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「13日の金曜日」の呪縛を解きます。

2018-04-13 | 
 4月13日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


 私はキリスト教徒ではありませんが、

イエス様は大好きですし、聖書も教会も信者も美しい。

問題があるとするなら、

イエス様の命日が汚されていることだと思います。


おそらくキリスト教徒の人たちは「余計なことを言うな!」とお思いでしょうが、

世界平和のためにここはひとつ、ご了承ください。


日本人から見て 「13日の金曜日」 に思うことは、

愛すべきイエス様の命日をお祝いしていないのがどうしても腑に落ちません。

これではいつまで経っても争いの元ですし、つまらない。

イエス様はそんなことをお望みであるはずがありませんから、

私は 「13日の金曜日」 を 「愛の日」 にしたいと考えます。

きっと、イエス様もお喜びになるのではないでしょうか。


大いなるキリスト教の儀式を否定するつもりはまったくありませんが、

「死の概念」 は人類共通の課題ですから、

イエス様の死を無駄にはしたくないだけです。

イエス様は人間の罪を一人で受けられた偉大な神の子。

イエス様の死に対して、誰が善くて誰が悪いという感情論は一先ず置いといて、

イエス様の死を想えば、私たちの死など何ら問題ではないということです。

イエス様の「死を思え!」というよりも「死を恐れるな!」です。

イエス様の死はとても尊いものですから、怒りや悲しみを永遠に引きずるのではなく、

イエス様に続けば善いだけです。 また、

イエス様が復活されないのはあの世が善く、この世が地獄だからです。

イエス様が再び地獄に舞い戻れるはずがありませんし、

イエス様の死を本気で想えば嫌いな人も消滅します。


イジメ問題も同様に、愛があればイジメが存在しないように、

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出す」 とは、

「相手が私をイジメても、私には愛があるからイジメにならない」 ように、

愛があれば相手をイジメることはイジメにはならないのです。

例えるなら、「長生きはエゴだ!」 といった場合、

愛があればこれは老人イジメではなくなります。

逆に、愛が無ければただのイジメです。


したがって、この様にイエス様の命日を愛で過ごすならば、

「13日の金曜日」 は 「何ら恐れることは無い」 ということになります。

つまりは、

「13日の金曜日」 とは 「愛の日」 であり、

「愛があれば何でも許される日」 であると考えるわけです。


いかがでしょうか。 少しは気が楽になれば幸いです。







    つづく。