NPO法人 三千里鐵道 

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追悼詩集から-慟哭は、やがて咆哮に

2009年07月17日 | 南域内情勢
人間ノ・ムヒョンに向かう慟哭の力, それは世の中を変える咆哮

                        キム・ジョンナン(詩人)


邪悪な龍の舌が彼のからだをぐるぐる巻いた。 べたつく汚辱の唾液を、彼の全身に撒きちらした。
その汚辱の唾液は、私たちの顔の上にも落ちた。正しく生きるために、歴史の道を歩く者らの顔の上にも…。
毎日が悪夢であった。 龍の舌は四方に毒を吹き散らした。 四方が、その吹き出された毒の煙に覆われた。
前が見られない。 人々の心に毒がしみ込んだ。 邪悪な龍らの舌は、人々が考えられないように,自分たちに利益になる原理を人々が真理と崇めるように,自ら思考の主体になろうとする者らの顔の上に、毒の唾液を塗りたくった。
彼らの顔がゆがみ、体が腐って行き始めた。
邪悪な龍らが傲慢に叫んだ。
見よ,我々に抵抗すればどんな目に遭うかを!


邪悪な龍らの舌に、ぐるぐる巻かれた彼のからだが、広場に引かれてきた。 人々は通り過ぎながら,一回ずつ彼のからだの上に唾を吐いて,呪いの言葉を吐き捨てた。
人々は真実には何の関心もなかった。 彼らはすでに、邪悪な龍らの舌が吹き出し続けた、毒に犯されていた。 彼らは自身が思考の主人でないという事実を,彼らが彼に向かって吐きだす呪いの言葉が、実は邪悪な龍らのコトバという事実を知ることができなかった。
彼は広場に引き出され、あらゆる侮辱に耐えなければならなかった。
邪悪な龍らはすでに、彼からすべての防御手段を奪ってしまった後であった。 彼には自身を守ることができる最小限の手段もなかった。
彼が信じた, 邪悪な龍より少し小さめの龍らの舌も、邪悪な龍らがかけておいた魔法の呪文どおりに動いた。 時には邪悪な龍らより、さらに残酷に、彼のからだに刃をつきたてた。
彼らはそのようにしてこそ、世の中の呪いにまみれた彼を一時支持した自分たちが、そのことにより「絶対的に純粋で無欠」だということを、人々が信じると思ったのだ。 彼と関係がないということを、証明しなければならなかったのだ。 彼をより一層残忍に拷問することによって, もう彼を捨てたとのことを世の中に知らせなければならなかったのだ。


彼は元の自分に帰った。 魂は澄みきっていた。 恐れも悔恨もない。
彼は魔法にかかった世の中に向かって、背を向け泣いた。 しかしその嗚咽は長くは持続しなかった。 彼は自身ができることを、皆終わらせたことを分かっていたからだ。
彼は運命を完遂させるために、彼に残った最後の存在媒体である体を、高く持ち上げた。 そして彼は自身が長く愛した世の中に向かって, 自身の肉体を飛ばした。
彼をぐるぐる巻いていた邪悪な舌の綱が、一気にぷつんと切れ飛び散った。彼のからだについていた侮辱の粘液も、明け方の空気の中に煙のように消えた。 彼は宇宙の純粋空間に帰って行った。

突然、舌の魔法が消えた。 人々の胸に真実に対する熱望が蘇った。 そして目に涙がみなぎった。 邪悪な龍らの魔法を拭い去る涙、 真の理性の復活である涙、 世界の真実に感応する涙、 やがて世の中は慟哭でぎっしり埋まった。
人々は悔恨で、もがき苦しんだ。 人々は彼の裂けてつぶれたからだを抱いて、号泣した。 彼らは、死んではじめて汚辱から自由になった彼のかわいそうな小さいからだを撫でて、泣いた。 彼らの思考は、はじめて彼ら自身のものになった。 人々はその時始めて、彼らが邪悪な龍らの舌が吹き出す毒の魔法にかかっていたことを悟った。

しかし、見よ!邪悪な龍らが、自らの舌を消した兆しは、まだどこにもない。 人々の号泣が、世の中を変えるかは、まだ分からない。 邪悪な龍らを動かした,否,もしかしたら彼らに動かされた人々は、この叫びにまだ耳を防いでいる。 邪悪な龍らは、また舌なめずりし始めている。

だが,見よ!
人々は各々が、静かにからだを起こし始めた。 号泣が、徐々に悟りに変わりはじめた。 彼らの頭上に覆う闇を裂き、黄金みみずくが舞い上がっている。

彼が身を投じたみみずく岩のそばには、ライオン岩がある。 人々の号泣は、やがて獅子の咆哮になるだろう。ライオンは、邪悪な舌をペロペロさせる龍らと戦うため、ゆっくりからだをほぐし始めている。



略歴
1953年ソウル出生. 詩人であり文学評論家,仏文学者,翻訳家として活動中.

「ヨボ ナチョム トワチュ」を読んで

2009年07月17日 | 南域内情勢

6.28の講演会会場で購入した2冊のノムヒョン関連書籍、読みました。

表題の本は、今韓国で爆発的に売れに売れている書籍だそうだ。
手記もしくはエッセイ風に書かれたこの文章には、ノムヒョンの幼小青年期がコンパクトにまとめられている。
議員生活での苦悩、特に韓国の偉大な山脈である両金との出会いと別れなどが克明に描かれる。(YSへの失望とDJへの接近など)

そしてタイトルにもなっているヤンスクとの出会い、恋愛、結婚、大統領夫人時代等の家庭生活等が素直に書かれている。分は人なり、ノムヒョンの匂いや笑顔が迫ってくる文章だ。
人間ノムヒョンのダイジェストだ。

 2冊目の「パボ ノムヒョン」は小説仕立て。一冊目を読んだ後はインパクトに欠けた。

今朝、ポンハサイトに新しい動画が載った。
少々長かったが(48分)圧巻だ! タイトルは「ノムヒョンの未完成共和国」-追悼ドキュメントとして市民の自主製作、映像の質と完成度は玄人顔負けだ。49祀に間に合わせようと、企画から完成まで15日間で仕上げたという。驚異的なエネルギーとスピード、ノサモのパワーにただただ圧倒される。

 http://www.knowhow.or.kr/rmh_rohbest/view.php?pri_no=999712889

ハングルを理解できる方は是非ご覧ください。今関係者は英語、中国語バージョンも製作中とのこと、日本語版はどうするのでしょう。

namsang


韓前総理ーみみずくは飛ぶ

2009年07月15日 | 南域内情勢
[49祀を終えて]
         あなたはもうこれ以上一人ではありません

                        2009.7.12
                        ノムヒョンサイトから

数百万のみみずくが目覚めて、飛び立ちます。大統領様の遺骨を暖かい日差しの降り注ぐ烽火山麓に安置しました。 はじめてその方との離別を実感します。

49祀を終えた後,多少疲れたからだで家に帰ってきました。 玄関に入るや色々な数多くのみみずく人形らが、大きな目で私を迎えました。 私はみみずく人形収集家です。
暗い夜に光を放つ‘知恵’の鳥。 そのようなみみずくが好きで, 一つ二つ集め始めたのが10年がすぎ、いつのまにか200余羽になりました。
今日もいつものようにみみずく人形は、自分の姿を黙って見ています。

だがこの頃、そのようなみみずくを見るのが恐ろしかった。 ちらりと見ただけでも胸が痛みます。 なぜ、よりによって‘みみずく岩’だったのですか?

亡くなったノ・ムヒョン大統領様の穏やかな微笑が、大きく開いたみみずく人形の目に悲しく浮び上がります。 あなたが上がられたみみずく岩の重さが、私の胸を押さえ付けます。 どのような思いで上がりましたか?

身を投げる覚悟で上がられた、その一歩,一歩の足の重さを考えると悲嘆に暮れます。 人生最後の足取りを進めるその心情は、またどれほど恐ろしく、大変でしたか? あなたは人生の最後の瞬間まで、凄絶なほど佗びしく孤独な方であります。

“私はみな離れて行ったと思ったよ”

2006年12月29日,総理在任時期のことです。 大統領が国政にとりわけ大変だった時,総理公館で夕方招待を受けたことがありました。 その場には、イ・チャンドン監督とムン・ソングン氏そして2002年大統領当選のために最善を尽くした何人かの文化系の人々が共に招待されました。

その当時は参加政府が推進してきた主要政策を、野党と保守勢力はもちろん大統領を支持した進歩改革勢力までもが批判の声を高め,世論がとても悪化していた時でした。
政治と文化に関する多くの対話をした後、四人をじっくりと眺められた大統領が、ゆっくりそして重く口を開きました。
“私は君らがみな離れたと思ったよ。”
瞬間鼻先がじいんとしました。。 そのお言葉の中に自身を批判する改革勢力に対するさびしさと、自身の責務に耐えなければならない指導者の苦悩と孤独、そして支持者らに対する申し訳ない思いが滲んでいたためです。 人間ノ・ムヒョンでない,大統領ノ・ムヒョンの痛みと喪失をそっくり感じるしかありませんでした。

“進歩と保守が一緒に住んでいる国”

退任後ボンハ村で大統領様を尋ねた時,あなたはこう告白しました。
“権力を握った人は、真の意味での進歩を実行できません。”“国家の経営のために現実を度外視できませんでした。 我が国は進歩と保守が一緒に住む国であるためでしょう。”“私は国民統合をいったが、結局国民を統合することができなかったです。 現実の制約と壁がとてもかたかったためです。”大統領で生きてきた5年の間感じられた絶体絶命の孤独. 進歩の力で世の中を変化させたかったが保守を抱いて進歩と保守の協力と調和を悩まなければならなかった現実.
国民統合をそれほど渇望したが,国民が分裂していく姿を見守るほかはなかった義に徹した政治家ノ・ムヒョンの心情はどのようだったでしょうか?

あなたを支持した人々が, あなたをののしって,野党と保守言論はあなたの一挙手一投足を針小棒大しながらけなし続けてきました。 あなたは皆が離れた荒涼とした野に一人立って,一言の悲鳴すら上げず風雨にそのまま打たれてきました。

“私が責任を負わなければならないですね”

大統領様が検察に出席して,数日後の5月2日,私はあなたを最後に尋ねました。 耐えておられる痛みがあまりにも大きくて、頑張りなさいと手でも握って差し上げるつもりでボンハ村を訪ねました。 大統領様は、国民に対して申し訳ないと深い自責感に陥っておられました。 不眠により目が落ちくぼみ、精気がない目で私におっしゃいましたよ。

“結局全てのものが修身斉家できない私のせいです。 私が責任を負わなければならないのですね。

ア~!

私はあなたがおっしゃった‘責任’が、自身の身を捧げることであるとは、分からなかったです。 絶体絶命の絶壁の下に自身を投げ, 世の中の不条理に抵抗しようとする「丹心」であるとは、とても知りませんでした。

恥ずかしかったです。

釜山大病院で大統領様をまた会いに行った日、足がフラフラしました。 守って差し上げることが出来なかった、私の弱さが申し訳なくて,とても写真の中のあなたに向き合う勇気が出なかったです。
告白しますが、私もやはりあなたが‘みな離れたと思った’人の中1人でした。 あなたが検察と言論の投石を黙黙と耐え抜いておられる時, 私は沈黙しました。 残忍な世の中の凶悪と暴力にも抗弁できなくて、胸だけかきむしっていました。
申し訳ありません。 守って差し上げることができませんでした。

‘みみずく岩’の上に、目覚めた数百万のみみずくがまた飛び立ちます

ノムヒョン大統領様!
だがもうその恥は、私の胸に確信となって刻まれました。 もう二度と国民に,そしてあなたに申し訳ないとは言いません。
あなたの犠牲が,あなたの最後の代贖が、離れたと思った国民の心を振り向かせたのです。 みな離れたと思った,ちりぢりに散ってちりぢりに破られたと思った人々が、真実と正義を守ることが出来ずみじめな後悔を胸に抱いていた人々が、いま風となって,またあなたを訪ねてきました。
大統領様は‘国民が考える分だけ歴史は進歩する’とおっしゃいました。 もうあなたが上がられたそのみみずく岩の上で、自覚し目覚めた数百万,数千万のみみずくが、また舞い上がるでしょう。

49祀を終えて,私は居間のみみずくらと向き合っています。懺悔の心情で土で作られたみみずくの燭台に灯をともしました。
生き残った者の悲しみと後悔を、真実の反省と力強い連帯の溶鉱炉の中で残らず燃やし,この土地を生きていく人々の希望に変えたい思いで…。

ノ・ムヒョン大統領様.
あなたはもうこれ以上一人ではありません。

2009年7月12日ハン・ミョンスク拝

民主主義の遺産

2009年07月14日 | 南北鐵道関連消息

金まみれの検察総長候補者が候補者を辞退した。

李アキヒロ政権によって推薦されながらも、国会における『検察総長人事聴聞会』で火だるまになったことで、自ら辞退せざるを得なくなったわけだ。
これを民主主義の勝利というのはたやすいが、肝心なのは、そういうシステムがあったということだ。

この制度は、2003年に導入された。もちろん盧武鉉大統領の時代だ。
彼は、この制度を作りながら、最初の検事総長に『コード』の違う人物をあえて指名した。これが盧武鉉流であった。
そのことが後に、文字通りの命取りになろうとは夢にも思わなかったろう。

民主主義を信じる者の愚直さが私は好きだ。
そして、そういう信念をあざ笑うに等しい李アキヒロ政権を本当に情けないと思う。

by red maneappa

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ハンギョレサランバンからの転載です。
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/711994.html

 チョン・ソングァン “責任痛感” 自主的辞退

原文入力:2009-07-14午後10:07:59

“大統領と国の荷物になった…不徳の致すところ”
2003年 聴聞会導入後 初めて総長候補者辞退大統領府, 後任者まもなく内定するもよう キム・ナムイル記者,ソン・ヨンチョル記者 チョン・ソングァン検察総長候補者が14日夜、電撃的に自主的に辞退した。
チョン候補者の辞退は国会の検察総長人事聴聞会が行われて1日ぶりになされたもので、子女教育のための偽装転入と贈与税脱漏,資金出処が不明確な江南高価アパート購入などの疑惑に対する批判が広がったことに伴うものと見られる。

 検察総長に対する国会人事聴聞会が2003年に導入された以後、大統領の任命を受けることができずに総長候補者が辞退したのは今回が初めてだ。
大統領府はチョン候補者の辞意表明直後、これを直ちに受け入れた。
チョ・ウンソク大検察庁スポークスマンは14日夜8時40分、緊急報道資料を出しチョン候補者が自主的に辞退意思を明らかにしたと伝えた。チョン候補者はチョ スポークスマンを通じて発表した ‘辞退の弁’ で「今回の人事聴聞会過程で国民の皆様に心配おかけした点に対して責任を痛感し公職候補職を辞退する」と明らかにした。

 チョン候補者は辞退を表明した後<聯合ニュース>との通話で「大統領と国の荷物になり国民の喪失感が大きかった。全て私の不徳の致すところ」と話した。
この日チョン候補者の辞退に先立ち民主党など野党はもちろん、与党内部からも彼の自主辞退を要求する声が強く提起された。ハンナラ党の親イ核心重鎮議員は「どう選べばそのような人が選ばれるのか分からない」として「検察総長は法執行の象徴なのに、こういう深刻な疑惑を持って出発することはできない」と話した。

ハンナラ党のあるソウル地域再選議員は「大統領府人事システムがこの程度とわかって本当に失望した。大統領府人事検証チームを総入れ替えしなければならない」とし、大統領府民政ラインなどの責任論も提起した。
チョン候補者は先月21日検察総長に内定したが、去る13日国会人事聴聞会で集中的にふくらんだ個人不正疑惑の高まりを越えることができなかった。
一方、大統領府はチョン候補者辞退の波紋を減らすために後任者内定作業に直ちに入ると発表された。
後任としてはチョン候補者内定と共に辞任したクォン・ジェジン ソウル高検長,ムン・ソンウ大検察庁次長などチョン候補者の司法試験先輩グループから出る可能性が高いと見られる。

パク・クンヨン参加連帯司法監視センターチーム長は「チョン候補者のように不正が多い人の辞退は当然のことであり、大統領府はこういう欠陥を検証過程で確認できなかったことに対して国民に謝らなければならない」として「時間がかかっても国民が信頼でき検察改革に積極的にでられる新しい人物を出さなければならない」と話した。

キム・ナムイル,ソン・ヨンチョル記者namfic@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/365862.html 訳J.S


何を指してアカと言うのか

2009年07月14日 | 南北鐵道関連消息

 

韓国政治において左右の色分けは、その経済政策にはよらない。

最近の例でいえば、金大中政権は、IMF体制から脱するために『新自由主義』を採用した。外国からの投資を導入して経済危機を脱するというやり方は、その時点では正しかったのだと思う。

盧武鉉政権も世界中が新自由主義に席巻されている中で、これに明確に対抗できなかった。それがハンギョレ新聞による批判にまでつながった。
『左ウィンカーを出しながら右折した』と揶揄される原因でもあった。
あまりにも多くの韓国民が投機のうま味を覚えてしまい、思うようにできなかったというところであろう。

この論説にあるように、むしろ朴政権には社会主義的な側面があったといえるであろう。

ところが、金大中と盧武鉉を指して『左派政権』と平気でいってのけるのが韓国言論であり、韓国社会である。
彼らは、その政権の経済政策が何であったのかなどには関心がない。
あるのはただ一点、北との関係において、強硬であったか、融和的であったかだけなのだ。北との関係において強硬でなければ、それはすなわち親北であり、そしてアカであるという論法だ。

情けなくて恥ずかしい。

しかし、考えてみると、在日社会も同様なのだ。
私をアカだというのだ。
三千里鉄道が親北反南団体だというのだ。

このような思考方式が祖国分断に起因しているのは間違いないが、それ以上に長く続いた軍事政権時代に、軍人的思考が社会の隅々にまで行きわたってしまったことが大きい。すなわち、敵かさもなくば味方かという白黒思考方式だ。
しかも、軍人思考方式の特徴のもう一つは上位下達だ。
とにかく、上に立つ権威に従えというものだ。

李アキヒロ政権になってから目立つのがまさにこれだ。
『コードを合わせる』というのが官僚の世界に蔓延し、一般社会にまでその弊害が及んでいる。
せっかく、脱権威を最大の目標にした盧武鉉の5年があったというのに。

このような時代にあって、良心と勇気をもって発言し行動するのは大変に困難である。
しかし、私は韓国民の底力を信じたい。
民主主義を血で贖い取った現代史をもつ韓国民を信じたい。

by red maneappa

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ハンギョレサランバンからの転載です。
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/710330.html

[おい!韓国社会] パク・チョンヒを見習ったらどうだ

原文入力:2009-07-12午後07:44:19   イ・ボム(教育評論家)

 高校平準化,公的医療保険,グリーンベルト。
この三つは非常に左派的な政策と見える。だがこの政策にはまた別の共通点がある。
三つとも全て朴正熙前大統領の遺産ということだ。

こういう政策がもし今我が国に初めて導入されるならば、途方もなく左派的な政策と見えただろうし、朴正熙はニューライトによって‘赤’と烙印を押されただろう。
ところで今、朴正熙は右派の代表的なアイコンだ。

何かおかしくないか?

事実をはっきり調べれば、1960~70年代西欧の主流経済学者らが勧告した発展戦略は対外開放と市場主義だった。
だが朴正熙はこれとは全くかけ離れた徹底した輸出入統制に基づいた国家主導発展戦略を採択した。
これは朴正熙が一時、南労働党中間幹部としてマルクス主義を学習した社会主義者だったということと関連しているかも知れない。
真実がどうであれ朴正熙の遺産は2000年代以後に右派の思想改革運動を通じて登場したニューライトの核心理念と緊張関係にある。
今、高校平準化と公的医療保険とグリーンベルトを守るために奮闘している勢力はむしろ概して左派であり、右派内に朴正熙の政策的遺産を擁護する人は徹底した市場主義者ではなく、伝統的な‘富国強兵論’者に近いだろう。
具体的な例をあげてみよう。大学登録料問題を解決するのに二種類の方式がある。第一には市場原理に基づき受益者負担原則を主張する場合(“大学教育は義務教育ではなく一種の商品なので購買者が金を出せ”)、政府がしてあげられることは学資金貸出利子を多少下げる程度だ。
米国や英国が原則的にはこういう方向だ。

二番目としては憲法31条に明記された‘教育機会の均等’を大学教育まで拡張し大学財政に国家が責任を負う方向に進む場合、年間5兆ウォンあれば大学登録料半額,10兆ウォンならば完全免除が可能だ。
(参考としてイ・ミョンバク富者減税は来年から年間20兆ウォン台に達する)
ヨーロッパ大陸の国家がこういう方向だ。
この国々の登録料は無償ないし多くても年間100万ウォンだ。


これであなたの思想をテストして見ることができる。
前者に賛成すればあなたは右派で、後者に賛成すれば左派だ。
あなたはどちらか? …

ニューライトならば前者に固執するだろう。だが朴正熙主義者は?
相当数が後者に賛成するだろう。
少なくとも一部の領域での福祉が社会全体の費用を節減する効果があるということは難しい話ではない。米国のめちゃくちゃな民営医療保険と小中等教育体系が‘普遍的福祉’という観点でとっくに改革されていたならば、米国の国家競争力は今よりはるかに高まっただろう。
米国の住宅市場を補完する最小限の公共的装置があったとすれば、サブプライムモーゲージ事態は少なくともこれほどには深刻でなかっただろう。
こうしたことが一つや二つではない。

調べてみたら世界最初に福祉政策を導入した人は‘鉄血宰相’ビスマルクだった。教育・住宅・医療などに普遍的福祉を実現しようという主張は左派の専有物ではない。
右派といっても合理的に思考するならばこのような領域で普遍的福祉が実現されることが韓国資本主義の全体的な競争力を向上させるのに相当な役に立つと感じるだろう。

私がこの文を書こうと考えたのは新自由主義が終末を予告しドル基軸通貨が今後何年続くか分からない現実を見ながらも、相変わらず競争と市場主義ばかりを後から歌い続けているオウムたちが、見ていてもどかしいからだ。
給食予算を削減した京畿道教育委員らは、はやくパク・チョンヒをベンチマーキングしなさい。合理的右派が進む道はパク・チョンヒの政策的実用主義でありオウムのまねをすることではない。

イ・ボム教育評論家

原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/365416.html 訳J.S


領事館が民団に開催を要求したという集会

2009年07月13日 | 東北アジアの平和

 7月5日、民団愛知県本部5階大ホールでも、下記と同じ講演会が開催された。
 参加者は少なく、半分以上が日本人であったとのこと。
愛知県での主催は、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」になっていて、民団愛知は、会場を無料で貸したばかりでなく、支部から団員あてにFAXを送信するという全面協力ぶり。
問題は、なぜ愛知県でも急きょ開催されることになったかというと、領事館からの強い要請があったからということだ。 そもそも今回の一連の企画自体が、大使館によって企画されて、東京や大阪そして名古屋の民団がそれに協力を求められて従ったということだ。

 『生活者団体』といい、祖国の平和や統一問題に目をそむけてきた民団が、大使館に言われたからと言って、このような人権に名を借りた極めて反北的な政治的な集会を行うことに、今更ながら、絶望感を持たざるを得ない。

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http://www.mindan.org//shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=3640&corner=3

北韓問題で特別講演会  3日=大阪、6日=東京 2009-07-01 民団主催  

北送者2世の脱北者で、現在「朝鮮日報」政治部記者として、また北韓民主化委員会運営委員長、北韓戦略センター代表として活躍している姜哲煥氏による特別時局講演会が、3日に民団大阪府本部5階大ホールで、6日には東京港区南麻布の韓国中央会館8階大ホールで、それぞれ開かれる。

  講演会のテーマは、金正日国防委員長の健康悪化の中での核再実験強行・ミサイル発射および3代権力世襲問題で改めて注目されている「北韓の実情について」(大阪)と「北韓の人権問題と未来および北送同胞の実態」(東京)。
朝総連を相手取って日本で裁判中の高政美さん(北送脱北者・大阪居住)も講師に。大阪は午後4時から、東京は午後3時から。

 (2009.7.1 民団新聞)

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北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会のホームページを見ると、下記の集会も連動して行われていた。 ここでも、民団と統一日報が協賛している。

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http://hrnk.trycomp.net/syukailist.php

7月4日・7日 姜 哲煥氏・高政美氏講演会 開催日時:2009-07-04
姜 哲煥氏・高政美氏講演会 (大阪)
日時 7月4日 午後3時~  場所 大阪社会福祉会館5階第5会議室(地下鉄谷町線谷町六丁目駅下車)    問い合わせ;電話0729-90-2887(守る会関西支部)
(東京)
☆緊 急 開 催☆北朝鮮の核と強制収容所
日時 7月7日(火) 夜7時から 場所 明治大学リバティタワー10階1103教室   
 (JR御茶ノ水駅から明大通り徒歩5分)
■参加無料

姜哲煥&高政美講演会    

 北朝鮮政治犯収容所の体験者であり、朝鮮日報記者でもある 姜 哲煥氏(著書:平壌の水槽ポプラ社)が、最新の北朝鮮情報を織り込みつつ、金正日の陽動作戦にくらまされない、人権の視点から語ります。総連を提訴している脱北帰国者 高政美さんも訴えます。 
  姜 哲煥(カン・チョルファン)【1968年平壌生まれ。北朝鮮の政治犯強制収容所に9才か ら19才までの間収容される。釈放後92年韓国へ亡命。2000年より韓国の有力紙『朝鮮 日報』記者。韓国で北朝鮮の民主化運動、政治犯収容所廃絶運動を展開中】
 高 政美(コ・ジョンミ)【1960年大阪生まれ。63年、帰国運動により北朝鮮に渡る。家族は北朝鮮で迫害を受け、高氏自身も90年代飢餓の時代に北朝鮮体制に根本的な疑問を抱き脱北、2005年日本に戻る。現在、帰国運動の責任を問い朝鮮総連を提訴中】
□共催:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会/NO FENCE(北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会)  
協賛:大韓民国民団・統一日報社 連絡先 守る会 三浦 080 3485 7189     NO FENCE 宋 070-5459-9817

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ちなみに、その講演の記録があるのでここに転載する。
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NEWS :姜哲煥大阪集会報告(上)核阻止よりも脱北者救援を  └ 2009-07-10 14:52

7月4日 姜哲煥、高政美大阪集会報告(上)

帰国事業は誘拐・拉致 7月4日午後3時より、大阪府社会福祉会館にて、守る会関西支部の主催による、姜哲煥、高政美さんの講演会が行われました。
会場は立ち見が出るほどの盛況となり、北朝鮮人権問題に対し関心が高まりつつあることを期待させてくれるものでした(参加者約80名)代表三浦の挨拶と、会場にご参加いただいた八尾市議会議員(次回選挙で国政に立候補予定)の三宅博氏が紹介された後、まず守る会名誉代表の萩原遼氏が、現在の北朝鮮の後継者を巡る報道について批判的に解説しました。
まず萩原氏は、一部報道では金正雲が訪中したとか、また後継者が正式に金正雲に決定したかのような印象がもたれているが、これは誤報である可能性が強いことを指摘。これは長年のジャーナリストとしての直感でもあるけれども、同時に、現在の中朝関係を考えれば、経済的にも安全保障上も中国政府に従属的にならざるを得ない北朝鮮政府が、自分の意志で後継者を決定することがそう簡単に出来るはずはないと語りました。

そして、中国政府側の意向はおそらく親中派でかつ改革解放政策を推進する姿勢がある金正男ではないか、そして北朝鮮側にも、それを受け入れるシグナルが見え始めていると、幾つかの実例を示しつつ解説しました。
萩原氏は、当分後継者問題は混迷に向かうのではないか、また北朝鮮の現在の核開発の姿勢は、むしろ中国側への対抗策の意味合いが強いのではないかと語り、ジャーナリズムは目先の印象操作的な情報や、金正雲の偽(?)写真を大金を払って入手しようとする姿勢を、問題の本質を見失ったものと批判しました。

 続いて、大阪在住の脱北者で朝鮮総連を告訴中の高政美(千葉優美子)さんが登壇。まず、自分は帰国運動と言う歴史の証言者としてここにいることを述べた後、朝鮮総連に対する裁判に、いかに守る会関係者が協力してくださっているかについて、一つ一つお礼を述べました。日本全国を回り、当時の事情を知る在日朝鮮人や日本人に聞き取りや資料集めを行ってくださっている山田文明副代表、萩原遼名誉代表、そして自分の証言の整理をしてくれた守る会会員の坂元正三さんらの名前を一人一人挙げながら感謝の意を示した後、この裁判を通じて自分が何を訴えたいのかを語り始めました。

「この裁判では、何よりもまず、帰国事業は、在日朝鮮人に対し、朝鮮総連が、甘言や虚偽の宣伝をして北朝鮮に連れて行った、「誘拐・拉致」に当たることを明らかにしたいのです。一人や二人の人間がこの日本で誘拐されたら、ニュースなどでは大きな騒ぎになるはずです。
しかし、この帰国事業では、93000人の人たちが誘拐され、その家族はお金を何十年にも渡って脅迫されて巻き上げられ敵増した。
この誘拐と脅迫を行ってきたのが朝鮮総連です。朝鮮総連を通じたここ日本からの北朝鮮への送金は、身代金ともいうべきものなのです。」 「北朝鮮では、この様な送金を国家的支援などと読んでいますが、その様な『支援』を在日が行ってきたにも拘らず、在日帰国者、日本人妻は、誘拐された被害者で、さらに北朝鮮では酷い差別や迫害を受けています。
帰国事業は壮大な拉致、誘拐であったこと、この真実は、私の裁判を通じて必ず明らかになることと思います。」高政美氏はこう述べて簡潔に証言を結びました。今後7月21日、同氏は山田文明副代表と共に、大阪地裁で証言を行います。
ここにも多くの支援者の参集、そして報道機関の報道面でのご協力をよろしくお願いします。

最前線は38度線ではなく中朝国境

続いて、姜哲煥氏が講演。
まず、自分達がかって日本に最初に来日したときから、この守る会には大変お世話になっていること、特に北朝鮮の人権問題全般に対し総合的に取り組んでくださっていることに深い経緯と感謝の意を示しますと述べました。そして、韓国で自分は多くの脱北者たちと交流しているが、北朝鮮は近い将来、ここ5年以内に大きな変化が訪れると考えていると述べました。

 「まず現状では、金正日政権は約30万人の軍隊を、38度線ではなく中朝国境方面に配置しています。私は最近南北停戦ラインに取材に行きましたが、38度線では、ここしばらく全く銃声が響いた事はありませんでした。しかし、中朝国境は連日のように今銃声が鳴り響いているのです。実質的にはこの中朝国境こそが北朝鮮との戦いの最前線です。」 「軍人も食糧不足から、賄賂などをもらえれば脱北者に国境を超えさせているので、それを処罰する為にも軍隊だけではなく北朝鮮の保衛部(金正日直属の思想警察:三浦注)が派遣され、脱北者にも、また脱北を助けたものにも、銃弾が浴びせられ、処刑なども行われているのです。」

姜哲煥氏はこう述べ、中朝国境は北朝鮮体制崩壊に向けての導火線の役割を果たすとの見解を示しました。 さらに姜哲煥氏は、現在の北朝鮮には当初90年代初頭に亡命した自分にも信じられなかったほどの規模で、飢餓、恐怖政治が蔓延していると述べ、実際にヨドック収容所内部でしか見られなかったような恐怖政治や飢餓が全社会的に広がっていると述べました。
さらに、食糧配給が停止し、思想教育にも効果が無くなりつつある中、民衆はすでに金正日政権を信用しなくなっており、ただ恐怖政治、銃剣による支配だけがあの体制を支えているのが現在の北朝鮮社会だと述べました。 しかし、同時に、現在の国際社会が行っている核開発への抗議や、核査察などの圧力について、姜哲煥氏は、これはどの程度効果があるかは疑わしいとはっきり否定的に語り、北朝鮮は元々閉鎖社会であり、外部からの閉鎖や制裁以上に効果があるのは、内部に情報を様々な手段を通じて入れることによって北朝鮮国内の民衆を目覚めさせることだと述べ、最も重要なことは国際社会が圧力をかけて中国に脱北者の強制送還をやめさせることだと指摘しました。

 同氏は、これは難民条約という中国政府が批准している国際法に違反している行為なのだから、内政干渉には当たらず、日米韓は連帯してこの事を中国に言う当然の権利があること、仮に中国が脱北者の強制送還を停止すれば、少なくとも100万人が脱北する、そしてそれは残りの1000万人の北朝鮮民衆に確実に影響を与え、核問題で北朝鮮に迫るよりも、脱北者を保護することの方が、確実にかの体制を崩壊に導けると述べました。

(続く) NEWS :姜哲煥大阪集会報告(下)人権問題への総合的取り組みを 
└ 2009-07-10 15:47

北朝鮮の独裁者を救ったのは韓国政府

 姜哲煥氏は続いて、金大中、ノムヒョン時代の韓国を、九〇年代にはすでに崩壊寸前だった北朝鮮を、経済支援でここまで支えてしまったと痛烈に批判しました。黄長ヨフ氏をはじめ、多くの有力な脱北者たちは、90年代末にはもう数年間で北朝鮮は崩壊すると預言していました。
現実にはかの体制は生き延びた為、韓国でも、脱北者の証言など当てにならないと言う意見が出ているが、姜哲煥氏は、これは金大中、ノムヒョン時代に、韓国が何を行ったかを見なければ公正ではないと、以下のように語りました。

「80年代には、韓国政府が、風船を使ってビラを北朝鮮にまくなどを国家的規模で行っていました。九〇年代には飢餓の時代、インスタントラーメンを風船で飛ばすなどのことも行い、北朝鮮民衆にも、また軍隊にすら影響を与え、意識を変えるチャンスもありました。」 「それが、金大中が金正日と会談する準備をする段階で、まず金正日が要求してきたのが、経済支援の要求ではなく、なによりもまずこの様なビラによる宣伝をやめろ、38度線で、電光掲示板で北朝鮮軍兵士に向けて政治宣伝をするのをやめろ、また対北朝鮮のラジオ放送をやめろ、と言うものでした。

金正日は、経済支援の要求の前に、このような韓国側の対北宣伝をやめるように要求し、金正日との会談を実現したい金大中政権はそれをほとんど受け入れたのです。」 こうして北朝鮮に妥協した後、金大中・ノムヒョン時代の10年間、多額の経済支援が北朝鮮に流れ込み、韓国政府は北朝鮮が崩壊しないように支えてきた、まさに金正日と金大中は、同属と言うべき政治家であり、金大中は、「金正日は見識のある指導者」と述べているが、自国民を三百万も餓死させた独裁者をなぜ見識のある人間と呼ぶのか、金大中の意識はおかしいとしかいいようがないと、姜哲煥氏は怒りを込めて金大中を批判しました。

 韓国内の左派・民主派の偏向ぶり さらに、金正日政権は現在の李明博政権に対しては絶対に妥協しない方針を決めており、今韓国内の左派、親北派の全てを扇動して李政権を追い詰め、次の大統領選挙で再び親北派の大統領を出現させようと狙っていると同氏は指摘、さらに、現在の韓国国民の意識に対しても批判的に語りました。 「正直私は、今の韓国国民の意識にも多少疑問を持たざるを得ません。
ソウルでは理解できない事件が多すぎます。かって、北朝鮮で同じ民族が、野菜くずを食べることも出来ずに、三百万人も餓死していたときに、一度も抗議デモも起きなかったのに、アメリカ産の牛肉が問題だ、食べられないと言ってデモが起きる。
これは、北朝鮮による長年の工作の活動で、韓国の左派に親北、反米勢力が浸透している結果としか考えられません。」 「この左派勢力は、李明博大統領のおかげで南北関係がうまく言っていないと批判しています。しかも、金大中氏は、正式に国民投票で530万の得票差をつけて当選した李明博大統領を独裁者と読んで批判しました。私は、民主派とか、左派とかいっても、韓国のそれは日本やアメリカの民主派とは全く違う存在としか考えられません。
その一つの証明として、日本やアメリカでは北朝鮮人権法が満場一致で賛成され成立しましたが、韓国では今だそのような法案は制定できないのです。」姜哲煥氏はこのように、韓国の「失われた十年」を痛烈に批判しました。 本来あってはならない後継者の世襲 後継者問題に関しては、姜哲煥氏は本来社会主義、共産主義の理念からすれば、封建社会の理念である権力の世襲などは、資本主義以前のものとしてありえてはならないはずであり、かって金正日が金日成から事実上の世襲を行ったときも、形式的には、金正日が、北朝鮮労働党において、最も優れた能力を持っているからと言うのが建前だったと述べました。
そして、「後継者」を決める時と言うのは、それこそ全国民からの請願を集めるとか、様々な神話造りを広めるなどの下準備が必要で、確かに北朝鮮国内では金正雲が後継者になるらしいという噂は立っているようだが、彼の写真も、また経歴も文書も完全に公開されていないような状態では後継者として決定したとはとても言えない、今北朝鮮が行っているのは、金正日の様態がかなり悪く、後継者問題を巡って政府全体が焦っている証拠か、またこのような噂を流して外国の反応を見ようとしているのではないかと分析しました。

日本政府は人権を突破口に 拉致問題を含む全ての北朝鮮問題の解決を 最後に姜哲煥氏は、日本政府の現在の姿勢に対して、拉致問題が中心になるのは勿論国民をさらわれた立場として当然だが、何よりも、この問題は北朝鮮全体の人権問題の一環として考えるべきではないかと述べました。かって300万人を餓死させ、今もなお30万人を北朝鮮国内の政治犯収容所に閉じ込めている、この様な北朝鮮の現独裁体制の人権問題を解決する、それでこそ、拉致問題も解決されていくのではないかと姜哲煥氏は語り、現北朝鮮独裁体制と真正面から対峙しているからこそ、この守る会という市民団体を自分は感謝し、評価しているのだと述べました。

さらに姜哲煥氏は、日本政府もさらにこの北朝鮮の全体の人権問題に取り組んで欲しい、拉致問題だけを中心にしていけば、逆に北朝鮮から、それを日朝二カ国の問題であるとして逆利用されてしまう危険性もあるのではないかと指摘し、さらに、日本が何よりも中国政府に対し、韓米と協調して圧力をかけ、脱北者の強制送還をやめさせて欲しい。
なぜならば、中国も経済大国である日本の要求にはある程度応じざるを得ないからであり、脱北者を保護することを通じて北朝鮮を崩壊させる方向、さらには北朝鮮のあらゆる人権問題を突破口とすることで、拉致問題を初めとするあらゆる問題が解決される道を日本国が推進して欲しいと、日本への期待を込めて講演を終えました。

 …………
ここまで読んだあなた、ご苦労様です。 不愉快で仕方ない方のために、清涼剤を用意しました。 ご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/sanzenri2010/e/6f30bb881a1a4a8adfd97aa940c0d2fe

 


李明博は武力北進統一を狙っている。

2009年07月13日 | 南北関係関連消息
初めに断わっておくが、これは私の完全な憶測にすぎない。
いや、憶測であってほしいと願うばかりだ。
にもかかわらずこのように書くのは、差し迫っているのではないかと思われる“危機”を前にして、私たちはどういう姿勢であらねばならないのかを考えるためである。

6.15共同宣言、10.4共同宣言はもちろんのこと、盧武鉉政権時代に大きな前進を勝ち取ってきた6カ国協議も、彼の眼中にはない。
李明博は、ここにきてますます調子に乗って、北を孤立させ、包囲し、圧迫するための5カ国協議を実現しようと躍起になっている。
しかし、個別の首脳会談を見る限り、ロシアはリップサービス、米国は聴き置くという姿勢、日本は『制裁強化』にしか考えが及ばず、中国は反対の立場である。

李明博政権による対北包囲網作戦は今のところ、功を奏していないように見える。

一方、南北関係は膠着し、開城工団問題に打開の道は険しい。
6.15共同宣言、10.4共同宣言、そして6カ国協議さえも反故にした李明博政権に対して、北が『友好的』な姿勢を見せるはずもないのである。

では、李明博政権は、なぜ、そのような状況においてもなお、北を孤立させ、包囲し、圧迫する姿勢を取り続けれのか。

それは、彼の目に映る北が、“ブルドーザー処女地”であるからに他ならないのでないのか。

彼は、土建でのし上がった人物である。
土建で成功者としての栄華を極め、大統領の地位まで手にした。
彼の成功物語は、あだ名のとおり、“ブルドーザー”をおいてはあり得なかった。

その彼が、現在の経済苦境を打破するための最高の!! の手段として戦争を選択するのは不思議ではないのかもしれない。
戦争こそ、ブルドーザー政治の究極の姿だからである。

しかも、いざ戦争となれば、南の勝利は間違いないであろう。
そうなった暁には、北のブルドーザー処女地が李明博の号令の下、大開発が始まるのである。
北の“無垢”な人々と大地は、南の強欲者によって蹂躙されるのである。

私は、そういう統一に反対する。
統一であれば何でもよいのかと問いたい。
強欲資本主義が人間を幸せにしているのかと問いたい。

そもそも、戦争による統一の代償は推し量ることができない。
いや、そう想像するだけで身の毛がよだつ。韓米の爆撃機がどれほどの同胞を殺すことになるのか、北のミサイルがどこに飛んでいくのか、そんなことは考えたくもない。

金大中が、統一のために千年かかってもいい。戦争だけは絶対にしてはならないと言ったが、彼も、そういう危険性をひしひしと感じているのではないだろうか。

私も、その意見に同意する。
何よりも平和が守られなくてはならない。
戦争だけは絶対にしてはならないという世論形成が切実に求められている。

李明博という“強い”権力に自らの将来を託した韓国民は、自分たちが、ナチスを選択したかつてのドイツ国民と同じであることを自覚しなければならない。

そして、李明博に対して、明確にNOを突き付ける行動が問われている。

by maneappa

金剛山への道、閉ざされ1年に

2009年07月12日 | 南北鐵道関連消息
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観光中断1年,遠ざかる金剛山
政府'観光再開意思なく'...現代側‘持ちこたえる’と決意

2009年07月11日(土)16:46:43チョン・ミョンジン記者mjjung@tongilnews.com



 昨年5月観光が盛況だった金剛山観光地区. 南側観光客らを乗せてきたバスで駐車場が埋まった [資料写真-統一ニュース]金剛山


観光が中断されて1年になった。 昨年7月11日明け方金剛山観光客パク・ワンジャ(53,女)氏が北側哨兵の銃撃を受けて死亡する事件が発生した後,南側政府は次の日の12日から金剛山)観光を暫定中断した。

'襲撃事件解決' 1年前状況に比べて,進展なし李大統領 "北に支援したお金核武装に利用"... '観光再開の可能性'元から封鎖

金剛山観光関連業者の損失、雪だるま
現代,“対北朝鮮事業は絶対あきらめない”

去る6月末まで現代牙山の売り上げ損失は1,536億ウォンだ。 金剛山事故以前、1,084名の職員は411人に減った。 待機発令と朝鮮族を除けば320人に過ぎない。

ただし,現代側は対北朝鮮事業が故チョン・ジュヨン会長の遺志であるだけに、最後まで守ると決意を新たにしている。

ヒョン・ジョンウン現代グループ会長は、去る4日全系列会社社長および役職員1,000人が集まった席で、"対北朝鮮事業は絶対あきらめない"という意志を再び明言した。 チョ・コンシッキ現代牙山社長も去る7日職員朝礼を終えて、記者らと会った席で、"現代牙山という名前を守ることが重要だ"と強調した。


金東国大・北朝鮮学科教授は、"金剛山観光再開,開城工団問題,ユ氏問題,列車運行再開など個々の懸案に対して接近するより、全てのものを一つのテーブルにのせて南北最高指導者次元で決断する方式以外には、他に現実的に解きにくい"と診断した。

サイバーテロの背後には北朝鮮が…。チャンジャヨン捜査終結…

2009年07月12日 | 南域内情勢
昨日11日ハンギョレ新聞の社説2件紹介します。
サイバーテロ北背後説は、未だにパルゲンイにすれば投獄しても虐殺しても許された暗黒時代の習性の繰り返しに(社説ー1)、そしてノムヒョンが言論の奴隷にはならないと糾弾した「朝鮮日報」パン一族を庇護しようとする権力の陰謀が見え隠れする(社説ー2)。
特に社説ー2の件、事件の核心をしる金社長が日本から帰れば、死をもって訴えたあのチャンリストの真実も明らかになると思ったが、己の愚かさが悔やまれる。これでは前大統領に死を決意させ、現在もアメリカに逃避行している元国税長官が帰国しても、もう話題にもしないかも知れない。
さすがに社説、しかし訥々と語られる内容に民の悔しさ、憤りを見る思いだ。namsang

[社説]-1
不信招く国家情報院の行状

イ・ミョンバク政府になって,国家情報院ほど力が強くなった機関はない。 大統領最側近が国家情報院長を担当,以前の政権からなくした国家情報院長の大統領単独面談が復活し,国家情報院職員らの肩が上がって目力がよみがえった話が、政府部署周辺からも聞こえる。 民間企業にまで影響力を行使し, 政権に批判的な市民団体を困らせているという話も。 権威主義時代の特権と専横がよみがえっている。

国家情報院は大統領訓令の国家危機管理基本指針と国家サイバー安全管理規定により、大統領府・国防部・外交通商部をはじめとするすべての公共機関の情報保安の責任を負っている。 国家機関がサイバー攻撃を受け,機能が麻痺する場合、国家情報院が最も大きい責任を負わなければならない。 国家情報院が政府部署の保安司高に対して苛酷なほどの調査を行ったりするのもこういう責任があるためだ。

去る7日から続いたサイバー攻撃は‘副業には強いが本業には弱い’国家情報院の姿をそのまま表わした。 2003年新種ワームウイルスによるインターネット大乱以後サイバーテロ専門機構として設立された国家情報院・国家サイバー安全センターが攻撃を受け、三日以上も復旧できないのが端的な証明している。 また国家情報院は、米国と共に去る4日サイバー攻撃の兆候を発見した。迅速対応措置を通じて,被害を最小化した米国と違い, 韓国は右往左往してむしろ被害を増やすのに一助となった。 国家情報院がこういう情報を土台にいちはやく警戒警報を発し防止対策をたてたとすれば、今と同じ混乱と被害は大きく減少さすことができただろう。 今回の事態に関連した国家情報院の行状を見れば、無能を越えて,機能不全というに値する。

国家情報院が正確な根拠もなしに、情況だけで‘北朝鮮背後説’を連日流したのは、さらに情けない。 国家情報院は昨日米国・日本・グアテマラ・中国など19ヶ国の92ヶのIPを通じて,サイバー攻撃が敢行されたと把握したが、北朝鮮は含まれなかったとしても,相変らず北朝鮮背後説に固執した。 米国当局者らが北朝鮮関与説に、非常に慎重な反応を見せるのと対照的だ。

、だから国家情報院が不信がられるほかはない。 すべきことはしないで、責任転嫁にだけ汲々とする国家機関を、よくいに見る国民はない。 それでも自身の権限を拡大する内容の国家サイバー危機管理法案(メディア法案の一部ー翻訳者注)などを処理してくれと要求している。見苦しい限りだ。


[社説]-2
素振りだけの警察‘チャン・ジャヨン事件’捜査

タレント チャン・ジャヨン氏自殺事件を捜査してきた警察が、昨日捜査を終えて事件を検察に渡した。 チャン氏が酒席接待を強要されたという事実が確認され、何人かの人の疑惑が明らかになったが,地位のある人々は大部分不起訴や取調べ終結処分などで刑事処罰対象から外れた。

厳正な捜査が終わりこういう結論が出されたのではないから,疑惑はさらに深くなった。 与えられた捜査時間を満たすこともせず、急いで事件を覆おうとするとの疑いは避けがたい。

警察の捜査は素振りだけして、やめるようだ。 警察は去る4月中間捜査結果を発表した。日本に逃避中のチャン氏の所属会社代表キム・某氏が検挙されれば追加捜査を通じ, 疑惑を一つ一つ明らかにすると大言壮語した。 だが去る3日キム氏が国内に送還された後も、警察はまともに捜査をしなかった。 キム氏が帰国した後,本格調査するとし中止した<朝鮮日報>高位役員の息子の場合,キム氏の追加陳述がなかったという理由で最初から追加調査もせず取調べ終結処理した。

朝鮮日報前職役員もやはり、チャン氏などと酒の席を共にしたのに、釈然としない理由で不起訴処分した。 警察は朝鮮日報高位役員でも他の有力言論人・金融家・企業家などに対してもキム氏から疑惑事実を立証するほどの陳述がないので,どうすることもできないという態度だ。

これは疑惑を立証しようとする態度ではない。 中間捜査結果発表の時より、むしろ刑事処罰対象が減ったのもその結果だろう。 これだから表面だけさわり内容は公然と見逃す姿勢という話が出るのだ。

チャン・ジャヨン事件は‘力がある人々’が女性芸能人を接待の手段とした事件だ。
接待を強要する芸能界の抑圧的構造, 醜悪な闇取り引きをはばからない私たちの社会の非正常的権力関係,力がある者らの道徳的堕落像がチャン氏の死と共にあらわれたのだ。 これまで噂だけ飛び交っていたが、それが事実と確認されたのでその衝撃はより大きかった。

これ以上このような悲劇が繰り返されないようにするには、チャン氏がなぜ自殺まで追い込まれたのかをありのまま明らかにしなければならない。 酒のほか性接待まであったというチャン氏の話は事実なのか,接待を受けた有力要人らはどんな代価を与えたのか等も糾明しなければならない。 検察も警察のようにごまかそうとすれば、疑惑はより大きくなり広がるだろう。 検察は原点に立ち再捜査することを望む。 それがこの地の女性に対する最小限の礼儀だ。


人権擁護はアカのすること

2009年07月09日 | 南域内情勢

韓国に国家人権委員会が設立されたというのは、画期的なことであったと思う。
 http://homepage3.nifty.com/na-page/17-27.html

この法律の制定によって、韓国の現代史において、歴史の闇に葬られてきた事件の真相解明が進んだ。
不当な地位にあった人々の名誉回復がなされた。
冷戦の最前線に立たされた韓国では、『アカ』というレッテル一つで、どれほど多くの血と涙が流されたことだろうかと思う。
真相を究明し、名誉を回復することは、韓国が民主主義の国になるためには必須の、“苦い薬”であったと思う。
韓国と韓国民は苦痛を伴うことを覚悟しなければならないのだ。なぜなら、あまりに多くの苦痛を味わった人々を放置しておくわけにはいかないからだ。
苦痛を共有するほかないのだ。

国連での議決にいち早く取り組んだ点も評価されるものだ。
日本では、人権擁護法が一向に採択される気配がない。
右の連中からの執拗な攻撃のせいだ。

人権が侵されるというのは、簡単にいえば、力のないものが力のあるものから不当な抑圧を受けることだ。
力のあるものが有利な社会システムの中で力のないものが不条理な立場に立たされることだ。
だからこそ、力のないものに『味方』するものがなければならない。
力のあるものが人権擁護法に反対するというのは、損得で考えれば当然のことだといえる。しかし、だからこそ、そこには品性というものがない。

韓国では、人権委員会が『アカ』の組織だと執拗な攻撃を受けてきた。
朝鮮日報をはじめとした言論はもちろん、ニューライトがそうだった。
韓国の右翼は驚くべきほど日本の右翼に似ている。 それは植民地支配に関する評価にまで及ぶ。
おいおい、右翼なら少しは右翼らしくしろよとびっくりするぐらいの主張を繰り広げる。すべては、反北、反アカに凝り固まっているせいなのだろう。

李アキヒロ政権になって、その独立性が否定され、存在まで否定されようとしている中で、人権委員長が辞任した。

私は、韓国という国が誇らしいと思ってきた。
それは、ひとえに、自分たちの力で、民主主義を勝ち取ってきたからだ。
どれほどの人が捕らえられ、拷問され、殺されたことか。

それがどうしたことか、ここにきて、せっかく築きあげてきたものが、みんながらからと崩れてゆく…。

もう、韓国を誇らしく思えない。
強欲な韓国人も嫌いだ。

 悲しい。

 by maneappa
・・・・・・・・・・・・・
ハンギョレサランバンからの転載です。

2009年07月09日 原文入力:2009-07-08午後10:14:15

“韓国人権, 国際社会 笑いものに” 

アン・ギョンファン国家人権委員長‘切れ味鋭い辞任挨拶’ “政府と疎通のために努力したがうまくいかず” イ・ギョンミ記者 ←アン・ギョンファン国家人権委員長が8日午前ソウル,中区,武橋洞道の国家人権委員会で離任式を開き委員長職から退いた。

アン委員長はこの席で「政権は短く人権は永遠だ」と話した。

任期を4ヶ月余り残して辞意を表明したアン・ギョンファン(写真)国家人権委院長が8日「政権は短く人権は永遠だ」という話を残して委員長職から退いた。
アン委員長はこの日ソウル,中区の国家人権委員会で開かれた離任式で所感を明らかにし、イ・ミョンバク政府の人権意識不足と疎通努力不在などをより強力に批判した。
彼は「多くの国の妬みと羨望を買う誇らしい国であった大韓民国が最近になって皆が後ろ指を差す恥ずかしい国に転落する危機に置かれている」として「新政府スタート以来、発生した一連の不幸な事態に対して強い責任を痛感し新しく就任する後任者が深刻に損傷した国際社会での韓国人権の地位を回復するように願う希望を持って法が保障した任期満了日を待つことができずに退く」と話した。

アン委員長は続けて「イ政府は業務引継ぎ委員会時期、独立機構である人権委を大統領直属機関に変更するという計画から始まり、去る3月末には適正手続き抜きで国連決議が採択した独立性の原則を本質的に侵害する機構の縮小を敢行することにより国際社会の嘲弄の種になっている」として「左派政府の遺産という単細胞的政治論理の虜となって人権に関する限り義題と意志が足りず疎通の姿勢や努力はほとんど見られない」と批判した。

彼はイ大統領に向かっても「ただの一度も業務報告を差し上げることができずに席を去った無能な人権委員長として歴史に残ることになったことは私の個人の不運と恥辱とあきらめるが、再びこのような非常識なことが繰り返されないことを切実に望む」として「国連総会が決議を通じて採択した国家人権委員会の設立と運営の原則を尊重し国際社会の憂慮を傾聴するように願う」と話した。

 アン委員長は離任式の後、用意した記者懇談会で世界国家人権機構国際調停委員会(ICC)会長国選出問題を心配した。彼は「来年3月のICC会長国選出は政府が言う数十億ドル輸出以上の国家的地位が伴うものだけに、政府がここに支援意志を示すべきだ」と話した。アン委員長は‘最も残念な点は何なのか’という問いに対して「絶えず政府と疎通するために努力したがうまくできなかった」と心境を明らかにした。

アン委員長はソウル大学法学専門大学院に戻り教壇に立つ計画だ。

イ・ギョンミ記者kmlee@hani.co.kr 原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/364729.html 訳J.S


MB, ついに私財を社会還元?

2009年07月08日 | 南域内情勢
微妙な問題なので、関連するカキコの中で一番冷静?なものを載せました。奨学金を渡しながらMBは、はたして何を語り何を未来に託そうとするのだろう。namsang



心まで出さない財産還元,真正性疑われる

推薦1254 |非推薦61  照会数9315
http://hantoma.hani.co.kr/board/ht_politics:001001/267716



大統領選挙を控えて自身の財産を社会還元すると約束したイ・ミョンバク氏( 68 )が、いよいよ自身の財産を還元した。 彼が還元した財産は331億ウォンだ。

与党と野党そして国民がイ・ミョンバク氏の財産還元を眺める視角は各々だ。
与党は大統領が自身の財産を還元したのは、世界的に類例がないとしながら自画自賛するかと思えば, 野党は何よりも透明な運営が核心であるとしながら運営の透明性を強調している。 国民の反応やはり、自身の財産を還元したと認定するべきだとする反面に,これからを見ると色眼鏡をかけて眺める視点に分けられている。

もちろん,自身の全財産を還元するということ,社会に寄付するというのは大変なことだ。 昔話にも、ある奴がもっと恐ろしいという言葉がある。自身の手に入ったものが大きければ大きいほど、それを守り大きく育てたい欲求は想像以上だ。 だから今回のイ・ミョンバク氏の自身の財産還元,社会寄付は先ずはその表面的な象徴的行為としては認定するべきだと見る。

だが,それにもかかわらず,筆者がイ・ミョンバク氏の財産還元を相変らず気に入らなく眺めなければならない理由は,彼が自身の財産を還元して,本来自身の心まで出さなかったということのためだ。

<<家一戸だけを残して全財産を還元します>>.

少なくとも筆者が記憶するイ・ミョンバク氏の自身の全財産還元に対する実際的な内容はこうであった。 大統領選挙当時イ・ミョンバク氏がした財産還元の意味は、言葉どおり<<家一戸だけ残して皆出す>>だった、少なくとも今のこういう方式ではなかった。

財団設立を問題になる必要はない。 だがこれが果たして、彼が大統領選挙戦で話した全財産還元か? 果たしてこれが家一戸だけを残して自身の全財産を還元したものか?

財団の理事構成を見れば、そう指摘しないでいられない。 財団の理事を見れば果たしてこれが<<家一戸だけ残して全財産還元>>なのか疑わしい。

イ・ミョンバク氏の長女の婿が理事、初期内閣要人の時財産形成過程で不法な方法で財産を増やしたと落選したパク・ミソク前首席,母校支援金論議で問題視されて,結局辞退したキム・ドヨン前教育部長官などが理事に名を連ねており,財団を動かす要人皆がイ・ミョンバク氏の最側近と呼ばれることができる知人らだ。

果たしてこういう財団に透明性を期待することができるだろうか。 自身の財産を不法な方法で増やした要人から,自身の母校に支援金を恥知らずにも着服要人から,そしてイ・ミョンバク氏の顔色を見なければならないイ・ミョンバク氏の知人から,私たちはどんな透明性といかなる道徳的な財団の運営を期待できるのだろうか。

しかも自身の婿が理事である財団ならば,果たしてこのような財団での財産還元を<<家一戸だけ残して全財産還元>>したと認定をするべきことなのか。 イ・ミョンバク氏が聞くにはとてもくやしく聞こえるかも知らないがこれは<<話にならない説>>だ。

イ・ミョンバク氏はパク・チョンヒ大統領当時設立された育英財団が,結局今兄弟間の利権争いで法廷戦いまで飛び火するのを分からなくはないだろう。
それにもかかわらず,あえて財団という方法を選択したのか,その上何よりも透明性と公益性が優先視されなければならない財団を動かす実力者らに自身の婿はもちろんで道徳的にも深刻に問題視される人々で布陣をしたのか本当に分からないことだ。

いくら自身の全財産を還元したといっても、ほとんどが不動産利益だという点と,この財団を動かす実質的な実力者らが事実上イ・ミョンバク氏の顔色を見る人々,透明性と道徳性を期待できない人々で構成されたのを見ると, 結局イ・ミョンバク氏は自身の財産は<<形式的に還元>>したかも知れないが, 自身が大統領選挙期間国民に約束した時の<<心>>まで出すことはできないようだ。

実質的な還元でない形式的な還元........... やはり彼から真正性を期待するのは無理だったのか。