こちらは 2007年、 僕にとっては 2度目の 「福住ゼミ」 にて。
画集を見て、一点の絵を 批評 (?) する。
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※ 当然ですが、これは原画ではありません。
「 石田徹也 遺作集 」 に 載せられていた 1点の絵を 検証した際、
村田青朔が 頭の中に描いたイメージです。
下に続ける文章も、同じです。
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石田徹也遺作集より
「墓の前に座る少年」の図(タイトル不詳)を読む
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vol.1 「箱庭」 : こんな絵、嫌だ。あまりにもナマナマしい。
画面中央に、白いティーシャツ姿の少年がいる。
2つの壁が床と交わる、部屋の片隅。
窓際のベッドの上で、少年は体育座りしている。
背中をこちらに向け、ベッドの左端に置かれたテレビを見ている。
顔は、ほとんど見えない。耳にはヘッドホン。
と思っていたら、テレビではなかった。背の低い、黒い墓石だ。
ベッドも、違う・・・ベッドサイズの墓地だった!
部屋の中に墓があるのか? 墓の周囲に部屋があるのか?
もう一人いる。板張りの床と、墓を囲う石積みの隙間。
そこに潜り込んでいる奴がいる。
見えているのは、大きな左手と2つの足裏。
男のようだ。少年より年上だろう。
たぶん、生きている。
墓には緑の植え込み、雑草も生えている。
草は板の間に広がり、木まで生えている。
2つの大きな窓。外に電車が1台。
左方向に走っている、ように見える。誰も乗っていない。
線路がない。電車以外には景色もない、白い世界。
ここは宙に浮いた、箱庭のような空間。
墓地の奥行きが描く、左上に向う直線。少年の身体の向きである。
これを延長すると、画面外の消失点に鋭角的に収束する。
床板の向きが、この方向性を強調している。
電車のラインも、これと平行だ。遠くへ行く感じ。
無機的で機械的。墓が暗示する、暗い方向性。
でも墓のむこう側、電車の前方は明るい。
右側の消失点も画面の外にある。
左のそれと比べると、かなり画面に近い。
手前に広がる放射状の直線が、窓から射し込む光を感じさせる。
曲線を描く植物。有機的な若々しい生命感。
だが生は病を、死を孕む。電車が行く手をさえぎる。
窓の縦枠を見ると、下にも消失点がある。
3点透視法で描かれている。なのに高さの描写は、鮮明でない。
木が上に伸びている。天井は高いはず。
しかし、絵の枠で断ち切られている。
ここは絵画という、檻の中。
縦・横・高さの直線が、見えない枠を形作っている。
遠近法の牢獄に封じ込められた、内的世界。
抜け出す事の出来ない箱庭、ソコニハビコル命。
図式的な構図・対比・象徴は、石田徹也のこだわりだろう。
絵の中に内向し、檻の中に閉じこもる。
そして、突き抜けようとする。
登場する2人は、同一人物に違いない。
石の重みに押しつぶされたような肉体。
そこから抜け出した、少年。
希望がある。だけど塞がれている。「飛びたい」とは、そういう事だ。
脱出したいのだ。だから、よけい苦しいのだ。
その感覚が、ナマナマしい。
********************
vol.2 「離陸」 : こんな絵、嫌だ。でも、気にかかる。
石田徹也の描く世界は、どこか歪んでいる。
そのあたり、滑稽でもある。
画家の一人遊びだろうか? 少し違う。
彼は牢獄のような社会を、描き切ろうとしている。
そして自ら、檻に閉じこもる。なぜだ?
脱出するため、かもしれない。
奴はナゾナゾを仕掛け、社会と繋がろうとしている。
一緒に遊ぼうよ、と誘っている。
ならば付き合ってみよう。
墓の下にいるのは、画家の分身だろう。
彼が描く多くの絵に登場する、いつもの人物と思われる。
だが、おどけた顔も、悲しい演技も、こちらに向けない。
積まれた石の下、しかもうつ伏せ。
下に広がる世界を見ているのかもしれない。
男の肉体を脱ぎ捨てた少年は、分身の分身。
やはり、正面を向かない。視線も落としている。
顔はあちらを向き、身体はここにある。遠くへ行きたいのだ。
目を下に向ける時、意識は身体よりも上にある。飛びたいのだ。
奴等は、脱走を企てている。
その脱走計画を、構図から探りたい。
きっちりとした遠近法のように見える。
だが、どこか歪んでいる。
まず電車。明らかに小さい。おれの計算では、高さが1mもない。
この電車は、実在しない。雲の上を飛ぶ、空想のオブジェである。
少年は、その運転席にいるのかもしれない。
奴は、電車になりたかったのかもしれない。
逃走手段は、電車だけでない。
水平線が左上がりだ。左の消失点が、右の消失点より上にある。
左上方向に、昇っていく感覚が与えられている。
そう見えるように、描かれている。
この絵自体が、左上に向う方向性を持っている。
観る者を引き込む、加速度を持っている。
この部屋は、宙に浮いているのではない。上昇中なのだ。
この墓地はコクピットである。
石の下の男は、Gを背負ったジェット機である。
脱走経路は、他にも用意されている。
画面をつらぬく、死を見詰める眼差し。それが隠し扉だ。
この絵の水平線の高さは、少年の頭より上にある。
画家の視線は、彼を見下ろしている。
それとほぼ同じ角度で、少年の顔は墓石を向いている。
彼の目に映っているのは、この絵。このシーンではないだろうか?
とすると、世界が入れ子になっている。
少年は、左肩をこちらに向けている。
やばい、おれは彼の背後霊の位置にいる。
ふと後ろから、誰かに覗かれている気配。
奴が絵から脱け出して、おれを見詰めている。
3番目の登場人物は、おれだったのか?
くそ、睨み返してやる!
********************
vol.3 「家族」 : こんな絵、嫌だ。・・・なぜだろう??
続きを書くとしたら、テーマはそんな感じ に、したい。
だが・・・、この先の事は彼も嫌がっている。
睨めっこを強制終了する。
2007.09.
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詳細不明 たぶん 2008-05-23頃 up
画集を見て、一点の絵を 批評 (?) する。
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※ 当然ですが、これは原画ではありません。
「 石田徹也 遺作集 」 に 載せられていた 1点の絵を 検証した際、
村田青朔が 頭の中に描いたイメージです。
下に続ける文章も、同じです。
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石田徹也遺作集より
「墓の前に座る少年」の図(タイトル不詳)を読む
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vol.1 「箱庭」 : こんな絵、嫌だ。あまりにもナマナマしい。
画面中央に、白いティーシャツ姿の少年がいる。
2つの壁が床と交わる、部屋の片隅。
窓際のベッドの上で、少年は体育座りしている。
背中をこちらに向け、ベッドの左端に置かれたテレビを見ている。
顔は、ほとんど見えない。耳にはヘッドホン。
と思っていたら、テレビではなかった。背の低い、黒い墓石だ。
ベッドも、違う・・・ベッドサイズの墓地だった!
部屋の中に墓があるのか? 墓の周囲に部屋があるのか?
もう一人いる。板張りの床と、墓を囲う石積みの隙間。
そこに潜り込んでいる奴がいる。
見えているのは、大きな左手と2つの足裏。
男のようだ。少年より年上だろう。
たぶん、生きている。
墓には緑の植え込み、雑草も生えている。
草は板の間に広がり、木まで生えている。
2つの大きな窓。外に電車が1台。
左方向に走っている、ように見える。誰も乗っていない。
線路がない。電車以外には景色もない、白い世界。
ここは宙に浮いた、箱庭のような空間。
墓地の奥行きが描く、左上に向う直線。少年の身体の向きである。
これを延長すると、画面外の消失点に鋭角的に収束する。
床板の向きが、この方向性を強調している。
電車のラインも、これと平行だ。遠くへ行く感じ。
無機的で機械的。墓が暗示する、暗い方向性。
でも墓のむこう側、電車の前方は明るい。
右側の消失点も画面の外にある。
左のそれと比べると、かなり画面に近い。
手前に広がる放射状の直線が、窓から射し込む光を感じさせる。
曲線を描く植物。有機的な若々しい生命感。
だが生は病を、死を孕む。電車が行く手をさえぎる。
窓の縦枠を見ると、下にも消失点がある。
3点透視法で描かれている。なのに高さの描写は、鮮明でない。
木が上に伸びている。天井は高いはず。
しかし、絵の枠で断ち切られている。
ここは絵画という、檻の中。
縦・横・高さの直線が、見えない枠を形作っている。
遠近法の牢獄に封じ込められた、内的世界。
抜け出す事の出来ない箱庭、ソコニハビコル命。
図式的な構図・対比・象徴は、石田徹也のこだわりだろう。
絵の中に内向し、檻の中に閉じこもる。
そして、突き抜けようとする。
登場する2人は、同一人物に違いない。
石の重みに押しつぶされたような肉体。
そこから抜け出した、少年。
希望がある。だけど塞がれている。「飛びたい」とは、そういう事だ。
脱出したいのだ。だから、よけい苦しいのだ。
その感覚が、ナマナマしい。
********************
vol.2 「離陸」 : こんな絵、嫌だ。でも、気にかかる。
石田徹也の描く世界は、どこか歪んでいる。
そのあたり、滑稽でもある。
画家の一人遊びだろうか? 少し違う。
彼は牢獄のような社会を、描き切ろうとしている。
そして自ら、檻に閉じこもる。なぜだ?
脱出するため、かもしれない。
奴はナゾナゾを仕掛け、社会と繋がろうとしている。
一緒に遊ぼうよ、と誘っている。
ならば付き合ってみよう。
墓の下にいるのは、画家の分身だろう。
彼が描く多くの絵に登場する、いつもの人物と思われる。
だが、おどけた顔も、悲しい演技も、こちらに向けない。
積まれた石の下、しかもうつ伏せ。
下に広がる世界を見ているのかもしれない。
男の肉体を脱ぎ捨てた少年は、分身の分身。
やはり、正面を向かない。視線も落としている。
顔はあちらを向き、身体はここにある。遠くへ行きたいのだ。
目を下に向ける時、意識は身体よりも上にある。飛びたいのだ。
奴等は、脱走を企てている。
その脱走計画を、構図から探りたい。
きっちりとした遠近法のように見える。
だが、どこか歪んでいる。
まず電車。明らかに小さい。おれの計算では、高さが1mもない。
この電車は、実在しない。雲の上を飛ぶ、空想のオブジェである。
少年は、その運転席にいるのかもしれない。
奴は、電車になりたかったのかもしれない。
逃走手段は、電車だけでない。
水平線が左上がりだ。左の消失点が、右の消失点より上にある。
左上方向に、昇っていく感覚が与えられている。
そう見えるように、描かれている。
この絵自体が、左上に向う方向性を持っている。
観る者を引き込む、加速度を持っている。
この部屋は、宙に浮いているのではない。上昇中なのだ。
この墓地はコクピットである。
石の下の男は、Gを背負ったジェット機である。
脱走経路は、他にも用意されている。
画面をつらぬく、死を見詰める眼差し。それが隠し扉だ。
この絵の水平線の高さは、少年の頭より上にある。
画家の視線は、彼を見下ろしている。
それとほぼ同じ角度で、少年の顔は墓石を向いている。
彼の目に映っているのは、この絵。このシーンではないだろうか?
とすると、世界が入れ子になっている。
少年は、左肩をこちらに向けている。
やばい、おれは彼の背後霊の位置にいる。
ふと後ろから、誰かに覗かれている気配。
奴が絵から脱け出して、おれを見詰めている。
3番目の登場人物は、おれだったのか?
くそ、睨み返してやる!
********************
vol.3 「家族」 : こんな絵、嫌だ。・・・なぜだろう??
続きを書くとしたら、テーマはそんな感じ に、したい。
だが・・・、この先の事は彼も嫌がっている。
睨めっこを強制終了する。
2007.09.
詳細不明 たぶん 2008-05-23頃 up