ぱん・ぱん・ぱーん

大好きなパンと作ったものの記録です

地震から5カ月

2011-08-11 | 東日本大震災・地震

 

「もう8月!」って思ったら、地震からも、もう5カ月も経っていました~

2カ月目・3カ月目・4カ月目と同様、ほんと~うに早いものです・・・

 

未だに行方不明の方がおり(宮城県死者9391人、行方不明者2425人)、心の痛む事です
昨日と今日に宮城・岩手・福島の3警が集中捜索をしているそうです。
(最近の捜索では、沿岸部から見つかるケースが多いらしいです)

今週は初盆を迎える事になるので、早くご家族の元に帰ってきますように・・・

 

初盆に関連してー

陸前高田市の松(津波でなぎ倒された)を京都の五山送り火で使うと言う件が有りましたよね。
放射能が検出されなかったのに、中止になってしましました。
こちらに住んでいる私としては、「検出されていないのに」と言う思いもあるのですが、
宮城県で稲わらの件などで、3月中には放射能が降り注いでいた事は事実。

3月と言うと、生死を分けた捜索、その後は深刻な食糧不足の現代ではありえない事が起きていた日々で、
県側は放射能測定なんて、二の次と言う状況で、汚染されていた水や物を食べていたのは確実だから、
私的には、諦めに似たモードになっている面があります。

でも、福島原発から遠く離れているところにとっては、
東北の全てのものに敏感になっているのは、当然な反応なんだろうと理解出来る面もあります。

ただ、津波でなぎ倒された松を、薪のサイズに切り、
文字が書けるように表面をきれいにならしていたのは、還暦を過ぎた方。
この炎天下の中、汗だくで作業していました・・・。
そして、その松に書かれた切実な想い・・・。

地震後、言葉で言えない想いを、書いた人もいるでしょう。
結局は、地元の陸前高田市で「迎え火」として焚かれましたが、
皆さんのお辛い表情は、テレビを通しても伝わり泣いてしまいました。
(その後、京都では、別な陸前高田の薪を取り寄せて焚くそうです)

「迎え火」としてだったら、地元の陸前高田で焚かれた方が良かったのかもしれませんね。

 

お盆に故人をお迎えする為に焚かれた「迎え火」
家ごと流されてー、お墓も流されてー、きちんと帰ってこれるのでしょうか?
特に、新盆の方達にとっては、目印が必要なはず。
・・・考えたら、切なくなり、また泣いてしまいました。

今年のお盆は、どうなるのでしょう? 

 

 

罹災証明書を発行してもらう為にお役所に行きました。
だいたい発行まで1カ月かかるとの事で、気長に待っていたところ、
以外に早く、一次調査に来ていただけました!

自衛隊の皆さんも撤退した事だし、地元の役所の方が来るものだと思っていたけれど、
なんと大分県から派遣されていたお二人でした。

慣れない土地で地図を片手に、この暑い中に自転車で回っているそうです。
本当にありがとうございます!!

ちなみに、参考までにー、
一次調査→連絡なしで外観調査のみチェック
二次調査→連絡有りで室内調査・写真、見積書などをチェック
その後に罹災証明書(一部損壊、半壊などのランク付)が郵送されて来るそうです。

 


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