12月4日 日曜日
おはようございます。 酒好きの思想家です。
ロシアのプーチン大統領と日本の安部総理による北方四島の問題解決について、
安部総理大臣は、何を言っても「よくわかんな~い」お花畑日本人を説得する任務が待つ訳ですが、
方法は至ってシンプルイズビューティー。
日本人を説得するには、二つ。
一つ目は、先に全世界の人々を説得する方法と、
もう一つは、白人崇拝による逆輸入説得法だ。
最初の一つは、日本がどれほど中立国に相応しいかを論理的に説得するやり方だが、
後の一つは、根拠の無い感情と本能に訴えるやり方だ。
前者は、世界貢献、平和維持、共存共栄の思想に対して、
後者は、「みんなが賛成するなら」「白人がそう言うなら」と言うちょっと怖気付いた「しょうがない論」だ。
どちらも真面目な日本人らしくて面白いが、
前者は、善き積極的平和主義であり、
後者は、曖昧で消極的な平和維持である。
だから、日本人を説得するには強い白人の存在が重要となる・・・・・・・・・。
話を展開させて、全世界にチャンネルオープン!
日本の中立国家論は世界的平和主義にも同意している。
また中立国家と日本国憲法との組み合わせは、古代大和民族から続く「神風の遺志」に適ったものである。
その中立国とは、男女共存社会による万物を貫きその全ての部分を大いなる連鎖の元に結びつける最高の調和の表現である。
無論、中立国の法を遂行する者は男性であるが、その男性が応用する法の理念、そしてその源泉は「母なるもの」である。
中立国法を創造する原理と、女性の理念を付与し、共存共栄をもたらす原理とが結びついている点に世界各国からの同意が得られるのである。
中立国とは男が好む人為的で搾取的な国家体制ではなく、「母なるもの」であるから、その原型は、平和的であり、調和的であり、普遍的である。
「母なる大地」は男性たちの大仕事である戦争を終結させる。
一方で争いを受容する社会と、他方で平和と正義とを等分する理念は、同じ社会的なものの異なった側面を示している訳だが、
正しさと正しさとの文明の衝突には男性的な問題解決能力だけでは本能的に限界が見え、
母性的で普遍原理の生来的な特性を生かすことが21世紀の幕開けとなる。
応報と報復には二元的な正しさの主張が全てである。
それは苦痛を苦痛によって補う相対的なパワーバランス、世界秩序であり、
二つの犠牲を約束する血の復讐劇の幕であっては人類は二千年間、未だ未熟な存在と表記され続ける。
正しさと正しさの戦いは犠牲によって帰着する。
正義は聖戦を好み、正義には悪者が必要で重要である。
正義は永遠に果てること無い闘争にこそ価値がある。
殺害は次の殺害を呼び、民族が完全に滅びてしまうまで、世代を越えて暴れ狂い憎しみ続ける。
争いを無限数として示すと、
不安定要素と闘争本能は無限的で男性的な属性にあたる。
無限数は決して終わりをもたらすものではないから永遠の分裂こそもっとも必然的な事実となる。
従って、無限数は誕生や生をもたらすものではなく、死とカオスによるエントロピーの増大をもたらすものである。
つまり男性的な無限数による正義の主張は自然死の原理が働いている。
家族を支配したい、経済を支配したい、他民族国家を支配したい、
それらはつまり永遠に反目し続ける二元的な力である強い者と強い者との闘争の繰り返しにのみ、
無限数は永遠に両極のはざ間を交互に揺れ動く男社会の摸像でしかなく、
それは報復という反撃の動因を含み、終結をもたらすことは決してない。
闘争本能が無限的なものと一致する時、死が自然の法的概念と考えられ、またそう語られるのもまさにそのような歴史的事実なのである。
無限数が死の連鎖にあるのなら、自然数が女性的な生なる法であり、母性的自然原理と正義が同じものであることを中立国を以て示される。
中立的な生活においての法の極みは、同時に自然的生活の法の実現にも適っている。
というのは、不正を行うことと不正に苦しむこととは欠如と過多とに起因するが、正しさはその中庸ゆえに正義と正義が調停を結ぶものが中庸であり中立的概念である。
対立する二つの観念は相互に矛盾するものであるから、認められると同時に根本的な動機が繰り返されるに違いなく、
生成と死滅との交替によって命を繋ぎ止める生の現象とそれを顕現させる相互関係の実現にある。
自然数による連続性が生み出す現象には、母性的自然原理それ自体は普遍性であり、運動させる力は生命現象の実現と言える。
よって、中立法と母性との関係にいささかも変更を加えるものでもないし、中立法の起源を母性に見出すことを否定するのも矛盾がそうさせているのかもしれない。
実際、この世から争いや戦争が無くなれば、「つまらない世の中だ」と退屈する男性たちがいるから、この世から権力闘争の火種がいっこうに消える気配が感じられないのである。
現代社会は支配関係を好む無限的闘争本能が男性には備わっているから支配社会が居心地が良い。
我々の社会問題は私達のレベルや次元に比例するからいつでも同じ現象が繰り返されている。
無限数にだけ任せておいては命が幾つ有っても足りないように、それは人間が不自然であってだからこそ三位一体的な共存観念が必要なのであり、
また、社会が不完全なのに人間だけがパーフェクトである訳が無く、それを誰かの責任にして逃げ出している移民問題にも見て取れる。
問題があって、解決策がある。
世界が変わらないのは我々が変わらないだけであり、「鏡の中のアリス」 である。
つづく。
おはようございます。 酒好きの思想家です。
ロシアのプーチン大統領と日本の安部総理による北方四島の問題解決について、
安部総理大臣は、何を言っても「よくわかんな~い」お花畑日本人を説得する任務が待つ訳ですが、
方法は至ってシンプルイズビューティー。
日本人を説得するには、二つ。
一つ目は、先に全世界の人々を説得する方法と、
もう一つは、白人崇拝による逆輸入説得法だ。
最初の一つは、日本がどれほど中立国に相応しいかを論理的に説得するやり方だが、
後の一つは、根拠の無い感情と本能に訴えるやり方だ。
前者は、世界貢献、平和維持、共存共栄の思想に対して、
後者は、「みんなが賛成するなら」「白人がそう言うなら」と言うちょっと怖気付いた「しょうがない論」だ。
どちらも真面目な日本人らしくて面白いが、
前者は、善き積極的平和主義であり、
後者は、曖昧で消極的な平和維持である。
だから、日本人を説得するには強い白人の存在が重要となる・・・・・・・・・。
話を展開させて、全世界にチャンネルオープン!
日本の中立国家論は世界的平和主義にも同意している。
また中立国家と日本国憲法との組み合わせは、古代大和民族から続く「神風の遺志」に適ったものである。
その中立国とは、男女共存社会による万物を貫きその全ての部分を大いなる連鎖の元に結びつける最高の調和の表現である。
無論、中立国の法を遂行する者は男性であるが、その男性が応用する法の理念、そしてその源泉は「母なるもの」である。
中立国法を創造する原理と、女性の理念を付与し、共存共栄をもたらす原理とが結びついている点に世界各国からの同意が得られるのである。
中立国とは男が好む人為的で搾取的な国家体制ではなく、「母なるもの」であるから、その原型は、平和的であり、調和的であり、普遍的である。
「母なる大地」は男性たちの大仕事である戦争を終結させる。
一方で争いを受容する社会と、他方で平和と正義とを等分する理念は、同じ社会的なものの異なった側面を示している訳だが、
正しさと正しさとの文明の衝突には男性的な問題解決能力だけでは本能的に限界が見え、
母性的で普遍原理の生来的な特性を生かすことが21世紀の幕開けとなる。
応報と報復には二元的な正しさの主張が全てである。
それは苦痛を苦痛によって補う相対的なパワーバランス、世界秩序であり、
二つの犠牲を約束する血の復讐劇の幕であっては人類は二千年間、未だ未熟な存在と表記され続ける。
正しさと正しさの戦いは犠牲によって帰着する。
正義は聖戦を好み、正義には悪者が必要で重要である。
正義は永遠に果てること無い闘争にこそ価値がある。
殺害は次の殺害を呼び、民族が完全に滅びてしまうまで、世代を越えて暴れ狂い憎しみ続ける。
争いを無限数として示すと、
不安定要素と闘争本能は無限的で男性的な属性にあたる。
無限数は決して終わりをもたらすものではないから永遠の分裂こそもっとも必然的な事実となる。
従って、無限数は誕生や生をもたらすものではなく、死とカオスによるエントロピーの増大をもたらすものである。
つまり男性的な無限数による正義の主張は自然死の原理が働いている。
家族を支配したい、経済を支配したい、他民族国家を支配したい、
それらはつまり永遠に反目し続ける二元的な力である強い者と強い者との闘争の繰り返しにのみ、
無限数は永遠に両極のはざ間を交互に揺れ動く男社会の摸像でしかなく、
それは報復という反撃の動因を含み、終結をもたらすことは決してない。
闘争本能が無限的なものと一致する時、死が自然の法的概念と考えられ、またそう語られるのもまさにそのような歴史的事実なのである。
無限数が死の連鎖にあるのなら、自然数が女性的な生なる法であり、母性的自然原理と正義が同じものであることを中立国を以て示される。
中立的な生活においての法の極みは、同時に自然的生活の法の実現にも適っている。
というのは、不正を行うことと不正に苦しむこととは欠如と過多とに起因するが、正しさはその中庸ゆえに正義と正義が調停を結ぶものが中庸であり中立的概念である。
対立する二つの観念は相互に矛盾するものであるから、認められると同時に根本的な動機が繰り返されるに違いなく、
生成と死滅との交替によって命を繋ぎ止める生の現象とそれを顕現させる相互関係の実現にある。
自然数による連続性が生み出す現象には、母性的自然原理それ自体は普遍性であり、運動させる力は生命現象の実現と言える。
よって、中立法と母性との関係にいささかも変更を加えるものでもないし、中立法の起源を母性に見出すことを否定するのも矛盾がそうさせているのかもしれない。
実際、この世から争いや戦争が無くなれば、「つまらない世の中だ」と退屈する男性たちがいるから、この世から権力闘争の火種がいっこうに消える気配が感じられないのである。
現代社会は支配関係を好む無限的闘争本能が男性には備わっているから支配社会が居心地が良い。
我々の社会問題は私達のレベルや次元に比例するからいつでも同じ現象が繰り返されている。
無限数にだけ任せておいては命が幾つ有っても足りないように、それは人間が不自然であってだからこそ三位一体的な共存観念が必要なのであり、
また、社会が不完全なのに人間だけがパーフェクトである訳が無く、それを誰かの責任にして逃げ出している移民問題にも見て取れる。
問題があって、解決策がある。
世界が変わらないのは我々が変わらないだけであり、「鏡の中のアリス」 である。
つづく。