サンズ・トーク

昭和の残像

前回、このブログにアップしたバタヤンの赤いソテツの実も熟れるころ・・・・というフレーズには、も少し説明が必要だったかなと思うのです。

バタヤンとは、田端義夫、昭和時代の色濃い演歌歌手。
われら世代の者にとっては、共感を覚える独特な雰囲気の歌い手だった。
奄美大島を唄った「島育ち」の出だしが、赤いソテツの実も熟れるころ・・・・なのです。

平成の現代に島育ちの歌を話すときには、それなりに解説することがふさわしい。
そういうことで、これしきのことを、昭和の残像と私は言いたいのです。

昭和文化を代表し、一世を風靡したものでも、平成も25年ともなれば、すでに早くも時代の表から没してしまう、そういう文化。
われわれはいま、こういうものをリバイバルしてみたくなるのでした。

たとえば、テレビのブラウン管というもの。
昭和のころのテレビは箱型だった。その理由は漏斗型の管で、映像面が前面に広がるブラウン管の形状からくるものだった。
画面の対角線が14インチのブラウン管が、家庭向けの標準だった。
ところが平成の今、テレビは全部薄型になっている。ブラウン管はすっかり廃れてしまったのだ。

私ら世代は、ブラウン管という文化に郷愁を感じる世代なのだ。
更に言うと、ブラウン管の箱型テレビは、画面のところに緞帳が下がるようになっていた。
視聴しないときには、ブラウン管の前面に劇場のように幕がおりるようになっていたりした。
箱型だから、ちゃぶ台の高さと不釣合いのないように四本足が生えていたのだった。
うむ。ちゃぶ台もとっくの昔に残像になってしまったではないか。

それとか、チャンネルを回すという言い方が普通だったのだが、これは、昭和末期以降は、リモコンが普及して、チャンネルを回すことはなくなったのだった。

ブラウン管 昭和は遠く なりにけり

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