酒好き文化風俗研究者

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その反抗は感情か、理性か。

2020-04-08 | 社会問題
 4月 8日  水曜日

 おはようございます。  酒好きの思想家です。


もし今ここに誰か型破りな物書きがいて、

私たちの苦難を白中の目に曝け出したのなら、

器用に組み込まれた慣習を引き裂き、

論理の上に根本的な不合理を見破り、

各業界の泰斗に盾突き、

同時に自然的な幸福状態の秩序の下に名付けられた、

様々な現象のあまねく欲求を開示してくれならば、

私たちは自身以上に

私達のことを理解しようと努めていると高く評価するであろう。


私たちの反抗について、

その感情の外側に立つことができるのなら、

その諸要素を分類し表現することが可能なら、

私たちの感情の一つである反抗を監督しうるのである。

感情というのは目で見えないものより、

目で確実に見えるものの方が興奮的であるように、

いっそう純粋でかつ解りよい。

しかしことはそう単純な話ではない。

感情には様々な現象が起こりうる。

目で見える感情相互に他の感情分子と合成させてしばしば強力となり、

社会に反抗し反作用的な行動を引き起こす。

実際、反抗が私たちに告げていることとは、

大部分の行動は動機によって説明できるということである。

問題を引き起こす動機とは反抗心だ。

そしてそんな自らの反抗心の力を証言によって知らされることとなる。

もちろん重要な反抗心があるのも事実であり、

悪に盾突くのも反抗心である。

この世が楽園ではない以上、

反抗は地獄でのパスポートのようなものであって、

もしも希望と反抗心がこの世に無ければ私達は一体どうなるだろうか?

どうやら多少の望みが残されているようである。

この希望と反抗心を上手く応用して、

異なる二つの極端な感情を転回させられれば、

反抗心自体によってバランスの整った関係を保てるというものである。

実際、必要悪と呼ばれるものが存在するのはそのためだ。

この世界が神の国でない以上、

必要悪と自由経済が独り歩きさせる一つの要素となる。

二つの反抗心と二つの希望を前面に出せば出すほど、

誤った極端な行動を反抗心によって覆させるのである。

この世が地獄であるなら可能であるはずだ。

反抗心には両面性と相対性によるパワーバランスだ。

具体的に話せば、

自らの感情の力は証言しうるから、

従って書くことが自らの感情の証言となる。

書けば感情の見える化が可能だ。

激しい動きのある感情がより自身が見て取れるように、

例えば、

(1)、反抗は第二の天性。

(2)、反抗は幼稚な動機。

として、表の欲求と裏の感情とに分類し、

(1)は、悪意を見抜く能力に対し、

(2)は、無邪気に楽しむ能力だ。

逆に、(1)は、反社会的でもあり、(2)は、一緒にいて不快でもある。

端的に言えば、

感情的な反抗と、理性的な反抗。

感情的な希望と、理性的な希望である。

感情的になりそうでならないギリギリのラインが人格者なのだろう。

かっこいい反抗と、不快な反抗の違い。

誰でも経験があるのでは?



     つづく。



「日本人はみんなエグザエルだ!」

2020-04-06 | 社会問題
 4月 6日  月曜日

 おはようございます。  酒好きの思想家です。


保守派と呼ばれる人たちは

シリアスというイメージが定着しているが、

誤解である。 なぜなら、

(1)、改革派・・変化を恐れずに後先考えない強者たち。

(2)、保守派・・変革後の問題を改善しようとする賢い人たち。

(3)、停滞派・・反対ばかりして元に戻そうとする集団主義。

である。

勿論みんなそれぞれ正しいことを言っているのだが、

(1)は、進歩的で楽観的であり、

(2)は、現実的で道徳的であり、

(3)は、離脱的で魔術的である。

それでも社会のことを第一に考えている以上、

(1)は、仮説を論理的に説明し、

(2)は、検証を繰り返しながら、

(3)は、結果に対して懐疑的だ。

何が良いかではなく、何が悪いかでもない。

重要なのはこれらのプロセスにある。

過程のない結果に成果などないに等しい。


例を挙げて考えてみよう。

在日問題である。避けられない社会問題だ。

なぜ? 優れた在日たちを日本人が受け入れないかというと、

(1)の、改革者が存在せずに、

(2)の、保守派が目を背けて、

(3)の、停滞派が反対を唱える。

どちらにせよこれらの違いが解ればなんとかなるのだが、

改革派・保守派・停滞派その方向は、

反抗心の違いだと考えられるのだ。

なぜなら、

反抗の強さと方向性が重要だからである。

方向性のない感情に善悪の判断が出来ないように、

方向性の無い感情は決して万能ではないし、

反抗心は第二の天性でもあるからだ。

例えば、

他人が自分より正しいことを言うと「ムカッ」とする感情がある。

平均よりも賢い者がその平均よりも優れた場合、

集団では決まって出る杭が打たれるのだ。

「あいつのせいで、ひどい目に遭った」と陰謀説を始める。

「ここから、出ていけ!」 とヘイトスピーチやエグザエルだ。

エグザエルはディアスポラである。差別だ。

それでも在日たちに帰る場所があれば救われるのだが、

実際には帰る場所が残されていないのが現状だ。

だから、「帰れと言うな!」 と反抗する。当然であろう。

もう少し正確に言えば、

「帰れる人だけ帰りなさい。帰れない人は留まりなさい」だ。

問題なのは、

在日たちを巧みに悪用しようとするジェノサイドだ。

日本に対する感情的で方向性が良くない反抗心である。

それが隣国であり、この世界に仲に良い隣国は存在しない。

実際、韓国には

在日韓国人に対する強い差別意識が存在している。

「在日韓国人は日本語しか話せないのか?」と、

民族意識が低いと断言する。

だから一度、

強制的に連れ戻して民族教育を叩き込まなければならないという

言い方を平気で韓国の教授がいているのである。

そこで反日教育を受けさせられるのだ。

「こんな汚い国は無くなってしまえ!」という様に。

強制教育が個人のアイデンティティを狂わせるように、

さまよえるゴーストたちの失われたアイデンティティである。

どうして良いのか解らずに混乱し、避けるに避けられない。

だから在日たちのスローガンが 「差別を失くせ!」 となる。

「日本人はみんなエグザエルだ!」 となるのだ。

そして何より危険なのは、

在日に対する両国の全体主義が一番怖い。

両国を同時に敵に回しては生き残れないからだ。

そんな全体主義が最悪なのは、

最終的にたどり着くのが必ず破滅的であるところだ。

アウシュビッツ・ビルケナウがその例であり、

スターリンや毛沢東が良い例だ。

難にせよ、

民族意識が強まると全体主義へ発展しかねないように、

問題なのは、そう、反抗心である。

反抗心についての説明はまたの機会に致します。




    つづく。



新自由主義。

2020-04-04 | 社会問題
 4月 4日  土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


新自由主義の問題点を挙げるとすれば、

改革者の都合の良い変革だけを新自由主義の名のもとに行い、

その後、改革を停止させたところに問題が生じている。

改革を正当化する論理や不満が様々な問題を生じされるのはそういう訳である。

現在、新自由主義が止まった状態が続いているから、

格差社会や階級社会が露出しているのである。

よってさらに新自由主義による改革を推し進めなければならない。

日本人が最も得意とする改善が必然で必要な時である。

これは憲法にも当てはまる問題だ。

なぜなら、時代に背かない完璧な憲法などありえないからだ。

もしそれが本当に実在するなら、私達はだまされていることになる。

裏で操るやつがいるのだろう。


法は正常なるがゆえに法である。

命令されて腹が立つのは正しい法ではない。

近代の法は権利の論理であって、

万民法、平等法ではなかった。

近代の法は財産権こそ異例なものであって、

これがある以上、自然法、平等法とは呼ばれない。

なぜなら、

1、自然法は平等であるのに対して、

2、財産権は命令的だからだ。

1、自然法は客観的合意に対して、

2、財産権は主権的同意だからだ。

よって自然法に従うことは憲法の本質である

「後法」 こそ一番正しいと定められている通り、

それは聖書やコーラン、仏典にも書かれている。


法とは、社会統制過程に関係する行為の心理的条件であり、

権利とは、法によって付与された意思の力で、

法によって保護された恩恵でもある。

法曹界では今なお、

「たとえ世界が滅びるとも、正義は行われるべきである。」

と言う、格言が今もしっかり生きている。

ならば訊ねたいのだが、

平等法を信じることは果たして正義と呼ぶに妥当なのか。

日本は前例制が強く、議論するよりも義務を重んじる民族性だ。

従って新自由主義による具体的な法の改革には、

自然法に則った普遍的かつ同意的で

誰にでも判りやすいものでなければならない。

自然法ゆえに当然であろう。

1、税金をすべて失くす。

(生きている間には税金が一切掛からない。)

2、死ねばお金は必要ない。

(金持ちが天国に逝くにはラクダが針の穴を通るのに等しい。)

3、葬儀は国葬で行う。

(生まれる時と死ぬ時は国が面倒を見る。)

以上、

自然法に則ったビューティフル・マインド。平等社会の実現だ。

現代の現象は、財産権を無効にすれば消滅すると確信する。

嘘だと思うなら一度試してはどうか?

自然は死ねば土にかえるように、

財産も社会にかえるのだ。真の平等はここにある。

これが新自由主義に基づく革新的な改革だ。

おそらく現代、

新自由主義を名乗っている者の多くは反対するだろうが・・・。

それでも合理的だ。倫理的で道徳的に妥当である。

「汝、奪うなかれ!」という戒律が、

社会生活の価値を守る上にも明確な制限を設定している。

それとまさに同じように、

私たちは今日、排除と不平等の財産権に明確な、

「汝、相続するなかれ!」と、明記するのである。


税金とは人頭税である。

平等法という、

人類が長らく探し求めていた自然法が

今、ここにある。



    つづく。



真の法による平等社会の実現。

2020-04-02 | 社会問題
 4月 2日  木曜日

 おはようございます。 年上の女性です。


「今日、お集りの皆様。

皆様にお話ししておきたいことがございます。

それはとても重要なことなのです。

ですがその話を聞いて

中にはショックを受けられる人もいるかもしれません。

しかし、私たちの将来にとって大変重要な問題定義なのです。

本日お集りの皆様。

それではよろしいでしょうか。始めたいと思います。」


「人はみな生まれながらにして平等だと信じています。

それは人類の願いであり、法の理念です。

平等は世界の目標であることに疑う人はいないと思います。

しかし、理想と現実を見てください。

本当に私達の社会は平等だと言えるのでしょうか?

いいえ。違います。

今日お集りの皆様の中にも、

心の中で薄々お気づきの方がいることと思います。

そうです。その通りです。

私達は平等社会という理念の中で暮らしていますが、

事実は平等ではない。不平等なのです。

皆様の中には社会が平等だと信じている方もいることでしょう。

ですがそれはそう信じ込まされているだけではありませんか?

私には真実がどこにあるのか見えないのです。

それは機会の平等にも言えることなのです。

チャンスの平等であります。

私はそれすら平等に与えられていないと思えるのです。

なぜなら、

機会の平等には同じ条件でなければ成立しないからなのです。

問題はここにあります。

なぜ? チャンスの神様は前髪しか伸ばさないのでしょう?

その答えを解くカギが今日ここにあります。

結論を急ぎましょう。

本日お集りの皆様。

今日はこれだけを覚えて帰って下さい。たった一つです。

「財産権の無効」 これだけで平等が実現します。

財産権を失くせば平等な機会が成立します。

真の法による平等社会の実現とははっきり言ってこれです。

解りやすくご説明いたします。

現代の法の概念は三つ。

1、生存権(動物権)です。

2、幸福追求権(人権)と呼ばれるのもです。

3、財産権(金持ち権)これが特権なのです。

一つ目の生存権は、むやみに殺すなかれです。

二つ目の幸福追求権は、誰であろうと幸せに生きる権利のことです。

ここまでは皆様も同意の上にあるはず。

問題なのは三つ目の財産権なのです。

これはお金持ちだけが優遇された不平等法なのです。

一部の人だけに与えられた特権であり自然法違反なのです。

はっきりと申し上げます。

財産権は不平等法だと。平等だというのなら教えてください。

どこが平等なのかを。答えられなければ「アウト」だ。

それともう一つ疑問があります。

私達は一体いつ財産権に同意したのでしょうか。

財産権が生まれ持った権利ならば証明してください。

これが平等だといえますか?

是非ともご回答をお待ちしております。」


「私達が生きている間に稼ぎ出したお金は勿論、

自分自身のお金ですから自由に使っても何も問題はありません。

むしろ沢山使うべきでしょう。死海とガリラヤ湖とのたとえです。

ですが思い出してください。そのお金は誰のものなのかを。

財産として所有するそのお金は一体何処から得たのかを。

人は自然の恵みを借りて、

それをエネルギーに換え成果を手に入れます。

そこから得た財産を自然に返すことが自然界ならば

ごく普通に行われていることなのです。

人間も同様です。裸で生まれて裸で自然に帰るのです。

所有権とは、

自分が使用するに必要であった以上の権利を言います。

格差社会とはつまり、

これらの所有権、財産権、相続権を失くさば良いのです。

実に単純で簡単、シンプル・イズ・ベスト。

真実の美しさは見る者の目の中に映る単純でシンプルな現象だと。

実際、義務を伴わない権利がないように、

義務を伴わない財産権はないのです。

つまり財産権の制限には、

消滅しているかで限界点とする、死を以て無効とするのです。

この当たり前の現実が見落とされています。

おそらく皆様の中には、

財産権の無効と聞いて驚いた方もいることでしょう。

財産権が無効になるなど夢にも思わなかったことでしょう。

中にはお金がなければ天国へ逝けないとさえ思われたのでは?

この際はっきり言わせて頂くと、

平等社会と一握りの金持ちとどちらの優先順位が高いのでしょうか。

もしもここに功利主義のベンサムがいたら何と言うでしょうか。

神様はどちらに味方すると思いますか?

人は平等に生まれて平等に死ぬべきです。

それこそが真の平等だと言えるものなのです。ほかにはない。

この世界が不平等なのは財産権に問題がある。

今日お集りの皆様。どうぞこれだけは覚えて帰ってください。」


「本日お集りの皆様。

たった今、

財産権が平等社会の妨げになっていることに気づかれました。

だから早急に財産権を白紙にしてしまえと思うかもしれません。

ですがことはそう簡単には行かないのです。皆様もご存じのはず。

なぜなら、この現実社会はお金持ちが支配するシステム下にあるからです。

知らず知らずの内に誘導された社会なのです。

しかもこの支配が千年続いた歴史なのです。


これはあくまでも私の仮説なのですが、

真の平等社会が実現するには20年~30年くらい掛かると思います。

いや、数百年以上掛かるやもしれない。

なぜそう思うかと言えば、

私達は非力だからです。数では勝っていますが相手は強者なのです。

世界の富の80%が全体の20%の金持ちが独占している事実を見れば明らかのように、

これが格差社会の現実なのです。

嘘だという人は皆無と思います。

なぜ? 私達の銀行口座に残高が記載されないのでしょうか?

銀行口座に記載されるのは支払いばかりです。

ちょっと持ってください。

じつは、お金は銀行に行けばいくらでもあるのです。

ただ、私達に無い。あるところにはある。

そのお金が広く社会に出回れば良いですよね。

そのお金を社会に返そうとするのに邪魔をするものが

凝り返しますが 「財産権」 なのです。

あなたが稼ぎ出したお金はあなたのものです。

疑う余地はありません。

しかし、真の平等社会とは、

同じ機会、同じチャンス、同じスタートラインがあってこそ可能です。

私達は幸福を手に入れたいのです。

だったらお金を手に入れさえすれば良いだけの話です。

なにも難しい話ではありません。

ただ、その機会が平等であれば最高なのです。

これが自然法と呼ばれるのもです。平等法なのです。

自然法とは普遍法であり万民法なのです。

これは神から与えられた権利だと認められているものなのです。

認めていないのは財産権の方なのです。同意していないのは財産権です。」


「断言いたします。今日お集りの皆様は、

真の平等社会の実現に向けた最初の人となることでしょう。

自然法を明確に打ち出した最初の人となるのです。

千年続いた不平等社会に終止符を打つ為に行動を起こした最初の人となるでしょう。

そうです。私達が世界を変えます。歴史の一ページに残されるのです。

そのために、平等社会を志して共に立ち上がろうではありませんか!

その方法が、財産権の無効を言い続けることなのです。

これは決して容易いことではありません。

たとえそれが何百年掛かろうとも言い続けなければならないのです。

それが私たちの責任なのです。なぜなら、

今日ここで知ってしまったからなのです。

私の話を聞いてしまったからなのです。

知らない方が良かったという人もいるでしょう。

何も知らなければ何もしなくて済みますからね。

しかし、知ってしまった以上、そうはいきません。

もう二度と後戻りは出来ないのです。

それはエントロピーの法則が働くからです。

この話から降りられない。逃れられないのです。

本日お集りの皆様。

今日は大変な所に来てしまいました。

どうか私を恨まないでください。これは必然なのです。

いつかはやらなければならない時が人生にはあります。

それを運命と呼べば宿命と呼ぶ人もいます。

この世に偶然はないと言われるように、

今日この場を以って私とあなたはつながりました。

これは事実です。

もちろん皆様には選択の自由があります。

この社会が不平等でも構わない今のままで良いと、

思われるのでしたらそれもまた人生です。

今日聞いたことは固く口を閉ざして

今はまだ時代が早過ぎると良心をなだめれば

きっと気分も安らぐでしょう。犠牲になるのは、

負け組だと考えれば自らの慰めになるかもしれない。

ですが皆様。偶然はありません。

選ばれた者であればご理解いただけれると思います。

世界を変える一歩を今日ここから踏み出そうではありませんか!

平等社会を実現するには時間が必要でしょう。

何事をするにしても時間が掛かるのもです。

しかし、「時」 は金持ちたちに味方していない。

「時」 は不平等を支持などしていない。

自然法は確かに実在します。

私達が気づかないだけなのです。

そんな私達は難攻不落の大富豪たちに立ち向かう

愚かなドンキホーテーに見えるかもしれません。

たとえそうだとしても100年後の人達に本日、

私達が立ち上がったことを誇りに思ってくれると信じます。

どうか未来の人達に神の祝福を。

そして私たちに祝福を。






     つづく。