『日本書紀』に見る三神
以上ここまでは『古事記』を中心に見てきましたが、同書は意図的な加飾が歴史の本質を見え難くしているので、ここからは『日本書紀』に沿って読み進めてみたいと思います。
まず『日本書紀』に記された神生み(第五段)について、本文から順を追って見て行くと次のようになります。
以上ここまでは『古事記』を中心に見てきましたが、同書は意図的な加飾が歴史の本質を見え難くしているので、ここからは『日本書紀』に沿って読み進めてみたいと思います。
まず『日本書紀』に記された神生み(第五段)について、本文から順を追って見て行くと次のようになります。
『日本書紀』本文
伊弉諾尊と伊弉冉尊が共に議して言うには、吾は已に大八島洲国と山川草木を生んだ、どうして天下に主たる者を生まないことがあろうかと。そこで共に日神を生んだ。大日孁貴(おおひるめのむち)と言う。一書に天照大神と言い、一書に天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)と言う。この子は光華明彩にして六合之内(四方)を照らし徹した。二神は喜んで、吾が子は多しといえど、これほど孁異な子はいない、久しくこの国に留めておくのは宜しくない、早く天に送って天上の事を授けようと言った。この時、天地はまだ遠く離れていなかったので、天柱を用いて天上に挙げた。次に月神を生んだ。一書に月弓尊、月夜見尊、月読尊と言う。その光彩なことは日に次いでいた。日と並んで治めさせるべく、また天上に送った。次に蛭児を生んだ。三歳になっても脚が立たなかった。そこで天磐櫲樟船に載せて風のままに放棄した。次に素戔嗚尊を生んだ。この神は勇み悍ましく、残忍なことを平気で行い、また常に哭泣してばかりいた。国内の多くの人民を夭折させ、また青山を枯山にした。そこで父母の二神は素戔嗚尊に勅して、汝は甚だ無道であり、天下に君として臨むことはできない、まさに遠い根の国に行けと言って、遂に放逐した。
文中の伊弉諾尊の言葉にもあるように、国生みを終えて海川山の神と木草の祖を生んだ後に続く『日本書紀』第五段本文の記事は、たったこれだけです。
そこには火の神カグツチも伊弉冉尊の排泄物から生まれた神々もいなければ、黄泉の国の話も出てきません。
また大日孁貴(天照大神)、月神(月読尊)、素戔嗚尊の三神にしても、普通にイザナギ・イザナミの二神から生まれたとしています。
そして正史の本文がここに書かれている限りだということは、異伝の有無に関らず、所詮これ以上の逸話は歴史の本筋に余り関係がないということでもあります。
続いて第五段一書(第一~第五)を併記すると、次のようになります。
一書に曰く(第一)
伊弉諾尊が、吾は天下を統べる貴い子を生みたいと言い、左手で白銅鏡を持った時に生まれた神は大日孁尊、右手で白銅鏡を持った時に生まれた神は月弓尊、また首を回して顧みたその時に生まれた神は素戔嗚尊である。大日孁尊と月弓尊は並びに人となりが明麗だったので天地を照らしめさせた。素戔嗚尊はその性が残害を好んだので下して根の国を治めさせた。
一書に曰く(第二)
日月が生まれ、次に蛭児が生まれた。三歳になっても脚が立たなかった。伊弉諾・伊弉冉尊が柱を巡った時、女神が先に喜びの言を発した。これが陰陽の理に違っていたため、今蛭児が生まれた。次に素戔嗚尊が生まれた。この神は性悪で、常に哭き怒ることを好んだ。国民を多く死なせ、青山を枯山にした。父母は勅して、汝がこの国を治めれば、必ず残(そこな)い傷(やぶ)ることが多いだろう、故に汝を極めて遠い根の国を治めよと言った。次に鳥磐櫲樟船を生み、この船に蛭児を載せて放流した。次に火の神軻遇突智(かぐつち)を生んだ。時に伊弉冉尊はカグツチのために焦かれて世を終えた。その終えようとするまでの間に、臥しながら土の神埴山姫と水の神罔象女(みつはのめ)を生んだ。カグツチはハニヤマヒメを娶って稚産霊(わくむすひ)を生んだ。この神(ワクムスヒ)の頭に蚕と桑が生じ、臍の中に五穀が生じた。
一書に曰く(第三)
伊弉冉尊は火産霊(ほむすひ)を生んだ時、子のために焦かれて世を去った。その去ろうとする時に、水の神罔象女と土の神埴山姫を生み、また天吉葛(あまのよさつら)を生んだ。
一書に曰く(第四)
伊弉冉尊は火の神を生む時、熱に悶え懊悩した。吐いたものが神となり、名は金山彦と言う。次に小便が神となり、名は罔象女と言う。次に大便が神となり、名は埴山姫と言う。
一書に曰く(第五)
伊弉冉尊は火の神軻遇突智を生んだ時、身を灼かれて世を去った。そこで紀伊国熊野の有馬村に葬った。土俗として、この神魂を祭るには、花の時季に花をもって祭り、また鼓・笛・旗を用いて歌舞して祭る。
『日本書紀』第五段は一書(第十一)までありますが、ここまでがほぼ前半部分となります。
三神の出生について触れているのは本文と一書(第一、第二)で、『古事記』では国生みの最初に生まれたとされる蛭児が、月神と素戔嗚尊の間に生まれたとする点に相違が見られます。
スサノオの性質については、『古事記』も含めてほぼ共通しており、勇ましく猛々しいだけでなく、残忍なことを平然と行い、無暗に危害を加えて傷付けることが多かったといいます。
要は成長しても是非善悪の区別がなく、生来良心に欠けているという訳ですが、哭き喚いてばかりいたという特徴や、多くの人民を殺して緑の山を枯らしたという表現から、これを台風や龍神に比する見方もあります。
つまり高天原を継いだ大日孁貴、同じく高天原に残った月読尊、そして高天原を追放された素戔嗚尊という三柱の神々が、それぞれ太陽、月、嵐に擬せられることで神話として形作られているという訳です。
スサノオの性質については、『古事記』も含めてほぼ共通しており、勇ましく猛々しいだけでなく、残忍なことを平然と行い、無暗に危害を加えて傷付けることが多かったといいます。
要は成長しても是非善悪の区別がなく、生来良心に欠けているという訳ですが、哭き喚いてばかりいたという特徴や、多くの人民を殺して緑の山を枯らしたという表現から、これを台風や龍神に比する見方もあります。
つまり高天原を継いだ大日孁貴、同じく高天原に残った月読尊、そして高天原を追放された素戔嗚尊という三柱の神々が、それぞれ太陽、月、嵐に擬せられることで神話として形作られているという訳です。
垂直概念と水平概念
またここに出てくる天上や根の国といった場所を考える時、それらを果して垂直概念として捉えるべきか、或いは水平概念として扱うべきかという問題もあります。
もともとこれは神話なので、素直に読めば天上とは神々の住む天空の世界、根の国とは地下の世界であり、その中間にある地上は人間を初め多くの生物が生きる世界という、至って単純な垂直設定になります。
『古事記』では初めスサノオに託された国は、根の国ではなく海原としていますが、これも「天上・地上・根国」の三界が「天上・地上・海原」に変っただけなので、天上と海は神の治める世界で、地上が人間の土地という棲み分けは変りません。
そして伊弉諾尊が大日孁貴を天上へ送るのに用いたのが天柱であることや、神々を一柱二柱と呼ぶ数え方もまた、この垂直概念を象徴する表現の一つと言えます。
しかし後の高天原の神話では、高天原を追放された素戔嗚尊が下った先は出雲であり、伊弉冉尊が葬られたのも出雲であることから、「根の国=出雲」という水平設定があるのは疑いようもありません。
また黄泉の国から戻った伊弉諾尊が禊を行ったのも、やはり筑紫国日向という地上界なので、となれば高天原の原型となった国もまたこの地上のどこかにあったと考えられる訳です。
因みに海原について言うと、既述した通り当時の九州北部と畿内を結ぶ主要航路は、瀬戸内海ではなく日本海に面した海岸に沿って走る山陰航路だったので、その中間に位置する出雲は海運の要衝であり、出雲を支配する者が航路の主導権を握ると言っても過言ではありませんでした。
従って「根の国=出雲」は当然ながら、「海原=出雲」と読んでもあながち間違いではないのです。
また黄泉の国から戻った伊弉諾尊が禊を行ったのも、やはり筑紫国日向という地上界なので、となれば高天原の原型となった国もまたこの地上のどこかにあったと考えられる訳です。
因みに海原について言うと、既述した通り当時の九州北部と畿内を結ぶ主要航路は、瀬戸内海ではなく日本海に面した海岸に沿って走る山陰航路だったので、その中間に位置する出雲は海運の要衝であり、出雲を支配する者が航路の主導権を握ると言っても過言ではありませんでした。
従って「根の国=出雲」は当然ながら、「海原=出雲」と読んでもあながち間違いではないのです。
続く伊弉冉尊と火の神について触れているのは一書(第二~第五)で、イザナミが薨去に臨んで土の神と水の神を生んだという話は、『古事記』も含めて伝によって多少の差異はあるものの基本的には同じ内容です。
またワクムスヒは、その体内から蚕や五穀が生じたとされるように若い(新しい)生命を象徴する神で、『古事記』では倭語に同音漢字を当てて「和久産巣日」と作るのに対して、一書(第二)では語義を漢字に変換して「稚産霊」と表しており、素直に読めますが古語に精通していなければ意味の通じない『古事記』と、ふりがながなければとても読めませんが意味するところは分かりやすい『日本書紀』という形で好対照を成しています。
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