない。






   つづく。






サイコパスの弱点。

2017-03-06 | メンタルヘルス
 3月6日 月曜日


 おはようございます。 酒好きの思想家です。


 このブログを読んでいる人の中には、

「あなたがサイコパスでは?」と心配している方もいることでしょうから、

サイコパスについての見解を述べたいと思います。


私の知人にもサイコパスの人が存在します。

そして、なぜだか私はそのサイコパスの人たちに敬遠されるようです。

理由はおそらく、私が子供のときから「一匹狼」だからだと考えています。


サイコパスは集団を好みます。なぜなら、

サイコパスは一人では何も出来ないからです。

サイコパスの弱点はここにあります。

一対一の競争になると逃げ出す癖があるのです。

また、根気がなく、すぐに嫌になりがちです。

だから、他人をコントロールすることに関しては抜群で、大好きな様子です。


外見の特徴は、とても魅力的で実際、私もサイコパスの友人が大好きです。(サイコパスは私を嫌っていますが。)

見分け方としては、落ち着きがあり、汗をかかないのが特徴です。(私は汗っかきです。)

なぜそう見えるのかというと、サイコパスは緊張しないし、心拍数が低いからです。

だから、ドキドキする私とは正反対なのです。(昔の話です。)

普段から心拍数が低いから、いつもだるそうにしていて、

「何か楽しいことはないのか」と言っては、悪事を働くのが習慣になっています。

この悪事を働いている時が、どうやら一番楽しく興奮状態のようなのです。

だから、いつも悪いことばかりしているサイコパスなのです。

以前にも書いたのですが、人には悪いことしか出来ない人が存在していると。

それが「サイコパス」の人たちです。監視が必要ですね。病気ですから。

ちなみに私は悪いことをしても全然楽しくなく、むしろ不快です。(あたりまえです。)


それともう一つ。

サイコパスの見分け方に、自己犠牲がない。良心がないと感じられます。

自己犠牲とは、集団内では社会みんなが少しずつ犠牲(コスト)を払ってリソースし、得たリターンをみんなで享受する結果、社会全体が得をする。これが集団の協力行動です。

良心については、感情のレベルを一つ上げた感性ですから、感情的な人と感性の高い人とはまったくの別もの。感性が低いとなれば当然、感謝もありません。感謝も感性ですから。

その点、私は自己犠牲は美徳だと考えていますし、自らの良心のみ恐れ、それに従うことをモットーにしていますから、大丈夫です。


また、嘘を平気で言います。

世の中には嘘しか言えない、本当のことが言えない人も存在します。

昨日、魚料理を食べたのに、焼肉を食べたと言い、今日、焼肉を食べたのに、中華を食べたと言う、本当のことが言えない、嘘しか言えない人たちです。

この人たちは、サイコパスなのかどうかは判りませんが、サイコパス予備軍なのかもしれません。


とにかく、それでもサイコパスの人たちは魅力的です。

私を受け入れてくれればもっと好きになるのですが、

サイコパスは私の前では愛想がいいが、裏では私の悪口ばかり言っている最低な奴らです。


と、いうことで私がサイコパスではないことが証明されましたのでこれで終わりたいと思います。









    つづく。

















無呼吸症候群の解決策。

2016-12-29 | メンタルヘルス
 12月29日 木曜日 


 こんにちは。 酒好きの思想家です。



快眠、元気に復活する睡眠について考えてみます。


「人間の三大欲求である睡眠を、邪魔するヤツは一体なにもの」

です。


現代人の5人に1人は何らかの睡眠についての問題を抱えていると言われているように、

大切なはずの睡眠が無呼吸睡眠では

それは拷問に遭っているのと同じこと。

おそらく、生きた心地がしないどころか、死にたくなることでしょう。

パニック症候群も同様に呼吸が出来なくてパニックに陥る訳ですから、

解決すべきは呼吸と気道にあるのです。


つまり、

「枕」 が原因です。

無呼吸パニックに陥る人は、

「枕」 を高くして寝られないのです。


「えっ、枕が無いと眠れないのに!」


そう言いたいところですが、

同感です。私も枕が大好きな一人です。枕が三つあります。

が、「枕なし睡眠」 一度お試しを。


簡単に説明すると、

気道を確保する人工呼吸時には枕しませんよね。

また、枕が無い状態で横向きになると自然に回復体位に。

これで呼吸を無意識の状態でも自ら確保出来ると言う訳です。


考えてみると、枕をするのは人間だけですからね。


でもね、睡眠に堕ちるまでは「枕」があった方が快適です。

布団の中で考え事をする時は「枕」を高くした方が幸せな気分になれます。

ですが、

眠りに入ればもう「枕」はいらない。

これで無呼吸パニックに陥らないのなら、最高でしょう。



「いびきは無くならないの?」

と言うご質問に対しては、

いびきは回復体位になると止まります。

ですが、やはり気道を確保する快眠グッズの開発が睡眠売り上げ確保につながるものと考えられます。


それと、朝立ち専用パンツ。

「朝立ちを邪魔するヤツは一体なにもの」 ・・・・・ もう、いいって・・・。




   つづく。









武田邦彦さんへ!

2016-07-08 | メンタルヘルス

ちょっと気になったので生意気にもブログを書かせていただきます。


尊敬致します武田邦彦さんへ。


血圧がかなり高いでしょう。


朝から、顔が真っ赤ですよ。


何かありましたか?


日本と、英国と、虎ノ門ニュースと、有本さんは良く解りましたから、

ちょっとゆっくりと休まれてはいかがですか。

お勧めは、DHCの旅籠ですよ。


また、遺言は大丈夫ですか?


それと、達人の魂の居場所は、

武田氏の著書、「正義とは」 で、どうでしょうか。
(大きなお世話かな。)


もう少し人生を楽しみたいと思いますが、

この世は地獄ですから、楽しめないのがこの世の法則ですからね。


要らぬ心配かな?


  つづく。




熱中症対策に一番良いことは、熱中することです。

2016-06-15 | メンタルヘルス
 6月15日 水曜日

 こんにちは、 酒好きの思想家です。


今日は、前から気になっていた 「熱中症」 という言葉について

です。

おそらく、反日でしょう。

「熱中症」 を考え出したのは。

日本人に 「熱中するな!」 と言いたいのでしょうが、

大切なことは、 「熱中すること」 です。

何事においても、

体に熱を帯びなければ、アドレナリンが分泌されず、覚醒しないからです。

低体温、低血圧の原因も日常生活の 「熱中の欠如」 が

問題なのかもしれません。

熱い男はいつだって、「熱中時代」 「青春時代」 です。(古い男です)

涼しい部屋で、冷たいものばかり飲み、筋肉を怠けさせていては、

冬眠状態の 「うつ病」 になってもしかたありません。

ダイエットをライフワークにし、バーチャル映像に感化され、

自ら考えることが面倒になり、他人のコピーと化してしまっては、

「損得勘定」 だけが判断基準になるのも無理はありません。


私が考える 「熱中症対策」 とは、アドレナリンの活用です。

つまり、熱中症には熱中を! です。

まあ、解り易く言えば 「ランナーズハイ」 です。

熱い男が人一倍働いてもまったくの疲れ知らずなのは、

この 「ランナーズハイ」 効果です。


実際、私は本を読む時も、本を書く時も、アドレナリンの活用者です。

具体的なアドレナリンの活用方法は、実は簡単なのですが、

今日は言いません。

なぜなら、悪の手に渡るかもしれないからです・・・・・・。

ちなみに、薬やお酒ではありませんよ。

慣れれば、いつでもどこでも5分以内に 「ランナーズハイ」 状態になれます。(羨ましいでしょう)

仕事中でも、運転中でも、サウナの中でも 「ランナーズハイ」 になれますから、

誰にも負ける気がしません。(楽しそうでしょう)

問題なのはその後の副作用です。

私の場合は・・・、(この部分は消去しました。)


  つづく。



うす雲の七夕の日に思うこと。

2015-07-07 | メンタルヘルス
日本を代表する女性と言えば、やはり紫式部ですよね。

千年前に女性が書いた物語の中では清少納言に続く世界最古のもので、そのレベルの高さは未来へ語られるベストセラーです。

日本の語源発祥だと言っても良いし、日本は源氏物語から生まれた国と言っても差支えないほどです。

なぜかと言うと、世界が物語を創り出したのではなく、物語が世界を創り出した事実だからです。

大和言葉の生みの親は清少納言と紫式部を於いて他にはいない。まさに、日本のグレートマザー的存在です。


世界中の人達に日本人である事を美しく説明するには、大和心に宿る「言霊」が一つのキーワードになるのではないでしょうか。

心が通じ合う「和」の言語こそが大和言葉の存在価値だと思われます。

日本人は本来、「言葉」にはかなり気を使って生活してきました。「縁起でもない事を言うな!」と誰でも聞き覚えがあるはずです。

大和魂と言うのもやはり同じで、言葉には「魂」が宿ることを意味するように、控えめな態度は言葉を重んじ慎むことが由来です。

大和言葉を知らない外国人には、日本人が大人しく見えますが、逆を言えば外国人がうるさいのかもしれません。

日本の歴史、伝統、文化とはまさに大和心の「言霊」に見出されて感じられる知的で優雅な余韻を残す原語説のなのです。


もう一人、日本を代表する女性と言えば、与謝野晶子です。

当時、考えられなかったラブロマンス「みだれ髪」を出版し、日露戦争時には反戦を訴え、源氏物語を訳し、日本で最初の男女共学の文化学院をお茶の水に設立をし、12人の子供を産み育て、女性の自立を唱える与謝野晶子は現代の「マララ」であり、日本人が誇るスーパーウーマンです。尊敬する女性です。


また、世界の女性を見てみると、代表的女性像はメルメの「カルメン」とハンナ・アーレントの「人間の条件」、それとアンナ・カレーニナとココ・シャネルかな。

どれも映画になっているから、女性像の探究には参考になるのでは。



解らないことは全て脳の病気として解決する。

2015-07-01 | メンタルヘルス
全ての社会的問題を精神障害として脳に責任を押し付けて片付けるのが一番手っ取り早いらしい。

人類の問題は全て精神病で解決する。

良く解らないが、そうらしい。なんだか胡散臭く感じる。

人間の問題の本質は確かに脳にあるかもしれないが、

全ての社会問題の解決を脳の病気だと考えて処方するやり方は薬が毒になりそうな予感だ。

だからと言って精神科医や心理学者、脳科学者の人達は一流ぞろいだから、治療すれば治ると言われれば病気だと本気で信じてしまいそうにもなりますが、病気ならば自然治療の道も残されているはずです。

確かに研究にはお金が掛るのも事実だ。

解らない事を解決すればお金になる。利権が発生して、国から補助金がもらえるから、それもまた問題解決の一つである。

そう考えると、フロイトは多くのお金持ちを生み出した英雄だ。


私達の日常の振る舞いを分類することで社会から危険分子(ガン細胞)を取り除き、正常な状態で社会復帰を可能にするならば心理学は学問になり精神科医は医者となるが、問題は根拠と実績である。精神病は発見されるものではなく発明されるものだからだ。

犯罪者を精神異常と診断して無罪を主張するやり方はどうしても納得がいかない。

仮に、犯罪者を治療すれば犯罪を犯さなくなるなら、
犯罪を犯す前に治療することで犯罪を未然に防ぐことが出来れば、
優れた学問として学校教育に取り入れるべきだと思う。
日本の教育は犯罪者を育てるような不完全な教育だからだ。

事実、留置所にしろ刑務所にしろ簡易刑務所にしろ、犯罪者が一杯で満員状態、犯罪者の空き待ちだ。

強い薬による治療にしても一時的には効果があるかもしれないが、それが社会問題の解決になるとは思えないし、本人の同意を得られるか疑問である。

問題なのは、二次災害だ。自己申告する精神病患者は優秀だから治療は役に立つが、家族や社会に迷惑や混乱をまき散らす精神障害者たちの解決こそが何よりも重要だ。

実際、アルコール依存症は本人よりも家族が心配している。家族に迷惑を掛けているのが現状だ。それでいて本人は気にしていない。

そうなると手っ取り早い方法は強い薬の投与と心理学による洗脳になるのかもしれません・・・。