魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

お寺は海の底?

2012-11-18 08:58:29 | 旅行

 雨音よりも、お泊り車のエンジン音の方が耳を突いて、眠りを破られる。雨は小降りになっている。
ほとんどの自動車が、エンジンをかけたまま、エアコンを効かしてやすんでいる。なんとも、貧乏人ほど、環境問題には疎い。
それはそうだ、金持ちは野宿などする必要もなく、ホテルに泊まればすむことだ。やぶさかな事を言うようだが、発展途上国が京都議定書に抵抗する事情はそれなりにあるものだ。
 「ならば地球環境はどうなってもいいのか!」、と言われれば、如何なっても良くはないんだが、差し当たり、今すべき事は、人々が起きだす前に、さっさと、トイレを使う事だ。
 山々は小雨にかすんでいる。
駐車場の下手の久万川は昨夜の大雨で、濁流がうねりを上げている。この川の水は下って仁淀川に合流し、土佐湾へ出る。
我々は4日程前、この河口辺りをウロウロしていた。あわれ、水はコースの決まった旅人なのか・・・
 我がお遍路チームも旅人ではあるが、土佐湾へ連れ戻されるような、双六遊びをする訳にはいかない。濁流に呑まれないうちに、人々の行列する公衆便所を横目に、さっさと出発。
 ここからでは地理的にみて、第四十五番札所岩屋寺を、先に廻ったほうがが効率的みたいである。
県道212号線に入ると、雨は止んだ。どうやら台風はそれたみたいである。それにしても四国は山が深い。
ここに比べれば、わが中国山地などは大げさに言えば、非対称オッパイの様な、大山と三瓶山の裾野みたいなものだ。
 切り立った山々の峰より、オーロラ状に霧が降り下ってきている。
これまた、仁淀川の支流の面河川沿いの県道から、そのまた支流の直瀬川べりの、町道らしきを蛇になって進めば、山水画そのものの深山幽谷が待ち構えていた。
ゴジラが、引っ掻いたが如き岩肌を剥き出しにした、巨大な岩壁衝立が数枚、遠近法を駆使して並んでいる。
この険しい岩山の中腹に、張り付いているのが岩屋寺である。
弘法大師はインスピレーションの閃いたところに、お寺を建てるので、立地条件は厭わない。そうは言っても、平成の世、不動産屋的には「もよりのバス停より徒歩十分」でしかないのだが・・・
 その昔、ここの岩峰に観音菩薩の効験を聞いて、土佐より移り住んだという女人がいた。
法華三昧を成就し、宙を自在に飛行する験力を体得した法華仙人である。
弘仁6年(815)に、弘法大師が、修行の霊地を探して入山。明王鈴の音を頼りに岩山に上ったところ、法華仙人に出会った。
弘法大師に深く帰依した仙人は、山を弘法大師に献上して往生を遂げる。
大師は木と石の不動明王を刻み、木像は本尊として本堂に安置して開創。石像は山に封じ込め、山そのものを御本尊とした。
 この時、護摩修行を終えた弘法大師は、この希なる光景を歌に詠む。

山高き 谷の朝霧 海に似て
   松吹く風を 波にたとへむ 

 このお寺、正式には「海岸山 岩屋寺」。ここの山号はこの和歌に由来する。しかし、この地形は海岸どころか、太古の頃は海底であったのだ。
 寺の左右にある礫岩峰は、全部で50余り。いずれも数千万年前には、海の底にあったものだが、それらが断層運動によって隆起、浸蝕されて、異様な山容をつくり出したとの事だ。
 昨夜、道の駅で拾った分厚いガイドブックには、こと細かく説明がなされている。初めて、しっかり予習をしての参拝である。
本堂までの急斜面には、鬱蒼とした杉木立の中、石仏がところ狭しと置かれている。これらを縫うように細い参道を登る。
雨上がりの霧に洗われて、身が引き締まる思いである。供えられた線香の煙さえしつとりと揺らいでいる。
遍路とは本来こうしたもので、今までの物見遊山的スタンプラリーを少し恥じよう。
 本堂も納経所も、覆い被さる巨岩に、めり込んでいるようだ。
本堂右手上方の岩壁に、大きな穴が開いており、木で台座が組まれテラスみたいになっている。
そこまで、長い梯子が掛かっており、子供らを庇いながら登ってみる。ちょっとしたスリルに小春も留吉も大喜びだ。
 下を覗けば、身がすくむ。昔のお坊さんはこんな所に籠り、孤独に耐え、寒暑に晒され、真実を求め、何年も修行したのだ。
それに比べてみても、しかたがないが、朝起きて、飯喰って、生活費を稼ぎ、糞をして寝る。その繰り返しが、わが人生である。
なにやら、普段、気付きもしない事など考えてしまう。金はないけど、これと云った悩みもなく、それなりには幸せであるのだが・・
 寺を下りて、バタンコ88号は、ぐるりと大回りしてゴルフ場を経由し、来た道を戻らずに久万町に帰り着く。
夏とは言え、霧にむせぶ高原の朝、コンビ二でカップ味噌汁を啜る。温かい、美味い、しみじみと日本人に生まれて良かったと思うひと時だ。
 駐車場には団体用のワゴン車もかなり見られる。大寶寺は悪天にも関わらず、お遍路さんで賑わっている。
こちらのお寺も杉や檜の老木に覆われて、幽玄な雰囲気を醸している。
聞けばここ久万町は、木材の一大集散地らしい。境内の片隅には、山頭火の句碑がある。今は幽体となったご本人が、その前で佇んでいる。眼鏡の中の細い目が、懐かしむように滲んでいる。

朝まいりはわたくし 一人の銀杏ちりしく

 雲もいくぶん薄くなってきた。さあて、四国随一の大都会=松山=を目指し、午前中に伊予と土佐を分断する、三坂峠を越えるとしよう。



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