6月17日 金曜日
こんにちは。 酒好きの思想家です。
死刑を賛成するにせよ、
死刑を反対するにせよ、
裁判員自身が死にたくないからだとか、
死ぬのが怖いと言う理由での死刑判決では、
一生悩み続ける最悪の結果となってしまう。
なぜなら、
死刑の根本問題はこうだからです。
「生命が命を失うことは、最大の刑罰ではない」 こと。
重要なのは、「この世の過ちは、この世で責任を取る」 こと。
「死刑では責任を取ったことにはならない」 こと
です。
簡単な死刑判決であってはあまりにも無責任すぎます。
それでもどうしても死刑を行いたければ、
10年間責任を取らせてから死刑にするとか、
死刑のやり方を変えて、他人の為に自らの命を犠牲にするとか、
見せしめに切腹させるとか。
間違っても、 「かわいそうだから、こっそり死なせてあげる」 なんてことは、
単に汚いものから目を逸らしているのと、なんら違いがありません。
少年法であろうが、そうでなかろうが、
この社会での犯罪に対しの掟とは、この社会体制の中で罪を償うことを教えることが、
犯罪防止にもつながるし、また更正にもつながるものだと考えます。
とにかく、犯罪を犯す人間は普通の私達とは違うのだから、
幼稚で死ぬのが怖くなければ、早くこの世から逃げ出したいと思っている連中なのです。
いっそのこと、
犯罪者同士を集めて殺し合わせて恐怖を味わってから死刑にするというのはどうでしょうか・・・。
さすがにこれは駄目だとしても、責任を取らすことは立派な人間教育です。
犯罪者は人間教育が不足した感情動物だから、
一度、人間に戻してから一生涯、責任を取り続けることこそが最大の刑罰です。
死刑にしたところで、次の凶悪犯罪を生むだけですから、何も変わりません。
しかし、責任を取ることは犠牲を伴うことですから、何かが変わります。
何が変わるかは分かりませんが、変わるのは私たちかもしれません。
とにかく、死刑はいつでもできるのだから、
それよりも先に死刑についてもっと、議論しましょう。
つづく。
こんにちは。 酒好きの思想家です。
死刑を賛成するにせよ、
死刑を反対するにせよ、
裁判員自身が死にたくないからだとか、
死ぬのが怖いと言う理由での死刑判決では、
一生悩み続ける最悪の結果となってしまう。
なぜなら、
死刑の根本問題はこうだからです。
「生命が命を失うことは、最大の刑罰ではない」 こと。
重要なのは、「この世の過ちは、この世で責任を取る」 こと。
「死刑では責任を取ったことにはならない」 こと
です。
簡単な死刑判決であってはあまりにも無責任すぎます。
それでもどうしても死刑を行いたければ、
10年間責任を取らせてから死刑にするとか、
死刑のやり方を変えて、他人の為に自らの命を犠牲にするとか、
見せしめに切腹させるとか。
間違っても、 「かわいそうだから、こっそり死なせてあげる」 なんてことは、
単に汚いものから目を逸らしているのと、なんら違いがありません。
少年法であろうが、そうでなかろうが、
この社会での犯罪に対しの掟とは、この社会体制の中で罪を償うことを教えることが、
犯罪防止にもつながるし、また更正にもつながるものだと考えます。
とにかく、犯罪を犯す人間は普通の私達とは違うのだから、
幼稚で死ぬのが怖くなければ、早くこの世から逃げ出したいと思っている連中なのです。
いっそのこと、
犯罪者同士を集めて殺し合わせて恐怖を味わってから死刑にするというのはどうでしょうか・・・。
さすがにこれは駄目だとしても、責任を取らすことは立派な人間教育です。
犯罪者は人間教育が不足した感情動物だから、
一度、人間に戻してから一生涯、責任を取り続けることこそが最大の刑罰です。
死刑にしたところで、次の凶悪犯罪を生むだけですから、何も変わりません。
しかし、責任を取ることは犠牲を伴うことですから、何かが変わります。
何が変わるかは分かりませんが、変わるのは私たちかもしれません。
とにかく、死刑はいつでもできるのだから、
それよりも先に死刑についてもっと、議論しましょう。
つづく。
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