推古天皇15年(607年)、聖徳太子創建の広壮な大伽藍に圧倒されたが、仏像、なかでも百済観音 の立ち姿には最も感動し、いまでも脳裏に焼きついている。
写真をお見せできないのが残念であるが、細身の、まさしく自然体の九頭身、このような仏像は初めて見たものであった。
ことに左手の指でひょいと水差しをつまんでいるしぐさなどは、からだのどこにも力が入っていないようなゆとりを感じさせている。
もっと小さな像かと想像していたが、何と2㍍余もあって正対すると気圧されるばかりなのである。
創建以来の法隆寺の記録には載っておらず、時代がずっと下がって、元禄11年(1698)仏躰数量記という資料に初めて「虚空蔵立像」として記録されている。
明治初期になってようやく、百済渡来の天竺製の観音像とされたようなのだ。
飛鳥時代の7世紀後半の作とされるが、何らかの事情で他の寺から移されて来たらしい。材質はくすのきの一木造りで、くすのきが使われているところをみると日本製らしいとのこと。その当時の百済の仏像にはくすのき造りはないそうである。
また、この手の細身の像はわが国では殆ど例がないそうである。
製作した仏師はどんな方か、誰が、何を願って造らせたものか、来歴は何ひとつわかっておらず、今となっては想像を巡らす以外に術がない。
現在では、平成10年、大宝蔵院の奥に百済観音堂が造られて鎮座ましましている。
明治以降、和辻哲郎、亀井勝一郎などが、この像について強い印象を述べておられるそうである。
とても、私如きの説明で尽せるものではない。
願わくは、是非一度拝観に訪れて見られることをお勧めする。
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