あの大地震から11か月になる前に、
仙台唯一の海水浴場・深沼(ふかぬま)に行ってきました。
道路を挟んだ両側には家々があったはずですが、
海に近付く程に、更地になっている光景が・・・
個々の生活があった場所のはずが、
今、人が活動している気配と言ったら、一か所のみの復旧工事現場だけでした。
沈んだ気持ちになり、車から降り歩いて行くと、
うっそうとしていた防潮林は、まばらな状態で、松は途中から折れたりー、
↓
残っている松も、塩害の為か元気がありませんでした。
↓
こんな様子を見て、ショックを受けつつも、さらに海の方に進んで行くと、
慰霊塔(写真はありません)が立ててありました。
( その時の地元紙の記事はこちら)
慰霊塔にお線香をあげようと、手を合わせた時、
自分の手が小刻みに震えているのに気付いた私。
この自分の反応に戸惑って、どうしようもないくらいの喪失感が・・・
自分が思っているより、かなり心に応えているのだと感じました。
お線香をあげ、さらに進んで行くと、小高い堤防が。
↓
以前は、どのくらいの高さの堤防だっただろう?
思い出せないけれど、津波で運ばれたたくさんの砂に、
階段が覆われているような気がしました。
この階段(↑の写真の左はじ)を上がるとー
↓
真っ青な空 真っ青な海・・・
視線を右に
↓
どこまでも続く海・・・
もっと海の近くに行きたい気持ちがあったけれど、
漠然とした怖さを感じ、これ以上進めませんでした。
海の中に移っているのは波消しブロック。
あんなに威力があった津波なのに、波消しブロックが残っているとは思わなかった。
ただ、以前よりも低くなっている感じが・・・
砂浜にはゴミなどは見当たらない、綺麗な状態でした。
昨年は海開きなどはもちろん無く、津波後の捜索したままの状態という感じ。
海は、清涼でー、空気も澄んでいてー、何事も無かったように穏やかでした。
大地震前、宮城県沖地震での最大津波予想が1~2M程度で、
昔から津波の被害は少なかった地区の為、防潮林のすぐそばに家々が立ち並んでいました。
(ここ荒浜地区での犠牲者は180人以上)
今でも津波に奪われたままの状態。
海から市街地を見たところ
↓
この地区で唯一残っている建物は、中央付近に建っている学校のみ。
見えるはずのない、仙台市街地まで見渡せる現実に、
何もかもを奪っていった津波の威力を、再認識させられます。
宮城県 死亡者9509人
行方不明者1769人(2月10日現在)
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