ぱん・ぱん・ぱーん

大好きなパンと作ったものの記録です

地震から11カ月

2012-02-12 | 東日本大震災・地震

 

あの大地震から11か月になる前に、
仙台唯一の海水浴場・深沼(ふかぬま)に行ってきました。

 

道路を挟んだ両側には家々があったはずですが、
海に近付く程に、更地になっている光景が・・・

個々の生活があった場所のはずが、
今、人が活動している気配と言ったら、一か所のみの復旧工事現場だけでした。

 

沈んだ気持ちになり、車から降り歩いて行くと、
うっそうとしていた防潮林は、まばらな状態で、松は途中から折れたりー、

残っている松も、塩害の為か元気がありませんでした。

 

こんな様子を見て、ショックを受けつつも、さらに海の方に進んで行くと、
慰霊塔(写真はありません)が立ててありました。
( その時の地元紙の記事はこちら

慰霊塔にお線香をあげようと、手を合わせた時、
自分の手が小刻みに震えているのに気付いた私。

この自分の反応に戸惑って、どうしようもないくらいの喪失感が・・・
自分が思っているより、かなり心に応えているのだと感じました。

 

 お線香をあげ、さらに進んで行くと、小高い堤防が。

以前は、どのくらいの高さの堤防だっただろう?

思い出せないけれど、津波で運ばれたたくさんの砂に、
階段が覆われているような気がしました。

 この階段(↑の写真の左はじ)を上がるとー

真っ青な空 真っ青な海・・・

視線を右に

どこまでも続く海・・・

もっと海の近くに行きたい気持ちがあったけれど、
漠然とした怖さを感じ、これ以上進めませんでした。

海の中に移っているのは波消しブロック。
あんなに威力があった津波なのに、波消しブロックが残っているとは思わなかった。
ただ、以前よりも低くなっている感じが・・・
 

砂浜にはゴミなどは見当たらない、綺麗な状態でした。
昨年は海開きなどはもちろん無く、津波後の捜索したままの状態という感じ。

 

海は、清涼でー、空気も澄んでいてー、何事も無かったように穏やかでした。

 

 

 

大地震前、宮城県沖地震での最大津波予想が1~2M程度で、
昔から津波の被害は少なかった地区の為、防潮林のすぐそばに家々が立ち並んでいました。
(ここ荒浜地区での犠牲者は180人以上)

今でも津波に奪われたままの状態。

海から市街地を見たところ

この地区で唯一残っている建物は、中央付近に建っている学校のみ。

見えるはずのない、仙台市街地まで見渡せる現実に、
何もかもを奪っていった津波の威力を、再認識させられます。

 

宮城県 死亡者9509人
     行方不明者1769人(2月10日現在)

 

 

 


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