「時」は絶えず未来から過去に流れるように、失われるのは過去であって未来ではない。
形あるものがいずれ滅びる理由は、「時」が過去へと流れるからである。
オリゲネスが説く、「この世界は創られたものである以上、どこかで終末がある」という思想には、一つだけ言い忘れたことがあるようだ。
それは時間とは未来から遣って来て現在に至り、そして過去に向かうことである。
従って、ものが劣化するのは過去の産物であって未来の出来事では決してない。
もし仮に、人類が滅亡するとしたなら、未来が破滅するのではなく、過去が消滅することである。
私達の勘違いは、時間が過去から未来へと流れているという錯覚に陥っていることが最大の問題である。
例を上げると、
私も大好きな、積み重ねの法則や一万時間の法則があります。
成果は時間×努力=結果ですが、時間が過去から未来に流れていると考る人では原因と結果の法則が機能しない。
なぜなら、過去が悪ければ未来が悪くなり、過去の惨めな失敗は未来永久続くのではなくして、現在の行動が過去を変えるからである。
同じように、過去の栄光に浸っていれば忘れ去られた過去の人となるように、時間が過去から遣ってくるとしたら、未来はすでに決まっていることになる。
実際、時間が過去のおかげだとするなら、大変な事になってしまいます。過去の記憶が消されないからです。歴史学者が問題を起こす理由がここにある。
現在が過去の歴史の上に築かれたものであるなら、未来が破滅に向かうのは当然だが、実際は違う。
報復や恨みは過去から遣ってくるものであり、未来には報復も恨みも、そんなものはない。あるのは人間の勘違いと思い込みである。思い違いの錯覚だ。
心配や不安の正体もここにあると考える。未来に心配も不安もないからだ。
暗い顔をした人の話を聞くと必ず暗い過去を引きずって無理やり未来へ持ち込もうとしている。
そう考えると、積極的な人とは未来に希望を抱く人であると言うのは正論であり理解できます。
それとは別に凄い人も存在します。時間に未来も過去もなく、「今ここ」に全力投球する人達です。
この人達を私は「名人」と呼びますが、真の成果は「未来」「現在」「過去」すべて同時に付加価値を見出すことが出来る人達であると考えます。
そんな「名人」に出会うとわくわくするものです。
年齢、性別、職業、成果は関係なく尊敬します。
形あるものがいずれ滅びる理由は、「時」が過去へと流れるからである。
オリゲネスが説く、「この世界は創られたものである以上、どこかで終末がある」という思想には、一つだけ言い忘れたことがあるようだ。
それは時間とは未来から遣って来て現在に至り、そして過去に向かうことである。
従って、ものが劣化するのは過去の産物であって未来の出来事では決してない。
もし仮に、人類が滅亡するとしたなら、未来が破滅するのではなく、過去が消滅することである。
私達の勘違いは、時間が過去から未来へと流れているという錯覚に陥っていることが最大の問題である。
例を上げると、
私も大好きな、積み重ねの法則や一万時間の法則があります。
成果は時間×努力=結果ですが、時間が過去から未来に流れていると考る人では原因と結果の法則が機能しない。
なぜなら、過去が悪ければ未来が悪くなり、過去の惨めな失敗は未来永久続くのではなくして、現在の行動が過去を変えるからである。
同じように、過去の栄光に浸っていれば忘れ去られた過去の人となるように、時間が過去から遣ってくるとしたら、未来はすでに決まっていることになる。
実際、時間が過去のおかげだとするなら、大変な事になってしまいます。過去の記憶が消されないからです。歴史学者が問題を起こす理由がここにある。
現在が過去の歴史の上に築かれたものであるなら、未来が破滅に向かうのは当然だが、実際は違う。
報復や恨みは過去から遣ってくるものであり、未来には報復も恨みも、そんなものはない。あるのは人間の勘違いと思い込みである。思い違いの錯覚だ。
心配や不安の正体もここにあると考える。未来に心配も不安もないからだ。
暗い顔をした人の話を聞くと必ず暗い過去を引きずって無理やり未来へ持ち込もうとしている。
そう考えると、積極的な人とは未来に希望を抱く人であると言うのは正論であり理解できます。
それとは別に凄い人も存在します。時間に未来も過去もなく、「今ここ」に全力投球する人達です。
この人達を私は「名人」と呼びますが、真の成果は「未来」「現在」「過去」すべて同時に付加価値を見出すことが出来る人達であると考えます。
そんな「名人」に出会うとわくわくするものです。
年齢、性別、職業、成果は関係なく尊敬します。